桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

初雪

2009年02月27日 23時01分24秒 | 風物詩

 雪です。
 明後日から三月だというのに、初雪です。出勤時は霙でしたが、十時ごろから雪に変わりました。
 千葉県北西部では、雪が降るのは去年二月九日以来です。雪国の人はウンザリでしょうが、あまり雪を見ない者には、雪は心を躍らせるものがあります。
 しかし、せっかくの雪も昼過ぎには雨に変わってしまいました。もちろん積雪はありません。
 雨に変わった瞬間、鬱陶しい気分になります。先週の土日と二日つづけて好天だったツケを払うみたいに、月曜日から五日の間、太陽の光がないのですから……。
 鬱状態も快方には向かいません。

 中国には「蜀犬、日に吠ゆ」という諺があります。

 蜀というのは三国志で有名な蜀のことで、現在の四川省あたりです。いつも雲が垂れ込めていて、陽光の乏しい土地です。
 ここで生まれ育った犬は、太陽が出るのを滅多に見たことがないので、太陽が出ると愕いて吠えるという意味。すなわち世間知らずのことです。
 太陽に向かって吠えたところで意味がないし、敵うわけもないのですから、蟷螂の斧という意も含まれているのかもしれません。
 しかし、これだけ雨や曇天の日がつづくと、蜀犬……だけではなく、蜀人も出てくるかもしれません。

「こざと公園」ではダイサギ、コサギそれぞれ二羽が羽を休めていました。寒いから動きたくないのか、首をすくめたままじっとしていました。
 どこからやってくるのかわかりませんが、何もしないのなら、こんな寒い日にわざわざくることもなかろうに、と思いましたが……。
 おぢさんも貴重な昼休みの時間を割いて、わざわざ寒い中を出かけて行って、カメラに収め、早々に会社に戻りました。

 今日の松戸は最高気温3・6度(松戸には気象庁の観測所がないので、我孫子の記録です)で、今冬最低でした。

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2009年02月26日 07時46分41秒 | つぶやき

 おぢさんはちょっと鬱状態です ― 。
 この三日ばかり天気もすっきりしないので、元はといえば太陽の子であるおぢさんの意気は上がりません。啓蟄まであと一週間……。

 こんなん(画像)買いました。
 ミニ懐炉を入れる袋です。シャツの胸ポケットに入れています。

 勤め先のおぢさんの席は窓際ならぬ壁際です。寝返りも打てぬほど狭いところに押し込められています。何センチの厚さがあるのか知りませんが、壁一枚隔てて、向こう側は外気です。
 気温の変化が烈しい日は、壁際にいることが切々と感じられます。気温が下がるときは背中がグーッと冷えてくるのです。ところが、陽射しが出たときはグーッとは上がりません。

 同僚に滅法寒がりのおばさんがいて、社内は南洋にいるのかと思うほど暖房が効かせてあるのですが、おぢさんの席に戻るやいなや、足許から冷気が這い上がってきます。
 電気座布団をもらっていますが、足許と手指の冷たさにはほとんど効果がありません。

 そこで、マツモトキヨシへ行って、画像のこんなんがおまけについたミニ懐炉を買ってきたのでした。
 胸ポケットに入るほどの小ささは便利ではありますが、小さいだけに暖かさは五時間ぐらいしか保ちません。
 これまで使い捨て懐炉のたぐいは使ったことがありませんでした。去年と較べると、今年の寒さは多少ながらも緩いようです。それなのに、懐炉がほしいというのは、確実に一年、齢を加えたということでしょうか。

※おどるポンポコリンに出てくるのは松崎しげるではありませんでした。ケン坊様という方からご教示を受けました。ケン坊様、ありがとうございました。♪おどるポンポコリン、ピーヒャラ、ピーヒャラ♪ 松崎しげるでないとすると、ミック・ジャガーとの繋がりも薄くなるし、滑稽味もなくなりますが、ブログはそのままにしておきます。管理人敬白。

 おまけ。マイク・オールドフィールドとマギー・ライリーです。マイク・オールドフィールドはギタリストというよりマルチプレーヤーです。この人には弾けぬ楽器はないのではないかと思います。マギー・ライリーはスコットランド女性。ケルトの面影を持った歌手です。
http://www.youtube.com/watch?v=OCp57YGiEBU

