自称「一般的な会社員」

どこにでもいる、一般的な会社員の日常

5月7日

2016-05-07 | Weblog
5年ぶりに、災害復旧活動に従事してきました。

ことの始まりは木曜の深夜。飲み会が終わって帰宅すると、会社ケータイに入電。

会社「熊本で大きな地震が起きたので、出動お願いします」
ア「行くのはいいですけど、いま外回り営業なので調整がいります」
会社「わかりました、調整しておいてください」

翌朝、特に何もなかったので調整をサボっていました。溜まった家事をこなして、就寝。あぁ、明日は土曜だけど仕事だ。そして土曜の6時50分、電話で起こされました。

会社「召集がかかりましたので、至急出勤してください」
ア「いや、だから外回りだからね」
会社「え?そうなんですか?なんとかしてください」

もー、管理部隊でちゃんと情報共有しといてよー、と思いながらテレビを点けると、結構大変なことに…。

ア「わかりました、行きます。何時に集合ですか」
会社「9時か10時に来てください」

集合場所の営業所までは1時間半。急いで着替えて準備して、即行出発。やべぇ、忘れ物した、でも急がないと。到着したのは9時15分。会議室に駆け込むと、1人しかいない。出遅れた…と思ったら、2番目の到着でした。結局、報告が始まったのは10時半過ぎ。なんだよ、急ぐ必要なかったじゃん!忘れ物とか、買いに行けたじゃん!

土曜の未明の地震、今では本震と言われていますが、当時は最大の余震と言われておりました。この余震がトドメだったと。至る所で停電が発生し、通信途絶。至急福岡の災害復旧拠点に向かい、資材を積んで復旧に向かえと。

で、チーム分けだなんだと、会議室を出たのが12時半。こんなスピード感でいいのか…。そのまま羽田空港に向かい、電車の中で飛行機を予約。片道4万だよ!正規料金ってすげぇな!羽田空港で食事を摂り、15時半の飛行機で北九州空港へ!そう、北九州なんだよ。拠点は福岡なのに!レンタカーが押さえられず、福岡、長崎、北九州の各空港に分散。移動が大変。

北九州空港に着いたのは、17時過ぎ。レンタカー屋に向かうと、法人カードが無いとかで揉め揉め。出発出来たのは18時だよ。車を走らせて、福岡拠点に着いたのは19時過ぎごろ。しかし、誰もいない。本部に電話したら、『暗くなって危ないので、今日の積み込みは無し。今日はホテルへ行ってください』とのこと。それさぁ、早く言おうぜ。で、ホテルは熊本との県境にあるビジホ。なるほど、ここがベースになるんだな。今日はラーメンを食べて就寝。明日は6時半出発だ。


2日目、朝食を摂って出発。7時半過ぎに拠点に到着。機材の積み込みを始めるも、心臓である発電機がない。『関東から送ってます。14時ごろに着きます』ってアホか。お昼ご飯を食べても、まだ届かない。『さっきトラックから広島通過中って連絡があったから、15時くらいかな』陸路かよ!15時前になんとか届いて、積み込んで出発。本部からの指示で食料を買い込み、発電機用のガソリンを確保して、一気に南下。

途中までは九州自動車道が使えましたが、植木ICで通行止め。その前の菊水ICから大渋滞。さらに手前の南関で降りておくべきだったと思いましたが、なんとか菊水ICから脱出。一般道もそこそこ混んでいるものの、高速よりは早い。

熊本市に入ったところで、状況が一変。大渋滞や!ただ、お店はそこそこやっているよ。大手のファミレスやファストフード店は休止しているけど、コンビニやガソリンスタンドは半分くらい開いている。まぁ、コンビニは食料品が全くありませんでしたが。強かったのはラーメン屋で、かなり開いてましたよ。某ファミレスチェーンは、この2日後に営業再開してました。強いな。

道路は波打ってはいるけど、走れなくはない。電気も来ているし一見普通な感じだけど、ビルの上のアンテナが傾いていたり、ガラス張りの建物は割れていたり、熊本城が崩れていたりと、所々でひどい。

