「サザエさん」の父親役である磯野波平の声を45年もの長き間担当していた永井一郎が逝去し、後任に誰が担当するかが興味の中、その磯野波平の2代目の声を茶風林が演じることが決まったようだ。
【記事】
1月27日に急逝した声優・永井一郎さん(享年82)が声を担当していたアニメ「サザエさん」(日曜、後6・30)の磯野波平役を 声優・茶風林(ちゃふうりん、52歳)が務めることが9日、分かった。 16日放送分から“2代目波平”として、お披露目される。
永井さんの死去から2週間‐。“ニッポンのお父さん”の代役がようやく決定した。
1969年放送開始から永井さんが担当してきた波平役を託された茶風林は 「公私共にお世話になりました永井一郎さんは、憧れの大先輩でした。 突然の訃報に、悲しみでいっぱいです。永井さんが造り上げた 『磯野波平』というキャラクターのイメージを損なうことの無いよう、
大切に、精いっぱい務めさせていただきます」と並々ならぬ決意をにじませた。
“2代目波平”は3日に行われた永井さんの葬儀後に決定。 初収録は6日に都内で行われた。関係者によると、ほとんどの声優と 初共演とあって緊張気味だったが、収録を終えたころには
“サザエさん一家”と打ち解けていたという。
茶風林は、フジテレビ系「ちびまる子ちゃん」の永沢君やひでじい、 日本テレビ系「名探偵コナン」の目暮警部の声などを担当。 ほかにも洋画の吹き替えを務めるなど幅広く活躍している。
同局の野崎理プロデューサーは「茶風林さんの温かく包みこむ優しい声は “磯野家の父”である波平さんのイメージにぴったりだと思い、お願いいたしました。 “怒る”のではなく、“叱る”ことのできる“ニッポンのお父さん”を引き続き 演じていただけると期待しております」とコメントした。
なお、9日は永井さんが演じた最後の波平が放送された。 16日放送分から“茶風林版波平”が登場する。 茶風林は日曜午後6時からフジテレビ系で放送の「ちびまる子ちゃん」で、 暗くてひねくれものの男子、永沢君男君の声を担当。 午後6時半からの「サザエさん」と合わせて、日曜午後6時台に出ずっぱりとなる。
“2代目波平”は3日に行われた永井さんの葬儀後に決定。 初収録は6日に都内で行われた。関係者によると、ほとんどの声優と 初共演とあって緊張気味だったが、収録を終えたころには
“サザエさん一家”と打ち解けていたという。
世の中には、大きな惨事には裏事情ともいうものがあると感じますね。1985年8月12日に発生した「日航機123便の墜落事故」もこの裏事情のある惨事に含まれるようです。群馬県の御巣鷹の尾根に激突し、乗客・乗員520名が亡くなり、生存者は僅かに4名のみであった空前の航空機墜落事故と思われていた。この事故の原因は、過去にしりもち事故を起こしていた日航機が、ボーイング社の修理を受けていたが、この修理が不備であったことから運行途上で圧力隔壁が飛散し、墜落したということになっている。しかし、この航空事故調査委員会の検証が大きな誤りだというのです。この事故は当初おかしいと色んなマスメディによって書かれていた。
【不可思議な点】
・圧力隔壁が飛散しただけで、本当にジャンボ機が墜落することになるのか?(エンジンに問題なければ、墜落することは無い)
・なぜ、墜落現場の特定に10時間以上かかったのか?当時、アメリカ輸送機は、ジャンボ機を追尾しており、墜落現場も墜落後すぐに特定されていたという。
・墜落現場には、ジャンボ機とは思えない破片が散在していたという事実。中でも、ミサイルの破片が尾翼に突き刺さっていた事実が隠ぺいされている。
・生存していた川上少女が言うように、墜落した時には多くの人たちのうめき声が聞こえていたということで、生存者は多数いたはず。その墜落後わずかな時間で、懐中電灯の光を見たということを言っている。この早くに到着した自衛隊?は何をしていたのか?生存者の救出をそっちのけにしてである。
・墜落現場の御巣鷹の尾根には、空中からの落下で黒焦げになっていたが、報道にあるようにあれだけのダッチロールを繰り返していたジャンボ機が、尾根に突っ込んだとしたら、多くの木々がなぎ倒されていたはずなのに、その痕跡がまるでなく、空中で破壊されたものが炎と共に落下したとしか思えない現場となっている。
