桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

江戸川散策

2009年03月30日 07時48分13秒 | のんびり散策

 昨二十九日午後、江戸川まで歩きました。
 途中、坂川と神明堀という用水路を越えて行かなければなりませんが、坂川に較べると、神明堀には橋が少ないので、遠回りを強いられぬように、橋のある場所を頭に叩き込んで行きました。
 しかし、どこかに桜の花がないかと、前方ではなく、斜め上を仰ぎ見ながら歩いておりましたので、いつの間にか橋のある道をそれ、結局遠回りをさせられて、江戸川の堤防に立つまでに四十分以上もかかりました。



 遠回りさせられたおかげで、土筆(ツクシ)を見ることができました。



 一面の、とはいえませんが、菜の花も見ました。
 江戸川の堤防には名も知らぬ野草がたくさん花を咲かせていました。

 堤防の斜面は日当たりがよいせいか、すでに土筆のほとんどは杉菜に姿を変えていました。
 自転車で駆けつけてきたおばさんの一群があって、あまりにも喧しいので、何事ならむと思って見ていると、一人が斜面の途中にしゃがみ込んで、「あった、あった」と黄色い声を上げました。すると、どれどれとばかりにみんなが集まってきて、盛んにはしゃいでおりました。
 江戸川の土筆は杉菜に変わるより早く、彼女らについばまれて、胃の腑奥深く収まったのかもしれません。



 坂川放水路が江戸川に合流する松戸排水機場まで歩いて、堤防を下ることにしました。
 釣り堀のあるのが見えて、多くの釣り人がおりましたので立ち止まってみましたが、料金所のようなところが見当たりません。訊いてみると、「まこも池」という天然の池で、料金は不要。主にへラブナが釣れるそうです。

 江戸川を離れて歩き出したところで、ポケットに忍ばせた万歩計は八千歩を超えました。そのへんから脚の疲れが顕著になって、臑のあたりが痛くなってきました。

 勤めのある日は、勤め先への往復だけで七千歩は歩き、所用があって外出することがあると、軽く一万歩を超すことも珍しくないのですが、ぶっつづけに歩くわけではありません。
 運動不足と、いつまでも若いつもりでおりますが、「老い」というものがヒタヒタと迫っているのを実感させられました。

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夜桜見物にはまだ早い

2009年03月27日 12時58分11秒 | 風物詩

 今朝の出勤時、市川大野の駅を降りてから、ほんの少し遠回りをしました。欅(ケヤキ)の木立の中に若葉が見えるような気がしたので、近づいてみたのです。近づいてみると、見えるような気がするのではなく、確かに若葉が芽吹いているのでした。

 我が庵の真下にある欅の大木はまだ芽吹いていません。近づこうとしていた木立も、ほかの樹には芽吹いている様子がありません。
 随分気の早い樹もあるものだなと思いながら、さらに近づいてみると、どうやら欅ではなさそうだとわかりました。周りの欅に較べると、樹高も低く、幹の太さも枝ぶりも弱々しい感じです。

 欅ではなかったのだなと思ったものの、なんという名前の樹だか、若芽では葉の形もよくわからず、幹にも取り立てて特徴もなさそうなので、あとで調べるすべもないと諦めて勤め先へ向かおうとしたら、木立の手前にある生け垣がゴソゴソと鳴って、田夫らしきおじさんが顔を覗かせたので、びっくりしました。
 ワタクシが首を伸ばしていたのを見ていたようで、樹を振り返り、「あれはイヌシデ」といって首を引っ込めてしまいました。

 じつはそのときは「あれは犬……(?)」といったように思えただけで、「イ・ヌ・シ・デ」だと明確に聞き分けたわけではありません。昼休みにインターネットで「犬」と「樹木」をキーワードに検索して、イヌシデという樹木があるのを識って、(多分……)樹の名を教えてくれたのではないかと想像したのです。

 ただし、イヌシデ(漢字では犬四手と書くそうです)は岩手以南から九州にかけての「山地」に自生する落葉高木とありました。

 市川大野には丘陵はありますが、山地と表現できるような土地ではありません。とすると、犬四手ではないのかもしれない。
 花でもつければわかりやすくなりますが、犬四手だとすると、尾が垂れたような花が咲くのはもう少し先のようです。

 そもそも四手とは何か? と思って調べてみたら、神社の注連縄に結びつけられている「く」の字を縦に繋げた形の白い紙のことだとわかりました。
 神主が用いる玉串や御幣につけてあるのも四手ですが、神道の場合は「紙垂」と書くのが一般的であるようです。
 横綱の土俵入りのとき、綱から下げているのも紙垂です。花の形が似ていることから命名されたようです。

 毎朝出勤するとき、NHKの連続テレビ小説が始まるのを合図に、テレビのスイッチを切って庵を出ます。
 直前のニュース番組では、番組の最後に日本各地の風景を見せてくれますが、今朝は京都・清水寺の桜でした。
 寒いといわれる京都で、すでに満開に近い桜を見たあとなのに、市川大野の「こざと公園」はまだまったくといっていいほど花がありません。



