四月の薬師詣での〈つづき〉です。
標高461メートルの宝篋山も霧で煙っています。
公園を出ると、先ほど歩いたまっすぐな道が再び現われ、この道がなんであるのか、やっと得心が行きました。
いつのことだったのか、はっきりとした記憶はありませんが、仕事で筑波山を訪ねたことがあります。
土浦で、いまは廃線となってしまった筑波鉄道という列車に乗り換えました。この道はその線路の跡で、歩いてきた城址内には常陸小田という駅があったのです。
庵に帰ってから調べてみると、筑波鉄道はちょうど三十年前の昭和六十二年に廃線になっているので、私がきたのはそれ以前、ということになります。
遅れを取り戻そうという考えは、とっくになくしています。
無人の原野を歩いているわけではなし、見渡せる範囲に家はなくても、少し歩けばあるはず。
田園地帯を突っ切って、薬師堂のある千光寺を目指します。
この先、霞ヶ浦に注ぐ桜川を渡ります。画像奥が下流。
桜川を渡ったあと、田んぼ径を歩かなければならないのは覚悟していましたが、畦道だったとは予想外でした。
「いやぁ~、こんな径かよォ」とガックリし、もともと遅れている行程は今後どうなることかと再び諦め直しました。
直前まで雨がショボショボと降ったあとなので、轍を踏み損なうと、濡れた草で靴底を滑らせてしまいそうです。
こんなところですっ転んで、たまたま小石に後頭部を打ちつけたりすれば絶命か、などと考えつつ、遺体が発見されたときは、身分証明書のたぐいは持ってきていないけれども、財布に銀行のキャッシュカードやクレジットカードがあるので、やがて身元は判明するだろうか、などと考えながら歩いています。
畦道らしき径を歩かされたのは一区画だけで、あとはアスファルト舗装された径になりました。ヤレヤレです。
このあと、目的の千光寺がある大曽根という集落に着くまで、軽トラ一台が私を追い越して行き、二台とすれ違った以外に人影は見ませんせした。
人家もありません。建物はありますが、農機具の小屋だったり、肥料置き場だったりして、人がいる気配はありません。
田んぼ地帯を抜け出て、前方の小高い丘の上に寺らしい伽藍が見えると、やっと人家が見えるようになりました。
立ち止まって地図を取り出します。見える伽藍は浄土真宗の常福寺のようです。
田んぼが終わると、上り坂になります。
坂を上って行く途中にありました。農業用水の溜池のようです。堰の向こうが私の歩いてきた田んぼ地帯です。
常福寺には背後から近づいたようですが、坂を上り切る寸前に脇から境内に入ることができました。
浄土真宗大谷派(東本願寺派)の常福寺。
開山は親鸞聖人二十四輩十八番の入信。出家前は常陸国那珂郡久慈(現・常陸大宮市)の領主だった八田五郎知朝という人です。親鸞の弟子となり、専修念仏の奥義を授けられ、入信という法号を授けられました。寺は健保四年(1216年)、久慈に建立されましたが、天文十年(1541年)、現在地に移転しました。
常福寺から三分、やっと千光寺門前に着きました。
門前に到ったときは、事前のシミュレーションから遅れに遅れること五十三分。
これまでの薬師詣でではバスの便が一時間に一本どころか、一日に数本という、綱渡りのようなところをしばしば訪れています。当然、目算が狂って、帰りのバスを逃してしまった、という経験もありますが、幸いにして、少し頑張って歩けば、鉄道の駅がある、というところでした。
ところが、このあたりは最寄りの駅からはかなり離れています。万策尽きた、というときはタクシーを、とも考えますが、これまでの例でいうと、バス便のないところは総じて流しのタクシーも通らないものです。
どうするか……頭を巡らせるのはあとにして、この日、最後の薬師詣でです。
参道を進むと、正面に目的の薬師堂がありました。
天台宗の寺です。開祖は比叡山天台座主三世の円仁・慈覚大師。大師は貞観四年(862年)、宝筐山中で千手の法を修め、中腹に建てた草庵がこの寺の始まりといわれます。
建仁元年(1201年)、小田家の祖である八田知家が宝筐山麓の石崎(現・土浦市小高)に再建し、小田家代々の祈願所としました。その後、兵火によって焼失。天正十四年(1586年)、現在地に再建されました。
常福寺から千光寺を目指して歩いていたとき、左手に小径があり、奥に御堂があるのが見えたので、千光寺参拝を終えたあと、訪ねてみました。
何年か前まではここに説明板が掲げられていたのでしょう。鉄枠だけが残されています。
「つくば市教育委員会」と読み取れる標識は朽ち果てて横倒しにされたまま、捨て置かれています。屋根の形からして薬師堂のようですが、帰って調べてみるまではわかりません。
今日、巡るべきところは、これにて巡り終えたということになりましたが、乗る予定にしていたバスの時間から、すでに一時間以上も遅れています。乗れない、ということは想定していなかったので、次のバスの時間をメモしていませんでした。ここから先の地図も用意していません。
しかし、大きな通りに出れば、別の系統のバスが走っているのに違いない、と考えたので、アテもなくテクテクと歩いたら、幸い学園東大通りという大きな通りに出ました。
薬師堂から三十分ほど歩いたころ、バス停の標識は見えませんでしたが、青年が一人立っているのが見えたので、バス停があるのではないかと急いでみると、花畑というバス停があり、ありがたいことに四~五分待つだけでバスがやってくるようでした。
私が着いてしばらくすると、一組の男女もやってきました。
バスが発車するとすぐ「次は終点つくばセンターです」というアナウンスが流れました。「な~んだ、あと一駅なら歩けばよかった」と思ったのですが、走り出したバスはなかなか終点に着く気配がなく、ブンブン飛ばします。オヤオヤと思っているうち、十分以上走って、ようやく終点に着きました。
庵に帰ったあと、インターネットで調べて識るのですが、つくば市内には電車でいうと、特急や急行に当たるシャトルバスというのがあるのです。歩いていると、ところどころにバス停はあったのですが、シャトルバスは決まったところしか停まらない。たまたまシャトルバスが停まるところでバス停を見つけることができたわけです。
知らずに歩いていれば、悠に一時間はかかったはずです。
三十分も歩く羽目になったけれども、たまたまバス停に出会い、しかも待つこと数分でバスがきた、というのは薬師如来のお陰だったのではないか、と思った次第です。
帰りは先月と同じTXのつくば駅から。
→この日、歩いたところ。