桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

鬼がこぬ間の観音参り

2021年09月18日 23時26分54秒 | 寺社散策

 今日は観音菩薩の縁日で、ともに観音様をお祀りしている東漸寺と慶林寺にお参りに行かなければなりませんが、生憎台風14号が近づきつつあります。
「鬼」というのはこの台風14号のことです。昨十七日、福岡県に上陸しました。福岡県に台風が上陸したのは統計開始以降初めてだそうです。
 スマートフォンの天気情報を視ていたら、視ていた十時現在は雨でしたが、十一時、十二時と一時的ですが熄む気配。ただし、降水確率はかなりの高さが示されているので、熄んでくれるかどうかはわかりません。そして、午後一時になるとまた雨。ずっと待っていても、熄むことはなさそうなので、しばらく待機して、雨が小熄みになるかもしれない十一時ごろになったら腰を上げましょうと考えていました。
 そして十一時、窓の外ではまだ雨音がしています。スマートフォンを開くと、十一時現在はちゃっかり雨に変わっていて、これでは現状報告であって、予報なんかではない。



 風はほとんどなかったので、強い雨に打たれたのでしょうか。折角の金木犀の花が落ち始めていました。



 東漸寺の側道も金木犀の落花盛んです。



 ヤブミョウガ(藪茗荷)が実を結んでいました。



 まず本堂に参拝します。次に参拝する観音堂には賽銭箱がないので、お賽銭は本堂にあげることにしています。



 本堂から観音堂まではほんの十数メートル。

 東漸寺にお参りしたあとは、いつもの観音詣での日であれば、スーパーなどで買い物を済ませて、一旦庵に帰るのですが、この日は夕方になればなるほど台風が近づいてくる様相なので、慶林寺へハシゴをすることにしました。



 秋の彼岸が近づくと、毎年毎年律儀に姿を現わして花を咲かせる彼岸花。慶林寺に参道で。



 慶林寺では数日前から樹木葬墓地の募集が始まっていました。この画像の左のほうへ行くと墓所があります。



 樹木葬の臨時受付ができていましたが、台風だから様子を見にくる人もいないだろうと踏んだのか、係員らしき人はいませんでした。



 観音像はびしょ濡れです。



 本土寺の参道。強い雨に打たれて、彼岸花も首うなだれています。

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彼岸花

2021年09月11日 21時52分54秒 | 風物詩

 今年も彼岸花が顔を覗かせました。お彼岸が近くなると、毎年毎年律儀に姿を現わします。



 紅葉シーズンにはまだ間があるので、観光客の姿もなく、物静かな本土寺の参道です。

 

 参道のところどころにヒョロヒョロと……。昨日か一昨日顔を出したばかりなので、まだ弱々しく、頼りなげです。



 離れたところに一株だけ慌てもの。明日にでも花開きそうです。競合する相手がないので、土の養分を独り占めできるからでしょうか。



 慶林寺の彼岸花(白)は鉢植えですが、こちらもすくすくと育っています。



 雨がちの天気がつづいたので、しばらく富士川沿いの散策を控えていたら、稲刈りの真っ盛りを迎えていました。



 すでに刈り取りが終わった田んぼも多く見られました。

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2021年九月の薬師詣で・我孫子市

2021年09月08日 21時55分32秒 | 薬師詣で

 今月の薬師詣では千葉市の花見川区を歩くつもりでした。花見川という川に沿うような形で、薬師如来をお祀りするお寺が四か寺もあるのを見つけたのです。
 しかし、問題は不順つづきの天気です。あまり当たらない天気予想もこのところは好調で、今日八日も夕方か夜になると雨、といっていたので、千葉市まで行っていると、帰るころには雨、もしかすると、薬師詣での最中に雨、ということにもなりかねないと考えて、早めに帰ってこられる我孫子に切り替えることにしたのです。先月の薬師詣で(八千代市)につづいて、県を跨ぐ移動は自粛です。
 不順な天候ですが、ただ一つありがたいのは低温注意報が出るほど気温が低いことです。
 九月に入ってから昨七日まで七日間の最高気温の平均は去年が31・6度。対して今年は22・9度という低さ。例年なら残暑の中をフウフウいいながら歩き廻らなければならない九月の薬師詣でなのですが、今日もさほど気温は上がらないという予想なので、助かりそうです。 