「こざと公園」では、一昨日の夕暮れから夜桜鑑賞用の提灯に灯りが点りました。画像は昨晩、帰るときにカメラに収めたものですが、折からの冷気も手伝って、寒々しい思いをかき立てるだけでした。

 昼休みに見に行くと、ようやく蕾の開いた樹がありました。しかし、まだ一分咲きとまでもいかず、五厘咲きというところ。

 大柏川まで足を延ばすと、気のせいか風が冷たくなりました。桜並木のある川沿いを半分だけ歩きましたが、二十本ほどあるうち、花が咲いていたのは二本だけ。それも各一輪だけでありました。

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寒の戻り

2009年03月24日 20時37分53秒 | 風物詩



 寒の戻りです。
 今朝、新松戸の桜 ― といっても、桜の名所でもなんでもありません ― 通勤途上にあるパナホームの駐車場に咲く桜樹は一本だけが三分咲き、一本が一分咲き、残りは未開花でした。

 市川大野の「こざと公園」では昨日の朝、夜桜の提灯を吊す支柱を建てる作業が行なわれておりましたが、ザッと見渡したところ、咲いている樹はありません。
 新松戸と市川大野では電車で三駅ぶんと近いので、さほど気候の違いがあるとは思えませんが、きっと市川大野のほうが寒いのでしょう。

 昼休み、大柏川まで散策に出ました。
 こちらはまだ若い樹ですが、川に沿って桜並木があります。川にユリカモメがいっぱいいただけで、桜の花はありません。かなり注意深く見てみましたが、一輪もありませんでした。

「こぶし公園」の辛夷(コブシ)の花はもう散り始めです。

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祝アイルランド全勝優勝

2009年03月22日 18時05分15秒 | ラグビー


 祝アイルランド全勝優勝。
 ウェールズのカーディフで行なわれたラグビー・シックス・ネイションズ(英時間二十一日)で、アイルランドが17対15でウェールズを破り、5戦全勝で二十四年ぶりの優勝を飾りました。
 全勝優勝となると六十一年ぶりだそうです。六十一年前は不肖わたくしが一歳の年。

 もろもろの条件が整えば、元気で働けるうちにアイルランドに移住して、じゃが芋栽培をしたいと夢見るわたくしにとって、今回の優勝はこの上なくうれしいことであります。

 アイルランド(エール)の国歌です。
http://www.youtube.com/watch?v=Aip-a3qEJ2s

 違うversionも。
http://www.youtube.com/watch?v=4pHO7GW0MKE

 
 我が庵の桔梗が二つ芽を出しました。去年より二週間も早いのです。

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文恭院殿御實紀

2009年03月21日 21時06分53秒 | 歴史

 三連休の中日です。久しぶりに千葉県立西部図書館へ行きました。新松戸から一駅だけ武蔵野線に乗って、新八柱から歩きます。
 途中まで日本の道100選のうちの一つ-サクラ通りを歩きます。
 ザッと目視したところ、花が咲いていたのは二本。それも一輪と二輪だけでした。二輪咲いていたほうは花が白っぽいので、素人判断ですが、染井吉野ではないみたいです。



 この図書館は去年の夏、四連休となる夏休みに行って以来です。
 去年は「藤岡屋日記」全十五巻中の三巻(何巻だったか記憶なし)を借りました。第一級の歴史的史料と評価の高い書物ですが、おぢさんにはつまらないだけのものでした。

 浅草に住んでいたとき、台東区の中央図書館がほとんど隣といっていいところにありましたので、二日か三日に一度は行っておりました。そのときにも借り出して、「なんとつまんねぇ」と思ったのですが、そのことをすっかり忘れておりました。

 開架図書に並べてあればすぐ気がついて、借りたりしなかったのですが、西部図書館では閉架収蔵図書なので、係の人が持ってきてくれるまで見たことがある本かどうか、わからなかったのです。
「ご希望の図書が用意できました」という意味の電光掲示が出ると、カウンターまで行き、求めていた本との出会いになるのです。

 しまった! と思いました。
 係の人がドドーンと積んだのを見て、そこで初めて浅草時代のことを思い出したのです。どれほど貴重なものか知らないが、おぢさんにとっては猫に小判、馬の耳に念仏です。借りたところで、最初から読む心づもりがないのですから……。

 立派で、取り分け頑丈そうな装丁の本です。しかも、かなり重量がある。それを借りられる限度いっぱいに三巻も頼んでしまった。
 読む気はないといっても、手続きが済んでしまったので、よっこらしょと持ち上げて、一体全体どうすべぇかと首を傾げながら玄関を出ました。
 勘違いだったといって返そうかと思いつつも、時間も経っているのだから、ひょっとしたら違う面白さを見つけるかもしれない。そんな気にもなったので、返すタイミングを失したのです。
 鞄に入れましたが、三巻もあると肩に掛けた鞄の革紐が歩みを進めるたびにギシギシと鳴るほどの重量があります。
 暦の上では立秋を過ぎていましたが、莫迦みたいに暑い日でもありました。

