桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

東漸寺・迎春の準備整う

2020年12月27日 18時38分08秒 | 風物詩

 今日二十七日は私の月誕生日。
 本当の誕生日は七月二十七日なのですが、いつか私がこの世にお別れを告げたとき、その命日に弔ってくれる人はだれもいないので、いつのことであったか定かではないのですが、二十七日の月誕生日を自分の月命日と考え、この日には私の干支の守本尊である阿弥陀如来を本尊としてお祀りしてくださっている東漸寺にお参りすることに決めたのです。



 お寺の前を走るのは旧水戸街道。いつもの年とは違って、門前にはコロナ禍による、大晦日や初詣の行事の変更を伝える看板が出ていましたが……。



 境内に入ると、すでに提灯が提げられていました。



 観音堂にも幔幕が張り巡らされています。



 手水鉢を囲む竹も真新しい。



 本堂に参拝して、阿弥陀様にこのひと月(先月の月誕生日から)無事で過ごさせていただいたことを感謝し、心ばかりのお賽銭を……。



 本堂右手の墓所にある歴住の卵塔にも参拝。

 

 鐘楼塔下には篝火の台と薪が用意されて、出番を待っています。

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2020年冬至

2020年12月21日 18時20分30秒 | つぶやき

 今日は冬至。
 最低気温は今冬四度目の氷点下でした。前に氷点下を記録したのは今月十六日~十八日ですから、間髪を置かぬ二度目の寒波襲来です。
 冬至だ
からといって、昔のように柚子湯に入るわけでもなし、南瓜を食らうわけでもなし、いつもと変わりのない日常なのですが、今朝はここ数日では少しばかり体調がよかった(悪くなかった)し、好天でもあったので、このところお昼近くになったり、ときには午後にしてしまうこともある日々の日課(慶林寺参拝)に出かけましょうか、と思ったのは十時ごろのことでした。
 サ~テ、と腰を上げかけて、ふと思い出したことがありました。

 いまの住まいに引っ越してきて、十一年目の冬を迎えていることになります。ボロアパートですが、陽射しだけはたっぷりとあって、冬の間は部屋の奥のほうまで陽が射し込むのです。
 何年目のことだったでしょうか。一番長く陽射しが射し込むであろう冬至の日に、一体どこまで射し込むものか、メジャーを用意しておいて、測ってみようと思ったのです。
 思ったのですが、そう思ったのは冬至の日の三日か四日前。当日はあいにく曇りであったか、晴れだったのにうっかり忘れてしまっていたか。測るのを忘れました。
 あっと思ったのは冬至の日から三日か四日あと。そんな繰り返しを何年も何年もつづけてきました。

 サ~テ、と腰を上げかけて、そうしたことを思い出したのです。
 で、体調的にいつでも出かけられた慶林寺参拝に「待った」をかけました。



 太陽の南中時近く(午前十一時二十一分)、時計の針と太陽の位置とを交互ににらめっこして撮影した画像です。この日の南中は十一時三十八分でした。
 庭に面している六畳の居間を通り越して、アルミサッシの窓から畳三枚(約87センチ×3)
分+敷居(9・5センチ)を超え、次の部屋まで射し込むこと5センチ。合計約2メートル80センチでした。



 無事計測を終えて、日課の慶林寺参拝に出かけました。上空は一点の雲もない快晴でした。


 我が地域の日没は、今月の一日に一年のうちでは一番早い四時二十七分となり、冬至の今日は四時三十一分ですから、実際はこれから寒さが厳しくなるとはいっても、すでに春に向かっていると考えてもいい。
 ちなみに、このブログを書いているのは、すでに陽も落ちた時刻ですが、今日一日の日照時間は九時間六分。 この季節では考えられる限り最長の日照時間です。つまり、太陽が出ていた間はずっと晴れも晴れ、一片の雲も出なかったということになります。

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冬景色

2020年12月14日 22時29分51秒 | 風物詩

 今冬初の寒さです。外出時、これまで着てきた中綿だけのジャンパーで出ましたが、帰ったらダウンジャンパーを出さなければ、と思うような寒さでした。



 お昼ごろまでは眩しいばかりの陽射しがあったのに、昼を過ぎると怪しい雲行きに……。ただ、雨にはならないようです。



 慶林寺参道入口の河津桜(カワヅサクラ)はほとんど葉を落としてしまいました。



 毎年、大晦日から元旦にかけての初詣では、先着順で記念品をいただけるのですが、今年は中止。



 参道に咲き残っていた牡丹臭木(ボタンクサギ)です。残り二輪のみとなりました。



 富士川には蒼鷺(アオサギ)がいました。なぜか川の中ではなく、土手の上。



 雲も寒々しく、すっかり冬景色です。

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2020年終い薬師・三郷市~吉川市(2)