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小金城跡

2009年02月23日 20時40分51秒 | 城址探訪

 土曜日、日曜日と二日つづきの好天でした。
 おぢさんがいつも踏切を渡っている流鉄には、起点の馬橋から二つ目に小金城趾という駅があります。この駅を利用したことは一度もありませんが、我が庵からは歩いて十分もかからぬところにあります。

 去年のいまごろ、春の土の匂いを嗅ぎたいと思って近隣の散策を試みて、この駅があるのを識りました。
「城趾」と名づけたからには、近くにお城があったのだろうと思ったのですが、あたりを見回してみても、それらしきものは見当たりませんでした。さほどのものではないのだろうと考えて探索もしないうちに、そろそろ転居一年を迎えようとしています。

 土曜日の夕方、滅多に行かない方向(小金城趾駅方向)のスーパーへ買い物に行って、近くに大谷口歴史公園という公園があるのを識りました。名前からして興趣をそそられましたが、すでに薄暗くなりかけておりましたので、その日は行くのを断念。翌日曜日に行ってきました。



 横須賀橋で新坂川を渡ります。この橋は私が通勤に利用している大谷口新橋より一つ上流に架かる橋で、互いに見ることができるほど近いのですが、大谷口新橋あたりまで護岸を固めていたコンクリートは土に変わって、草が生い茂り、すっかり田舎の風情です。
 こんな小川でありますが、利根川からの水が流れているので、これでも一級河川なのです。

 橋を渡って流鉄の踏切を過ぎると、上り坂があります。その坂の上り口で道を左に取ってしばらく歩くと、楠や椎の大木が聳える丘が見えてきました。それが大谷口城の趾、別名小金城です。

 この地に城を築いたのは高城胤吉という戦国前期の武将で、城が完成したのは天文六年(1537年)。
 天文六年という年は、室町幕府最後の将軍となる足利義昭が生まれた年です。前年には豊臣秀吉が生まれ、その二年前には織田信長が生まれています。武田信玄が父を追放するのは四年後、長尾景虎が兄を押しのけて家督を継ぐのは十一年後です。戦国の風雲急を告げ始めたころといっていいでしょう。

 高城氏は千葉氏(当時の当主は二十五代利胤)の家老職・原氏(同胤清)の重臣という家系です。千葉氏からみれば陪臣ということになりますが、軍事力に優れた家系だったようで、その軍事力によって重きを置かれ、胤吉は利胤の叔母を妻に迎えています。
 陪臣でありながらも、なかば独立した存在で、北条、上杉など近隣の大名からは、独立した戦国大名の一人と目されていたようです。



 かつては金杉口といわれていた虎口の一つから公園に入ると、いきなり急勾配がありました。
 東日本ではまだ石垣を用いた築城術のない時代ですが、この勾配は攻めるのにむずかしく、守るのに易しそうです。

 


 障子堀。
 空堀の途中に高さ2メートルぐらいの間仕切り(障子)をつくるので、この名があります。これによって侵入してきた敵は遮られることになります。

 


 畝堀(うねぼり)というこの時代独特の堀です。
 蒲鉾(かまぼこ)を裏返しにした形に3メートル掘り下げ、さらに真ん中に1メートルほどの溝を掘り下げただけのものですが、地質が粘土質であるため、滑りやすく、上りにくい構造になっています。侵入してきた敵が前後から挟撃されれば、逃れるすべがないのです。

 城域は東西800メートル、南北700メートルに及び、十二もの郭を備えていたといわれます。
 城跡となっている丘は標高20メートルほどに過ぎませんが、周囲を巡って歩くと、坂を上ったり下りたり、結構しんどい思いをしなければなりません。土饅頭のようなボテッとした丘ではなく、そこここが谷に穿たれて、天然の要害となっていることがわかります。

 私が訪れたとき、園内は無人でした。
 時折冷たい風が吹いて、椎や楠の葉を鳴らします。真っ暗になれば、甲冑姿の亡霊が出るかもしれぬナ、と思わせます。
 畝堀のあるあたりは展望台のように拓けていて、かつては見晴らしがよかったのでしょう。いまはマンションが林立しているので視界が利かず、敵が迫ってきたとしても気がつきません。