 汗みずくになって庵に持ち帰り、ひょっとしたら、と儚い期待を胸に本を開きました。
 オリーヴ、なんてこったい。やっぱりつまんねぇ!
 藤岡屋という古本屋のおっさんはよくこんなつまんねぇことを飽きもせず書きつづけたもんだ。
 歴史的価値が高いということと、読んで面白いということは必ずしも一致しないわけで……。

 返却期限は二週間後です。
 二週間後はとっくに通常の勤務が始まっているときだし、勤め帰りに返そうにも、帰るころには図書館は閉まっています。第一、莫迦みたいに重い本を持って勤め先に行く気はしない。
 返すなら夏休みの最後の一日として残されていた翌日しかない。

 で、ギシギシと音をさせながら、翌日も行きました。また莫迦みたいに暑い日でした。
 前日に勝るとも劣らぬカンカン照りの陽射しの中を、汗みずくになって辿り着いて返却したあと、猛烈に喉が渇いていたので、外にある自販機で冷たい緑茶を買い、喫煙ベンチに坐りました。
 本を持って行っただけで、疲労困憊でした。落ち著いていれば、借りたい本があったかもしれませんが、疫病神が退散してやっとホッとしながらも、まだ少し落ち著かないような気分でした。しばらく涼んだら庵に帰る元気も出たので、何も借りずに帰ってきてしまいました。

「徳川實紀」と「寛政重修諸家譜」は、できたら手許に置きたいものだと切望している本です。
 外で酒を呑むのを控えれば、いずれ買えないものでもありません。
 ただ、二つ合わせると四十一巻。手元に置くのには厖大なスペースが必要になります。
 両方とも西部図書館の開架にあり、借りることができるので、少しずつ借りて、スキャンして、パソコンに取り込むか、と目論んだことがあったのを失念していました。

 今日はおよそ半年ぶりに行って、「徳川實紀」のうち、「文恭院殿御實紀」を一冊だけ借りてきました。文恭院殿、すなわち十一代将軍家斉です。
 この巻に限らず、「徳川實紀」は八朔にどうしたの、日光への代参に誰を立てたの、どこの大名が死去したので、倅に家督を継がせたの、と読む人によっては、どこが面白いの? ということになるのかもしれませんが、わたくしにはこっちのほうが断然面白い。

 図書館への行きがけ、流鉄踏切際のくだんの店が予告どおり開店しているのを見ました。店の前は雛飾りのような贈花(胡蝶蘭なんぞも幾鉢かありました)でいっぱいで、招待客らしい人が溢れておりましたので、横目で流し見ながら通過しただけです。仔細がわかれば後日。

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某店開店

2009年03月18日 12時55分12秒 | つぶやき



 我がブログで再三触れてきた、流鉄踏切際の某店がようやく開店の運びとなりました。
 昨朝、「田島亭」という店名と「二十一日オープン」という立て看板が出ておりましたが、出勤のときは画像の右手にある角を曲がらないと店が見えないので、看板が出たことに気づいたものの、鞄からカメラを取り出している余裕がありませんでした。
 乗る電車にギリギリ間に合うように出勤しておりますから、「おっ」と思っても、立ち止まっている余裕はないのです。

 今朝はほんの少し早く庵を出て、角を曲がる前から鞄の中を探り、カメラを取り出しながら角を曲がってみたら、看板は姿を消してしまっていました。
 まさか開店延期? ということはないでしょうが、フレンチらしいという噂だけがあって、実際は何を食べさせる店なのか、依然として具体的な情報はありません。

 連日暖かです。
「こざと公園」の桜の蕾も膨らんで、何輪かは緑色した萼を見せているようにも思われましたが、乱視でありながら、外ではあまり眼鏡を用いることがないので、見間違いかもしれません。
 今朝は池に出勤していたのはコサギが一羽だけです。まさに抜き足差し足で小魚を啄んでおりました。
 水ぬるむ春です。
 なのに、なにゆえか、わたくしの心は重い。

 昼休みには「こぶし公園」へ辛夷(コブシ)の花を見に行きました。
 五本あるうち、ずっと撮影してきた樹はほとんど満開に近い状態になっているのに、三本は蕾こそ膨らませていますが、いまだに開花していませんでした。
 帰り途で、どこかから沈丁花の香りが漂ってくるのを嗅ぎましたが、所在は確かめられませんでした。

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またコブシ(辛夷)の花

2009年03月17日 12時52分47秒 | 風物詩

 また、「こぶし公園」へこぶし(辛夷)の樹を見に行きました。



 三日前に初めて蕾を開いた樹が花盛りを迎えようとしています。花が咲いているのは五本あるうちの二本だけと変わりません。

 撮影のアングルもいろいろ試してみましたが、45度右に寄ると、背景は外壁工事中のマンション。90度左に寄ると、花自体の写り具合は一番よさそうなのですが、電線がいっぱい写って、どうにも気に入らない。
 結局このアングル以外にはないようです。

