今日は朝のうち、ほのぼのと暖かく、たまに吹いてくる風は少し冷たいと感じる、いかにも春らしい陽気でした。
我が庵では連日夜明けごろに鶯(ウグイス)の囀りを耳にしますし、今朝の出勤時は市川大野の里山でも啼いているのを聴きました。
暖かいせいか、「こざと公園」の鷺(サギ)はコサギ七羽、ダイサギ一羽とまた少し増えました。
さて、谷中延命院のつづきです。
岩田長十郎は道暁にうまいこと取り入って延命院にもぐり込みます。名前も柳全と改めて納所坊主となりました。
しかし、天性のワルが姿形だけ坊主になっているだけなので、いつも悪事と金儲けを企んでいることは一向に変わりません。
このころ、住職は老病で立ち居もままならぬ状態でした。法事があれば、すべて道暁が代行しています。
道暁が留守にしている間、柳全は住職を甲斐甲斐しく看病するふりをしていましたが、やがて莫迦らしくなって絞め殺してしまいます。さらに道暁を後住にするという遺言まで偽造。
何も知らぬ道暁は先師の志を継いで住職に納まり、名を日道(一説では日潤とも)と改めます。
日道が真面目なままでは柳全のよこしまな心は満足できません。先住を我が手で絞め殺した、と明かしたのかどうかわかりませんが、偽の遺言のことは明かし、日道が住職の座を継げたのは自分のおかげであると脅したりすかしたりして、ワルの道へ引き込もうと必死です。
ここに到って日道の道念もついにほころびを見せ始めます。
丑之助時代の日道とはなさぬ仲であり、菊五郎変死の原因となったお梅はこのころ、世間の噂になるのを避けて、市ヶ谷の尾州家上屋敷に奉公に出されていました。
両親が娘の将来を慮って奉公に出したというのに、娘のほうはノー天気です。丑之助が戯れ歌を書いた扇子を見せびらかしながら、朋輩たちに昔の艶事を自慢していました。
それを漏れ聞いたのが尾州家上屋敷の中老です。
名は梅村といって、まだ二十三歳という女盛り。男子禁制の生活の中で、情欲の炎がむらむらと燃えさかるのを止められなくなってしまったのです。
そして、お梅ごときが自由にできた男を、主人たる自分が自由にできぬはずはない、と妙な理屈を思いついて、延命院を訪ねます。
下心は下心として、多額のお布施を包んで行ったことでしょう。柳全こと岩田長十郎の思う壷です。
一方、日道は金銭上のワルには柳全の意に従わざるを得なくなっていましたが、女犯というワルは夢にも考えていなかった。その頑なさが梅村の心をいっそう揺さぶることになったのかもしれません。
秋波を送っているのに、一向になびこうとせぬ日道の前で、梅村は懐剣を抜いて、みずからの喉を突こうとしました。寺の中で女-しかも尾州家上屋敷の中老-に自害された、とあっては手の施しようがなくなります。
いまであれば、いかなセレブであろうと、運転手つきの高級車で乗りつけるのがせいぜいでしょうが、この時代の御三家御中老となれば、前後四人の陸尺が担ぐ乗り物(駕籠)に乗り、何人かの侍女、供侍を従えています。いくら悪知恵の宝庫のような柳全がいても、それだけ大勢の人の口を塞ぐことは不可能です。
日道、やむなく肌を露わにすることと相成りました。
日道はある意味では相手にする女に恵まれなかったといえるかもしれませんが、所詮自業自得です。
梅村には日道をモノにしただけでは飽き足りぬ、という変態的なところがありました。目的を果たして屋敷に戻ると、お梅相手に、首尾上々のことをこれみよがしに自慢したのです。
お梅としてはたまらない。用事で出向く先出向く先で、梅村が延命院でどのような御利益に預かったかを吹聴して鬱憤を晴らした。それがかつて恋仲だった丑之助の命を縮めることになろうとは考えもしません。
この種の噂は拡がるのが疾い。大名屋敷の奥向きでは、あっという間に延命院詣でが大流行となってしまいました。