今日十五日は阿弥陀如来の縁日です。今年最初の縁日です。
本尊に阿弥陀如来坐像をお祀りしている、東漸寺に参拝してきました。お賽銭をあげ、阿弥陀様に拝礼しているときに、ふと、そういえば……と思うことがありました。
一週間前の八日は初薬師です。三日後の十八日は初観音です。ともに今年最初の縁日ですから、「初」がつきます。私のほうでも、何年も「初」であることを意識してお参りしてきましたが、しかし、同じ「初」なのに、初阿弥陀という言葉は馴染みがないなぁ、と思ったのです。
初薬師という言葉、初観音という言葉はともに国語辞典に載っていたり、それぞれをお祀りしている寺院のホームページで見つけることができますが、同じ辞書には初阿弥陀、あるいは初弥陀という言葉はないのです。
代わりに初六、あるいは初六阿弥陀めぐりがありました。京都だけにある霊場巡りのようで、第一番の真如堂から第六番の誓願寺までを「順番」に巡るのです。毎月十五日かというとそうではなく、年ごとに変わる功徳日という日があって、必ずしも十五日ではありませんが、年の最初だけは一月十五日と決まっています。
東漸寺本堂。こちらに阿弥陀様がおわします。
去年暮れからこのような掲示板が建てられていますが、年が明けて半月も経つとほぼ無用。私以外に参詣人はいませんでした。
いまどきならでは、かもしれませんが、ちょっと風情がないんではないの? と訝ってしまいます。
阿弥陀様に参拝するのが目的で東漸寺にきたとき(観音様が目的でくる日もあるので)は、開山の経譽愚底上人のお墓にも参拝します。
東漸寺から帰って一服したあと、毎日の日課である慶林寺に参拝しました。
境内にある河津桜です。葉っぱを出している枝が一枝だけありましたが、蕾はまだ小さく硬そうです。
一輪か二輪に過ぎませんが、毎年立春のころに開花を見ることができます。
今年の立春は二月三日ですが、去年の立春は二月四日でした。あと半月と少し。
十一年目の初薬師です。
年明けを迎えるまで、初薬師は佐原へ行こうと考えていました。ところが、ますます猖獗を極める新型コロナウイルスです。
事前に試みたシミュレーションでは、目的の佐原駅に着くまでの所要時間は一時間四十三分。途中、我孫子と成田で乗り換えがあって、待ち時間もあるので、実際に電車に乗っている時間は一時間二十三分です。
私が出かける時間帯、十輛か十二輛編成の電車の四輌目~五輌目あたりだとそこそこの数の乗客がありますが、武蔵野線に関しては西船橋方面・府中本町方面のどちらへ行くにしても、十輌編成の電車の九輌目か最後尾に乗ると決めているので、多分ガラガラであろう。
ところが、ふとこんなことを考えてしまいました―。
乗った瞬間は車内はガラガラで、ソーシャルディスタンスは充分だと見えても、私とすれ違いで新松戸で降りた客が、私が腰を下ろしたシートかその近くに直前まで坐っていて、咳をしたりくしゃみをしたりしていたかもしれない。
決して勘が鋭いとは思っていない自分に、こんな不安がふと閃いてしまったので、とりあえず初薬師で電車やバスに乗るのはやめておいたほうがいいなと思ったのでした。
そこで、初薬師で遠出しても、しなくても、お参りし、今日と十二日だけはお賽銭もあげることにしている地元の慶林寺へ……。
雲一つない快晴です。
本堂から10メートルそこそこの観音像の上空もむろん雲一つない快晴。
コロナ、コロナ、またコロナですが、今年はどういう年になるのでありましょうや。