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谷中延命院物語(3)

2009年03月16日 09時08分23秒 | 歴史

 今日は朝のうち、ほのぼのと暖かく、たまに吹いてくる風は少し冷たいと感じる、いかにも春らしい陽気でした。
 我が庵では連日夜明けごろに鶯(ウグイス)の囀りを耳にしますし、今朝の出勤時は市川大野の里山でも啼いているのを聴きました。
 暖かいせいか、「こざと公園」の鷺(サギ)はコサギ七羽、ダイサギ一羽とまた少し増えました。

 さて、谷中延命院のつづきです。
 岩田長十郎は道暁にうまいこと取り入って延命院にもぐり込みます。名前も柳全と改めて納所坊主となりました。
 しかし、天性のワルが姿形だけ坊主になっているだけなので、いつも悪事と金儲けを企んでいることは一向に変わりません。

 このころ、住職は老病で立ち居もままならぬ状態でした。法事があれば、すべて道暁が代行しています。
 道暁が留守にしている間、柳全は住職を甲斐甲斐しく看病するふりをしていましたが、やがて莫迦らしくなって絞め殺してしまいます。さらに道暁を後住にするという遺言まで偽造。

 何も知らぬ道暁は先師の志を継いで住職に納まり、名を日道(一説では日潤とも)と改めます。
 日道が真面目なままでは柳全のよこしまな心は満足できません。先住を我が手で絞め殺した、と明かしたのかどうかわかりませんが、偽の遺言のことは明かし、日道が住職の座を継げたのは自分のおかげであると脅したりすかしたりして、ワルの道へ引き込もうと必死です。
 ここに到って日道の道念もついにほころびを見せ始めます。

 丑之助時代の日道とはなさぬ仲であり、菊五郎変死の原因となったお梅はこのころ、世間の噂になるのを避けて、市ヶ谷の尾州家上屋敷に奉公に出されていました。
 両親が娘の将来を慮って奉公に出したというのに、娘のほうはノー天気です。丑之助が戯れ歌を書いた扇子を見せびらかしながら、朋輩たちに昔の艶事を自慢していました。

 それを漏れ聞いたのが尾州家上屋敷の中老です。
 名は梅村といって、まだ二十三歳という女盛り。男子禁制の生活の中で、情欲の炎がむらむらと燃えさかるのを止められなくなってしまったのです。
 そして、お梅ごときが自由にできた男を、主人たる自分が自由にできぬはずはない、と妙な理屈を思いついて、延命院を訪ねます。
 下心は下心として、多額のお布施を包んで行ったことでしょう。柳全こと岩田長十郎の思う壷です。
 一方、日道は金銭上のワルには柳全の意に従わざるを得なくなっていましたが、女犯というワルは夢にも考えていなかった。その頑なさが梅村の心をいっそう揺さぶることになったのかもしれません。

 秋波を送っているのに、一向になびこうとせぬ日道の前で、梅村は懐剣を抜いて、みずからの喉を突こうとしました。寺の中で女-しかも尾州家上屋敷の中老-に自害された、とあっては手の施しようがなくなります。

 いまであれば、いかなセレブであろうと、運転手つきの高級車で乗りつけるのがせいぜいでしょうが、この時代の御三家御中老となれば、前後四人の陸尺が担ぐ乗り物(駕籠)に乗り、何人かの侍女、供侍を従えています。いくら悪知恵の宝庫のような柳全がいても、それだけ大勢の人の口を塞ぐことは不可能です。
 日道、やむなく肌を露わにすることと相成りました。

 日道はある意味では相手にする女に恵まれなかったといえるかもしれませんが、所詮自業自得です。
 梅村には日道をモノにしただけでは飽き足りぬ、という変態的なところがありました。目的を果たして屋敷に戻ると、お梅相手に、首尾上々のことをこれみよがしに自慢したのです。

 お梅としてはたまらない。用事で出向く先出向く先で、梅村が延命院でどのような御利益に預かったかを吹聴して鬱憤を晴らした。それがかつて恋仲だった丑之助の命を縮めることになろうとは考えもしません。
 この種の噂は拡がるのが疾い。大名屋敷の奥向きでは、あっという間に延命院詣でが大流行となってしまいました。

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コブシ(辛夷)の花が咲いたよ♪

2009年03月13日 12時59分52秒 | 

「こぶし公園」ではコブシ(辛夷)の花が咲き始めました。
 昼前からまた莫迦みたいな風が吹き始め、鬱陶しいやつめ、と思いながら、昼休みの買い物に出ました。
 予報では南の風といっていましたが、南風にしては冷たい。

