桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

彼岸花

2021年09月11日 21時52分54秒 | 風物詩

 今年も彼岸花が顔を覗かせました。お彼岸が近くなると、毎年毎年律儀に姿を現わします。



 紅葉シーズンにはまだ間があるので、観光客の姿もなく、物静かな本土寺の参道です。

 

 参道のところどころにヒョロヒョロと……。昨日か一昨日顔を出したばかりなので、まだ弱々しく、頼りなげです。



 離れたところに一株だけ慌てもの。明日にでも花開きそうです。競合する相手がないので、土の養分を独り占めできるからでしょうか。



 慶林寺の彼岸花(白)は鉢植えですが、こちらもすくすくと育っています。



 雨がちの天気がつづいたので、しばらく富士川沿いの散策を控えていたら、稲刈りの真っ盛りを迎えていました。



 すでに刈り取りが終わった田んぼも多く見られました。

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2021年九月の薬師詣で・我孫子市

2021年09月08日 21時55分32秒 | 薬師詣で

 今月の薬師詣では千葉市の花見川区を歩くつもりでした。花見川という川に沿うような形で、薬師如来をお祀りするお寺が四か寺もあるのを見つけたのです。
 しかし、問題は不順つづきの天気です。あまり当たらない天気予想もこのところは好調で、今日八日も夕方か夜になると雨、といっていたので、千葉市まで行っていると、帰るころには雨、もしかすると、薬師詣での最後のほうは雨、ということにもなりかねないと考えて、早めに帰ってこられる我孫子に切り替えることにしました。先月の薬師詣で(八千代市)につづいて、県を跨ぐ移動は自粛です。
 不順な天候ですが、ただ一つありがたいのは低温注意報が出るほど気温が低いことです。
 九月に入ってから昨七日まで七日間の最高気温の平均は去年が31・6度。対して今年は22・9度という低さ。例年なら残暑の中をフウフウいいながら歩き廻らなければならない九月の薬師詣でなのですが、今日もさほど気温は上がらないという予想なので、助かりそうです。 



 出かける前に地元の慶林寺に参拝。お賽銭をあげて行きます。
 今日向かうのは我孫子の布佐。最初に詣でるのは延命寺というお寺です。以前参拝したことがありますが、薬師如来の縁日ではない日だったので、改めて参拝します。



 常磐緩行線で我孫子まで行き、我孫子始発の成田行電車に乗り換えます。乗ったときから八人掛けのシートに坐る人は二人か三人。もちろん立っている客はゼロ、という状態でしたが、私が降りる布佐の一つ前・新木で大勢の客が降りてしまって、電車はガラガラになりました。



 布佐駅で降りました。
 この駅に降り立つのは何度目だろうかと思いましたが(私には五~六度というイメージがありましたが、帰ったあと調べてみると、三度目に過ぎませんでした)、二つ手前の湖北、一つ先の木下ともども何度かきているので、記憶がゴチャ混ぜになっていたようです。そして前にきたのはつい最近という感覚がありましたが、これも帰ったあと、九年も前だったとわかりました。



 九年経ってもほとんど変わりがないように感じた布佐の駅前です。



 開いているのか閉まっているのかわからないような書店の前を通って行きます。
 ほぼ五十年前、私が初めて社会に出たときの勤め先の広告看板を目にして(著名な雑誌ではありますが、こういう形で目にしたことはないような気がしたので)、ふと若いころの記憶が蘇ってきて、ほんのり胸が熱くなりました。



 布佐駅から十五分歩いて最初の目的地・延命寺に着きましたが、やんぬるかな閉門……と思って近づいたら、「鍵を開けてお入りください」と書かれてあったので、無事お邪魔することができました




 真言宗豊山派のお寺です。忠変僧都という方が文禄二年(1539年)に開山したと伝えられています。
 我孫子市史には「当寺は、ときによって本尊虚空蔵、本堂虚空蔵堂とされることもあるが、什物帳では、薬師如来像を最初にあげていて、本尊は薬師如来であり、それを安置する本堂を薬師堂と称して、ときに本堂と称されていた虚空蔵堂と区別したのであろう」と記されているので、堂内を拝むことは叶いませんが、まず本堂にお賽銭をあげて参拝。