2020年12月09日 22時57分18秒 | 薬師詣で

 2020年終い薬師の〈つづき〉です。
 
圓明院から彦成公民館までは二十分弱。

 なぜ公民館などを訪ねるのかというと、かつてここには薬師如来を祀る東福寺という寺があったと考えられているからで、記念碑とか、もしかしたら薬師如来にまつわる何かが残されているのではないか、と考えたからです。

 行ってみると、昔の参道ではないかと思われる径の突き当たりに、左右に分けて二本の門柱が建てられていて、左側には東福院、右側には實相院という二つの寺の名が記されていました。奥に集会所らしき建物があります。
 ともに三郷市彦糸地区にあった寺院ですが、いまは廃寺です。門柱があるのは当地が東福寺のあった地でないか、と考えられているからのようです。三郷市教育委員会が発行している「寺院・仏具調査報告書」という史料によると、「東福院」ではなく、「東福寺」となっていますが、なぜこのような齟齬が起きてしまったのかわかりません。

 東福寺、実相院とも、創建年代は不詳です。彦糸地区には、現存している安養院(このあと訪ねます)のほか、東福寺・千手院・聖徳寺・実相院・常楽寺があったといい、いずれも先に参拝を済ませた圓明院の門徒寺でありました。




 敷地内にはやはり左右に分かれて二つの小御堂がありました。左側にあった御堂です。
「新編武蔵風土記稿」には東福寺の本尊は「薬師」と記されていますが、この石仏が
薬師如来であれば、薬壺を持っているはずの左手には拈華を持っているので、薬師如来ではなく観音菩薩のようです。




 公民館前から「コ」の字を描きながら進むと、彦成女躰神社がありました。



 女體神社前から安養院までは二~三分でした。ここも2015年十月以来、五年ぶりの訪問、2012年九月と併せると、三度目になります。



 安養院本堂。以前は先の圓明院の門徒寺でしたが、現在は真言宗系単立寺院。開創は慶長十五年(1610年)。本尊は阿弥陀如来です。



 三郷
市指定の天然記念物・樹齢約六百年といわれる安養院の大イチョウ(公孫樹)です。
 かつては樹高28メートル、目通り4・6メートルもある巨樹だったそうですが、昭和五十七年の台風(八月二日に愛知県渥美半島に上陸した台風10号)で根が損傷して生育不良となり、枝を剪定することによって、現在は高さ約10メートルまで伐り詰められています。
 銀杏も一石三斗(約234リットル)ほども実ったということです。この銀杏の実は「厄除けの実」といわれ、正月の三日間のうちに近郷の善男善女が境内に集まって、家族の数だけもらって帰り、それを食してその年の無事を祈願したといわれます。




 安養院をあとにすると、三郷市から吉川市に入ります。
 前回(といっても、八年も前の2012年九月のことです)きたとき、持っていた地図では寺があるとわかっていながら、入口が見つけられなかった長福寺です。今回はすんなり見つけて入ることができました。




 密蔵院。真言宗系単立寺院です。2012年九月につづいて二度目。



 本堂前に聳えるのは、こちらも大イチョウ(公孫樹)です。高さは約30メートル、太さ5・34メートル、根回り約12メートルという大きさは関東一といわれています。ただ安養院のイチョウに較べると、落葉が早いようです。

 


 密厳院の北隣。この日最後に訪れた真言宗豊山派寺院の観龍院です。ここも二度目。



 頭を擦ると、ぼけ除けになるというので、みんなが擦ります。よって頭だけピカピカに光っています。初めてきた2012年九月、まだ「ぼけ」には縁遠いと思いながら、折角だから擦っておきましょうと手を延ばしました。そして今回、自覚症状はまだまだなく、大丈夫であろうと思いながらも、初めてきたときから八年も経っているわけですから、もしかしたらという気がしないでもなかったので、再び手を延ばしました。



 帰りは吉川駅から。

 2011年の正月八日、柏市にある酒井根薬師堂参拝から始めた薬師詣では、まる十年目を無事終えることができました。

 この日、ピアラシティ南でバスを降りてから吉川駅に辿り着くまで、歩いた距離は概算で7・5キロ。足が棒のようになる、という喩えがありますが、本当に棒のようになって、最後はヨチヨチ歩きしかできませんでした。すでに吉川駅近くまできていたこともあり、気力を振り絞って歩きましたが、十年という歳月が経ってみると、体力が衰え、脚力も衰えたのをひしひしと感じさせられました。

この日歩いたところ

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2020年終い薬師・三郷市~吉川市(1)

