桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

まだつづく梅雨の中休み

2012年06月30日 18時09分46秒 | つぶやき

 二十八、二十九日と梅雨空が戻るという予報でしたが、雨は降らず、今日三十日で梅雨の中休みが八日間もつづいてしまいました。
 明日七月朔日はやっと雨になるようなので、最後かもしれぬと思って流山・前ヶ崎の紫陽花(アジサイ)を見に行きました。

 最後 ― というのは、七月二日から数日間入院する予定だからです。大腸にポリープが見つかったので、切除手術を受け、そのまま入院することになりました。
 ポリープは検査時に見た限りでは悪性ではなさそうということですが、切除したあと、一応検査をし、悪性でないとわかれば、長くても四日ぐらいで退院できるということです。
 



 梅雨前線はどこへ行ったの? といいたくなるような今朝の富士川上空でした。
 右下に写っている高台は我が庵があり、本土寺のある平賀中台という台地です。森や林に恵まれた土地で、この日も鶯の囀りを聴くことができました。

 
 


 流山市前ヶ崎のあじさい通りです。
 土曜日なのに時間が早かったせいか、出会ったのはひと組の親子連れだけでした。



 帰りは少し遠回りをして、久々に東漸寺にお参りしました。



 このお寺には紫陽花はあまりありません。おかげで静かです。



 参道に黒いものが見え隠れしている、と思ったら黒猫殿でした。
 まだ子どものようです。おやつを置いて少し離れると、ちょっとだけ出てきましたが、おやつには遠く及びません。鼻を突き出して匂いを嗅いでいました。
 私がもう少し離れると、また少しだけ進んできましたが、まだ及びません。
 そうしているうちに鴉が舞い降りてきて、おやつはさらわれてしまいました。

 本堂に参拝して戻ると、違う場所に隠れていました。今度はサッとおやつを置き、急ぎ足で10メートルほど離れて振り返ると……無事おやつにありついたようでした。



 これは別の黒猫殿です。
 東漸寺近くのマンション前を歩いていたとき、敷地から出てきました。私がタッパーウェアに入れたドライキャットフードを鞄から取り出し、蓋を開けた瞬間、匂いが漂ったのでしょう。3メートルほど離れていましたが、「ニャーニャー」と鳴きながら近づいてきました。



 半夏生を見つけました。
 七十二候の一つの半夏生は、今年は七月一日。



 我が庭に咲くレモンバームの花。今年初めて花を咲かせました。

 


 シナモンバジル(上)とスイートバジルの花。
 バジルは一年草です。両方ともポット植えで売っていたのを求めました。
 挿し芽でふやすこともできますが、種子が得られたら播いてみようと考えて、数茎限定で花の咲くままにしてみました。めでたく種子が得られればよいのですが……。

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またまた梅雨の中休み

2012年06月27日 19時22分49秒 | のんびり散策

 またまた梅雨の中休みです。明日、ようやく雨になりそうですが、今回の中休みは五日間という長さになりました。



 ヒメヒオウギズイセン(姫檜扇水仙)が咲き始めました。
 なぜか私はこの花を金魚草だと思い込んでいました。赤くて(黒い金魚も白い金魚もいるのに)いかにも金魚らしいと思ったものかどうか。
 道端で見かけてカメラに収め、金魚草が一年草か多年草か、どういう種類の花と仲間なのか。いままで氏素性など調べたことがないので、図鑑をひもといてみると……まったく違う花が出てきたので、面食らってしまいました。

 水仙とついていますが、水仙とは関係がないアヤメ科です。同じアヤメ科にはヒオウギ(檜扇)という花も、ヒメヒオウギ(姫檜扇)という花もあるので、ヒメヒオウギズイセンという長い名前は独自性がまったくない、全部よそから一つ一つ借りてきて繋げたようなものです。



 今日午前中の富士川上空です。
 昨日今日と陽射しがあったので、日中は少し暑く感じられるようになったものの、七月も近いというのに、朝夕は肌寒い日がつづきます。



 ムクロジ(無患子)の花は満開期を迎えて、少しずつ散り始めていました。
 小さくて見えないかもしれませんが、画像の右上方には去年の実がまだ残っています。



 キウイは直径4~6センチの大きさに成長しています。



 梨もいまのところはキウイと同じぐらいの大きさ。
 ネットで覆われている(5ミリほどという細かい網目なので、カメラのレンズだけ差し込んで撮る、というわけにもいかず)ので、画像はありません。
 ふと気づいたのは、近辺に二か所あるキウイ園にはネットがかけられていないのに、三か所ある梨園はいずれもネットがかけられている、ということでした。