 虚空蔵堂。本尊虚空蔵菩薩のほか、左右に不動明王と愛染明王が祀られています。



 九年前に延命寺を訪れたときも眺めて、つげ義春の世界を思わせるような佇まいに感興を覚えたビジネス旅館布佐です。九年も経っているので、看板も色落ちが進んだようです。

 

 延命寺とビジネス旅館布佐の前を走る国道356号線が左へ緩やかにカーブしていたので見えなかった布佐愛宕八坂神社。今日は訪れるところも尠なく、石段もあまり高くなさそうなので寄ってみました。
 大宝三年(703年)の創建。祭神は天之迦倶土命(愛宕神社)、素盞嗚尊(八坂神社)。



 布佐駅の一つ手前・新木駅までひと駅分を歩いて行きます。国道はこれから山の中に分け入って行くような様相を漂わせています。しかし、実際は緩い坂を上り切ると、とくに変哲もない郊外の道になってしまいました。


 国道を歩いて行くのも退屈そうだったので、途中で左折。陸橋でJR成田線を越えます。



 橋を渡り終えると、木立に囲まれた線路沿いの散歩道が現われました。勢至前緑地と呼ぶそうです。成田線を跨いだ橋は勢至橋。勢至菩薩にまつわるものがあるのかと思いましたが、付近には寺も御堂もなく、なぜそのような名がつけられたのかを示すものもありません。



 早くもドングリが落っこちていました。



 七~八分ほど歩いたところで、突然立木が消えて、広々とした空間に出た、と思ったら布佐南公園でした。散歩道はここで終わり。



 国道に戻るため、今度は踏切で成田線を渡ります。



 再び国道356号線に戻って歩を進めます。



 布佐南公園から二十分近く歩いて、気象台記念公園に着きました。
 ここは布佐気象送信所があったところです。地元・布佐出身で第四代気象庁中央気象台長となる岡田武松(生家跡地は我孫子市の施設・近隣センターふさの風になっています)によって、昭和十三年に開設されたものです。初代所長は、後に東北大学教授となる山本義一。藤原寛人(作家・新田次郎の本名)も勤務したことがあります。平成十一年三月に閉鎖となり、跡地が気象台記念公園として整備されました。



 眺め渡したところ、通路を除くと、すべて芝生が張られています。



 気象送信所があったという名残を示すようなものは、この地域気象観測所-通称アメダスだけのようです。



 気象台記念公園から十五分。JR新木駅北口のバス停を通り過ぎて、この日最後の目的地・長福寺に着きました。



 かつて長福寺というお寺があったようなのですが、明治の初めごろに廃寺となり、現在は下新木自治会集会所として利用されています。



 いかにも薬師堂という御堂がありました。薬師詣でを始めてから、このような御堂に出会うと嬉しくてたまらないようになりました。
 お賽銭をあげて参拝したあと、ガラス越しに中を覗いてみましたが、ガラスが埃にまみれているのでよく見えません。辛うじて金色の像が確認できました。やはり金色の十二神将らしき仏たちも確認することができたので、薬師如来であろうと思ったのですが、「我孫子市史」には「石造薬師如来像を安置していたので薬師堂とよびならわしてきたが、いまは本尊千手観音を中心に安置しているので、観音堂とよぶべきかもしれない」と記述されています。
 ただ「(祀られている)千手観音像は、頭上に十一面を頂き、合掌手以下十八手を数える。(中略)明治三十五年に修繕された厨子に納めてある」とあるので、厨子に納められている仏像を私が見ることはできないわけで、私が見たのは薬師如来ではないのでしょうか。