 千葉氏、原氏、高城氏はともに北条氏に荷担しました。そのため、秀吉の小田原攻めによって、戦国という舞台から姿を消すことになります。
 大谷口城も秀吉軍の浅野長政に攻められて、天正十年落城。築城後わずか五十三年のイノチでありました。

 東国には日本史を書き換えるような有力な戦国大名がいなかったこともあって、この時代の目はどうしても尾張三河あたりに向きがちです。しかし、没落して行った者たちには、つむじ曲がりの私の琴線に触れる何かがあります。
 これからは時折近隣の歴史散歩に出てみようと思っています。

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おどるポンポコリン

2009年02月22日 18時48分40秒 | 音楽

 日曜日の夕方は家にいることが多く、なぜか何もしていないようなことも多いので、テレビを点けて「ちびまる子ちゃん」を見ています。番組を見るというより、主題歌の♪おどるポンポコリン♪を愉しみにしていて、歌が始まると独りでニヤニヤしています。
 なぜニヤニヤかというと、この歌はバックに松崎しげるが参加しているのですが、持ち前の大声で、主役を押しのけてしまうような、自己主張の強い歌い方が、ある曲に登場しているミック・ジャガーを思い起こさせるからなのです。

 カーリー・サイモンの“You’re So Vain”という曲に、ミック・ジャガーがバックコーラスで参加しています。どんなに小声で歌っても、たちどころにわかってしまうような特徴のある声がいきなり出てくるのを聴くと、やはりどこにかくれんぼをしようとも、わかってしまいそうな顔と口が思い出されて、思わず口許が緩んでしまうのです。

 おぢさんは♀歌手の歌はほとんど聴きません。
 大昔にはよくジャニス・ジョプリンを聴きましたが、いまではカーリー・サイモンとキャロル・キングとジャニス・イアンぐらい。それもごくごくたまに、です。
 それが日曜日の夕方は、「ちびまる子ちゃん」が終わったあと、テレビを消してCDをかけ、しばらくカーリー・サイモンを聴くことがあります。わしも単純じゃなぁと思いながら……。

 カーリー・サイモンは決してキーの高い歌手ではありませんが、男声に較べれば高い。その女声に負けぬどころか、押しのけてしまっているようなミック・ジャガーはさすがだなと思います。

 おまけはキャロル・キングの“City Streets”。
 宣伝用のビデオクリップらしいので、バックでギターを弾いている人の顔を写さないのは著作権肖像権の関係かなと思っておりましたが、最後にやっと顔がハッキリします。
 ギターを弾いているのはエリック・クラプトンです。テナーサックスはブレッカー・ブラザーズのマイケル・ブレッカーです。

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江戸ッ子のDNA

2009年02月19日 23時14分30秒 | つぶやき

 今日は夜遅くなって雨、という天気予報は外れました。
 気温はぐっと下がりましたが、朝から日中にかけて吹いていた強い風が収まったのは幸いでした。暦の上では春だといっても、実際はまだ真冬なのですから、寒いのは当たり前。寒いほうが凛として、かえって身が引き締まる思いがします。

 ただ、おぢさんは何が嫌いといって、風ほど嫌いなものはありません。多少暖かくて風があるより、寒くても風のないほうがありがたい。
 真冬の寒風は誰でも嫌いでしょうが、春のオトコオンナ(こんな言葉は禁句でしたかな)みたいなヤワな風も嫌いだし、扇風機の風も嫌いです。頭の上からくる電車の冷房の風など論外も論外。

 市川大野には、十階以上のマンションが十棟近く林立している一帯があります。駅から十分以上も離れていて、お世辞にも交通の便がよい場所とはいえませんのに、マンションが固まってあるのはそこだけです。
 なにゆえにそんなところを選んでマンションが集結したか? というと、当初の計画では武蔵野線の駅がすぐ近くにできるはずだったから……だそうです。
 平たいところに一か所だけ高い建物が密集しているので、いわゆるビル風が起きます。とくに風もないと思える日でも、その一帯に近づくと、嘘のような強い風に見舞われることがままあるのです。おぢさんの勤め先は、あろうことかその一帯の中にあって、わざわざ嫌いな風に向かって突き進まなければならないのです。