 近辺の農地にはこんな注意書きも立てられていますが、キウイ園を狙う泥棒はいないのでしょうか。それとも梨園のネットは泥棒対策とは異なるのでしょうか。



 暑くなってきたので、あまり外へは出ないようになった猫のうさ伎(うさぎ)を見かけました。
 幅50メートル、長さ100メートルという梨園の奥のほうにいましたが、私の姿を認めて遠路足を運んでくれました。




 こちらは富士丸。私がカメラを構えて立っている背後を富士川が流れているので、安易につけた名前です。
 首輪をしていますが、どこの飼い猫なのかわかりません。寝転がっていたのは民家の駐車スペースですが、すでに住む人のいない廃屋です。
 
うさ伎と違って滅多に会うことはありません。よって、私を私であると思い出すのに時間がかかるのか、いつも最初はぼんやりと見つめ、やがて烈しく鳴きながら(餌をくれ餌をくれ、といっているのかも)私に近寄ってきます。

 


 北小金駅の北口から本土寺の参道入口につづく長さ200メートルばかりの商店街には十六軒の店があります。そのうち三軒が洋品店です。
 わずか三軒に過ぎなくても、十六分の三と考えれば、大変な多さだといえます。いまの時節と秋の紅葉の時節は千客万来。お婆ちゃんの原宿をミニ化したような感じです。



 老舗葛餅店の臨時売店も千客万来でありました。



 芽生えて丸二年を迎えた我が庵のムクロジです。
 かぼそいながらも枝が出て葉も出たので、高さが1メートルを超えましたが、芽吹いたばかりだった若葉は先日の台風4号の強風にいたぶられたので、ズタズタです。

 この樹が花を咲かせ、実を結んでくれるのは、何年後何十年後のことでありましょうか。私がそれを眺めることがあるのであろうか、と考えることしきりです。




 十一日前の今月十六日、我が庭の桔梗殿が今年初めて開花してから次々と咲くようになって、今日で十二輪目を数えました。

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流山の紫陽花を見に行く

2012年06月18日 21時11分30秒 | 

 昨日、流山の紫陽花(アジサイ)を見に行こうかと思ったのですが、日曜だと思い当たって、月曜日の今日、出かけることにしました。

 


 本土寺の裏にはともに急な坂と石段があります。下りはよいよい、上りは怖い、です。
 本土寺の森ではまだ鶯の囀りを聴くことができます。このほかにも森や林が点在するおかげで、毎朝、我が庵すぐ近くまで飛んできて、囀りを聴かせてくれます。



 流山の紫陽花を見に行くのに本土寺の裏を廻るのは遠回りになるのですが、あえてそうしたのは数か月前に見つけた猫殿のスポットがあるからです。
 手前は谷之丞、後ろは福郎(梟)と名づけました。ここには写っていませんが、この家ではもう一匹飼われています。いつもこんなふうにして、微動だにしません。
 画像左手にエアコンの室外機があります。猫殿の立ち位置からは見えません。動かしてやろうと思って、室外機の上にキャットフードを置いてやります。眼をうっすらと開けて鼻をうごめかすので、匂いを感じ取っているな、と思うのですが、といって、動こうとはしません。少し前、私が立ち去る振りをしてフェイントをかけ、そっと戻ってみたら、二匹でキャットフードを食べていました。

 折角遠回りしたのに、この日は一匹も姿を見せませんでした。



 もう田んぼは青々としています。
 画像には写っていませんが、左手に江戸川の支流・坂川のまた支流・富士川が流れています。その右岸に当たるこの田んぼはすでに松戸市ではなく、流山市です。



 先の田んぼを過ぎると、高台。上り詰めると、また下り坂になって、あじさい通りの北入口に当たる斜面があります。



 この日、行き違ったのはこのご婦人四人組と単独行動のご婦人一人のみ。
 この径の右側はごく一般的な住宅地です。よって、車の乗り入れは遠慮せい、と流山市がいっているのですが、それは市のホームページなどでいっているだけで、現地には立て札のたぐいもないので、何台か車に乗ったまま見物しようという横着者がいます。私が日曜日を避けて、出かけてきたのはそのため。

