例の一件以降、すっかり劇場から足が遠のいていて、実はコンサートが3週間ぶりのAKB48だった。コンサートには行けない見込みだと書いたエントリのコメントに書いておいたのだが、非常にありがたいことに、日曜になって急遽、コンサートに参戦できることになったのだった。捨てる神あれば拾う神あり、という感じで、お気遣いいただいた方々に感謝申し上げます。
そして実際に行ってみて、やっぱりコンサートは現場で見ることが重要だなぁ、というのが率直な感想だった。こう書くと、見たくても見られなかったたくさんの人がどういう思いをするものかは、百も二百も承知の上だ。なにしろ、日曜の朝までは私自身が正にそういう思いをしていたのだから。それでも書かざるを得ないのだが、やっぱり「何かが起こっている」その時、その空間にライブで立ち会うことは、とてもとても大事なことなのだと思った。
そのコンサートで、小野さんの卒業発表を聞き、先のエントリで述べたように「ああ、やっぱり」という思いを抱くとともに、総選挙開票イベントでの小野さんのコメントに抱いた違和感を言葉にしておかなかったことを、猛烈に後悔した。確かにその頃、私は仕事が大変だった。睡眠時間を削ってふらふらになりながらの通勤に「こんなことしていたらいつか倒れるな」と思ったことも一度や二度ではない。しかし、それでもなお、私はその場に立ち会って見ることができた一人として、彼女たちの夢と人生の重みをこめた思いを、そこから感じたことを、私なりの言葉にしておくべきだったのだ。
たかが一ファンにできることは、これくらいしかないけれど、その「これくらい」すらやろうともしないで投げてしまうのは、やめにしよう。彼女たちとともに運命の川を越えていくと決意したはずではないか。私もまた一ファンとして、一生懸命に彼女たちを見つめ続けて行こう。
というわけで、コンサート明けの劇場公演も見に行って来た。やはり劇場公演を見続けること、そこで日々起きている物語を私なりの言葉で紡いで行くことは、私がやらねばならないことなのだと改めて思った。
この1箇月近く、いろいろな方にご心配をおかけし、申し訳ありませんでした。もう私は大丈夫です。社会人としての生活(と自分の心身)を壊さない程度に、という制約からは逃れられませんが(笑)、その条件の範囲内で、AKB48を力いっぱい応援し続けて行きたいと思います。
そして実際に行ってみて、やっぱりコンサートは現場で見ることが重要だなぁ、というのが率直な感想だった。こう書くと、見たくても見られなかったたくさんの人がどういう思いをするものかは、百も二百も承知の上だ。なにしろ、日曜の朝までは私自身が正にそういう思いをしていたのだから。それでも書かざるを得ないのだが、やっぱり「何かが起こっている」その時、その空間にライブで立ち会うことは、とてもとても大事なことなのだと思った。
そのコンサートで、小野さんの卒業発表を聞き、先のエントリで述べたように「ああ、やっぱり」という思いを抱くとともに、総選挙開票イベントでの小野さんのコメントに抱いた違和感を言葉にしておかなかったことを、猛烈に後悔した。確かにその頃、私は仕事が大変だった。睡眠時間を削ってふらふらになりながらの通勤に「こんなことしていたらいつか倒れるな」と思ったことも一度や二度ではない。しかし、それでもなお、私はその場に立ち会って見ることができた一人として、彼女たちの夢と人生の重みをこめた思いを、そこから感じたことを、私なりの言葉にしておくべきだったのだ。
たかが一ファンにできることは、これくらいしかないけれど、その「これくらい」すらやろうともしないで投げてしまうのは、やめにしよう。彼女たちとともに運命の川を越えていくと決意したはずではないか。私もまた一ファンとして、一生懸命に彼女たちを見つめ続けて行こう。
というわけで、コンサート明けの劇場公演も見に行って来た。やはり劇場公演を見続けること、そこで日々起きている物語を私なりの言葉で紡いで行くことは、私がやらねばならないことなのだと改めて思った。
この1箇月近く、いろいろな方にご心配をおかけし、申し訳ありませんでした。もう私は大丈夫です。社会人としての生活(と自分の心身)を壊さない程度に、という制約からは逃れられませんが(笑)、その条件の範囲内で、AKB48を力いっぱい応援し続けて行きたいと思います。