そして渋滞を抜けて、辿り着いたのは上天草市。本部から指示のあった場所へ行くと、避難所は移転済み。移転先の体育館には、500人くらい避難していました。受付の人に話を聞くと、『ライフラインと通信は問題ないが、揺れが怖いのでみんな避難している。人が多いので発電サービスはありがたい』とのこと。本部と連絡して、今日は遅いので明日の朝から対応となりました。

で、宿泊先ですよ。昨日泊まったところは引き払い済み。じゃあ何故県境にしたんだっつー話。わざわざ遠回りしただけやんけ。幸い上天草市は地震の影響が少なかったので、温泉宿を確保できました。当然、素泊まりですけど。買い込んだ食料を食べ、温泉に浸かり、布団で寝る。車中泊組がいる中で、温泉に入れて布団で寝られるなんて、なんと贅沢な…。


3日目、昨日の体育館に向かったところ、人が全然いない。昨日はいっぱいいたのに…。話しを伺うと、昼間は家に戻っているそうな。夜が怖いので、避難所に集まっているそうです。こりゃどうしたもんかと本部に相談したら、次の行き先を指示するか夜に備えるか検討するので少々待ってほしいということで、お昼ご飯を食べながら4時間待ち。超時間の無駄…。

次の行き先は南阿蘇村。これがまた一筋縄ではいかない。熊本の渋滞を抜けようとしている最中、膀胱が限界を迎える。こういう時に限って、見つかるコンビニはどこも営業休止。全てを諦めかけたときに、ガソリンスタンドが見つかり、事なきをえました。

大渋滞、膀胱とピンチを切り抜けた先にあったのは、通行止め。橋の崩落に土砂崩れで、道が本当にない。地図とにらめっこしながら、行ける道を探す。途中で益城町を通過。道路がずれて階段状になってしまったり、建物が倒壊してしまったりと、かなりの被害。事故らないように慎重に走り、あっちこっちと迂回をしながら、日暮れ前に南阿蘇村に到着。

ここは通信は生きているけど、ライフラインが途絶。水は自衛隊が給水、電気は必要最低限は自家発電。早速、発電機を立ち上げて電気の提供を開始。本部や避難所の方とやり取りをして、自家発電を止める時間まで我々も電気を提供することに。そうすると結構な時間になりますけど…。

会社「こちらで宿を探しますが、最悪車中泊をお願いします…」
ア「最悪は理解しますが、気合いで探してください」

会社「見つかったんですけど、福岡なんですよね…3時間くらいで着きます」
ア「何を言うとんねん。さっき某通信会社と話ししたら、彼らは大分に取ったらしいですよ」
会社「大分近いんですか!?」

いやいや、あなた方が我々の行き先を管理しているんでしょう。結局大分でも宿は取れず、宮崎県になりました。まぁ、Googleマップによれば1時間ですからいいですけどね。

20分後、前言撤回。宮崎遠い!いや、近いんだけど、今は遠い。橋の崩落で大回り、迂回路も土砂崩れで通行止め。あっち行ってこっち行って、最終的には明らかにすれ違いが無理な細い山道。対向車来たらアウト。山道だからか停電だからかはわかりませんが、真っ暗。路面状況も良くわからない。気をつけながらのドライブは、めっちゃ疲れる…。日付変更前に宿に到着。キレイな宿だったけど、素泊まりなのでご飯はなし、大浴場も終了と、ちょっと残念。近くのカフェスナックでカレーを食べて就寝。


4日目、昨日のリベンジで大浴場へ。温泉じゃないけど、お風呂はやっぱり気持ちがいいね。近くのコンビニに行ってみたら食料がいっぱいあったので、朝食を確保。どうせ経費だろってことで、高級なオニギリとサンドイッチを買い込んでやったぜ!食費は経費にならなかったぜ!\(^o^)/オワタ

また1時間半かけて、昨日の避難所へ。発電機を回して充電サービスを開始。1時間後、突然通信が途絶。5分経っても復旧する気配無し。慌てて衛星アンテナを立てて、通信復旧に取り掛かる。開梱だ配線だとワタワタしているうちに、通信復旧。ガックリ。その後は特に問題もなし。車でお昼ご飯食べてたら、少女にガン見されたくらい。なんか、ゴメンね。17時くらいに撤収検討のためにバディが本部に連絡。随分長電話だなぁ、宿でも取ってんのかなぁ、と思ったら青い顔して戻ってきました。

