流星ワゴンの舞台の福山市鞆の浦へ行ってみました。
忠さんの家に、岸壁の石灯篭、古い町並み。
港町として古くから交流で栄えた町。
万葉集にも歌がのこっていたり、
船で都落ちする平家が立ち寄ったり、
室町時代の足利尊氏が立ち寄ったり、最後の足利将軍が逃げて毛利輝元にここでかくまってもらったと。
江戸時代には、朝鮮通信使が宿泊し、幕府が大名に宴を開らかせた。
福山藩は徳川家の親戚筋で、幕末には7代藩主安倍正弘が江戸城の老中に。米国からの黒船に対応した。
歴史の教科書にも出てたよなあ。勝海舟の登用、長崎海軍伝習所、講武洋学研究所などなど。
坂本竜馬が、海援隊でいろは丸沈没事件。
竜馬が隠れたという商家。
琴の宮城道雄の父が鞆の浦の出身で、「春の海」は、ここの海をイメージした曲だと。
流星ワゴンの監督が、なぜここを選んだのかなあと。
もしかすると、日韓の国際関係改善に、と昔を思い出させるためかと。
韓国では悪名高い豊臣秀吉。
朝鮮出兵で、耳塚だとか、強制連行だとか。
日本につれてこられたのは、数万名だと。
そのご江戸幕府が関係改善のため、朝鮮通信使を要請し、
在日の朝鮮人を帰国させるため、お迎えとして朝鮮通信使が再開したと。
一行500名、お迎えの藩500名、計1000名の大行列だったと。
朝鮮通信使と一緒に、3000名とか5000名とかが帰っていったそうだが、
ほとんどは日本に残ったと。
いま、日韓関係の悪化の原因は、日帝植民地時代40年の強制連行とか、
従軍慰安婦だとかだが、
江戸時代には、朝鮮と友好関係を復活させているのだから、
現代とまったく同じ展開ではないか。
福山市鞆の浦の歴史を見ると、日韓関係改善のかぎが、ここにあるように思えた。
安倍総理も、韓国から来日ご招待をしてみてはどうだろうか、と考えさせられたよ。
豊臣秀吉のとき、数万人が日本に在留したならば、
江戸時代260年、明治45年で約300年だね。
すでに日本には数百万人の朝鮮系が国民となっているというのに。
日帝の韓国人強制連行だとか、なにかおかしい歴史認識だと思わないか。
同族かもしれないだろうに。
朝鮮通信使の書が、鞆の浦、対潮楼にある。「日東第一形勝」
日本で一番の景色だと。
日本の美しさに、感動した、と。(柱を額縁として見るそうです)
こういう関係を回復したいよね。
朝鮮通信使で、日韓関係改善を、と思ったよね。