桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2022年二月の薬師詣で・さいたま市浦和区~緑区

2022年02月08日 23時35分50秒 | 薬師詣で

 二月の薬師詣では二年半前の2019年十月、体調がどうにも思わしくなくなって、途中で投げ出してしまった薬師詣での延長再試合をすることにしました。

 

 浦和駅で降りて
、旧中山道を歩き、二年半前と同様旧浦和宿二七市場跡と慈恵稲荷社に寄って行きます。慈恵稲荷神社の社頭に市神様を祀る祠と市場定杭が建てられています。ここは毎月二と七の日、月に六回市が開催された場所です。

 
 

 成就院入口と薬師堂、薬師堂扁額です。二年半前はこの日とは反対の浦和駅東口に出て、前地薬師堂、岸町薬師堂と巡った跡、この成就院に参拝したところで体調が悪くなってきたので、この先の行程を諦めたのでした。



 成就院をあとにして旧中山道をさらに北上します。

 


 目印にしていた北浦和郵便局が目に入ったところで旧中仙道を離れ、成就院から歩くこと十三分、元町薬師堂に着きました。「もとまち」ではなく、「もとちょう」と読むようです。

 さいたま市を中心に武蔵東向寅薬師(通称・南側)と足立十二寅薬師(同・北側)という、合わせて二十五か所の薬師霊場があります。北と南がどのような基準で分けられたのかわかりませんが、先の成就院は南側の第二番、この元町薬師堂は北側の第五番、このあと訪ねるつもりの東泉寺は同第四番に当たります。
 本来なら順に巡るのでしょうが、私は折と交通の便を見ながら歩いているので順不同、時もまちまちです。今日予定しているところを巡り終えると、二十五か所中十六か所を巡り終えることになります。



 元町薬師堂から二十分で東泉寺に到着。天台宗の寺。創建年代等は不詳ですが、「新編武蔵風土記稿」は開山は玄性という僧侶だと伝えています。

 

 道一本挟んで向かい合わせに墓地があり、薬師堂がありました。「新編武蔵風土記稿」には「薬師は慈覚大師の作。立像一寸八分」と記されています。



 このような幟が風にはためいていましたが、今年は薬師如来の御開帳が多い寅年なのに、まだ御開帳には遭遇していません。

 東泉寺までくると、最寄り駅は浦和駅から北浦和駅に変わって、歩くと三十分近くかかります。近くを通るバスがあるかどうかわからないし、これで帰ってしまうのも味気ない。同じ歩くのなら、坊の在家の薬師堂まで行ってみようと考えました。参拝するのは二度目(2019年九月以来)になりますが、最後に参拝して帰ることにします。
 グーグルマップで視ると、徒歩二十五分ほどの距離があります。しかも直線に近い道がありません。細い径をクネクネと辿りながら進まなければならないようです。
 目指すのは西南西、時計でいうと四時の方角です。
 心の中でエイヤッと気合を入れて歩き始めましたが、道の先がどうなっているのかわからないままに進むと、向かって左のほうを目指していたはずが、いつの間にか六時方向に向かっていました。地図を手に持っていれば道が湾曲しているのはひと目でわかるはずですが、歩いていると、よほど急激な曲がり方でない限り、曲がっているという実感はありません。



 ようやく広い道路に出た、と思ったら駒場運動公園でした。スマートフォンを取り出して地図を開いて、少々方向違いを歩いていたことに気づきました。南に向かって歩いているので、北が上という地図を実際と照らし合わせるのは結構厄介なものです。誰かと待ち合わせているわけでもなし、日暮れが迫っているわけでもない。別に焦る必要はないのに、間違ったと思うと、ついつい焦ってしまいます。



 東泉寺から四十四分もかかって坊の在家薬師堂に着きました。2019年二月の薬師詣でで訪れて以来、二度目の参拝です。最初のときも鉄の門扉が閉ざされていましたが、今回も同じで入ることはできませんでした。
「薬師会館」という標記があるように、地域の集会所が付属しています。



 この日のお勤めが終わったので、このバス停から国際興業バスに乗り、武蔵野線の東浦和駅へ出て帰る手筈です。

 東浦和駅が近づくころ、バスが赤信号で停まりました。窓の外をみると、少し高い位置にお寺の御堂のようなものが見えました。
 薬師詣でとは関係がなくても、行程の途中にお寺や史跡などがあれば、大体は寄って行くのが私の決まりです。それは、どこへ行くかを決めたあと、地図を見ながら地域全体の感覚を探り、訪ねる場所の簡略な情報をインターネットなどから得ておきます。
 しかし、このお寺らしき御堂を地図で目にした、という記憶がありません。むろん御堂に関する情報は何一つインプットされていません。
 慌ててスマートフォンの電源を入れ、グーグルマップを開きました。最初に開かれた倍率では何も特別なものは見当たりません。
 バスはすでに走り出していて、御堂は視界から消えてしまっていました。指先で操作しながら、地図を拡大して行くと、「井沼方霊廟薬師堂」という表記が浮かび上がってきました。
「アリャリャ~」と自然に声が出てしまいました。東浦和駅付近を走る武蔵野線の南側には柳崎薬師堂があって、2017年十一月に東浦和駅から歩いて参拝しています。この「井沼方霊廟薬師堂」が目視できるほど近かったわけではありませんが、すぐ近くを歩いています。事前に地図を視たり、下調べしたりするのはスマートフォンのような小さな画面ではなく、パソコンですから、注意深く視ていたら気がついたはず。げんに庵に帰ったあと、パソコンで地図を開いてみたら、ちゃんと確認できました。きっと柳崎薬師堂に気をとられて見逃してしまったのでしょう。

 バスが終点の東浦和駅に着いたあと、歩いて戻ってみました。が、鉄扉はガッシリと閉ざされていて入れませんでした。

 

 庵に帰ったあと、Webで調べたら、どうやら民間の霊園業者の墓苑のようです。

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