 私が散策で歩く松戸・流山地区には「自転車は降りて通行」とか「自転車は押して歩いてください」という標識のある通路が数か所あります。いずれも人がすれ違うだけで肩をすぼめなければならないような狭い径です。だから「降りろ」というのですが、ほとんど全員といっていいほど、馬耳東風。
 自転車は降りろ、というのですから、況んやバイクをや、と思うのですが、ときたま見かける郵便局員、新聞配達、ヤクルトレディなどは、どこ吹く風という風情で流して行きます。我が地域だけのマナー破りか、日本人の多くの体質か。

  
 
 
 


 手当たり次第にシャッターを押したものの中から、ピントがきているものを選びました。

 あじさい通りは300メートルほどにわたってつづき、その先にある住宅地の中を200メートルほど歩くと、さらにあじさい東苑というものがあります。



 あじさい通りからあじさい苑へはこのような小径を抜けて行きます。



 あじさい通りと違って、あじさい苑は杉木立の下にあります。

 


 去年もあったかどうか。高台の中腹へ上ることのできる小径が整備されていたので、しばし歩いてみました。



 見上げる一方の紫陽花でしたが、見下ろすと、眺めも少しばかり変わってきて風情があります。

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再び梅雨の中休み

2012年06月17日 23時22分57秒 | 風物詩

 何日もつづいた雨が熄んで、梅雨はまた中休みです。
 サワードリンクをつくろうという気になったので、わりと早い時間に北小金駅前のスーパーへ買い出しに出かけました。



 本土寺境内と参道途中にある駐車場はいずれも満車のようです。「満車」という札を提げて交通整理に立つ警備員。



 北小金駅を出てすぐの参道。ふだんはさほどの人通りではありませんが、アジサイの季節ばかりは本土寺に向かう人の群れです。



 北小金駅前には今年からこんな掲示が出されるようになりました。



 本土寺参道の脇道にブルーベリーなどを売る臨時の売店も出店。



 ポット植えを買ってきて、庭に移し替えた矮性の桔梗です。桔梗を見つけてしまったので、出かけた目的のサワードリンクは忘れてしまいました。

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梅雨の中休み

2012年06月10日 22時53分40秒 | 風物詩

 梅雨入り宣言が出されてわずか二日目。早くも梅雨の中休みです。

 


 梅雨に入ったと同時に我が庵周辺の各所で咲き始めていた紫陽花(アジサイ)が色鮮やかさを増してきました。



 午後一時ごろの富士川上空です。このあとすぐ厚い雲が押し寄せてきて、夜半には雨となりました。



 富士川は夏草が生い茂って、土手の遊歩道からは水面が見えなくなっていました。



 今年も時計草が咲き出しました。

 


 北小金駅近くにある慶林寺(曹洞宗)と門前に咲く「おたふく」という種類の紫陽花。
 四年前、新松戸の住人となったときから散歩の足を北小金まで延ばすことがあったので、「おたふく」と記された木札が気になっていたのでした。
 しかし、「そういえば……」と気づくのは、いつも紫陽花の季節が終わったあと。

 北小金の住人となると、それまで歩いて十七分かかっていた慶林寺までの行程が十一分と短くなったので、今年こそ……と、去年は思ったのですが、去年は流山・前ヶ崎の「あじさい通り」に注意を惹かれていて見逃し。

 時期的にはまだ早いのですが、初めて花を見ることができました。
 花の図鑑で調べてみると、「おたふく」というのは通称で、正式名は渦紫陽花というのだそうです。
 花が渦を巻いているのが特徴で、そこから名がつけられたようですが、なぜ「おたふく」と呼ばれるのかは記されていません。渦がなんとなく「お多福」の頬っぺを思わせるからでしょうか。

 北小金駅前から本土寺の参道につづく道に入ると、いつにない人の多さです。本土寺は別名「あじさい寺」。
 参道の手前に和食レストランが一軒、参道に入ると二軒の割烹料理店、蕎麦屋も一軒、カフェが二軒あります。昼時ともなれば、どこも行列ができるような盛況、ご同慶の至りです。



 参道沿いにある手打ち蕎麦屋さん。
 私は入ったことがありませんが、私の知人が美味いと褒めていたので、この店だけは繁盛しているかそうでないかが気に懸かります。
 普段は地元の人しか通らないので、ひっそりとしていますが、この季節には行列待ちが見られます。めでたしめでたしと思いながら通り過ぎます。