 出かける前に地元の慶林寺に参拝。お賽銭をあげて行きます。
 今日向かうのは我孫子の布佐。最初に詣でるのは延命寺というお寺です。以前参拝したことがありますが、薬師如来の縁日ではない日だったので、改めて参拝します。



 常磐緩行線で我孫子まで行き、我孫子始発の成田行電車に乗り換えます。乗ったときから八人掛けのロングシートに坐る人は二人か三人。もちろん立っている客はゼロ、という状態でしたが、私が降りる布佐の一つ前・新木で大勢の客が降りてしまって、電車はガラガラになりました。



 布佐駅で降りました。
 この駅に降り立つのは何度目だろうかと思いましたが(私には五~六度というイメージがありましたが、帰ったあと調べてみると、三度目に過ぎませんでした)、二つ手前の湖北、一つ先の木下ともども近辺には何度かきているので、記憶がゴチャ混ぜになっていたようです。そして前にきたのはつい最近という感覚がありましたが、これも帰ったあと調べて、九年も前だったとわかりました。



 九年経ってもほとんど変わりがないように感じた布佐の駅前です。



 開いているのか閉まっているのかわからないような書店の前を通って行きます。
 ほぼ五十年前、私が初めて社会に出たときの勤め先の広告看板を目にして(著名な雑誌ではありますが、こういう形で目にしたことはないような気がしたので)、ふと若いころの記憶が蘇ってきて、ほんのり胸が熱くなりました。



 布佐駅から十五分歩いて最初の目的地・延命寺に着きましたが、やんぬるかな閉門……と思って近づいたら、「鍵を開けてお入りください」と書かれてあったので、無事お邪魔することができました




 真言宗豊山派のお寺です。忠変僧都という方が文禄二年(1539年)に開山したと伝えられています。
 我孫子市史には「当寺は、ときによって本尊虚空蔵、本堂虚空蔵堂とされることもあるが、什物帳では、薬師如来像を最初にあげていて、本尊は薬師如来であり、それを安置する本堂を薬師堂と称して、ときに本堂と称されていた虚空蔵堂と区別したのであろう」と記されているので、堂内を見ることは叶いませんが、まず本堂にお賽銭をあげて参拝。



 虚空蔵堂。本尊虚空蔵菩薩のほか、左右に不動明王と愛染明王が祀られています。



 九年前に延命寺を訪れたときも眺めて、つげ義春の世界を思わせるような佇まいに感興を覚えたビジネス旅館布佐です。九年も経っているので、電柱横に建てられた看板も色落ちが進んだようです。

 

 延命寺とビジネス旅館布佐の前を走る国道356号線が左へ緩やかにカーブしていたので見えなかった布佐愛宕八坂神社。今日は訪れるところも尠なく、石段もあまり高くなさそうなので寄ってみました。
 大宝三年(703年)の創建。祭神は天之迦倶土命(愛宕神社)、素盞嗚尊(八坂神社)。



 布佐駅の一つ手前・新木駅まで一駅分を歩いて行きます。国道はこれから山の中に分け入って行くような様相を漂わせています。しかし、実際は緩い坂を上り切ると、とくに変哲もない郊外の道になってしまいました。


 国道を歩いて行くのも退屈そうだったので、途中で左折。陸橋でJR成田線を越えます。



 橋を渡り終えると、木立に囲まれた線路沿いの散歩道が現われました。勢至前緑地と呼ぶそうです。成田線を跨いだ橋は勢至橋。勢至菩薩にまつわるものがあるのかと思いましたが、付近には寺も御堂もなく、なぜそのような名がつけられたのかを示すものもありませんでした。