「こぶし公園」の辛夷の蕾はいかほどか、と思って寄り道をしてみたら、なんとすでにほころんでいる蕾がありました。



 園内には五本の樹がありますが、咲いているのは二本だけで、一本は一輪だけ。カメラに収めた一本も、咲いているのは四,五輪です。画像をブログに添付しようとして、相変わらず腕が悪いというか、カメラが悪い、と思います。大体背景が悪い。
 光線の具合が一番よさそうなのは、シャッターを押したところから45度ほど右に寄ったあたりと思われるのですが、そこでシャッターを切ると、背景には画像に写っているのとは別のマンションが写ってしまいます。
 普段ならまだよかったのかもしれませんが、いまは外壁の補修工事とかで、全面に白っぽい目隠しが施されているので、花がどこに咲いているのかわからなくなってしまいます。已む無くこの角度から撮ったのです。

 背景の、丸坊主に近く刈り込まれてしまったクスノキ(楠)もいただけません。
 無粋な刈り込みをしていなければ、緑の葉がさらに無粋なマンションが写るのを遮ってくれたろうし、辛夷の花を際だたせてくれたと思うのですが……。

「こぶし公園」は市川市が管理する公園ですから、腕の善し悪しはいざ知らず、プロの造園業者が剪定をしたのでしょうが、この楠に限らず、他の公園の樹木や街路樹が丸裸に近い状態に刈り込まれてしまった光景を見るたび、どのような論理があって、これほど無粋なことをするのか、と疑問を懐きます。
 ご存じの方がいらっしゃれば、ご教示を願いたいものです。

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谷中延命院物語(2)

2009年03月12日 23時47分24秒 | 歴史

 菊五郎が殺されたのは丑之助の不行跡が原因だったとわかると、丑之助の人気は一気に凋落してしまいました。
 独り残された養母の無聊を慰めようと、京に戻りますが、丑之助には天性の淫奔の血が流れていたのかもしれません。今度は年上の後家とデキてしまうのです。

 誘ったのは後家のほうであろうと考えるのは当然ですが、後家の実家にも妙竹林な番頭がいて、二人の睦言の最中、包丁を振り回して乗り込んでくるという騒ぎになります。
 逃げようとする丑之助と揉み合いになりますが、ふとした弾みで番頭は足を滑らせ、二階から落ちてしまいます。その拍子に、手に持った包丁がグサリと脾腹をえぐって絶命。
 その日は奇しくも菊五郎の一周年という間の悪さ。

 私にこの一連の話を教えてくれた人は、菊五郎が殺されたのは天明四年の十一月晦日だといっていましたが、歌舞伎年表によると、同じ天明四年でも十二月二十九日となっています。死因は書いてありませんが、一か月の差でもって話全部が眉唾もの……となるのかどうか。

 三人もの人間を死に追いやった丑之助の人気は完全に地に堕ちてしまいます。
 そればかりか、京にも住めなくなりました。さすがに堪えて、出家遁世することを考えます。
 アテはありました。江戸で役者をしていたとき、有力な檀越の一人になってくれていたのが谷中は延命院の住職だったのです。

 小姓として寺に入ってから剃髪得度までの三年間、丑之助は心を入れ替えて真面目に勤めたようです。
 名も道暁と改め(日道、あるいは日潤と改めるのはもっとあとのこと)、やがて住職不在のおりには代理で法要を勤めるようにもなりました。

 もともとは僧侶の落胤です。加えて舞台で鍛えた声と容貌がある。
 参詣のご婦人方で魂を飛ばされぬ者はいなかった、というのもむべなる哉です。

 道暁がかつての丑之助だったと知れると、半狂乱になったような娘も出てきました。
 しかし、みずからの来し方を恥じている道暁は、女犯という地獄道に足を踏み入れることはないのでした。

  ところが好事魔多し。
 ここに悪いヤツが登場します。御三卿田安家の奉行・岩田某の嫡男として生まれ、文武両道ひと通りの素養を身に着けながら、酒色に溺れて身を持ち崩した長十郎なる男です。
 こやつは金に困った揚げ句、同役の小林某と謀って、田安家の台所から千六百両もの大金を盗み出しました。一度捕まったが、牢を破って逃げ出し、各所で悪事を重ねてきた男です。

 この長十郎と丑之助が出会った話はいささか出来過ぎのようです。

 まず、悪銭を使い果たした長十郎が、あるとき、金貸しの家に強盗に入ろうとして、間違って入ったのが生前の菊五郎の家であったということ。
 間違ったと気づいたが、引き返すこともできない。例のように刀を畳に突き立ててすごむのですが、菊五郎は少しも愕かない。

 音羽屋ならさぞ大金があろうかと押し入ってもらったのだろうが、あいにく十両しかないのや、すまんなあと、お茶まで出して気の毒がる始末です。
 あきれた長十郎が何も盗らずに帰ろうとすると、菊五郎はほんまもんの押し込みを見せてもらったのやから、少なくて悪いが、この十両を是非持ち帰ってくれと頼み、近隣の人々に怪しまれぬよう、戸口まで送って出たというのです。