 山門前に二つある漬物屋兼土産物屋も繁盛しています。



 本土寺周辺には、にわか駐車場が出現します。
 実際は「にわか」なのではなく、普段も駐車場としてあるのですが、空いている土地の広さに較べると人家が尠なく、車も尠ない土地柄なので、ガラガラのところが多いのです。
 しかし、紫陽花や紅葉という、本土寺が観光地と化す季節になると、ここぞとばかりに看板を出したり、普段は時間に関係なく「¥500」という駐車料金を「¥600」とした上、「二時間まで」と足許を見たりするところが出てくるので、私はヤレヤレと思ってしまいます。

 今年は愕いたことに「¥800」というところが出現しました。本土寺にわりと近い場所です。
 日蓮宗(本土寺)の門徒ではない私ですが、思わず仏罰が下るぞ! と思ったあと、車を停める人は墓参や参拝の人ではなく、観光にきているのだから、仏罰とは無縁かと考え直したり……。



 花屋さんで明日葉(アシタバ・左)とシナモンバジルのポット植えを買ってきました。
 明日葉は愕くほど成長の早いところからつけられた名ですが、一年目は葉を摘まないほうがよいといわれています。
 去年見かけたときに買おうと思ったのですが、たった一日逡巡したことが禍いして、翌日行ってみたら、なくなっていました。
 天麩羅にするのは来年の楽しみです。

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2012年六月の薬師詣で・川口市

2012年06月08日 23時27分07秒 | 薬師詣で

 六月の薬師詣では川口の慈林寺と決めました。
 当初の心づもりでは、少し遠出を試みて、栃木県の足利を目指し、足利氏ゆかりの古寺名刹を訪ねるのもよし、と考えていたのですが、不定期勤務のパートのの仕事が入ってしまったので、遅くとも四時には庵に帰っていなくてはなりません。午前中、早めに庵を出れば、足利まで行けないことはないが、気ぜわしい思いはしたくないので、足利に較べれば、遥かに近い川口に変更したのです。



 武蔵野線の東川口で降り、埼玉高速鉄道に乗り換えて、次の戸塚安行で下車しました。

 この駅を利用するのは去年の一月末、旧日光御成道の鳩ヶ谷宿を歩いたとき以来です。
 地下にある駅は階段やエスカレーターをジグザグと上って行くので、地上に出たときにはどっちを向いているのかわからなくなってしまうことが多々あります。
 この日も地上に出たときにはすっかり方向感覚を失っていました。そのため、見知らぬ土地を歩くときは方位磁石は必携の一品です。

 私が目指すのは南の方角。地上に出たあと、磁石を確認して歩き始めました。途中、花山下という交差点までのおよそ500メートルは前回鳩ヶ谷宿を目指して歩いたときと同じ道のはずですが、目に入る光景はまったく憶えがありません。

 花山下交差点を左折して埼玉県道103号線を進みます。東京外環自動車道の下をくぐり、なおもしばらく歩くと、左手に植物園を思わせるような樹々が見えてきました。

 


 埼玉県花と緑の振興センターでした。
 二千種もの樹木が植えられているそうです。道路沿いを見ながら歩く限り、樹々にはすべて名札が提げられています。ゆっくりと巡れば、普段目にしていながら名前を識らぬ樹の名を知ることもできるかもしれぬと思ったのですが、この日はタイムリミットがあるので、ゆっくり構えているわけにはいきません。



 戸塚安行駅から二十分で興禅院に着きました。
 我が曹洞宗のお寺です。
 創建は室町時代末期の天文十五年(1546年)で、開山は助天当益大和尚(旧鳩ヶ谷市にある法性寺三世)といわれています。本尊は釈迦如来坐像。「新編武蔵風土記稿」には恵心僧都(源信)の作と記載されています。



 春は桜、秋は黄、赤、白の彼岸花に加えて紅葉と、季節ごとの花々で著名なお寺のようですが、この時期はなんといっても紫陽花(アジサイ)でしょう。
「咲いています」という掲示が出ていたのに釣られて境内を歩いてみましたが、見ごろはもう少しあとのようでした。



 歴住の墓所を捜して参拝。



 興禅院から二十分歩いて密蔵院に到着しました。
 文明元年(1469年)の創建。平將門の開基と伝える説もあるそうです。本尊の地蔵菩薩は將門が上洛する途中、守護仏であったのをこの寺に残し置いたものだというのです。正保元年(1644年)の火災で消失しましたが、顔と胸部は焔焼を免れ、平安藤原時代の作であると鑑定されているそうです。

