今日十二日も薬師如来縁日です。
普段なら八日に薬師詣でを済ませていたら、どこにも出かけないのですが、今月八日の薬師詣では猛暑に祟られ、已む無く計画を中断してしまったので、当初行くつもりだった残りの行程を歩き直すことにしました。
南流山でつくばエクスプレスに乗り換え。一駅だけ乗って三郷中央駅で降りました。
待ち構えていたのは埼玉観光バスのマイクロバスでした。ICカードはスイカもパスモも使えず、イオングループのワオンカードだけが使えるという妙なバスでした。
バスの中はこんな感じ。
乗車時間わずか七分、花和田児童公園前というバス停で下車。
今日もこんな空。八日に負けず劣らずの猛暑でしたが、バスを利用できたので、この時点ではまだ汗に塗れずに済んでいます。
彦成通りと名前はついていますが、こんな通りで、店もほとんどありません。
バスを降りてから七分で密乗院に着きました。
折角の説明板は風雨に晒されてしまってまったく読むことはできません。戦国時代の武将・石川数正(1533年-93年?)の家臣・下館祐胤(すけつぐ)という人物が数正の菩提を弔うため、慶長七年(1602年)に創建。みずから出家して第一世の住職になったと伝えられています。
本尊は二尺八寸(約93センチ)の不動明王立像。元三大師・良源が二十七歳のときに彫ったものです。
開帳はありませんでしたが、御堂は扉が開け放たれていて、厨子を見ることができました。この薬師如来については資料がないので、いまのところは由来がわかりません。
密乗院から徒歩三分のところに密乗院上寺があるので、行ってみましたが、集会所のような建物と墓地があるだけでした。
墓所に覆い被さるように走るのは首都高速6号線です。
帰りは行きに降りた花和田児童公園より一つ先の彦江一丁目から同じバスで。
今月の薬師詣では埼玉県の八潮市を歩きました。
正午までボランティア活動があったので、できるだけ近場を、と思い、八潮の福蔵院と三郷の密乗院に参拝しようと決めました。
松戸駅まで行き、八潮駅南口へ行く京成バスに乗ります。
乗車三十分、潮止橋南というバス停で降りました。
時刻表どおりなら十分前に着いているはずだったのですが、松戸駅から江戸川を渡る葛飾大橋まで渋滞があって、実際の空は積乱雲モクモクの猛暑であったのに、行程のほうは出発早々暗雲が立ち込めてしまいました。
バス停の前には手前に大瀬氷川神社(画像上)、隣に大瀬浅間神社。普段、神社にはあまり参拝しないのですが、今日は訪ねるところも尠ないので寄って行きます。
バス停から六分で最初の目的地・福蔵院に着きました。十八年前、2015年二月八日の薬師詣でで参拝して以来二度目の参拝になります。
真言宗豊山派の寺院。「八潮市史」によると、開創は慶安三年(1650年)。本尊は高さ三尺余の阿弥陀如来立像。
何故に再度参拝することになったのか、というと……。
本堂の手前にある、この弘法大師像と御堂(薬師堂)です。
つらつら考えてみれば、外に大師像が建立されているのに、後ろの御堂が大師堂であるわけはないのですが、初めてきたときは、「あ、大師堂。じゃあ、お薬師さんは本堂に祀られているんだ」 ― そう思ってしまったのです。
弘法大師には特別な思い入れを持たぬ私は、真言宗の寺院を訪れても、大師堂に参拝する習慣がありません。で、本堂に参拝する行きも帰りも肝心の薬師堂は通過。
あとになって、通り過ぎてしまったこの御堂が薬師堂であったと知って、いつか近いうちに、是非……と、いささかオーバーに表現すれば、心の休まる暇がなかったのです。
ということで、今回。出発が遅くなるので、できるだけ近場のお薬師さんを、と考えたときに、真っ先に思い浮かべたのがこの福蔵院であったという次第です。
道を挟んで、福蔵院の前には古新田稲荷神社。ここにもお参り。
福蔵院の前を通る道(古新田通り)には開いているのか閉まっているのかわからないような店がポツンポツンと……。古い佇まいの店ばかりですが、かつては賑わっていた商店街だったのかもしれないと思わせます。
つくばエクスプレスの八潮駅へ向かうため、潮止橋で中川を渡ります。歩道部分はそこそこ広く、川面までの高さもそれほどないので、高所恐怖症持ちの私にも抵抗なく渡ることができます。
福蔵院から八潮駅まではときおり陽が翳ることはあっても、この雲に加えて猛暑でした。
事前の計画では、八潮から三郷中央までひと駅だけつくばエクスプレスに乗り、密乗院という真言宗豊山派の寺院に参拝に行くつもりでしたが、三郷中央駅から密乗院までは徒歩で三十分もかかります。
