桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

亀戸を歩く

2013年04月27日 19時48分39秒 | 寺社散策

 テレビのニュースで、五月六日まで亀戸天神では藤祭りが開かれていると知りました。
 我が北小金から亀戸に行くには新松戸、西船橋と乗り換えて総武線で行くか、北千住と曳舟で乗り換える東武線で行くか、の二つの系統があります。
 この日は東武鉄道を選びました。



 曳舟で乗り換えて三つ目・亀戸水神駅で降りました。



 三分足らず歩くと、小さな社が見えてきました。これが亀戸水神です。駅名になっているぐらいだから、そこそこに立派な神社だろうと思っていたので、少し拍子抜けです。
 境内の掲示によると、創建は古く、室町幕府十二代将軍足利義晴の治世のころ(1521年-46年)と推定されています。土民が水害から免れん為の祈願として大和国吉野の丹生川上神社から勧請したもので、祭神は弥都波能売神(ミズハノメノカミ=罔象女神とも表記)という、水を司る女神です。



 蔵前橋通りを横断し、少し進むと、常光寺(曹洞宗)前に出ます。
 創建は不詳ですが、江戸六阿弥陀の六番ながら、江戸を出ると最初の阿弥陀だったので、大いに賑わったということです。
 我が宗門のお寺なので、本堂に参拝したあと、歴代住職の墓所へ。



 蔵前橋通りに戻り、寶蓮寺(真言宗智山派)を訪ねました。嘉元元年(1303年)の創建。創建の地は江戸横山町。
 藤棚の下に椅子とテーブルがあったので、携行してきた握り飯を頬張り、広末涼子がCMに出ている、からだ巡茶で喉を潤しました。



 東覚寺(真言宗智山派)。創建は享禄四年(1531年)。



 龍光寺。ここも真言宗智山派の寺です。弘治二年(1556年)の創建時は江戸横山町。
 恵心僧都・源信作と伝わる薬師如来を収める薬師堂があるはずですが、工事車両が入って境内を塞いでいたので、薬師詣でにきているわけでもなし、入るのはやめました。



 北十間川に架かる明治通りの福神橋。
 この橋を渡れば、私の生まれ故郷・墨田区に入るのですが、墨田区といっても、実際は広うござんす。私の生まれ故郷とはテンで方向違い、馴染みのない土地なので、渡らずに江東区内を歩きつづけます。



 浅草通りはこの奇っ怪な建築物の真下を通って浅草に到る道路です。
 今日がゴールデンウィークの始まりとあって、奇っ怪な建築物は大盛況のようですが、高所恐怖症が募るばかりの私にとっては徹底的な鬼門。上るのはもちろんのこと、見るだけで頭がクラクラします。



 龍眼寺(天台宗)。創建は応永二年(1396年)。本尊は最澄作と伝わる聖観音です。萩寺として著名。



 長寿寺(臨済宗永源寺派)。文明元年(1496年)、円明寺として柳島に創建されたのが始まりです。
 四代彦根藩主・井伊直興(直該とも:1656年-1717年)が本山の永源寺に葬られたのを期に、その戒名(長寿院覚翁知性)に因んで寺号を改めました。ここにも薬師堂があって、薬師如来は行基の作といわれています。

 長寿寺と亀戸天神はすぐ近くでした。小路を折れると、前方に森が見え、神楽の音が聞こえるようになりました。



 境内の心字池には太宰府天満宮にならって男橋と女橋という二つの太鼓橋と平橋が架けられています。過去・現在・未来を表わす三つの橋を渡るごとに心が清められて行くと考えられています。画像に写っているのは三つ目の女橋。



 拝殿前は善男善女の大行列。



 亀戸天神といえば藤。お目当ての藤棚ですが、ほんの少し時期が遅かったようです。



 亀戸の「亀」。今度は亀有の「亀」を見つけなくては……。 



 光明寺(天台宗)。弘治元年(1555年)の創建。



 この日、最後に訪れたのは真言宗智山派の普門院。
 創建の地は橋場で天文二十一年(1552年)のこと。録十年後の元和二年(1616年)、現在地に移転しましたが、梵鐘を川に落としてしまいました。その地が鐘ヶ淵と呼ばれるようになったという伝承があります。
 こういう静かなところにくるとホッとします。高いところと人の多いところは私には鬼門です。



 伊藤左千夫(1864年-1913年)の墓。薄暗いところにありました。

この日、歩いたところ

コメント
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