 密蔵院の先、県道103号線をさらに南のほうに進めば、薬師如来を祀る真言宗の東光寺があるのですが、参拝するのは別の月の縁日に譲ることにして、密蔵院で引き返します。

 くるときに通り過ぎてきた安行中学脇という交差点まで戻って左折。埼玉県道328号線をしばらく歩いたあと、右手に入る道を進みます。
 そこから500メートルほど歩くと、前方に「←金剛寺入口」という標識が見えてきました。



 標識前に到って、目を左に転ずると、長さが150メートルほどもありそうな参道の奥に茅葺きの山門が見えました。およそ四百年前に構築された四足門(桃山様式)で、川口市内ではもっとも古い門だということです。



 寺の創建は室町時代中期の明応五年(1496年)。

 当時、この地方を支配していた豪族・中田安斎安行という人物が開創。安行という諱の読みは「やすゆき」ですが、音読みにした「あんぎょう」という地名の由来はこの人物なのだそうです。

 当時は戦乱の世です。安行は多くの人々を殺傷していたので、夜な夜な罪業に苦しんでいました。その苦しみから救ってくれたのは、たまたま当地を行脚していた禅僧だったそうです。その教えに従って草庵を結び、金剛般若経(金剛般若波羅蜜経)を唱えて供養。
 この縁により仏門に帰依して、この地に伽藍を造営し、その禅僧(埼玉県越生町にある龍穏寺七世・節庵良筠大和尚)を開山とし、みずからは開基となって、寺名は金剛経に求め、金剛寺として開創したということです



 ここでも歴住の墓を訪ね、焼香して三拝九拝。



 墓域には安行植木開発の祖・吉田権之丞の墓がありました。
 吉田権之丞の人となりについては、文献等の資料がないのではっきりしませんが、若いときから草花や盆栽に興味を持ち、珍しい草木を集めて栽培をするようになったということです。

 金剛寺をあとにして再び328号線に戻り、この日の本来の目的地である慈林薬師を目指します。



 金剛寺から十五分、慈林寺に着きました。石段の先には文政八年(1825年)建築の仁王門が見えます。



 六年前に改築されたばかり。真新しい薬師堂です。
 この日は拝観することができませんでしたが、御堂の中にはお前立ちにやはり薬師如来の立像。



 慈林寺本堂。
 略縁起によれば、聖武天皇の勅願にて、行基の開創。本尊薬師如来は慈覚大師の作。



 帰りは鳩ヶ谷駅から帰ることとなりました。

この日歩いたところ

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我が花園

2012年06月07日 22時10分04秒 | 

 サイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」に♪Parsley, Sage, Rosemary and Thyme……とあるのに触発されて、去年、アマゾンでパセリ、コモンセージなどの種を買って播きましたが、そのとき一緒に買って播いたのがカモミールです。



 去年実を結んだ種が自然に発芽して育ったのでしょう。カモミールは今年はさらに数が増えて満開。



 コモンセージも花を咲かせました。



 ミント



 花は白く、小さく、可憐なのですが、私としてはあまり増えてほしくないコリアンダーです。これも生命力旺盛です。
 タイ料理やベトナム料理には欠かせぬハーブですが、カレーのスパイスとして栽培しようと思ったのがきっかけなので、大量には必要としないのです。



 イタリアンパセリの花。
 つい先日まで小ぶりながらも葉を青々と茂らせて、レタスやトマトと一緒に我が胃の腑に収まっていました。
 ところが、いまでは一番成長の著しい茎だと1メートルほどの高さになっています。これだけ育ってしまうと、葉は食用に向かなくなってしまいます。それでも、あえて育つにまかせたのは……。

 イタリアンパセリは二年草。今年枯れる定めです。実を結んでくれるかどうかわかりませんが、花を咲かせて、あわよくば……という魂胆があるからです。



 芽吹いて二年目となる我がムクロジ(無患子)です。ヒョロリと一本だけ立った幹はまだ頼りなげで、散歩途上にあるムクロジたちに較べると、無事育ってくれるかどうか。冬の便りを聞くのはまだまだ程遠い先のことですが、我が子への心配は尽きません。



 矮性の桔梗殿がまことに小さな蕾をつけました。

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