バ「別の避難所に移動になった」
ア「今から?」
バ「今から」
ア「行き先は?」
バ「これから連絡来るから、撤収しろって」

避難所の方に事情を説明して、撤収開始。幸い、ちょうど電気が復旧したので発電機需要は大丈夫。充電器はNTTが置いて行ったから、これも大丈夫だろう。

撤収が終わったのに行き先の連絡は無し。こちらから連絡をしてみると、「緊急性は高いがまだ調整中」という謎の回答。通信が輻輳しているからそこへ向かわせたいところだけど、他のチーム含めて衛星通信がそこに集中して問題ないか、そもそもどこに設置するかを検討中らしい。まだまだ待ちそうなので、夕飯にしましょう。お湯を頂いてカップラーメンです。いやぁ、電気が復旧してよかった。停電してたらカセットコンロだったよ。食事中は、地元の人たちと少しお話。

その後は車で待機。最終的に、宿への帰着指示。まぁ、調整に時間がかかったからね、今から避難所に行って通信立てたら日付が変わる直前くらいだもんね。その時間なら通信も一段落して輻輳もしていないだろうしね。今から避難所だと確実に車中泊だから嬉しいけどさ、焦らせといてなんやねんという話。

で、こんな時間で宿が取れるかいって思いましたが、バディが取ってました。しかもここから近く、個室だよ。しかし、本部からは本部で宿を押さえたからそこへ行けと。まぁ、いいけどさ。1時間かけて着いた宿は、そりゃスゴい宿だよ。人生史上最悪だよ。まず、単純にボロい。受付がボロければ部屋もボロい。ベッドの頭にアラーム付きの時計が埋め込まれているじゃん?引っこ抜かれて空洞だよ。売りである掛け流しの温泉は、地震で停止。シャワーだけ使えるってことだったけど、水圧が泣けるほど弱い。一人なら普通に使えるんだよ、複数人が同時に水を出すとチョロチョロしか出ないんだよ、マジで。この非常時で営業してくれているだけでもありがたいけどね、朝食付きだし。今日は色々疲れたので、早々に就寝。終わりが見えず、気苦労ばかりでちょっとツラい。


5日目、会社のメアドに本部から指示が来ていました。10時までに行き先指示があるんだって。朝食を頂いて、荷物を整理してチェックアウト。当然、10時に指示なんか来るはずはなく、30分待ちぼうけ。次の行き先は、高森町。うん、バディが昨日取った宿のすぐそばだね、はぁ。1時間かけて避難所に到着。電気は九電の発電車が提供しているし、水は給水車が来てるね。何しに来たのやら…と思ったら、通信が輻輳している。急いで復旧に取り掛かる。

衛星立てて、機材と配線繋いで、設定して、スイッチオーン!昨日リハーサルしたおかげで、すごく順調。やったぜ。あとは本部で登録が終われば通信を始められるぜ。登録の間にご飯にしましょう。

バディ「ここら辺でご飯を食べられるお店、ありませんか?」
避難所「電気がないからなぁ、炊き出しあるから食べて行きなよ!」

いやいや、確かに備蓄食料は少なくなりましたが、被災者に聞いちゃダメでしょう。まだ1食分残ってますし…。結局断りきれず、頂いてしまいました。申し訳ない…。おにぎり2個と、唐揚げ、サラダ、煮豆、麦茶、牛乳という、なかなかのボリューム。『足りなかったら
カップラーメンあるから』って、そんなに食べられませんよ!