 今日のお勤めを終えて、新木駅に着きました。



 慣れていない駅の階段は高所恐怖症持ちの私には鬼門です。新木駅のように、段差があるところに目立つ色(とくに黄色)を配してくれているのは非常にありがたい。

この日、歩いたところ

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2021年八月の薬師詣で(1)・松戸市

2021年08月08日 22時32分15秒 | 薬師詣で

 台風10号の影響で、日付が変わってからずっと雨です。
 今日八日は薬師如来の縁日です。本来ならどこかへ薬師詣でに出かけているところですが、雨が熄むのを待つがごとく、朝から家でじっとしています。台風がきていたから、雨だから、という理由ではなく、前から今日は薬師詣でのプチ旅行はとりやめにすると決めていました。
 なぜならば、二回目のワクチン接種当日であったからです。
 予約ができた時間は午後三時でしたから、早めに出かければ薬師詣でに行けないこともない、と考えられるのですが、事故でもあって帰ってこられないという可能性は無きにしもあらずだし、疲労困憊して帰ってくることも無きにしもあらずと考えたので、今月は十二日に出かけることにして、八日の薬師詣ではとりやめることにしたのです。
 ただ天気予想では十二日も雨、降水確率90%という高さなので、どうなるかわかりませんが……。

 

 午前中に日課でもある慶林寺参拝を済ませました。本尊は薬師如来です。
 薬師如来の縁日なので、普段と異なるのは香炉後ろにある小鐘を鳴らすことと下にある賽銭箱にお賽銭をあげることですが、コロナウイルスの猖獗以降、鐘突きはできなくなっています。



 雨は上がっていましたが、観音様はまだらのお化粧。



 ワクチン接種を済ませたあと、夕暮れ近い富士川を散歩しました。



 毎年見慣れている田んぼの風景に、今年は「流山お田んぼクラブ」という旗と案山子が建てられていました。いかようなクラブなのか、ここで何かを為さんとしている集団を見たことはありません。
 私が住んでいるのは松戸市ですが、五分ほど歩けば富士川河畔に出て、その富士川を渡れば流山市なのです。


 雨に打たれたことも重なって、稲穂は重そうに頭を垂れています。

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ハス(蓮)の花終わる

2021年07月22日 15時01分53秒 | 



 梅雨が明け、ぎらぎらとした夏の到来とともに、慶林寺・観音様の前を彩っていたハス(蓮)の花が終わりを告げたようです。

  


 ハスに代わってキクイモモドキが花盛り。

 

 ガマ(蒲)は新しい白い花穂を出しています。画像下は先に穂を出したガマ。



 紫陽花も今年の花期を終えました。



 ボタンクサギ(牡丹臭木)は第二陣がありますが、一休みです。

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2021年七月の薬師詣で・取手市

2021年07月08日 22時46分55秒 | 薬師詣で

 薬師詣での日がやってきました。梅雨の季節ですから当然ですが、どうも雨のようです。
 朝、目覚めてカーテンを引くと、窓越しに眺める庭の草花や物干し竿には水滴がついていないものの、道路の路面は黒く濡れています。いまのところ、雨は熄んでいるようだが、どうしようかと思案投げ首のテイで外を眺めています。
 アテにはできない天気予報(三時間天気)を視てみると、一日中☁マークが多く、ときどき☂マーク。ただ、☁とはいえ、降水確率は60%となっているので、出かければ雨に降られるのは必至かも。
 十二日も薬師如来の縁日なので、日延べするかと当日の天気予報を視てみると、今日と同じように曇ときどき雨で、降水確率も60%。
 逡巡した挙げ句、近場を巡ることにして、やはり行きましょうと心を決めたのですが、出発は午過ぎになってしまいました。雨に降られたとしても、あまり歩かなくて済み、我が庵から近い場所、ということで、利根川を越えて取手へ行くことにしました。昼食も済ませていましたが、この日のためにと、朝、握っておいた昼食用の握り飯を持ちました。初めて行く場所ですが、取手は何度も訪れているので、地形は大体想像がつきます。



 いつものように、プチ遠出をする前は地元の慶林寺に参拝してお賽銭をあげて行きます。

 

 今朝、花開き、閉じかけていたハスの花はピンクと白。

 常磐緩行線に乗って、北小金から四つ先の我孫子で水戸行に乗り換え、次は二つ先の取手で関東鉄道に乗り換えます。
 時刻表にも当たらず、適当な時間に出てきたので、電車の間合いは悪く、我孫子では十八分待ち、取手では十三分待ち。



