AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

あれから4年

2010-07-05 02:57:16 | Weblog
 4年前、彼が倒れた日も、彼が逝った日も、彼の棺を見送った日にも、私たちは劇場公演を見ていた。そんな日くらい見なくても良い、ではなく、そんな日だからこそ見なければならなかった。彼が、私たちが、あれほどの思いで見つめていたAKB48は、今こうして国民的アイドルと呼ばれるまでになった。けれども私たちは、今、それほどの思いを込めてAKB48を見つめていられるだろうか。愚かだと分かっていても、友人たちとつい言い交わしてしまう問いを、この夏もまた繰り返す。--もし彼がいたら、今のAKB48をどう思うんだろうね、と。

 このエントリ、本当は命日に書きたかったのだけれど、平日はどうにも時間がなく、週末に書こうと思っていたが、いざ書き始めると思いがあふれて、なかなか書けなかった。私よりもはるかに彼と親しかった友人たちのエントリ(下記)を読んでいたら、今さら私が言うことはないのかなとも思ったりしたが、やはり私は私なりの思いを言葉にしておくことにした。

「ライダー2010」-「押してダメなら引いてもダメね」

「悲しみを忘れず。」-「AKB48『放課後は、いつもPARTY☆』」

 そしてもう一つ、やはりこれはきちんと書いておくべきだと思うので、書いておく。

 少し前に、とあるメディアから彼のことを取り上げたい、という話があって、何人かの友人たちが間に立ち、ご家族にまで話を通していたのに、先方の都合でドタキャンされるということがあった。この話を引っ張り出すからには、それ相応の覚悟があってのことですね?と念を押しつつ、それでもAKB48のためになるなら彼も本望であろうから、と応じた話を、取材寸前になって一方的に「取り上げないことになった」と言われたのだ。企画内容について社内で異論が出たという話だったが、わざわざ人の墓をあばくようなことをしながら、その程度の調整もできていないというのは、何をか言わんやであった。

 それでもまだ、そこまでなら不快ながらも仕方がないと思えたのだが、「別の機会にきちんとフィーチャーした形で取り上げたい」とか「後でご家族にはお詫びにうかがいます」といった心にもない言い訳で逃げまくった不誠実さは、非常に腹立たしかった。そしてもちろん、私たち全員が予想していた通り、どちらも今に至るまで実現していない。たまたまこういう事例に遭遇したからといって、マスコミすべてを悪し様に言うような粗雑な一般化はしたくないが、こんな風にAKB48の物語を消費しに来る輩は、今後も増えるのだろうか。きちんとした話なら応じるが、軽い気持ちで突付いて良い話ではない。

 あの頃、メンバーも劇場スタッフもファンも、夢や希望や情熱を分かち合い、一生懸命だった。文字通り人生を賭けるほどの必死さがあった。楽曲『ライダー』を歌っていたメンバーが、一人残らずAKB48からいなくなったこの夏、あの頃の夢や希望や情熱の行方を改めて問い直してみたくなる。