 江戸の人たちは風が出ると、恐れ、警戒心を強めたらしい、と最近になって識りました。なぜか……理由を聞けば当然です。火が出ると、拡がりやすいからです。
 おぢさんは風を怖いと思うわけでもなく、警戒心を持つわけでもありません。ただただ鬱陶しいと感じ、嫌いなだけです。しかし、本能的に嫌うのは、江戸ッ子のDNAが形を変えて受け継がれたからかもしれぬと思ったりもします。

 先考は随分前に他界しましたが、東京両国緑町の生まれです。先祖代々呉服屋だったそうです。
 その呉服屋の息子が町工場を始めました。一昔前の家庭ですから愕くには値しませんが、二男六女という子だくさんでした。その末っ子というか、滓っ子が桔梗おぢさんです。
 滓っ子が生まれたとき、先考はすでに五十歳に近い年齢でした。
 工場でどんなものをつくっていたのか詳しく識りませんが、電電公社の下請けで公衆電話をつくっていたという記憶があります。もしかすると、それはあとで聞いた話がそういうイメージをつくり上げただけのかもしれませぬが……。

 日本に公衆電話ができたのは、電話開通と同じ明治二十三年のことだそうです。東京十五か所、横浜一か所の電話局内に設置されました。

 それから数十年たったころ、その当時の電話機を復元させようという試みが生まれました。
 図面か写真があったのか、ボロボロではあっても実物が残っていたのか、まだ大人になっていなかったおぢさんにはわかりませんが、復元されて、愛知県犬山市にある明治村に陳列されることになりました。その電話機を復元させたのは、不肖おぢさんの父でありました。
 年長の兄弟にいわせると、電電公社の仕事はほんの一部に過ぎなかったということですが、上記のような話の影響もあるのか、先考(つまり自分も)が現在のNTTにお世話になっていた、という強いイメージが遺されたのです。

 規制緩和ののち、他の電話会社からセールスの電話がかかってきたり、DMがくるようになりました。しかしおぢさんは、死ぬまで固定電話はNTT、携帯電話はドコモを使いつづけたいと思います。

 今日十九日は先考の月命日です。五日前の日向守殿の月命日と同じように、阿弥陀如来にお水をお供えし、焼香して手を合わせ、しばし瞑目します。
 先考は東本願寺のほうの浄土真宗の信者でありましたので、本来なら立っておわします阿弥陀如来に、お線香は火を移したあと、横に寝かせて置くのが作法ですが、我が庵には坐弥陀しかおわしませず、お線香を横にできるような香炉もないので、作法に適っていなくても我慢して貰うしかありませぬ。

 午前中、メジロがきて桜の枝にとまり、随分長いこと囀っているのを勤め先の窓の外に見ていました。
 昼休み、まだどこかにいるかもしれぬと思い、カメラを持って外に出ましたが、見当たりませんでした。よって、今日は添付画像はありません。先考はロックなど無縁の人でしたから、おまけもつけません。

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大相撲星取り表

2009年02月17日 21時31分41秒 | つぶやき

 出勤時、市川大野の駅から勤め先までの間ですれ違う人の中で、おぢさんが親しみを覚えて渾名をつけた人たちを、大相撲の力士に見立てて星取り表をつくろうと閃きました。実際に相撲をとらせるわけではありません。会ったかどうかを星取り表にしようと思ったのです。
 なんの意味もない遊びですが、その日会ったかどうか、その場でメモするのではなく、夜、家に帰るまで記憶しておこうと努めているので、老化防止になるのではないかと考案した遊びです。
 出会った日は○、出会わなかった日は●です。初日月曜日と今日の取り組み結果は、

オヤジ(♂)○● 貴闘力(♂)○○ 印度人(♂)○○ しのび梳き(♀)○● 貴婦人(♀)●● 鼻歌娘(♀)●● 鬼子母神(♂)○○ 美智(♀)○● 風俗嬢(♀)○○ ミニスカどすこい(♀)○● 稲垣さん(♂)○● ブン屋(♂)○○ 熱愛(♂)●● 白石美帆(♀)●●

 このうち、鼻歌娘と白石美帆の二人は二月に入ってから見かけておりません。勤めを辞めてしまったのか、勤務時間帯が変わったのか。全休もしくは廃業の可能性があります。
 優勝は貴闘力か鬼子母神、風俗嬢、ブン屋の四人のうちから出ると予想していますが、果たしてどういう展開になるか、いまから千秋楽が愉しみです。