 それから数年……。
 長十郎が川崎宿で追い剥ぎに及ぼうと待ち構えていたところに現われたのが、出家の志を固めて江戸を目指していた丑之助でした。
 追い剥ぎに及ばんとするかたがた、身の上を聞いた長十郎は丑之助に十五両を押しつけました。十両はお前の親父から借りたぶん、五両は利子だといって、いずこともなく姿を消した。

 この長十郎、悪いところばかりではないようですが、やはり真底はワルなのでしょう。
 またさまざまな悪事を積み重ね、高飛びに高飛びを繰り返し、江戸に戻ってくると、延命院という寺で菊五郎の息子が評判になっている、という噂を聞きつけたのです。



 延命院境内にある椎(シイ)の古木です。推定樹齢六百年。幹周5・3メートル、高さ16メートル。「江戸名所図絵」(所蔵していますが、何かの下に埋もれていて見つけられず、未確認です)にも載っている古木です。

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谷中延命院物語

2009年03月10日 07時06分10秒 | 歴史

 土曜日、日暮里へ出かけました。切支丹お蝶ゆかりの護國山天王寺と寶珠山延命院を見るためです。
 先に行ったのは天王寺ですが、ブログは延命院から。

 日暮里駅の西口を出ると、御殿坂に沿った右側に本行寺経王寺延命院とお寺がつづきます。いずれも日蓮宗のお寺です。



 日蓮宗のお寺の多くは仏壇も山門周辺も、寺の中にあるものを全部持ってきて飾ったみたいでゴテゴテしていますが、延命院(画像)は天台のお寺のようにスッキリしていて、端正な趣がありました。

 このお寺の開創は慶安元年(1648年)。寺内の七面大明神(現在も七面堂に祀られています)は四代将軍徳川家綱の乳母・三沢局をはじめとして多く人の信仰を集め、江戸名物の一つとなりました。

 それからおよそ百年ののちの享保年間、この端正なお寺に大変な事件が発生します。
 事件の主は日道(日潤とも)という若い僧侶です。
 若いだけでなく、眉目秀麗、声は朗々として、さながら娘道成寺の安珍のようだといわれ、参詣のご婦人方で魂を飛ばされぬ者はいなかったということですから、さあ大変……。

 ご婦人方といっても、町家の女たちではありません。武家、それも大奥の、という但し書きがつくものですから、大事件となってしまうのです。

 日道は俗名を丑之助といいました。歌舞伎の初代尾上菊五郎の息子だったという噂があります。
 役者の息子がなにゆえに坊主になったかというと、始まりは菊五郎の息子でありながら、実は息子ではなかったということにあります。

 菊五郎は京の人です。
 京にお袖という妾を抱えていました。このお袖が菊五郎の目を盗み、義道という本国寺の坊さんと佳い仲になって産んだのが丑之助だったというのです。

 これが菊五郎一つ目の間違い。
 しかし、菊五郎は我が子と信じて育て、二代目を継がせるつもりだったのでしょう。市村座から招かれて江戸に下ったときも、十六歳になっていた丑之助を伴って行きます。

 江戸に居を定めてから、丑之助の芸を江戸前に仕立てたほうがいいと考えて、江戸ふうの踊りを習わせることにしたのが二つ目の間違いです。
 丑之助は同じ師匠の許で踊りを習っていた小間物店のお梅という娘と人目を忍ぶ仲になってしまったのです。

 お梅の店には少しばかり頭の足りない手代がいました。お梅の両親が、お前は将来見込みがある、と煽てたのを間違って、店の跡継ぎは自分だと信じ込んだ。そんなところに、丑之助とお梅の噂が立ち始めたものだから、内心穏やかならず。
 落とし前をつけてやるとばかり、懐に出刃包丁を呑んで市村座近くで待ち構えたのです。
 そこへお高祖頭巾を被った役者が暗闇に紛れて出てきたものだから、得たりや応とばかり、ドッと走り寄るや、お高祖頭巾のドテッ腹に出刃を突き立て、当人は江戸橋南詰の木更津河岸に身を躍らせて死んでしまった。

 ところが、この手代が手にかけたのは丑之助ではなく、菊五郎だったのです。

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小手毬ゲット

2009年03月09日 12時23分58秒 | 

 土曜日につづいて日曜日も臨時出勤でした。
 日曜日は非常にくだらない用件でしたが、この目で書類を見ないことにはどうしようもないということがわかって、やむなく昼過ぎに出勤。

 しかし、不思議と憂鬱な気分ではありませんでした。洗濯は土曜に済ませてしまっていたし、寒い曇り空ではどこかへ出かける気にもならない。庵にいてもグダグダと過ごすのが関の山。

 では、行きますかい、と独り言を呟きながら着替えを始め、おお、そうじゃと思いました。
 日曜日だから、いつも前を通る花屋さんは店を開けているはず。仕事はすぐに済むから、帰りに小手毬(コデマリ)を買って帰ろうと閃いたのです。

 小手毬がほしいからといっても、仕事でもないのにわざわざ勤め先近くまで行く気にはなりません。しかし、おぢさんが出勤するときには、店が開くかどうかという時刻。帰るときにはシャッターを下ろしているという店では、日曜日に行かない限り永久に買えません。これもオーバーにいえば、天の配剤かもしれぬと思いました。

