四月の薬師詣では船橋市を歩きました。埼玉県の熊谷に行こうか、と考えていたのですが、先月に崩した体調が充分には元に戻っていないのと、夕方は雷をともなうような烈しい雨になるかも、という天気予報だったので、大事をとって近場の船橋を歩くことにしました。
船橋駅で降りて、しばらくは京成電車の高架に沿って歩きます。この先に目的の宮本薬師堂があるのですが、つい先日まで、こんなところに薬師堂があるとは知りませんでした。周辺は三年半前、2018年の終い薬師で東光寺を訪ねるべく歩いたところです。
クネクネと曲がった路地の先に突然現われた薬師堂。船橋駅から二十分で着きました。意表を突く造りの御堂に大きな文字で「藥師堂」とあったので、びっくりしてしまいました。
詳細は詳らかではありませんが、八千代市を中心に営まれた吉橋大師八十八所霊場の二十四番です。かつては西光院という寺があり、大師堂があったようです。
薬師堂から七分のところに慈雲寺があるので寄って行きます。我が曹洞宗のお寺。2018年の終い薬師のときにも参拝しているので、二度目になります。開山は鎌倉時代、宋から来日した無学祖元です。
今日八日は花まつり(灌仏会)でもあります。本堂に設えられた花御堂に参拝します。
曹洞宗のお寺なので、歴住の墓所に参拝、焼香。
次の目的地・能満寺に到る途中の道路です。
人一人がやっと通れるような歩道。やっと、どころか、電柱があったりするので、スタスタと歩くわけにはいきません。おまけにガードレールの役目は果たせないような危なっかしい柵。反対側にも同じような柵のチャチな歩道。
どうせならどちらか一本にして、その分広くすれば……と思うのですが、同じ千葉県だからかどうか、我が松戸市も流山市も、道路管理者に出来上がったあとで歩いてみたことがあるのでしょうか、と訊いてみたいような歩道が多いのです。
この日は夕方、雷をともなうような烈しい雨になるかも、という天気予報。いつの間にか黒雲が現われ、風も冷たく変わってきました。
慈雲寺から四十分以上歩いて二つ目の薬師詣で、真言宗豊山派能満寺にやってきました。
本尊は虚空蔵菩薩。「船橋市史」には「天和二壬戌年(1682年)三月創立、(中略)尊慶法印開基」とあります。
本堂左に薬師堂がありました。
千葉県道8号を七分歩いて、無量寺を訪ねました。ここも真言宗豊山派の寺院ですが、無住でした。「船橋市史」には「幕末安政元年(1854年)前後には、順法尼という尼僧が住持していた」とあります。
千葉県道8号を西に向かってさらに進むと、海老川にぶつかります。桜(ソメイヨシノ)はほとんど散ってしまいましたが、サトザクラでしょうか、川沿いには満開といっていい桜が残っていました。
無量寺から長福寺までは二十分。十年前の五月に参拝したことがあって、訪れるのは二度目です。
ここも曹洞宗のお寺なので、歴住の墓所に参拝します。
墓所の奥にネットで通せんぼされた径がありました。林の中にあるはずなのは夏見城跡ですが、見ることは叶いません。
詳細は不明ですが、永禄のころ(1558年-69年)には、夏見政芳という人物が城主であったことがわかっていますが、どのような人物であったのかはいまのところ知る手がかりがないようです。長福寺はこの政芳によって再興されたと伝わっています。
このあと、最後に目指すのは薬王寺(真言宗豊山派)です。長福寺と同じ日に訪れていますが、そのときは本堂が修復工事中だったので、改めて参拝に行くことにします。
能満寺まで行くので、薬王寺に寄って帰ろうと決めたとき、前にきたのはいつだったろうと思い返して、2013年五月の薬師如来の縁日だったとわかりましたが、十年も前なのに、ついこの前……という思いがします。
十年前にきたときは鉄柵が閉ざされていました。てっきり参拝は叶わぬものと諦め、門前で拝礼したのですが、今日とは逆で、向かって左手・船橋駅から歩いてきたとき、一つ前の角に、「日枝神社参道入口」という掲示があるのを見ていました。
閉ざされた鉄柵を前にアテが外されたような思いでいたので、普段であれば、お寺ならともかく、神社を訪ねることなどないのですが、なぜか行ってみようという気になり、その結果、薬王寺の別の入口を見つけて、工事中の境内に入ることができた、という過去があったのです。
普段なら行くことなどない神社に行ってみようという、そのときの閃きは身びいきながら、薬師如来のおかげだと感じたことをまざまざと思い出していました。
見上げるような石段です。高所恐怖症持ちの私は左の手すりを頼りにおっかなびっくり上りました。
振り返って眺め下ろしてみるまでもなく、私には下ることなど及びもつかぬ高さの石段です。
境内掲示には「当山は、夏應山東照院薬王寺と号し本尊は薬師如来です。開山弘安三年(1280年)六月宥澄」とありました。
薬王寺参拝を済ませれば、今日のお勤めは終了です。帰りは海老川の下流沿いに歩きながら、船橋駅に戻ることにします。
→この日、歩いたところ。