 自分では老化など、いましばらくは縁のないものだと思っておりました。

 どんなことが最初に起きたのか憶えがありませんが、あるとき、身を細めて歩いたつもりなのに、コートの裾で机の上のモノを引っ掛けて落とした。
 あるいは、モノを跨いだつもりが充分に跨げていなかった。定期券を忘れて取りに戻り、しばらく歩いたあとに眼鏡を忘れていたことに気づいた……等々の現象がときたま起きるようになり、ときたまがしばしばになり、やがて何日か前も、ついこの前も、というように進化(?)して行きます。

 備忘録ならぬ備忘箱を机の上に置いて、定期券や鍵、眼鏡(乱視と遠視があるので眼鏡は二つ)、携帯灰皿など、忘れると致命的になりかねないものを入れておくようにしたのですが、狭い机の上では、その上に手袋を載せたり、手紙を載せたりして、いつの間にか埋没……出勤時にはいろいろ見つけられずに大騒ぎをするというようなことも起きました。ヤレヤレです。



「こざと公園」の葦刈りはモヒカン刈りを残したまま終了のようです。先週まで作業員が入り、ごみ収集車がきて、束ねた枯れ草を運んだりしていました。そのときに置かれていた三角コーンもなくなってしまったので、終わりなのでしょう。

 今日は雲一つない快晴ですが、ときおり冷たく強い風が吹きます。
 池にはコサギが五羽飛来しておりました。

 今日のおまけ。桔梗おぢさんとっておきのギタリストの一人- ピーター・グリーンです。
http://www.youtube.com/watch?v=sdkQ7_C6Cy0 

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こぶし公園のコブシ(辛夷)の蕾

2009年02月16日 21時16分59秒 | 

 夕方から風が出て、一気に寒くなりました。
 また数日寒くなるという予報でしたが、気のせいか、嫌な天気になるときの予報はよく当たるようです。
 しかし、午後早めまで、風は少し冷たく感じられましたが、コートは不要、ジャケット一枚で充分な陽気でした。

 今日は頭のボケもないようで、ちゃんとカメラを鞄に入れて出勤。昼休みの散歩に出て、野良猫たちを撮影せむと勤務先近くの「こぶし公園」に行きました。しかし、子どもたちを遊ばせる親子連れが多かったせいか、野良猫は不在。



 代わりにコブシ(辛夷)の樹を撮影しました。
 
 植物は賢いと思います。
 暖かい日が数日つづいたので、心持ち蕾も大きくなったかなと思っていましたが、よく見れば、まだまだ硬いままです。
 三寒四温のこの時期、人間は油断して風邪をひいたりする輩も多いのに、辛夷は猫だましのような、いっときの陽気のよさには騙されませぬ。
 人間に較べれば植物は地球との付き合いが遙かに長いのですから、当たり前といえば当たり前かもしれませぬが……。
 後ろのクスノキ(楠)が被ってしまった見づらい画像で申し訳ありませぬ。

 流鉄踏切際の店はシャッターが上げられたままになっていますが、今夜になっても灯りの点く様子はありませぬ。
「スタッフ募集」という貼り紙が出ているので、店が開くことは確実ですが、どんな料理を出す店なのか、現状では見当もつかぬままです。
 外見は小ぎれいな和風のつくりです。あまり高い店だと、おぢさんは行けません。早くはっきりさせてもらいたいものだと思います。

 今日のおまけはアルヴィン・リー。
http://www.youtube.com/watch?v=z_LbGKil3Go

 テン・イヤーズ・アフターというブルースバンドのリードギタリスト兼リードボーカルでした。
 このバンドのLPを初めて手にしたのは、もう四十年も昔のことになります。義理の兄の引っ越しを手伝って一万円もらい、それで買った記憶があります。デビュー当時はそのギターを弾く速さに驚いたものでした。
 おぢさんはこの人のブルースよりロックンロールやブギウギの方が好きです。

