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桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

欅の紅葉

2008年10月31日 22時18分23秒 | 風物詩

 一昨日の二十九日、松戸近辺は夜七時ごろから一時間弱、かなり強い雨が降りました。私はちょうど会社を出て歩き出したところでした。
 突然強い北風が吹いて、木の葉がパラパラと音を立てたので、早くも木枯らしの到来かと思っているうちに、見る見る地面が濡れ始めました。
 どうせ小雨だろうとたかをくくっていたら、雨脚がどんどん強まって、やむなく雨宿り。小熄みになったのを見計らって駅へ急ぎましたが、駅に着くころにはびしょ濡れでした。

 雨が上がるのも待てずに急いだのは、七時半に新松戸駅前で待ち合わせをしている人があったからです。
 五分遅れで新松戸に帰着。
 雨は上がっていましたが、冬を思わせるように寒い。身体が濡れているので、死ぬのではないかと思えるほどにこたえる。そんな目に遭いながら急いできたのに、待ち人が現われたのは三十分もあとのことでありました。

 北緯35度83分、東経139度92分(私の自宅)の今朝三十一日の日の出は六時一分、日の入りは十六時四十六分。
 今月一日がそれぞれ五時三十五分、十七時二十五分でしたから、一か月で一時間五分も昼時間が短くなりました。

 二十九日、北海道の旭川では初雪が舞ったそうです。



 私の部屋から真下に見える欅(ケヤキ)も、上部がうっすらと色づいてきましたので、記念撮影しました。
 ちょっと早いかなと思いましたが、昨日の朝からスラックスをチノパンツからコーデュロイに替えました。


小岩ふう焼きうどん

2008年10月28日 15時12分16秒 | 料理

 今週は小岩ふう焼きうどんをつくってみました。

 ご存じの焼きうどんとは全然違うと思います。でも、私の中ではこれが焼きうどんなのであります。
 記憶は遙か遠いので、もしかすると勘違いしているかもしれませんが、初めて焼きうどんというものの存在を知り、食べたのは二十五の歳でした。東京・小岩にダカーポという行きつけのスナックがあり、そこで食べたのでした。
 具材は韮(ニラ)と豚の挽き肉だけ。味付けはコンソメ顆粒と醤油だけという至ってシンプルなものです。

 その後、有楽町や池袋の大衆食堂で食べたことがありますが、大概は五目焼きそばやチャンポンの麺類がうどんに変わっているだけで、小岩ふうのシンプルな焼きうどんにお目にかかったことはありません。小岩ふうと名づけた所以であります。

 その店で知り合った相方と一年後に結婚して、以来小岩には行っておりません(多分)ので、まだ店があるかどうか知りません。マスター夫婦は私より十歳ぐらい年上の方でしたので、もう引退されている、と考えたほうがよさそうです。
 もしかすると、私がこの焼きうどんのただ一人の継承者ということになるのかも……。

 フライパンにサラダオイルを入れて、熱くなったところで、韮の茎のほうを入れます。野菜不足だと思うので、韮は二束入れます。
 醤油を適量垂らすと、韮と醤油の焦げる香ばしい香りが漂います。韮がしんなりしたところで豚の挽き肉を入れます。適量(100グラムぐらい)だとすぐバラけていい感じになりますが、パックで買ってきたものを残しておいても仕方がないので、全部入れます。
 量が多いので、火が通るまで時間がかかってしまい、韮がげんなりしてしまうのが一人料理の難点です。

 それなら先に挽き肉を炒めればいいのかというと、それでは韮の香ばしさが出ません。やはり韮が先です。
 肉に火が通ったら、コンソメを適量振り、うどんを入れます。うどんは湯通しせず、包装を破くなりそのまま入れて、ほぐしながら韮と挽き肉を絡めます。全体にサラダオイルが馴染むころには、うどんにも充分に火が通ってアツアツになるはずです。
 韮の葉のほうは火から下ろす直前に混ぜ込み、盛り付け時にうどんの下敷きにするようにします。茎はクタクタになってしまいますが、葉を最後まで残しておくことでシャキシャキ感を残すことができます。

 いまのところ、うどんはシマダヤの「純うどん」以外は不可です。日清や他のメーカー、同じシマダヤでも讃岐うどん、乱切りうどんなども試してみましたが、麺が一様に柔らかくなりません。

 今回かかった費用は純うどん一玉59円、韮98円×2、豚挽き肉236円(レジにて一割引で212円)、〆て467円でした。


がっかり……

2008年10月27日 20時52分08秒 | のんびり散策

 たまには気晴らしをせむ―
 日曜日の昨日、そう思って霞ヶ浦へ行ってきました。
 地図も持たず、ガイドブックも持たず、たまたまきた電車に乗り、たまたまきた電車で帰るつもりの小旅行であります。霞ヶ浦のどこを目指すというのでもないので、土浦へ行くことにしました。
 新松戸発九時三十九分。柏で十分待って土浦行に乗り換え。土浦着は十時四十三分でした。