 仕事はわけなく終了。曇り空で、弱いけれども冷たい風がありましたが、帰り道は愉しい気分です。



 昨日見かけたときは数鉢の出物、と思いましたが、よくよく見れば十二鉢もありました。その中で一番よさそうなもの、と選んでもらったのが画像の小手毬です。450円也。
 小振りですが、左右に枝を張っているので、レジ袋に入れてもらった鉢を手に提げて電車に乗ると、人に触れそうになります。

 花屋さんでは1000円札を出して550円のお釣りをもらっていたので、新松戸で書店に寄って「わが家で和食」の創刊第2号(490円)を買いました。
 今日の出費は〆て940円。土曜につづいて、この日もタイムカードを押していないので、二日間の勤務実績はなし。よって来月の給与にプラスαなし。

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鶯の初啼き

2009年03月07日 21時07分18秒 | 寺社散策

 第一土曜日は休みですが、今日はまた出勤。ただし、午前中だけ……。
 前日、急遽決められた臨時出勤ということには肚も立たなかったのですが、せっかく晴れたというのに、ビュービューと吹きまくる阿呆のような風には往生しました。
 臨時出勤の手当代わりに、昼は近くの豚かつ屋で牡蠣フライのランチをご馳走になって退散。

 昼過ぎには阿呆風も収まって、冬のコートでは暑く感じるようになりました。勤め先から市川大野の駅へ向かう途中、ところどころで蒲公英(タンポポ)が咲いているのを見ました。
 花屋さんには小手毬(コデマリ)が数鉢出ているのも見ました。
 花は満開ですが、去年と較べると、気のせいか少し小ぶりのようで、まだ枝も充分に垂れていません。これなら持ち運ぶのも簡便だと思いましたが、今日は買いません。前々から今日は日暮里へ行こうと決めていたからです。

 午後一時前に新松戸まで戻ってきて常磐線に乗り換え。北千住でまた乗り換えて日暮里着十三時二十六分。
 切支丹お蝶所縁の天王寺(開創1274年)、それから本行寺(同1526年)、経王寺(同1655年)、延命院(同1648年)と足早に見て帰ってきました。



 天王寺の山門です。
「江戸切絵図」や「江戸名所図絵」で見る限り、広大だった寺域はその大部分を谷中霊園に取られ、雪隠詰めされたように崖っぷちに押し込められてしまっています。



 門の奥に見えるのは天王寺大仏の名で親しまれている、高さ4・8メートルの銅造釈迦如来坐像。元禄三年(1690年)の建立。

 散策にはちょうど佳い陽気になって、いわゆる谷根千巡りをしているらしき人々は大勢いましたが、天王寺の参詣客はおぢさんを含めて五人だけでした。
 山門前の掲示板だけ覗いて立ち去る人、寺のあることすら関心を示さぬ人、多々おりましたが、ここが切支丹お蝶所縁の天王寺だと思ってきた物好きはおぢさんのほかにはおりますまい。陽気も佳かったし、お寺より煎餅や佃煮のほうに関心が向いてしまうのは当たり前のこと。



 旧谷中天王寺町。現在は台東区谷中七丁目。




 本行寺(上)と経王寺。



 延命院。

 明日日曜日はまた曇りという予報なので、庵に帰ってきて一週間分の洗濯です。
 洗濯物を干そうとベランダに出たときに、鶯(ウグイス)の初啼き聴きました。目を凝らして見ましたが、姿は見つけられません。啼き方はまだ「ホーホ」がなくて「ケキョケキョ」と、練習中のようです。

 天王寺と延命院に関するブログは後日。

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消費者の鑑?

2009年03月06日 22時14分13秒 | つぶやき



 マツキヨで、またまたこんなん(画像)買いました。
 掌にとって身体に塗り、あとはシャワーで流せば一巻の終わりというボディウォッシュです。二十~三十代向けの商品のようですが、おぢさんだって使いたいのだ。

 NIKKEI NETというサイトがあります。雑誌関係の仕事から足を洗って、およそ七年になりますが、頭のほうは「そんなの関係ねぇ」とすぐには切り替わらず、お気に入りに登録しておいて、惰性で見ています。
 
何日か前、こんなんが発売されるのを、このサイトの企業ニュースというコーナーで識りました。
 そのとき得た情報では、今月なかばに発売とあったので、子どもがお正月を待つような気持ちで待っておりました。

 今日の昼休み、朝からの雨がますます強くなり、強い風も出てきたようだったので、恒例の「こざと公園」への散策はやめて、会社でじっとしているつもりでした。ところが、出勤時に煙草を仕込むのを忘れていたことに気がつきました。
 勤め先のすぐ近くに自販機がありますが、おぢさんはタスポを持っておりませんし、持つつもりもありません。すると、マツキヨへ行かねばならぬのです。