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二月十四日

2009年02月14日 23時53分59秒 | 日録

 今日十四日は惟任日向守殿の月命日であります。世ではバレンタインデーなどといっておりますが、おぢさんとは無縁なものであります。

 日向守殿が京都小栗栖の野で、無念の最期を遂げられたのは、天正十年六月十三日ということになっておりますのに、なぜ昨日ではなく、今日十四日が月命日なのかというと、江戸時代までは実際は翌日未明の出来事なのに、夜明けまでは前日の出来事としていた、という堺屋太一説(「鬼と人と」)が合理的な考えだと思い、それに従うことにしたからです。
 遙か昔から六月十四日を御命日として法要を営んでいる日向守殿所縁のお寺もあるのですから、決して私の一存でも独断でもありません。
 月命日だからといって特別なことをするわけでもありません。阿弥陀如来(合金の小さな仏像です)にお水をお供えし、焼香して手を合わせるだけです。

 今日は業腹な土曜出勤と思っていましたが、ちょっとうれしいことが二つありました。
 ブログ友達である大分県の女子高生(※実際は女子中学生でした)くのいちが、おぢさんのこのブログをブックマークしたと報せてくれたことです。
 女子高生に注目されるなど、こそばゆいことじゃが(くのいちの物言いを真似たのじゃ)、素直に受け止めれば、うれしいことに違いないのじゃ。気が向いたら、くのいちブログも覗いてやってほしいのじゃ。
http://blog.goo.ne.jp/kunoichi44/

 もう一つは、三十三歳のおねいさんが「どんなことでもおぢさんのいうことを聞けるお人形のようになりたい」とメールをくれたことであります。「いうことを聞ける人形」などとはマゾ女が御主人様を求めているようにも聞こえますが、物知りのおぢさん(おぢさんがいっているのではありません)にいろんなことを教えてもらって、賢くなりたいというニュアンスの、おねいさんなりの言い方です。このおねいさんは所謂メル友であります。

 またすぐに寒くなるようですが、関東地方はこの日一日、春を思わせるような陽気だったこともうれしいことでした。その暖かさに頭がボケたわけでもないでしょうが、鞄にカメラを入れるのを忘れました。
 勤め先近くの「こぶし公園」で野良猫たちがのんびりしている様子、ほんの少しふくらんだかなと思える辛夷(コブシ)の蕾……。被写体は結構ありましたのに、指をくわえて見ているほかありませんでした。
 カメラ付き携帯があるのですが、かつて肝心なところで手ブレ画像しか撮り得ず、以来使わないことにしてしまいました。



 添付する画像がないのも寂しいので、去年の六月十四日、その年初めて花を開いた我が庵の桔梗を載せました。
 ベランダで何年も桔梗の花を咲かせておりますのに、日向守殿の祥月命日に初開花というのは去年が初めてのことです。

 バレンタインデーなど無縁と書きましたが、じつは昨日の夜、馴染みの飲み屋のママからチョコレートを貰いました。おぢさんより六つ若いだけですが、そういう歳だとは感じさせぬ美人ママです。
 義理チョコも極まれりの義理チョコなのに、鼻の下を伸ばしていると思われるかもしれませぬが、うれしいものはうれしいと素直に受け止めようと思います。

 今日のおまけはマーク・ノップラーです。おぢさんの好きなギタリストの一人です。
https://www.youtube.com/watch?v=6pR1cVgk7Is

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こざと公園のダイサギ

2009年02月11日 18時53分47秒 | 風物詩

 昨日の昼、「こざと北園」の池には一羽の鳥もいませんでした。葦の枯れ葉を刈り取るために人が入っているせいではないかと思って、南園に行ってみると、案の定こちらに引っ越してしまっていました。



 ダイサギが池の中に佇んでおりましたので、カメラに収めました。

 このところ一日置きに晴れたり曇ったりです。
 今日、午後三時過ぎ、重い腰を上げて、松戸市の「こぶし公園」の探索に出ました。新松戸のメインストリートであるケヤキ通りは
途中から道幅が狭くなり、神明堀という川で行き止まりになります。公園はその手前にありました。
 地図では市川大野の「こぶし公園」
に較べて遙かに広そうだと感じさせましたが、左に非ず。一廻り広い程度の小公園で、辛夷(こぶし)らしき樹も見当たりませんでした。

 神明堀は去年六月ごろにも訪ねたことがありますが、河川改修工事がつづいていて、突き当たったところには橋がなく、川を渡るのに大回りを強いられました。
 去年は何もわからなかったので、大回りをして江戸川まで行きましたが、事情のわかったいまはそこでUターンです。カメラを持っていましたが、撮るべきものはなし。