 改札口を出て左右を見回す。
 霞ヶ浦は左手(土浦駅の改札口は南を向いています)とわかっていましたが、右手(西口)のほうが賑やかそうなので、ひとまずそちらへ出ました。
 イトーヨーカドーがありました。観光案内に亀城公園というのがあったので、駅前のメインストリートらしき通りを歩きました。日曜日なのにというべきか、日曜日だからか、見事に人通りがない。



 亀城公園までは徒歩十五分ほどです。
 土屋氏九万五千石の居城跡です。櫓だけが残っていました。濠には亀がたくさんいて、それがお城の名の謂われかと思ったら、濠に囲まれた土地の形が亀に似ているからとか……。



 お城までの通りには、ところどころに古い家屋が残されていました。
 中には台風か地震がきたら、ひとたまりもないのではないかと危ぶまれるような家もありました。写真はメインストリートにあった佃煮屋です。築何年ぐらいでしょうか。

 駅に戻り、通路を抜けて東口へ出ました。
 そろそろ腹が減ってきました。地図もガイドブックも持たず、とはいいましたが、それなりの計画はありました。
 霞ヶ浦では今月上旬~十二月中旬が公魚(ワカサギ)の漁期、とくに十月下旬~十一月中旬が最盛期だそうですから、天麩羅か唐揚げを摘みに麦酒を呑む腹づもりであったのです。

 しかし、東口は西口に輪をかけて何もない。先に見た観光案内に遊覧船乗り場があったので、そこを目指すことにしました。



 霞ヶ浦観光ホテル前を右折すると土浦港です。岸壁があって釣り人が並んでいました。
 ワタクシは釣り人たちの釣果を横目に見ながら、先を目指します。観光船らしい船が接岸しているのが見えたからです。待合所には観光船客相手のレストランぐらいあるのは当然―と思いました。

 ところがドッコイでありました。接岸していると見えた船は陸に揚げられたシンボルのようなもので、肝心の待合所は取り壊しの最中だったのです。公魚の天麩羅どころではない。コンビニすらないのです。
 帰りは違う道を通りましたが、コンビニが一つあっただけ。

 夕方、徒労というのはこういうことをいうのだと思いながら家に帰って参りますと、ラグビーでメイジトヨタ自動車が負けておりました。ドラゴンズが負けた翌日に、贔屓のチームが連敗です。
 まあ、へそ曲がりのへそ曲がりたる由縁は、ナンバーワンのチームは百万円もらっても応援しないというところにもあるのですから、こういう仕打ちに遭うのも慣れっこではありますけれども……。


椋鳥

2008年10月26日 12時09分21秒 | 風物詩

 昨朝は濃霧でした。
 私はわりと早く目覚めて、カメラ片手にベランダに出ました。ある飛行物体を撮影せむと待ち構えたのです。
 
が、この霧ではとても無理だと諦めて、代わりに我がベランダから見える市街を撮影しました。このような有様でありました。



 私が待っていたのは空を埋めんばかりにして飛んで行く鳥の大群でした。

 八月ごろ、早く目覚めた朝に、南のほうで異様な物音がするのに気がつきました。なんだろうと思っているうち、その音は次第に近づいてきました。
 チッチという啼き声とともにバサバサという羽音も混じるようになって、どうやら鳥らしいと得心したのですが、その数が半端ではない。空を埋め尽くすというと少しオーバーですが、数えられないほどの数でした。
 どういう鳥だろうと思ってWebを調べたのですが、まだ薄暗い空を渡って行くので、羽の色も定かではないし、大きさも見当がつかない。

 よくわからないまま、季節は夏から秋へと移ろいました。朝の訪れがいっぺんに遅くなったように思えます。
 そのときにふと気づくことがありました。その日が曇や雨だと多少遅れることがありますが、日の出が遅くなるとともに、鳥たちの飛行する時刻も遅くなって行くのです。

 私の住む北緯35度83分、東経139度92分の毎朝の日の出の時刻はWebの「こよみのページ」で知ることができます。それと鳥たちが飛んで行く時刻を睨めっこしていると、太陽の動きに忠実に飛んで行く、ということがわかります。

 先日、ブログを検索しているとき、偶然鳥の名前を知りました。
 椋鳥(ムクドリ)でした。

 新松戸のメインストリートであるけやき通りには、夜になっても鳥の啼き声の騒々しい一画があります。
 椋鳥がねぐらにしているのです。並木の下を通ると、チッチチッチとじつにうるさい。うるさいだけでなく、もっと深刻なのは糞害であるらしい。

