AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

とりあえず書きたいネタの箇条書き

2010-07-22 02:49:42 | Weblog
 書きたいことは山ほどあるが、今は時間をやり繰りして1日1エントリが限界。そこで、とりあえず「これだけネタはあるぞ」っていうのを箇条書きで書き出しておく。頑張って書きたいと思ってはいるけれど、書けなかったらごめんなさいということで。

・「平等」論を振り回す人は我田引水を理論的に正当化しているだけのことも
・結局みんな自分の推しがかわいいだけ、それ以上に自分自身がかわいい
・長い目で夢を見よう:研究生ユニット問題。先に出たから良いとも限らない
・「チームA、K、Bに所属しないメンバー」に昇格させて遊撃隊を称してはどうか
・選抜を2組作るなら、それこそ「ゆり組・ばら組」と呼べば良いじゃないか
・「歴史」を語る試みのいくつかについて思うこと:ファンが物語から外された
・AKB48について何かを「語る」人でありたいなら、最低限「48現象」は読もう

 あと、書きかけの「旧チームAとはナンだったのか」総括もあるんだよな…。しかしそれでも、今夜はひとまず、寝ます。おやすみさない。

ファンであることの苦しさを越えて行くために

2010-07-22 02:22:44 | Weblog
 今日も酔っ払っているわけじゃないですが、などと言い訳をするのはもうやめた。どうせもともと妄想しか書いてないブログなんだから、酔っ払いのくだ巻きだろうとそうじゃなかろうとどっちでも別に構わんじゃないか。考えてみるといつの間にか、私もこのブログを書く時にずいぶん身構えてしまっていたようだ。きちんとまとまりのある内容を書こうとか、反論を想定してちゃんと断り書きを入れておこうとか。

 でも、そんな風に変に理論武装して正論を吐こうとすると、自分だけがメンバーや研究生の真の味方であるような気分になって自縄自縛に陥ったあげく、ついには「古参ファンが悪い」「新規ファンも悪い」「劇場スタッフが悪い」「いや現場に出ないレベルの運営が悪い」「それを言ったらtgskだろ」「各事務所だってもっと口を出すべき」「やっぱりプロデューサーの責任」「大体メディアも良くない」「広告代理店の陰謀が」「スポンサーが金の力に任せてなんちゃら」「拝金主義の世間が悪い」「政治の問題だ」「戦後日本の教育が悪い」「平成という時代のおかしさがどうのこうの」「冷戦後の国際社会が丸ごと悪い」「いやそもそも人間は根源的に悪なのだ」などなど、ありとあらゆる存在に悪態をつかずにはいられなくなってしまう。

 もっと単純で良いんだよな、と、改めて思う。自分がAKB48をまだ好きか、もう嫌いになっちゃったか。このブログでは何度も書いているように、世の中は決して平等になんかできていないし、AKB48だってキレイゴトだけで出来ている理想郷なんかじゃない。ただそれでも、魑魅魍魎の跋扈するオソロシイ芸能界の中にあっては、AKB48は今でも「かなりマシな場所」なんじゃないだろうか。ちょっとやり方が下手だったり先見性が足りなかったりするところもあるけれど、それでも青臭く「メンバーたちの夢をかなえてあげたい」なんてことを言い続けてくれるスタッフがいるし、ファンは時々げんなりしたりうんざりしたりしつつも、それでも全体としては楽しく、わくわくしながら、その「夢」に参加していられるじゃないか。少なくとも「私は」まだそう思えているから、AKB48と共にあり続け、見つめ続け、そして語り続けていたい。

 だからもちろん、もうイヤだ、自分にはもうついて行けない、と思ってしまう人がいても、それは当然のことだと思う。あるいはまた「まだ好きだけど、でもそれ以上にツラいことが増えてしまった」というのもあるだろう。それは個々人の感じ方であって、誰もそれを間違っているとは言わない。ちょっと残念だとは思うけれど、去って行く人を引き止める術はない。ただ、それでも一言だけ言わせてもらうなら、少しAKB48から距離を置いて、頭を冷やしてみることを勧めたい。それによって、AKB48を好きだった気持ちまで一緒に冷えてしまうのだったら、それはそれできれいにフェードアウトできるだろう。

 一方、距離を置いて頭を冷やしてもなお、AKB48に託した思いの熱さがどうしても消えないならば、今一度、己の心に問い直してみると良い。現実は残酷だ。AKB48もおとぎ話に出てくるお菓子の家のように甘いわけではない。メンバーや研究生は悩んだり、苦しんだりすることも多いだろうし、それを見ているファンは、何もしてやれないもどかしさに身を焦がすことになるだろう。それでもまだ、AKB48が好きでいられるか。彼女たちの夢を、一緒に見続ける者でありたいか。彼女たちと共に歩んで行きたいか。

 Yes、と心の中で静かに決意できれば、ファンとしての覚悟が地に足の着いたものになるはずだ。