 早くもドングリが落っこちていました。



 七~八分ほど歩いたところで、突然立木が消えて、広々とした空間に出た、と思ったら布佐南公園でした。散歩道はここで終わり。



 国道に戻るため、今度は踏切で成田線を渡ります。



 再び国道356号線に戻って歩を進めます。



 布佐南公園から二十分近く歩いて、気象台記念公園に着きました。
 ここは布佐気象送信所があったところです。地元・布佐出身で第四代気象庁中央気象台長となる岡田武松(生家跡地は我孫子市の施設・近隣センターふさの風になっています)によって、昭和十三年に開設されたものです。初代所長は、後に東北大学教授となる山本義一。藤原寛人(作家・新田次郎の本名)も勤務したことがあります。平成十一年三月に閉鎖となり、跡地が気象台記念公園として整備されました。



 眺め渡したところ、通路を除くと、すべて芝生が張られています。



 気象送信所があったという名残を示すようなものは、この地域気象観測所-通称アメダスだけのようです。



 気象台記念公園から十五分。JR新木駅北口のバス停を通り過ぎて、この日最後の目的地・長福寺に着きました。



 かつて長福寺というお寺があったようなのですが、明治の初めごろに廃寺となり、現在は下新木自治会集会所として利用されています。



 いかにも薬師堂という御堂がありました。薬師詣でを始めてから、このような御堂に出会うと嬉しくてたまらないようになりました。
 お賽銭をあげて参拝したあと、ガラス越しに中を覗いてみましたが、ガラスが埃にまみれているのでよく見えません。辛うじて金色の像が確認できました。やはり金色の十二神将らしき仏たちも確認することができたので、薬師如来であろうと思ったのですが、「我孫子市史」には「石造薬師如来像を安置していたので薬師堂とよびならわしてきたが、いまは本尊千手観音を中心に安置しているので、観音堂とよぶべきかもしれない」と記述されています。
 ただ「(祀られている)千手観音像は、頭上に十一面を頂き、合掌手以下十八手を数える。(中略)明治三十五年に修繕された厨子に納めてある」とあるので、厨子に納められている仏像を私が見ることはできないわけで、私が見たのは薬師如来だったのではないのでしょうか。



 今日のお勤めを終えて、新木駅に着きました。



 慣れていない駅の階段は高所恐怖症持ちの私には鬼門です。新木駅のように、段差があるところに目立つ色(とくに黄色)を配してくれているのは非常にありがたい。

この日、歩いたところ

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悪茄子(ワルナスビ)

2021年09月06日 22時46分14秒 | 薬師詣で

 先月三十一日から今日の昼まで一週間つづいた雨……。久しぶりに拝むことのできた陽射しにつられて散策に出ました。

 いつものようにまず慶林寺に参拝。以前ならその途中で「あるもの」を見ることができたのですが、十日ほど前に通りかかると、すっかりなくなっていました。犬酸漿(イヌホオズキ)という名の野草です。
 調べてみれば、別段珍しくもなんともない野草だとわかりましたが、私としてはこの夏初めて名前を知った草だったので、同じ野草であれば、ヤブカラシやカタバミが生えるのに任せっぱなしの我が庭に一石を投じんものと、実を収穫できそうな時期がきたら、摘んで帰って庭に播き、来年夏の愉しみにしようと考えていたところ、その存在を知った何日かあとに通りかかってみると、他の野草ともども一網打尽にされてしまっていたのでした。
 がっかりしていたところ、今日、久しぶりに通った別の場所で、小さく白い花を咲かせている草を見つけて、しゃがみ込んでじっくりと眺めてみれば、イヌホオズキでありました。
 すわ、と手を伸ばし、黒い実をいくつか頂戴することにしましたが、私が最初に見たイヌホオズキはほぼ花期が終わって、これから黒くなって行くのであろう緑色の実と、すでに黒くなっている実とが半々の割合で混在していたのに、今日見たのはまだ白い花がたくさん咲いていて、実のほうも黒色より緑色のほうが多そうな感じでした。



 久しぶりに仰ぎ見る青空です。

 