 今朝は小雨だったので、いつもより出動が遅れたようです。本能とはいえ、太陽の見えない朝でも感心なことだなぁと思っているうち、ふと日の出とともに仕事に出て、日暮れとともに帰る江戸時代の人たちと同じだと感じたことでありました。

 上記緯度経度は、
http://www.geocoding.jp
 で、住所(番地、号まで)を入力すれば得られます。
 こよみのページは、
http://www.koyomi.vis.ne.jp
 です。緯度経度を入力すると、入力した場所の日の出、日の入り時刻がわかります。


変な店 ― その2

2008年10月20日 07時33分27秒 | つぶやき

 ペンディングにしておいた「変な店」の写真を撮りましたので〈つづき〉を書きます。
〈つづき〉というからには、その店がいかに「変」なのかを書かなければならないのですが、それは端折らないとならない事情が出て参りました。

 いきなり端折ってもいけないので、手短に説明しておきますと、店主は趣味でギターをやっとります。サンタナとピンク・フロイドのフリークです。自作のCDまでつくっていて、そのCDを聴かせてもらった限り、ギターはかなり上手い。
 そういう関係かどうか、客の一人にモモという十九歳の女の子がいます。近くのパブだかスナックで働きながら歌の勉強をしているそうです。そうです、というのはワタクシはまだ彼女の歌声を聴いたことがありませんので……。

 その子が女の子だけのバンドを組みたいというのです。もちろんヴォーカルはモモ。
 ギターを弾く女の子というのはそれなりにいるそうです。リードギター、リズムギター、ベースギターと最低三人必要です。集めるのはそうそう簡単ではありませんが、至難の業ではないようです。

 問題はギターとはまったく異質なドラムスです。これを探すのがむずかしい。
 街を歩いていると、ギターを担いでいる女の子はたまに見かけることがありますが、ドラムスはまずいない。もっともワタクシがドンガンドンガンやっていた四十年以上昔は、太鼓3、シンバル2、カウベル1とセットは極めてシンプルでした。バスドラムを運ぶのはやや荷が勝ち過ぎることもありましたが、両肩と背中を使えば、運べないわけでもなかった。

 しかし、いまのセットはそれぞれ倍以上の数になっているのですから、とても人力では運べない。ドラマーらしい女の子を街で見かけないのは当然であります。
 思い返すと、何年前か憶えがありませんが、トートバッグにドラムスティックを入れて歩いていた女の子を見かけたことがありました。しかし、どこだったか記憶がないし、いまさら探せっこない。
 そこで、ようやく〈つづき〉を端折って、本題です。

 女性ドラマー募集! 年齢は二十歳前後。キーボードやギターも募集。

 松戸近辺でお心当たりのご当人、もしくは知っているという方があれば、コメントを投稿してください。

 これで効き目がありますかな。



 ようやく店の写真を撮ることができました。
 店名が掲げられ、暖簾が出ている右の方ではなく、その左-シャッターが下ろされ、赤い車(店主の車だそうです)が前に停まっている店です。
 店名は寫楽といいます。
〈つづき〉の本題が蛇足みたいになりますが、平日の開店は午前零時。モモのように、近辺の店で働くおねいさんたちが仕事を終えてから寛ぐ店なので、カタギには無縁の店であります。


常夜鍋

2008年10月19日 16時27分22秒 | 料理

 風邪を長引かせてしまった最大の原因は食生活であろうと、今日十九日になって自問自答しています。

 松戸に引っ越してから偏食になっていました。前は勤務先まで徒歩五分という社宅もどきのアパートに住んでおりましたので、朝夕は簡便ながらも自分で調理をし、昼は弁当を持って行っていました。
 ところが電車通勤をするようになったら、通勤時間は往復八十分と七十分も増えて、自分で調理をしている時間がなくなりました。
 朝はカップ麺か買っておいた握り飯。昼はスーパーで買った弁当。夜はラーメン屋か定食屋、あるいはまたスーパーの弁当という具合です。  

 外食・中食をしていると、不足するのは野菜類と乳製品です。
 それが自覚症状として現われるのか、無闇に野菜を食べたくなることがあります。キャベツを買ってきて千切りにし、丼に山盛りに盛ってマヨネーズで和えて食べたりします。
 しかし、丼一杯の千切りをつくったとしても、使えるのは精々四分の一です。思い切り食べてしまうと、二日つづけて食べる気は起きないので、残りは腐らせてしまうこととなります。

