今月の薬師詣で。あいにくの雨です。
地元の慶林寺に参拝したあと、新松戸で武蔵野線に乗り換え、西船橋で総武緩行線に乗り換えました。
新小岩駅で降り、北口に出ました。
新小岩駅から十七分歩いて徳正寺に着きました。
天台宗の寺院。本尊は阿弥陀如来・永世十年(1513年)、現在の押上に創建、僧存慶が中興したと伝わっています。関東大震災後の昭和二年五月、当地に移転しました。
徳正寺から八分。今日の目的地・東光寺山門前に着きました。
東光寺は真言宗豊山派の寺院で、本尊は薬師如来です。
「新編武蔵風土記稿」には「(薬師如来の)腹籠に行基の刻せる四寸許の木像を秘めをけりと云」と記されています。また「開山は詳らかではないが、第二世の空秀という僧侶が示寂したのが寛文四年(1662年)というから古い寺ではない」という記述がありますが、葛飾区教育委員会の「葛飾区寺院調査報告」によると、創建はそれより七十年近く前の慶長元年(1596年)。
東光寺から次の上品寺を目指す途中、遊歩道のような小径があったので、歩いてみました。
東光寺から七分で上品寺。ここも真言宗豊山派の寺院。創建年代は不詳ですが、享保元年(1716年)、伝祐が新義真言宗正福寺(葛西)末として一寺となったと伝えられます。境内閻魔堂の閻魔王像は、江戸十六閻魔の一つとして信仰されていました。
閻魔堂の傍らにには、
「当寺は新義真言宗にして、八幡山来迎院という。 この閻魔堂に安置される閻魔大王坐像は、高さ206cmあり、かつて江戸16閻魔の一つとして栄え、区内最大のものである。 閻魔大王は、地獄に住み18の将良と8万の獄卒を従え、死して地獄に落ちくる人間の生前の善悪を正し、罪あるものには、苦しみを与える冥王として信仰する人が多い。 当寺の閻魔は、江戸中期にもっとも盛んに信仰され、昭和47年に閻魔堂が新築され現在に至っている」
という葛飾区観光協会の説明板がありました。
今回は雨に祟られたこともあり、この三か寺を巡っただけで帰路に就くことにしました。
結局、雨は一日降り熄みませんでした。
地元に帰ってくると、早くも彼岸花が咲いていました。