 関東鉄道常総線です。乗るのは十年ぶりです。



 取手から二つ目の寺原駅で降りました。



 寺原駅から徒歩です。
 歩くこと三十分余。目的の薬師堂かな、と思ったら、観音堂でした。
 右手前にも御堂があって、中は薄暗くて何も見えないのですが、「いざさらば こよひは……」という御詠歌を書いた額が掲げられているところを見ると、弘法大師を祀った大師堂のようです。その額には新四国相馬霊場八十八か所の八十六番札所と記されています。
 新四国相馬霊場八十八か所というのは、江戸時代中期の観覚光音(1711年-83年)という僧侶が定めたものです。出家したのは五十歳という晩年で、俗名は井出観三丸、またの名を伊勢屋源六。水戸道中・取手宿の商人でした。




 観音堂からものの一分で、稲(いな)集会所に着きました。グーグルマップには稲史跡・薬王寺と記されていて、新四国相馬霊場の四十番札所。
 入口に「稲集会所」と掲げられた下には一回り小振りな額に「稲史跡・薬王寺」の文字。いまは二つの御堂があるだけですが、かつてここには薬王寺というお寺があったのだそうです。「薬王」と謳うからには薬師如来が祀られていたのでしょう。



 集会所前左側にあった御堂。弘法大師を祀る大師堂らしい。



 石碑がありましたが、なんと彫られているのか読めません。



 稲集会所から二分足らず。グーグルマップには薬師堂とだけ記されていますが、ここも中は暗くてよくわかりません。
 庵に帰ってきてからのことですが、この御堂を紹介するブログを見つけることができました。それによると、祀られているのは弘法大師、観覚光音禅師像、不動明王、そして小さな薬師如来。
 薬師如来が祀られてはいますが、中央に祀られているのは弘法大師だということですから、やはり大師堂と記すべきでしょう。



 かたわらには四國第三十五番の石塔。



 さらに四分ほど歩を進めると、台地の端に出ました。富士山がよく見えるスポットとして知る人ぞ知る場所らしいのですが、梅雨空のこの日はむろん遠望は効きません。
 地域の共同墓地になっているようで、通路の中ほどにある観音像はグーグルマップで見たことがあります。初めてきたところですが、馴染みのある場所を訪れたような気分でした。



 入口には四國第三十九番の石塔。



 この観音像は台地の下を走る常総ふれあい道路からも見えるそうです。



 観音様と向き合う格好で御堂がありました。ここも中は暗くて何も見えませんが、先のブログによると、祀られているのはやはり弘法大師。前と同じように、グーグルマップには薬師堂と記されていますが、ほかにも堂宇があるかというと、この御堂のほかに御堂は見当たりません。

 地図に記された二つの薬師堂はいずれも現存しません。いつ建立され、いつ、どのようなことが原因でなくなったのか、いまのところは調べがついていませんが、両方ともかつては薬師堂があったということです。
 今日は幻の薬師詣でに終わったみたいですが、今日のお勤めはこれでおしまいです。帰りは行きに降りた寺原から一つ水海道寄りの新取手に出ることにしました。



 新取手駅に向かう途中、遠くからでも大きな森が見えたので寄ってみたら、惣代八幡宮でした。創建は大同二年(807年)。祭神は誉田別命。



 予備知識もなく寄った社だった上、現地には由来を記す説明板のたぐいが何もありませんでした。傘を手にしていなければ、どこかに腰を下ろし、スマートフォンで検索しただろうと思いますが、それもできなかったので、庵に帰り着いてから識ったのは、このあたりが平將門の生誕地だと目されていることでした。それにしてはなんとも素っ気ない。

 

 三十分歩いて、新取手駅に着きました。なんとなく見覚えがあるような駅前の光景……と思ったら、もう十二年も前になりますが、2009年の六月、高井城址公園へ桔梗の群落を見にきた帰りに乗った駅、さらにその翌月には平將門ゆかりの延命寺を訪ねたときに降り立った駅でした。

 自分では無理矢理こじつけている感が無きにしもあらず、とは思いますが、薬師詣でをしていると、いつもほんのちょっぴり佳きことがあります。
 七月の薬師詣でといえば、毎年梅雨の真っ只中。2011年一月から始めた薬師詣でですから、七月の薬師詣でも十二回目になります。毎年雨に祟られたとしてもいっこうに不思議ではないのに、傘を手に歩かなければならなかったのは今回が二度目に過ぎません。しかも霧雨のような雨でした。

この日、歩いたところ

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