桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

こざと公園のダイサギとコサギ

2009年03月03日 22時37分22秒 | 風物詩

 千葉県北西部は、夕方四時ごろから降り出した小雨が六時ごろには霙に変わり、七時ごろには雪になりました。今年二日目の降雪です。

 雨が降り出す前、今日も「こざと公園」へ散策に出ました。
 ダイサギが一羽、コサギが四羽。池の浅いところで身じろぎもせずに羽を休めておりました。このうち、ダイサギのほうは朝から出勤していて、出勤時に見かけていました。目を離さず見ていたわけではありませんが、とどまっている場所は変わっていないようです。

 連日寒いです。
 昨日は陽のあるうちはずっと晴れましたが、先週の月曜日から今日までの九日間で、日照時間は十一時間しかありません。

 寒さに加えて太陽の恵みも少ないのに、播くのが少し遅かったかと思った犬吠埼の菜の花が芽を出しました。隣の鉢に植えた、というより埋めた三つ葉も芽を出しました。スーパーで買ってきて使い切った糸三つ葉(根のところに白いスポンジのようなものがついたやつです)を、スポンジをつけたまま埋めておいたのです。

 流鉄踏切際の店は、朝も夜もずっとシャッターが上げられ、ときおり灯りが点るようになりました。民家の表札を三廻りほど大きくした板に書かれた店名も掲げられました。経営者らしい男の人(四十歳ぐらいか)の人影を見ることもあります。
 長らく無人となる前は寿司屋であったという話を聞きました。幽かな隙間から見ると、いかにも寿司屋らしい分厚そうな板のカウンターと小座敷があるのがわかります。

 フレンチの店になるという人がおります。確かに店名は「何とか亭」とフレンチをやっても佳いような名前にしてあります。
 しかし、外面は寿司屋らしい和風のままです。その外面をいじることなく店名を掲げたのですから、変える意志はないのでしょう。

 おぢさんが帰るころ、このあたりは真っ暗になっていて、人通りもほとんどありません。人通りがないので、空腹感に苛まれている夜は、スーパーで買った調理パンの袋をこのあたりで破ってかぶりつくという、お行儀の悪いこともできるのです。
 開店の日も近いようですが、そんなところに店を開いて大丈夫だろうかと、人ごとながら心配です。

※おまけ。カルロス・サンタナとエリック・クラプトンです。ここでのエリック・クラプトンのギターはベストテイクの一つではないかと思います。
http://www.youtube.com/watch?v=pAf3gqdCrDs
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わが家で和食

2009年03月02日 21時44分55秒 | 料理

 こんなん(画像)買いました。
 日曜日にテレビでCMを視て、夕方、食品の買い出しに出たときに本屋に寄って手に入れました。買おうか買うまいかとしばし逡巡した挙げ句です。

 ここ何年か流行りの週刊形式のムックです。これまで触手を動かされるシリーズはたくさんありました。逡巡したのは、いつ終わるとも知れず、毎週毎週何十冊とつづくと、買えない号も出てきそうだからです。

 全部買わなくても、自分の好きな号だけ、興味を惹かれた号だけ買えばいい、という人もおられるのでしょうが、おぢさんは全部揃えないと、なんとなく落ち著かない性分です。

 買えない号が出るというのは、多くはついつい一週間が経ってしまうことです。一号欠かすと緊張の糸が切れて、つづけて買うのはもういいかと思い、イヤ、やはりつづけよう、と思い直すころにはすでに何週間かが経っていて、買えなかった号は手に入れるのがむずかしい事態になっていたりします。

 こういう形式のムックは溜まると結構重く、いざ読もうというときはその重さが億劫になって、結果的にはツン読になりかねません。あまりモノを増やしてはいけないという自制心も働きます。しかし、ついに買ってしまいました。

 料理は上手くありませんが、つくるのは嫌いではありません。ただ、いかんせん時間がありません。

 平日は勤めを終えて帰ってくるのは、早い日で夜の八時過ぎです。買い物をする必要があって、スーパーに寄ったりしていると、八時半を過ぎてしまいます。それから何かをつくるとなると、食べるのは九時半過ぎになってしまいます。お米も研がなくてはなりません。

 勤めから帰ってくる時点で、かなり腹を空かせている日もあります。
 すると、つい手近な中華料理屋や呑み放題食べ放題のスナックに寄ってしまったり、スーパーで調理パンを買って、薄暗い流鉄の線路際を歩きながらかぶりついたりします。

 調理パンを一個食べたぐらいではやがて腹が減るのですが、再び空腹を覚えるころはすでに寝なければいけない時間です。それから調理を始める気にはとてもならないので、トーストかお茶漬けを食べ足すのが関の山です。
 明日こそ明日こそ、と思いながら、自分で料理をつくる時間ができた試しがない。わかっているのに、そのうち腕をふるう機会もあるだろう、と買ってしまったのです。

 流鉄の踏切際にある店に借り手がついて、おぢさんの夢は少し遠のきました。
 ずっとシャッターが下ろされたままだったころ、その店の前を通るたびに、こんな店が借りられたら、おぢさんが奥で包丁を握り、若い愛人(現実にはおりませんし、そのかけらもありませんが)が接客をするという儚い夢を見ていたのです。

 正しくは、夢、とはいえません。
 夢とは、是非実現させたいと強く思い、そのための努力を惜しまぬことですから……。

 おぢさんの場合は、多分実現しないだろうと思いながら、いたずらに空想しているだけですから、心の中で夢を弄んでいるのに過ぎません。

 大体条件が厳しい過ぎます。店を借りる資金という大前提もさりながら、若い愛人というのがまずむずかしいからです。
 しかし、弄んでいるだけにしても、何も努力をしていないのにしても、夢は夢です。いつかそんな日がくるかもしれぬ ― と思いながら、少しでも料理のレパートリーを増やさんものと、結構真剣なまなこで読んでおります。

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