Movieな空間

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スポ根アニメOP一挙公開

2008年02月03日 23時05分35秒 | Weblog
 スポーツ根性物は、誰でも心に一つ以上抱いて、励みにしてきたものではないでしょうか?野球、サッカー、テニス、ラグビー等色んなスポーツがありますが、今回代表的なもののアニメをここで振り返って見たいと思います。この時、こんな思いを、こんな夢をもっていたなあ!!との思い出が沢山あることでしょう。そんな当時を、鮮明に思い出してみましょう。

1.明るく、豪快なサッカー野郎・玉井真吾が熱中する「赤き血のイレブン」。サブマリン・シュート、ロケット・シュート等色んな必殺技が登場し、サッカーブームの火付け役となった作品です。この物語の主人公・玉井は後に古河電工サッカー部で選手として活躍した永井良和がモデルとされている。また、舞台は当時の埼玉県浦和市(現・さいたま市)ということから、浦和レッドダイヤモンズ(レッズ)のチーム名称にも影響した。テレビ放映に際しては読売サッカークラブ(現東京ヴェルディ)の取材協力を仰いだ。 漫画版(原作:梶原一騎、作画:園田光慶)は、週刊少年キング(1970年2号~1971年21号)に連載された。
映像>>
http://jp.youtube.com/watch?v=yG_zQEcG-bQ

2.ボクシングは、永遠の格闘技なのでしょうか?内藤、亀田事件で、一躍有名になりましたが、日本には、多くの世界チャンピオンが輩出しました。ファイティング原田、ガッツ石松も懐かしい選手です。ボクシング・アニメといえば「明日のジョー」ですね。矢吹丈のクロス・カウンターパンチは凄かった。しかし、主人公より人気の上がった力石徹は、そのニヒルさから、スーパースターになってしまった。
映像(明日のジョーのテーマ)>>
http://jp.youtube.com/watch?v=d-jS4W4yq50&feature=related
(力石徹のテーマ)>>http://jp.youtube.com/watch?v=OHi7i2C1kek&NR=1

3.青春野球の決定版「タッチ」。一卵性双生児の上杉達也、和也と浅倉南のほのぼのとした友情や愛情を描くあだち充原作のアニメ。弟の死により、甲子園を目指す兄・達也。全国大会で優勝できるのか?
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http://jp.youtube.com/watch?v=QDQJFVhqJl4

4.野球界の風雲児・番場蛮が、数々の魔球を編み出して、対戦するギャグ・スポ根アニメ「侍ジャイアンツ」。巨人軍の川上監督、王、長島も出演したハチャメチャな野球漫画。梶原一騎原作。
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http://jp.youtube.com/watch?v=nPl5-HRxABA&feature=related

5.野球漫画の金字塔、ご存知「巨人の星」。星飛雄馬が、幼少時代にスパルタ教育された野球。ボールコントロールは、「針の穴をも通す」正確さ。ライバルの花形満、左門豊作、大リーガーのオズマの対戦は、感動もの。大リーグボール1,2,3号を編み出す。中でも、2号の「消える魔球」は、画期的なものだった。
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http://jp.youtube.com/watch?v=c3L2fxVhK4U&feature=related

6.テニスにかける青春を描いた「エースをねらえ」。山本鈴美香スポーツ漫画である。1973年から1980年まで『週刊マーガレット』に連載された作品。主人公の岡ひろみが、ライバルからのいじめや様々な苦難を乗り越えて一流テニス選手へと成長していく過程を描く。原作者の山本鈴美香は、埼玉県立浦和西高等学校出身で、舞台の「県立西高校」は浦和西高校がモデルとされている。原作では宗方コーチの住所が浦和西高校に近い「浦和市領家」となっているように、浦和が舞台であることは明らかだが、アニメやドラマでは神奈川県立西高等学校という設定になっている。
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http://jp.youtube.com/watch?v=kpXzvIWIMHc&feature=related

7.今やK-1、プライドが有名となったが、タイのムエタイ(格闘技)から発展したキックボクシングも隆盛を極めた時があった。「キックの鬼」である。沢村忠が、活躍していた。
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http://jp.youtube.com/watch?v=ZKHv8ukaeY4&NR=1

8.極真空手の礎を築いた空手家大山倍達の半生を描いた伝記的作品「空手バカ一代」である。寸止めでの組手を主体とする日本の伝統的空手界に異を唱え、邪道と謗りを受けながらも実際に打撃を当てる独自の空手(フルコンタクト空手)を提唱、国内や海外を転戦する姿を追った第一部(つのだじろう画)と、自流である極真会館の立ち上げと世界進出を弟子たちの活躍と絡めて描いた世界制覇編(影丸譲也画)の二部構成となっている。
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http://jp.youtube.com/watch?v=p8OBYROO0jo&mode=related&search=