食後、本部から連絡なし。1時間後、状況確認の連絡をするも、確認中とのこと。2時間後、通信復旧。本隊の皆様、お疲れ様です。

ア「登録まだですか?というか通信復旧しましたよ」
本部「えー…じゃあ撤収で」

ホント、今日は何しにきたのやら…。撤収作業に着手したら、衛星アンテナが畳めない。もー、今日は何なのよ。仕方ないから技術チームに問い合わせ。

ア「おすぎです。衛星が畳めないんですが」
技術「あ、おすぎさん、登録終わってますので通信始めてください」
ア「いや、通信エラーになってますよ。つーかそれは終わったので…アンテナが畳めないんです」
技術「多分センサーが悪さしているので、センサーケーブル抜いちゃってください」

いろいろあって、無事解決。今日の宿は、昨日キャンセルしたところ。宿に行く前に食料を確保せねば…あと1食で尽きる。市街地方面に向かうと、営業中のお食事処が。とりあえず夕飯食べようか。あか牛美味しい!高いけど!

食後、市街地へ。この時点でコンビニは95%以上営業再開。昨日の段階では食料品の在庫がないところが多かったけど、熊本空港が復旧したりしてだいぶ入ってきているよ。セブンイレブンに入ってみると、カップヌードルとご当地のラーメンと海老マヨオニギリだけが大量に入荷されていました。とりあえず1つずつ購入。これで明日はなんとかしのげるな。買い出し終わって宿に到着。まずは昨日のドタキャンを謝罪。そしてチェックイン。若干ボロいけど、雰囲気はいいね。離れにある大浴場でゆっくりして、今日はもう寝る。ふて寝に近いね。


6日目、そしてまた朝。外は土砂降り。土砂崩れがヤバいんじゃないか。そしてまた新たな問題に直面。シャツと靴下が尽きた…。適当に詰め込んできたからなぁ。仕方ない、明日から着回すか。パンツがまだ2着残っているのが救いだ。今日の指示を確認してみると、拠点への帰還でした。やったぜ。嬉しくて上着を宿に忘れて来たぜ。つーか、今日撤収なら昨日食料を調達する必要がなかったのですが…。とりあえず食事をして、荷物を整理して、チェックアウト。繰り返しますが、外は土砂降り。しかも風も強め。これから山を越えるので、ちょっと不安。

山道をひた走ること1時間、阿蘇市で避難指示のエリアメールを受信。このせいで足止めをくった部隊もいました。なんとか山を越えたところで、見慣れない番号から着信。本部かな?と思ったら、宿からで『上着を忘れてますよ』とのこと。やっちまったい。そこからさらに1時間ほどで、また見慣れない番号から着信。今度は本部でした。

本部「倉庫が大変混み合っているので、どこかで時間を潰してください」
ア「わかりました、昼を食べてからいくので、14時くらいに拠点に着きます」

お昼を食べて、拠点に到着。拠点に居たのは、物品管理チームと別働隊。荷物を降ろしたところで、問題発覚。積荷はいいんだけどさ、通信機器どうしたらいいねん。車に固定されちゃっているのですが、とても二人では外せない。物品管理チームは知識がなくてt触れない、別働隊からはお断り。どうすりゃいいのよ。

本部「では次のチームが来るまで待機してください」
ア「次のチームはいつ来るんですか?」
本部「15時くらいかなぁ」

また待ちぼうけ。何が倉庫が混み合っているだ。ホントに本部には困っちゃうぜ…。1時間後、次のチームが到着。

次「いやー、お待たせ」
ア「遅いっすよ!さ、通信機器取り外しましょう」
次「あれ?聞いてない?」
ア「何を?」
次「このまま待機だって。本部から電話があると思うよ」

数分後。

本部「もしもし、大変恐縮なのですが…」
ア「待機ですか」
本部「え?はい、そうなんです。その車を使い回す可能性がありまして」
ア「わかりました、どれくらい待てばいいですか」
本部「30分くらいで…」
次「ってことは1時間だね」

1時間半後。

本部「すみません、その車で本部まで来てください」
ア「わかりました」
本部「大変恐縮ですが、降ろした荷物も積みなおしてください」
ア「なんと」

最後までぐだぐだ。荷物を積みなおして、本部に出発。20分で着くのが救いだね。次チームの一人が『本部のヤツ、整列させてはたき倒してやる』と不穏当な発言をしているけど。なんだかんだありましたが、無事に車を引き渡して任務終了。

本部「最後までご迷惑をおかけしました…」
ア「いえいえ」
本部「この時間ですし、本日は宿泊でも問題ありません。ただ、宿が取れるかどうか…」
ア「とりあえず泊まる方向で考えます」

まぁ、私には考えがあったのですけどね。後発隊として、仲の良い先輩が今日こっちに着いたと連絡がありまして、天神のホテルで一泊すると。同じホテルで行けるんじゃないか!?

