菊五郎が殺されたのは丑之助の不行跡が原因だったとわかると、丑之助の人気は一気に凋落してしまいました。
独り残された養母の無聊を慰めようと、京に戻りますが、丑之助には天性の淫奔の血が流れていたのかもしれません。今度は年上の後家とデキてしまうのです。
誘ったのは後家のほうであろうと考えるのは当然ですが、後家の実家にも妙竹林な番頭がいて、二人の睦言の最中、包丁を振り回して乗り込んでくるという騒ぎになります。
逃げようとする丑之助と揉み合いになりますが、ふとした弾みで番頭は足を滑らせ、二階から落ちてしまいます。その拍子に、手に持った包丁がグサリと脾腹をえぐって絶命。
その日は奇しくも菊五郎の一周年という間の悪さ。
私にこの一連の話を教えてくれた人は、菊五郎が殺されたのは天明四年の十一月晦日だといっていましたが、歌舞伎年表によると、同じ天明四年でも十二月二十九日となっています。死因は書いてありませんが、一か月の差でもって話全部が眉唾もの……となるのかどうか。
三人もの人間を死に追いやった丑之助の人気は完全に地に堕ちてしまいます。
そればかりか、京にも住めなくなりました。さすがに堪えて、出家遁世することを考えます。
アテはありました。江戸で役者をしていたとき、有力な檀越の一人になってくれていたのが谷中は延命院の住職だったのです。
小姓として寺に入ってから剃髪得度までの三年間、丑之助は心を入れ替えて真面目に勤めたようです。
名も道暁と改め(日道、あるいは日潤と改めるのはもっとあとのこと)、やがて住職不在のおりには代理で法要を勤めるようにもなりました。
もともとは僧侶の落胤です。加えて舞台で鍛えた声と容貌がある。
参詣のご婦人方で魂を飛ばされぬ者はいなかった、というのもむべなる哉です。
道暁がかつての丑之助だったと知れると、半狂乱になったような娘も出てきました。
しかし、みずからの来し方を恥じている道暁は、女犯という地獄道に足を踏み入れることはないのでした。
ところが好事魔多し。
ここに悪いヤツが登場します。御三卿田安家の奉行・岩田某の嫡男として生まれ、文武両道ひと通りの素養を身に着けながら、酒色に溺れて身を持ち崩した長十郎なる男です。
こやつは金に困った揚げ句、同役の小林某と謀って、田安家の台所から千六百両もの大金を盗み出しました。一度捕まったが、牢を破って逃げ出し、各所で悪事を重ねてきた男です。
この長十郎と丑之助が出会った話はいささか出来過ぎのようです。
まず、悪銭を使い果たした長十郎が、あるとき、金貸しの家に強盗に入ろうとして、間違って入ったのが生前の菊五郎の家であったということ。
間違ったと気づいたが、引き返すこともできない。例のように刀を畳に突き立ててすごむのですが、菊五郎は少しも愕かない。
音羽屋ならさぞ大金があろうかと押し入ってもらったのだろうが、あいにく十両しかないのや、すまんなあと、お茶まで出して気の毒がる始末です。
あきれた長十郎が何も盗らずに帰ろうとすると、菊五郎はほんまもんの押し込みを見せてもらったのやから、少なくて悪いが、この十両を是非持ち帰ってくれと頼み、近隣の人々に怪しまれぬよう、戸口まで送って出たというのです。
それから数年……。
長十郎が川崎宿で追い剥ぎに及ぼうと待ち構えていたところに現われたのが、出家の志を固めて江戸を目指していた丑之助でした。
追い剥ぎに及ばんとするかたがた、身の上を聞いた長十郎は丑之助に十五両を押しつけました。十両はお前の親父から借りたぶん、五両は利子だといって、いずこともなく姿を消した。
この長十郎、悪いところばかりではないようですが、やはり真底はワルなのでしょう。
またさまざまな悪事を積み重ね、高飛びに高飛びを繰り返し、江戸に戻ってくると、延命院という寺で菊五郎の息子が評判になっている、という噂を聞きつけたのです。
延命院境内にある椎(シイ)の古木です。推定樹齢六百年。幹周5・3メートル、高さ16メートル。「江戸名所図絵」(所蔵していますが、何かの下に埋もれていて見つけられず、未確認です)にも載っている古木です。