出だしが順調であれば、行きは歩きでも、帰りは一時間に一本しかないバスに間に合う、という算段であったので、行こうという計画を立てたのですが、最初に乗ったバスが十分遅れたために、そのバスにはどうも間に合いそうもない。次のバスの時刻はマークしていないので、いつくるのかわからない。
猛暑の中を往復一時間も歩くのは、いくら修業といっても辛過ぎる。計画は途中で頓挫、ということにせざるを得ない、と思いながら、八潮駅までの道をポクポクと歩きます。
ほうほうの体で八潮駅に着いたのは、事前に立てておいたシミュレーションに遅れること二十五分。
バスは十分遅れだったのに、なぜに遅れが十五分もプラスされたのか、わかりませんが、猛暑に祟られて、エアポケットのような時間が生じたのかもしれません。
駅に辿り着くまでは、密乗院へ行くことはなかば諦めながらも、もしかしたら、という気持ちがなくはなかったのですが、駅に着いたらいっぺんに力が抜けてしまって、帰ることにしました。
一昨年十一月、火事のもらい火に遭い、一駅隣りの街に引っ越して迎える二年目の夏です。
引っ越す前は毎月二十七日がくると、東漸寺という浄土宗のお寺に欠かさず参拝に出向いていたのですが、引っ越したあと、新しい住処から東漸寺まで歩いて行くと、所要時間は二十六~七分……。往復一時間近く。
遠くなってしまったのと、去年九月には脊柱菅狭窄症という病に見舞われてしまったので、歩いて行くことはとてもできぬ。電車で行くとしても、歩く距離はあまり変わらぬ。よって、毎月行くことは叶わぬかもしれぬが、七月二十七日だけは万難を排して行かねばならぬ、と決意を固めていました。
昨年の七月二十七日は病に見舞われる前であったので、無事参拝を終えています。
なぜ二十七日、とりわけ七月二十七日なのか……というと、七月二十七日は私の誕生日、毎月二十七日というのは月命日ならぬ月誕生日だからです。
我が干支の守り本尊は阿弥陀如来。いくつか持病を抱えながらも、曲がりなりにも日々健康で暮らせるのは、阿弥陀様のご加護があるから……。そのように考えるので、二十七日は阿弥陀様を本尊としている東漸寺にお礼参りに行こうと決めたのです。
ところが、万難を排してでも行かねばならぬはずの、先月二十七日の我が地方は最高気温37・2度という猛暑日。日中を避け、夕方に参拝に出る、という策がなかったわけではないが、日中の暑さに耐えているだけで体力を消耗してしまっていたので、わずかひと駅といえど電車に乗って出かけようという気力が湧かず、已む無く参拝を諦めたのでした。
それなら翌日……と考えましたが、翌二十八日も35・0度という猛暑日。二十九日(34・4度)、三十日(35・2度)、三十一日(34・5度)と揺るぎない暑さが続いて、身体も気力も日増しに衰弱。
昨八月朔日は七月九日以来、二十三日ぶりという雨が降って、ほんのちょっとだけ涼しくなりました。そして今日二日、午前中は気のせいか、涼しさが尾を曳いています。
で、遅ればせながら腰を上げました。
じつは毎月通うかかりつけの内科の病院が東漸寺のすぐ近くにあって、薬が切れるので、腰を上げなければならなかったのです。
診察を終えたあと、勇躍東漸寺へ……。
旧水戸街道に面する東漸寺の入口です。
門前に掲げられた標語。
総門。
涼し気な参道の彼方に山門。阿吽の仁王尊が睨みを効かせています。
中雀門。これより本堂。
本堂手前左には観音堂。
そして本堂です。本尊・金色の阿弥陀如来坐像が祀られています。
持病は多々あって、この日の通院を含め、通う病院・クリニックは三つもあれど、曲がりなりにも健康な生活を送れるよう、お守りくださっているのは、私の干支の守り本尊である阿弥陀様のお陰であろうと改めて感じるので、感謝のお賽銭をあげて参拝します。
本堂参拝のあとは開山の経譽愚底上人(?-1517年)の墓所に参拝します。
その墓所のあちこちにあるのがショウジョウソウ(猩々草)です。誕生日のお礼参りで楽しみにしているのは、この紅色の葉。ポインセチアの仲間です。
紅い花が開いたように見えますが、紅いのは葉っぱ。真ん中に開きかけの花があります。
手持ちの野草図鑑には草丈50~100センチとありますが、東漸寺のショウジョウソウはせいぜい15~20センチ程度です。秋になると、花が黒い実に姿を変えます。今秋、もしくることができたら、実をいただいて、我が庭に播こうか、と。