9.「SLAM DUNK」(スラムダンク)は、井上雄彦による高校バスケットボールを題材にした少年漫画作品、及びそれを原作としたアニメ作品である。日本のバスケブームの火付け役。連載当時爆発的支持を受けたことで知られる。中学3年間で50人もの女性にフラれた高校1年の不良少年・桜木花道は背の高さと身体能力からバスケットボール部の主将の妹、赤木晴子にバスケット部への入部を薦められる。
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http://jp.youtube.com/watch?v=GFkalIZS-S4

10.「ドカベン」は、水島新司野球漫画。黄金時代の週刊少年チャンピオンで連載されていた(1972年4月24日号-1981年3月27日号)。ドカベン」こと山田太郎岩鬼殿馬里中微笑などの仲間たちを中心とした野球漫画。主な舞台は高校野球である。
映像>>http://jp.youtube.com/watch?v=bdyd9-RtVXs

いやあ、スポ根アニメっていいものですね!!

動物パニック映画『ジョーズ』

2008年02月03日 21時06分35秒 | Weblog
 映画では、動物が人間を襲うパニック映画がブームになった事がある。ご存知、スピルバーグ監督が作品化した恐怖の人食い鮫を主人公にした『ジョーズ』(1975年アメリカ制作)がそれだ。この鮫の恐怖は、半端なものではなかった。海にいて、この鮫の背びれを見つけたら、誰もが仰天して、パニックになってしまうだろう。中でも、獰猛な「ホオジロザメ」「シュモクザメ」は、本当に人間を襲うことがある恐怖の生き物なのである。日本近海では、小笠原諸島沿岸に多く生息しているらしいが、瀬戸内海でも鮫に襲われる事件が報道されたこともある。この「ジョーズ」は、オープニングで、鮫の目線で海中を移動する場面があるし、この時のテーマ曲は、ジョン・ウィリアムズの作曲によるものであるが、ジワジワ襲い来る恐怖が臨場感一杯に感じられるもので、恐怖のテーマ曲として良く使用されている。
 動物パニック映画は、こんなものがある。「ジョーズ」同様に、海洋生物の恐怖を描いた「オルカ」がある。出産した子供や奥さんを殺害した人間に憎悪をもったシャチが、人間たちに復讐する映画である。兎に角、海面から、人間を見極める゛赤い目゛が、非常な恐怖を感じさせた。熊が人間を襲う「グリズリー」、巨大蛇が襲ってくる恐怖の「アナコンダ」、巨大ワニのパニック「U.M.A」、巨大蜘蛛の「タランチュラ」等多くの動物パニック映画が作られた。
 この「ジョーズ」は、平和なビーチを襲う巨大人食いサメホオジロザメ)の恐怖と、それに立ち向う人々を描いた作品。スティーヴン・スピルバーグの名前を一般に浸透させた映画のひとつである。映画版の脚本は当初原作者のピーター・ベンチュリーが書いたが、スピルバーグは「面白くない」と却下。自身が新たに書き直すもプロデューサーには受けが悪かったため、スピルバーグは友人である映画監督カール・ゴッドリーブに依頼した。結果、原作の大筋をなぞりつつ、鮫の生態などに詳しく踏み込んだ原作の専門的な部分は極力抑えて娯楽作品に徹している。結末も映画らしい派手なものに改変が施されているほか、原作ではクライマックスの戦いで生き残るのはブロディ署長ただ一人であったところ、映画版ではフーパーも生き残る展開に変更されている。そのため完成版を観たベンチュリーは激怒し「こんなのヒットするわけが無い。スピルバーグは一生B級監督だ」と罵ったが、逆にスピルバーグは「元が面白くないからこうした」と反論。後に大恥を書いたのがどちらだったのかは言うまでも無い。その原作者のピーター・ベンチュリーは、舞台となった海水浴場から、人食いザメ出現のニュースを伝えるレポーター役で出演している。マシュー・レオネッティ製作の機械仕掛けのサメはスタッフたちの間で「ブルース」(由来はスピルバーグの知人である弁護士の名前から)と呼ばれていたが、撮影開始当初は故障が多く撮影は予定をオーバーしてしまう。またリアリズムを目指した完全オールロケでの撮影は、フレームにちょっとでも余計なものが入ると即NGになるため、これもスケジュールを大きく狂わせる原因となった。撮影制作費も1000万ドルを突破し、企画当初に計上された額の3倍に膨れ上がったため、一時は撮影中止さえ検討された。やっとの事で撮影終了したスピルバーグはマッカーサーの名言(『私は帰ってくる』)をもじって「二度と戻らん!」と宣言したという。