 富士川の土手は夏の間に草刈り隊がやってきたようで、夏草は一網打尽にされていました。
 それなのに、野草というのはじつに生命力旺盛です。もう草が伸び始めていると思って覗きこんでみたら、悪茄子(ワルナスビ)が花を咲かせていました。
 種子が家畜の糞などに混じって広がり、垂直と水平に広がる強靭な地下茎を持っています。その地下茎を張って非常によく繁茂するのです。
 駆除しようとして耕運機などで漉きこんでも、切れた地下茎の一つ一つから芽が出て、かえって増殖してしまうのだそうです。除草剤もあまり効かないとあって、一度生えると、完全に駆除するのはむずかしいということです。

 花は白または淡青色で、同じ科のナスやジャガイモに似ていて、春から秋まで咲きつづけるのだそうですから、いまはまだ真っ盛りです。果実は(私はまだ見たことがありませんが)プチトマトに似ています。しかし、全草にソラニンという毒が含まれています。ソラニンはじゃが芋の芽に含まれていることでよく知られている毒ですが、ワルナスビの毒はじゃが芋より強いみたいで、家畜が食べると、場合によっては中毒死することがあるということです。

 牧野富太郎博士の「植物一日一題」という著作の中に、ワルナスビに触れた一項があるので、以下に紹介しておきます。

 ワルナスビとは「悪る茄子」の意である。前にまだこれに和名のなかった時分に初めて私の名づけたもので、時々私の友人知人達にこの珍名を話して笑わしたものだ。がしかし「悪ルナスビ」とは一体どういう理由で、これにそんな名を負わせたのか、一応の説明がないと合点がゆかない。
 下総の印旛郡に三里塚というところがある。私は今からおよそ十数年ほど前に植物採集のために、知人達と一緒にそこへ行ったことがある。ここは広い牧場で外国から来たいろいろの草が生えていた。そのとき同地の畑や荒れ地にこのワルナスビが繁殖していた。
 私は見逃さずこの草を珍らしいと思って、その生根を採って来て、現住所東京豊島郡大泉村(今は東京都板橋区東大泉町となっている)の我が圃中に植えた。さあ事だ。それは見かけによらず悪草で、それからというものは、年を逐うてその強力な地下茎が土中深く四方に蔓こり始末におえないので、その後はこの草に愛想を尽かして根絶させようとしてその地下茎を引き除いても引き除いても切れて残り、それからまた盛んに芽出って来て今日でもまだ取り切れなく、隣りの農家の畑へも侵入するという有様。イヤハヤ困ったもんである。それでも綺麗な花が咲くとか見事な実がなるとかすればともかくだが、花も実もなんら観るに足らないヤクザものだから仕方ない、こんな草を負い込んだら災難だ。
 茎は二尺内外に成長し頑丈でなく撓みやすく、それに葉とともに刺がある。互生せる葉は薄質で細毛があり、卵形あるいは楕円形で波状裂縁をなしている。花は白色微紫でジャガイモの花に似通っている一日花である。実は小さく穂になって着き、あまり冴えない柑黄色を呈してすこぶる下品に感ずる。
 この始末の悪い草、何にも利用のない害草に悪るナスビとは打ってつけた佳名であると思っている。そしてその名がすこぶる奇抜だから一度聞いたら忘れっこがない。



 田んぼはすっかり黄金色です。



 富士川の中州にアオサギがいました。何を見ているのか、川の中ではなく、土手を見上げているように見えます。画像の撮し手である私は橋の上から眺めていますが、彼我の距離は10メートルほど。
 普通なら、私が橋の欄干から身を乗り出した瞬間に、「エーッエーッ」という独特の悪声を上げて飛び立ってしまうものですが、そうしなかったところを見ると、やはり何かに気を取られていたので、私の気配を察することができなかったのか、とみえます。



 この日、摘んできたイヌホオズキの実です。
 黒い
色をして硬そうに見えますが、実際は非常に柔らかく、潰れると紫色の液が出ます。小さなブルーベリーという感じですが、この実にはワルナスビと同じソラニンが含まれています。柔らかいので、摘んだときにいくつか潰してしまいました。
 毒は毒でも、どの程度の毒なのか知識を持ち合わせないので、左の掌の上でコロコロと転がしながら庵に帰り、小さな容器に移し替えるまでは、左手で何も触れないようにしました。
 コロナウイルスの消毒も兼ねて、そのあと念入りに手を洗いました。

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