 まるで嵐の前触れのような雨の中を出かけました。ときたましか見かけることのない、きれいな店員さん(もちろん♀)がいて、嵐の中を出てきた甲斐があったとウキウキしたものですから、煙草だけ買って帰るのは勿体ないような気がして、店内を半周しました。
 そのおかげでこんなんを見つけたのです。きれいな店員さんがいてくれた賜物です。
 まだ試してはおりませんが、物臭太郎には佳い商品です。

 メンズビオレという商品名が示すとおり、花王の新製品です。
 我が庵を見廻せば、洗濯洗剤はスタイルフィット、漂白剤はワイドハイター。台所洗剤はキュキュット。消臭剤はリセッシュ。お風呂関係はサクセスとビオレ。それと、いまの季節には欠かせないニベアクリーム。どれをとっても花王です。

 偶然ではありません。
 花王しか買わないと決めているのは、まだ若いころに花王の社長(とくに名は伏す)に会って、感銘を受けたことがあるからです。それ以来、同じ買うならここのモノ、と決めてきました。他社の製品と較べて、飛び抜けて佳いと思うわけではありません。取り立てて差がないのなら、他社のモノを買うこともない。

 真逆のこともあります。
 某ビールメーカーがスーパードライというブランドで成功して、社運が一気に上向いたとき、その開発に携わった人物に会ったことがあります。
 例のうんこ(?)を載せた隅田川べりのビルの何階であったか、非常に見晴らしのよいフロアで会ったのですが、ペラペラと自分の手柄話に終始するだけの郷在者で、すっかりイヤになってしまいました。
 できたてホヤホヤというビールを振る舞われましたが、非常に気分が悪かったので、腐っているのではないかという味しかしませんでした。それ以来、某ビールは絶対に呑まぬと決めました。

 おぢさんは決して三井系の回し者ではありませんが、ビールはサッポロと決めています。ビール市場ではシェアを落とすばかりなので、応援するつもりもあります。
 飲み屋に行ったとき、サッポロがなければサントリー、それもなければキリン、なおかつないときは某ビールでよかったこともあったのですが、以降キリンすらないときはビールを呑みたい季節でも呑むのを我慢します。

 莫迦莫迦しいことかもしれませんが、意地を張るときは徹底的に意地を張らねばなりません。ならぬことはなりませぬ、と会津贔屓は意地を張ります。

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啓蟄

2009年03月05日 19時48分25秒 | 日録

 昨日、桜の開花予想が出ました。当たりもしないのに、懲りずに毎年毎年よくやるもんです。……と、思います。
 啓蟄と聞くと、こちらも毎年毎年思うのは、不思議なことに、いつもこの時期は気分が沈んでいるということです。
 寒いことが関係あるのかと思いますが、自分自身の気分の問題なので……わかりません。
 年に一度しかないこと、私的なものだから自分で気づくまでわからぬこと、そういえば……と気づいたときにはすでに突入したあとなので、予兆があったかどうかわからなくなっていること……等々で実態は解明できません。
 ただ、毎年毎年啓蟄の日を迎えると、土中からモゾモゾと虫が這い出てくるが如く、少しだけですが前向きな気分も湧いてくるのです。

 今朝の武蔵野線は五分遅れ。
 駅のアナウンスも車掌も、中央線で人身事故があり、その警戒信号が鳴って、安全確認をしたために遅れている、とわけのわからないことをいっていました。
 中央線と武蔵野線は同じ線路を走っているのか。警戒信号のせいなら、なぜ前の電車は遅れていないのか。責任者出てこい! と、人生幸朗師匠存命ならぼやくところでしょうが、みんな舌打ちしながら、じっと待つのみ。

 アナウンスが終わった直後、ガラの悪そうな女子高生が「うぜぇよ」と叫ぶ声が聞こえましたが、これは人身事故を起こした罰当たりにいったものか、偶然か。
 わずか五分といえども、朝の五分はタイムカードとの攻防戦において、致命的な痛手になりかねません。正常運転なら、乗れないはずの者どもが間に合って、普段に増して電車が混むのもやりきれません。
 貴重な晴れ間の出た啓蟄の日も、朝から気分は台無しです。

 出勤後すぐ外出する用があったので、ポケットにカメラを忍ばせて出て、「こざと公園」に寄ってみました。



 今日はダイサギ、コサギ合わせて八羽も出勤です。毎日少しずつ数が増えてきています。初雪の降った日に較べれば暖かいからか、毛づくろいに忙しいサギもおりました。
 気のせいか、桜の蕾は少しふくらみを増したようです。

 今日から黒烏龍茶を飲み始めました。仕事中の飲み物はゴールドブレンドか、夏場は+ダカラかビタミンウォーターと決めていたのですが、コーヒーばかり飲んでいることも気分が高揚しない原因かもしれぬと考えて、趣向を変えてみたのです。
 中国産、北朝鮮産、ロシア産とはっきりわかるものは、たとえ死んでも買わない使わない、という断固たる意志を簡単に曲げてしまいました。

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