 
【ストーリー】
 それは、6月のある夜に始まった。小さな海水浴場アミティの浜辺には、気の早い若者のグループが焚火を囲んでビールを飲んだりギターをかき鳴らしてたわむれていた。その中にクリシーという女子大生がいた。波打際めがけて走り出し、一糸まとわぬ姿でなまぬるい夜の海に飛び込んだ。どんどん沖へ出る。やがて彼女何かが自分の足をひっぱっているような衝撃に襲われた。次の瞬間、水面から身体が浮き上がった。恐怖で声が凍って、クリシーの身体はかき消すように海面から消えた。彼女が最初の犠牲者だった。翌朝、アミティの警察署長ブロディ(ロイ・シャイダー)の家に電話がかかり、溺死者が出たとの報告が入った。浜辺に直行したブロディは、そこに打ちあげられているきりきざまれたような人間の肉体の断片を目撃し、吐き気を慌てて呑み込んだ。署に戻ったブロディは事故報告書の死因欄に“鮫に襲われて死亡"と書いた。ブロディは海岸に遊泳禁止の立て札を立てることを決意したが、アミティ市の市長ボーン(マーレイ・ハミルトン)が顔色を変えてやってきた。アミティは夏の間に海水浴場がおとしていく金で、住民が細々と残り1年の生活を成り立たせているような、典型的な宇美の町だった。海岸を閉鎖する事は大変な死活問題である。死因は鮫でなく漁船に巻き込まれたかもしれないというのがボーン市長の主張だった。検死官も市長の言葉に追従した。翌日の日曜日、大勢の人が浜辺にでて初夏の太陽を楽しんでいたが、ブロディの心は落ちつかなかった。やがて第二の犠牲者が出た。少年が海中に消えたのだ。少年の母親は復習のために3千ドルの賞金を出すという新聞広告を出した。同じ日に開かれた市議会では、海岸を閉鎖すべきか否かで激しいやりとりが交わされた。そのとき、会場の後からボソリとした声がした。漁師のクィント(ロバート・ショウ)で、1万ドル出すなら人喰いザメを殺してやろうという申し出だ。やがてブロディに援軍が現われた。若い海洋学者フーパー(リチャード・ドレイファス)だ。クリシーの遺骸をみたフーパーは間違いなく鮫の仕業で、しかも誰も今まで見たことがないような巨大な鮫だという。賞金につられてアミティの沖合いに群がった漁船の一隻が全長4メートル余りの虎鮫をしとめて戻って来た。人々はこれこそ人喰い鮫と騒ぎ立てた。しかしブロディとフーパーはクリシーの遺骸から虎鮫の口蓋が小さすぎると感じた。その夜、虎鮫の腹を切り裂いた二人の前に人間の肉片は発見されなかった。翌7月4日、アミティの海開きだった。早朝から海水浴場が続々アミティからやってきた。武装した見張りがボートに分乗し、ヘリコプターを配置してものものしい雰囲気だったが、その裏をかくように巨大な殺人マシーンは狭い水路をさかのぼり、その先の広い入江に向っていた。ボートに乗っていた若い男がまたたくまに犠牲になり、ブロディの子供もあやうく喰い殺されるところだった。海岸は閉鎖され、クィントは正式にやとわれた。彼の漁船“オーガ号"にブロディとフーパーの3人が乗り込んで、鮫殺しに出発した。数時間後、殺人マシーンが、姿を現わした。全長8メートルという巨大なホオジロザメで、体重は3トンもあろうかという信じられない怪物だ。クィント得意の武器である樽をつけた銛も、今度ばかりはまったく通じなかった。鮫は挑戦するように巨大な体をオーガ号にぶつけてくる戸、船底はたちまち破られ、水が入ってくる。もはやクィントはお手上げだった。フーパーは最後の手段として金の檻に入り、海中に入った。そこから強烈な毒を撃ち込もうというのだ。しかし、鮫にとって金の檻などマッチ箱にも等しく、たちまち破壊され、フーパーは海底にしずんでいった。オーガ号に対する鮫の本格的な攻撃が開始された。オーガ号は半分沈み、クィントがひとのみで喰われた。船に残されたブロディは、再度襲ってきた鮫に酸素ボンベをくわさせた。オーガ号のマストに登ったブロディはライフルでその酸素ボンベに狙いを定める。ものすごい爆発音がおわると、再び静寂が訪れた。そしてフーパーも船に戻ってきた。船は沈み、二人は木片につかまって岸に向かって泳ぎ出した。