・ジャンボ機を追尾していたジェット戦闘機が2機いたことが、地上からの目撃者の証言としてある。
・無線傍受していた航空管制官(自衛隊?)が、アメリカ空軍機の無線を傍受し、「あたってしまった」、「それはビンゴだろ」というやり取りを傍受していた。
・ブラックボックスの回収に、あまりにも時間がかかりすぎている。
このような疑問点があるのである。この航空機には、歌手の坂本九が乗っていたことも報道されたが、それ以上に極秘にされていたのは、日本初のOSシステム「トロン」を開発した研究員17名も乗っていたこと。この事実は、全く公表されなかった。乗客の日記が公開されていて、多くの人の涙を誘ったのであるが、この研究員たちの搭乗の事実は報道されていなかった。このOSシステムは、日本が開発したもので、当時のマイクロソフトWindowsよりも数段優れれていたという事実、そして、このOSが無償で世界のコンピューターに搭載できる予定だったこと。
トロン(TRON)とは「The Real-time Operating system Nucleus」の略語です。
何の事かと云うと1984年、東京大学教授の坂村健氏によって提案された新しい方式のコンピュータ仕様規格のことです。来るべき高度なコンピュータ社会を見据え今までのコンピュータの問題点を整理して解決し、それを基にして新しいコンピュータを作っていこうというものです。この提案に賛同する産業界と大学の協力のもと「トロンプロジェクト」推進組織が発足しました。以来、21世紀に向けての人間のより良い生活を実現するために必要な、たいへん幅広い範囲を対象としたコンピュータ新体系構築のための研究開発が行われています。トロンプロジェクトが目的とする最終ゴールは「どこでもコンピュータ環境」の実現で、それは超分散処理と呼ばれています。一つのコンピュータが何でも出来て何もかも仕事を受け持つというのではなく、人々の身の回りのいろんな器機に小さなOS(つまりは小型単機能コンピュータ)を組み込み、コンピュータの能力を小さく分散しておき、それらをデータ通信ネットワークで結んで連絡しあい人々の生活を助ける一これが「どこでもコンピュータ」という生活環境です。この小さなOSというのがトロンOSなのです。トロンOSを使うと小さな機械の中に入り、軽快で反応が速くきびきび動くコンピュータシステムを作ることが出来ます。実は、既に私達が普段使っている身の回りの器機には至る所にトロンOSが組み込まれています。皆さんが持っている携帯電話をはじめ、電気炊飯器、エアコンのリモコン、ビデオ(ソニー全機種)、ファクシミリ、自動車の電子燃料噴射制御(トヨタの全車種)、エレベーター、電話交換機などたくさんあります。今やトロンOSは全世界で年間数億個以上使用されていて、Windows とは比較にならないくらいの多くのコンピュータ(大型のものから小さな物も含めて)がトロンOSによって動いています。トロンプロジェクトはこの「どこでもコンピュータ環境」を構築すべくこれらの分散しているコンピュータが互いにデータ通信ネットワークによる意志疎通が出来るように弱い標準化という方法を基に実現へ向かって研究しています。
これだけのOSシステムが、無償で全世界に広がったら、マイクロソフト社のOSシステムは使われなかっただろうと言われています。このため、アメリカは軍事力を使って、日航機123便を撃墜し、研究者たちをOSシステム「トロン」と共に葬り去ったということが真相だったようです。これには、アメリカのスーパー301条も大きくかかわっており、アメリカ政府の極秘の動きがあったらしいのです。これには当時の中曽根首相も深くかかわっています。この事実は、隠ぺいされてしまっているようです。
あの悲惨な航空機事故が、このような策略によって起こされたものだったとしたら、とんでもないことです。世界の歴史は、ある者たちによってつくられているという事実は、真実なのではないでしょうか?このことによって、尊い人命が失われているとしたら・・・・・。許せないことなのです。