 腰が重かったというのは、宿酔で意気が上がらなかったからであります。休みの前日で給料日だった昨日(というより今朝)は予定どおり午前様と相成りました。
 酒の席が愉しくて、平日でも午前様をやることがありますが、三~四時間の睡眠でも、仕事だと気合いが入っているのでわりと平気です。しかし、今日は心身ともに休みだと安心しているせいか、朝から気合いが入らず、グターッとしています。肩のあたりの嘘寒さがまた風邪をひいたのではないかという予感ももたらしています。

 昨夜から今朝にかけて三軒ハシゴしました。
 三軒目はサンタナが大好きな経営者の寫樂という店です。何日か前には店で流しているバックグラウンドミュージックに、少しハードなロック(ハードロックという意味ではありませぬ)を聴かせてくれぬかと所望したところ、うちにはこれしかないけれどといって、ガンズ・アンド・ローゼズを聴かせてくれました。アタクシめはガンズのCDは一枚しか持っておりませぬが、リードギターのスラッシュは好きなプレーヤーの一人です。

 散策から帰ってガンズ・アンド・ローゼズのCDを捜しましたが、見つけられませぬ。そこで今日もキンクスを聴いております。添付したのは桔梗おぢさんが「キンクスの」ということではなく、ロックミュージック全体で好きな曲の一つであります。
http://www.youtube.com/watch?v=c3kJx4JE0lM

 おまけ。
 スラッシュがゲストで参加しているキャロル・キングのライブを見つけました。キャロルおばさんがムウムウ調のミニのワンピースで張り切っています。こんなキュートなおばさんなら、抱きたい? 抱かれたい?

http://www.youtube.com/watch?v=0hdMbr1rZic


 今夜は迎え酒をして早めに寝ることにします。

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こざと公園の葦原(2)

2009年02月09日 20時58分41秒 | 風物詩

 今朝、目を覚ましたのは八時。
 遅くとも新松戸発八時三十六分の電車に乗らないと遅刻なので、目覚めて二十分で出勤しました。朝飯も食わず、コーヒーも飲まず、顔を洗っただけです。
 寝坊してもよかった土日の連休は、眠りに就いたのが普段より遅かったのに、寝不足気味で目覚めてしまい、昼寝もしなかったので、早めにバタンキューと行くはずでした。
 焼酎でも呑んでいれば、即刻ダウンというところでしたが、土曜日は初めて口をつけたのが零時過ぎ、日曜日は十一時半過ぎでした。
 節制したのではありません。二夜連続で、テレビ朝日としてはなかなか出色の出来のドラマ「警官の血」の放映があって、それを視ていたため、酔っ払うのが遅くなり、つれて寝そびれたのです。


 
昨日は折角の佳い天気だったのに風が強く、今日は風がないと思えば曇天です。



「こざと公園」では葦の刈り取りが随分進みました。残りは五分の一ぐらいになって、残された部分はモヒカン刈りのようです。昼休み、出かけて行って、カメラに収めました。
 猛烈に大きな鷺(
画像左)が飛来していると訝りながら近づいてみたら、刈り取った葦を結わえるためのビニール紐でした。

 そこかしこで梅の花を見ました。名前はわかりませんが、満開に近い樹もありました。花の数からいって、今日になって咲いたのではなく、何日か前から咲いていたと思われますが、たまたま梅の樹のあるところを通らなかったのか、今日まで気づきませんでした。

「こぶし公園」の
辛夷(コブシ)の蕾には、とくに変化は見られません。
 松戸市内にもこぶし公園があるのを識りました。どんな公園か、近いので見てこようと思います。

 短い昼休み、近隣を忙しく経巡って帰りました。薄ら寒くて、とても散歩に適した陽気とはいえませんが、おぢさんはウキウキしていました。なぜならば、明日、おぢさんの会社は給料日だからです。明後日は祝日で休みです。多少深酒をしても、午前様で帰ってもドンマイです。