 そういうときに、ある雑誌で見つけたのが常夜鍋(とこやなべ)でした。
 レシピによれば、一人前は豚バラ薄切り100グラム、小松菜三株、水2カップ、練り辛子と醤油適量ということですが、スーパーで売っている小松菜は一袋に六~七株あります。豚肉も200グラム以上です。残しておいても仕方がないので、二人前つくることにしました。



 一人暮らし用の小さな鍋しか持っていませんので、全部は入りません。入らないついでに、ほうれん草や春菊、榎茸なんかも入れちまうか……ということで、テンコ盛りの常夜鍋となりました。

 野菜を半分に切りながら、鍋の一番下に昆布を布き、水は三分の二ぐらいにして、残りは料理用の日本酒を入れます。日本酒を入れる、というのはレシピにはない。
 常夜鍋に限らず、鍋物はすぐに食べられるのがありがたい。
 レシピには辛子醤油……、と、ありましたが、つくるのは面倒なので、味ぽんを使用。
 グツグツと煮立ってきたら、早速味見。とにかく煮えたそばから食べて行かないと、材料が残ってしまう。
 うむ。なかなかイケル。涼しくなってきたので、鍋のアツアツ感もいい。

 常夜鍋というのは毎晩食べても飽きないというのが名前の元らしいのです。
 手近な資料で調べると、昆布と日本酒をダシにするのは結構一般的で、白菜、椎茸、豆腐などを加える地方もあるようです。要するに寄せ鍋の一つのバリエーションでありますな。
 全部食べ終えるのに、都合鍋三杯ということになりました。

 これにて一週間分の偏食は解消されたつもりになっております。


金木犀(キンモクセイ)

2008年10月16日 10時57分09秒 | 

 風邪をひきました。夏風邪ならぬ秋風邪です。
 勤めは休まなかったのですが、帰宅したあとはグッタリしてしまって、何もする気が起きません。
 一時は首位を窺うか、というところまで迫ったドラゴンズがいつの間にかBクラス転落の危機を迎えていたのも、風邪に対する抵抗力を奪っておりました。

 寝込む-
ということはなかったのですが、いつまでも咳が止まらない。夜中、急にゴホゴホとやり始めて目を覚まし、しばらく朦朧としたままで起きている。勤めがあることを考えると眠らなきゃいけないと思って、呑みたいのではないが、焼酎に手を伸ばす。
 浅い眠りを貪って朝を迎えますが、軽い宿酔(ふつかよい)となんとなく寝不足かなぁ、と思いながら出勤。
 夕方になると欠伸(あくび)が出て身体もだるい。ドラゴンズのせいで気力も沸かない。
 疲れて家に帰り、早めに就寝するのですが、寝就いてしばらくすると、恒例になったように、咳で目覚めます。

 翌朝はまた寝不足気味で出勤。歳も如実に顕われてきているなぁ、と思ったりしているうちに、三週間もブログの更新をサボっておりました。
 風邪をひき始めて一か月以上も経った今日もたまに咳が出ます。

 その間に金木犀(キンモクセイ)の花が咲き、満開になり、散り始めていました。



 私の住むマンションの裏手に十本ほどの並木があるのを、先日初めて知りました。マンションのすぐ後ろを走る武蔵野貨物線の土手下に植えられています。

 新松戸の駅へ出るのにはマンションの裏口を出て、キンモクセイの並木の下を歩くのが一番近道なのですが、片側は貨物線、片側はマンションという味気ない道なので、遅刻しそうなとき以外、ほとんど利用することがありません。何日も気づかなかったのでした。

 キンモクセイは虫媒花です。ところが、花に近づくのはハナアブというアブの一種だけだそうです。
 調べたところ、花の香りの主成分のうち、γ-デカラクトンという成分がハナアブ以外の他の虫を敬遠させるらしい。樹木も草花も虫を寄せつけてこそ次代の繁栄があるはず。それなのに、キンモクセイには客を限定しようという気位の高さがある、というか、へそ曲がりなところがある。共感を覚える花です。

 ずっと雨のつづいた月曜日がようやく晴れたと思ったら、火曜日は昼ごろから雨になりました。会社帰りに駅前のスーパーで買い物をしなければならないときに雨というのはじつに鬱陶しい。
 しかし火曜日の夜は、なぜかのどかな気分で歩いている自分がいました。キンモクセイの花がすでに散りかけて、匂いが薄くなっているのが頃合いでありました。

 蛇足ですが、ハナアブの仲間にはビルゲイツハナアブとポールアレンハナアブという新種がいるそうです。億万長者の二人が双翅目という蝿の仲間の研究に寄付をした功績だそうです。

 写真の左手前にも三本のキンモクセイがあります。高木のキンモクセイが十本も並んでいるのは珍しい。よってこの通りは、私によって金木犀通りと名づけられました。