ア「というわけで、部屋って空いてませんか?」
先「確認してみるわ。…喫煙でよければ空いてるってよ」
ア「あざーっす!確保願います」
先「先に飲み屋行ってるから、後から合流な」

私のバディは新婚さんなので強行帰京となりましたが、私と次チームは天神で一泊に決定。天神に行こうにも、車を引き渡してしまったので足がない。バスで行こうと思ったら、乗るバス間違えたよ、テヘペロ。そうしたら新社会人と思われる女性集団に囲まれるという、嬉しいハプニング。まぁ、20分歩く羽目になったんだけど。

チェックインして人心地ついてから、後発隊と合流。後発隊は明日から活動なので、活動を終えた我々の話を聞きたいらしい。活動内容と、本部のぐだぐだっぷり、道路状況を共有。後発隊も出発日が二転三転していて、本部のぐだぐだっぷりはなんとなく気づいていたらしい。上着の回収を先輩にお願いして、ラーメンを食って一旦解散。後発隊は明日朝早いからね。

先「おすぎはこれからどうするの?」
ア「マジで悩んでいるんすよ。この1週間の禁欲状態で中洲に行ったら、ノンストップになっちゃいそうで…」
次「行っちゃいなよ、果てまで」
ア「数年前、それで失敗してるんで…」

この後、コンビニでエロ本を吟味しているところを先輩に激写されたのは別のお話。エロ本に当たりはなかったけど、キャバクラ情報誌にそそられまくって大変でした。次チームの人と二人で『あれはフォトショマジックだ』と自分たちを納得させて、ホテルに戻りました。でもなぁ、博多弁のキャバクラ楽しかったからなぁ、今でもちょっと後悔。


最終日、8時半にチェックアウトして、福岡空港へ。博多うどんを食べて、10時の飛行機で無事帰京。家に着いたのは13時過ぎ。もちろん、この日は仕事をしたことにしましたよ。洗濯大変やねん。


バタバタの一週間でした。役に立てたのか、イマイチ疑問ですが、少なくとも充電サービスは提供出来たので良しとしましょう。

行きはスターフライヤーでエアバスのA320、帰りはANAでボーイングの787でした。どちらも主翼より前に座れたからか、静かで良かったですよ。サービスと乗り心地は行きの方が良かったな。座り心地、フットスタンド、マシュマロ入りコーヒーと、大満足。帰りは全てが普通でしたが、隣のおっさんがずーっとノートパソコンいじってて、肘が時々当たるのが最高にイラっとしたね。

バディが頑張ってくれたので車中泊は回避できましたが、この時期はちょうど冷え込んで車中泊組は辛かったそうな。一応テントと寝袋は支給されていましたけど、最低気温2度はやはりキツいだろうな…。朝晩は上着がないと寒いし、昼は半袖じゃないと暑いしで、結構大変でした。

避難所では学生たちが『学校休みでやることないから』と言いながら、ボランティアに励んでおりました。結構楽しそうにやっていて、避難指示の雰囲気が明るくなっていましたよ。ただ、雑談をすると猛烈に話し始めるので、やっぱりストレスは溜まっていたんだと思う。

避難所でお食事を頂いてしまったのが心残り。バディ曰く『支援品が山積みになっていた』、避難所のおじさん曰く『ウチは余るほど来ている』と言われても、我々が支援物資に手を付けるのは違うと思った。そういう意味では5日目の買い出しも心配だったけど、大量にあってお金を払っているので良しとしたい。

とりあえずライフラインは復旧したけど、その他の復旧や復興はこれから。出来る範囲で応援したい。南阿蘇、観光で行きたいな。良さげなところがいっぱいあったよ。そう言って、宮城県にもまだ行けてないんだけどさ。