2020年12月08日 19時19分17秒 | 薬師詣で

 2011年の正月八日、柏市酒井根にある薬師堂参拝を皮切りに始めた薬師詣で。まる十年目となる今年の最後、すなわち終い薬師の日を迎えました。



 コロナ禍は収まりそうもない-むしろますます烈しくなりそうな勢いですが、先月八日は五月以来自粛していた遠出(電車に乗る外出)を敢行して、埼玉県川口市を歩きました。電車に乗っていた時間は往復四十六分。バスにも乗りましたが、こちらも延べ三十分ほど。どちらもガラガラという状態で、対面したり、長時間一緒に過ごしたような濃厚接触者はゼロでした。
 そこで今月もほんの少しの遠出を試みて、埼玉県の三郷市から吉川市にかけて歩くことにしました。

 これまでどおり、まず地元の慶林寺に参拝して、お賽銭をあげて行きます。午後になると、曇ってしまいましたが、午前中は雲一つない快晴でした。



 先月三十日のブログで紹介した、慶林寺の参道にわずか一枝だけ咲き残っているボタンクサギ(牡丹臭木)です。内心、もしかしたら年を越すかも、と思っていましたが、残りはわずか数輪。年越しはどうも怪しそうです。



 新松戸で武蔵野線に乗り換えて、三郷駅で降りました。
 南口に出て、マイスカイ交通というバスに乗ります。



 乗車時間は十二分。ピアラシティ南入口というバス停で降りました。
 道路に立って周囲を見廻すだけでは何がなんだかわかりませんが、ピアラシティというのはイトーヨカドー、MOVIX(シネマコンプレックス)などがある、埼玉県内有数の複合商業施設です。



 航空写真で見ると、蛸の足のようになっている三郷インターの高架下をくぐり抜けて行きます。



 歩き始めて十二分。二合半用水路を渡ります。
 いまも用水路として使われているのかどうか。現在の松伏町、吉川市、三郷市一帯の灌漑用水として、寛永年間(1624年-45年)に開削されたものです。



 用水路を渡ってすぐ、妙な物音がすると思ったら、こんなんがいました。



 バスを降りてから二十五分歩いて、今日最初の目的地・東光院に着きました。真言宗豊山派の寺院です。
 創建年代は不詳とされていますが、次に訪れる上口香取神社の別当であったと伝えられています。



 本堂右手にあった薬師堂に参拝。
 資料がないので、どのような薬師如来が祀られているのか不明です(三郷市のホームページには彩色の立像が紹介されていますが、由来は記されていません。画像をここに添付しようとしましたが、コピペすることができませんでした)。
 この御堂には賽銭箱がなかったので、お参りしただけで、お賽銭は本堂の賽銭箱に。



 東光院の左後ろにある上口香取神社です。



 上口香取神社から四分で延命院に着きました。
 ここも真言宗豊山派の寺で、元亀年間(1570年-73年)、俊秀という僧侶が開山したと伝えられています。山門右奥に写っている青い屋根が本堂で、本尊は不動明王です。
 境内にある虚空蔵堂は、縁起によると文明十八年(1486年)に古刀禰川(現在の中川)より虚空蔵菩薩が出現したので、村民が一堂を造ってこれを安置したのが始まりと伝えています。虚空蔵菩薩は伽羅木の立像で、像高二尺(約60センチメートル)、弘法大師の作であると伝えられています。




 前の画像で、山門真後ろに写っている虚空蔵堂。




 延命院から八分で密蔵院。
 戦国時代の武将・石川数正(1533年-93年?)の菩提を弔うため、家臣だった下館祐胤(すけつぐ)という人物が建立したと伝えられています。祐胤自身が出家して、名を祐胤(ゆうえん)と改め、第一世の住職となったそうです。
 前の延命院と同じく本尊は不動明王立像。総丈二尺八寸(約144センチ)、「良源歳貮拾七才の時、此れを作る」という墨痕が残されているそうです。良源(912年-85年)とは元三大師、諡号は慈慧大師。




 密蔵院
から玉蔵院までは七分。ここも真言宗豊山派の寺院です。
 江戸高田(現在の東京・豊島区高田)にある根生院の隠居寺として、慶長十一年(1606年)に建立されたといわれています。

 本尊は阿弥陀如来。平安末期の作。



 境内には薬師堂らしき小御堂がありましたが、扁額もなく、堂内は暗くて何も見えないので、薬師堂なのかどうかよくわかりません。ただ、屋根の形と「新編武蔵風土記稿」に「薬師堂」がある、という記載があることで、ここしかないと思って参拝しました。



 玉蔵院から二十分近く歩いて、圓明院に着きました。五年前の2015年十月の薬師詣でで参拝にきています。
 室町時代末期の永正年間(1504年-21年)に祐円法印が開山、天文三年(1534年)に祐日法印が中興したと伝えられています。


 圓明院本堂です。
「新編武蔵風土記稿」には本尊は不動明王で、興教大師・覚鑁の作であると記されていますが、山門横に建てられていた掲示板には「
この寺の本尊は薬師如来であるが、内陣にある木造不動明王立像がよく知られている」と記されていました。

 このあと、彦成公民館を訪ねます。〈つづく〉

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