 土曜休みは第一と第三と決まっているので、毎月最初の連休は給料日直前ということになります。折角の連休も、懐が寂しくては気持ちが盛り上がりません。懐が温かくなるころには、休みは日曜だけに限られるという巡り合わせの悪さ。
 しかし、今週だけは違います。大袈裟なようですが、盆と正月が一緒にくるようだというのは、こういうことをいうのでしょう。それぐらいうれしいのですよ。
 おぢさんは夜になってもウキウキしていて、またキンクスのCDを聴いています。
http://www.youtube.com/watch?v=bHLV6KQcnRc 

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坂川夕景

2009年02月08日 19時21分53秒 | のんびり散策

 夕方五時、坂川まで散歩に出ました。
 今日は朝から強い風でした。
 この強い風なら雲も取っ払われて、筑波山が望めるだろうと思いましたが、筑波を眺めるためには玄関を出なければなりません。

 玄関が直接屋外に面しているマンションに棲むのは初めてではありませんが、ピューピューと風音が鳴り、ドアが開かぬほどの風がしばしば吹くというのは千葉県に移ってきてからのことで、昔のことだから記憶が薄れてしまっているのかもしれませんが、東京にいたころには経験がありません。
 そんなわけで外へ出るのを躊躇っていました。

 夕暮れが迫ってきても風は収まりませんでしたが、小買い物の必要があったので、外に出ました。暮れかかった筑波山が見えました。
 部屋を出たついでに坂川まで行くことにしました。流山市内を水源とする短い川ですが、短いわりには流水量が多く、おぢさんが通勤時に渡る新坂川はその放水路です。
 坂川方向へは新松戸駅へ行くのとは逆方向に向かいます。キョウチクトウ通りという広い道路を突っ切って徒歩十数分ですが、行ったところで何もない(と、おぢさんには思える)ので、こちらへ足を向けることはほとんどありません。

 それでも行ってみようと思ったのは、一昨年の十二月からスラックスのポケットに万歩計を忍ばせる(外出時だけ)ことにして、日々の歩数をエクセルを使って記録しているからです。
 勤めがある日は七千五百~一万歩は歩きますが、休みの日はまったく他出しないということも多いので、エクセルにはゼロと記録することになります。
 表にしてみると、ゼロの日が飛び飛びにあると、なんとなく気に懸かるようになります。そこで、休日はできるだけ気が向くようにみずからを鼓舞して、出かけるようにしているのです。



 川向橋で坂川を渡り、橋の上で上流に向かってカメラを構えてみました。右手の建物は松戸市立横須賀小学校です。
 同小PTA(月に一度の回収日には朝からスピーカーをつけた車が走り回り、ヨコショー・ピー・テー・エーとがなり立てて少し煩い)の資源回収には、おぢさんはごくごく些少ながらも協力をしています。
 撮影者の背後に武蔵野線の鉄橋がありますが、写真のごとく特筆するような景色ではありません。月齢13・07の月だけがありました。明日が望月です。

 強い西風でした。昨日髪を洗ったあと、何もつけていなかったので、怒髪天を衝くが如く髪が荒れ狂っています。もう少し穏やかな陽気であれば、江戸川まで足を延ばしてもよいと思っていましたが、身体も冷えてきたので、引き返すことにしました。今日の歩数はわずか三四六五歩です。

 帰ってきてキンクスのCDを聴きながら、ローズヒップティを飲みながら、このブログを書いています。散策に出る前は3チャンネルでホルスト・シュタインさん指揮バンベルク響のブラームスを視ていました。
http://www.youtube.com/watch?v=34BydtUrt6c

 今朝、ベランダの植木類に水を遣りながら、少し遅かったかなと思いつつ、菜の花の種を播きました。去年の五月、犬吠埼へ遊びに行ったときに道端から失敬してきたものです。

 まだ兆候は見えませんが、もうすぐ我が庵の象徴である桔梗が芽を出すはずです。

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新坂川の水仙

2009年02月07日 18時40分06秒 | 

 今日土曜日は折角の休みだったのに出勤になりました。自分で撒いた種であります。
 昨日、帰るまでに済ませておかなければならなかったことを、うっかりして忘れておりました。五分も要しないようなことであったのですが、やっておかないと月曜日の朝が具合の悪いことになるので、往復一時間二十分かけて出勤。在社することわずか二十分で退社。



 今日は行きも帰りも水琴橋で新坂川を渡りました。結構風が強く、新坂川の水面も波だっています。帰りに水琴橋手前の遊歩道に咲く水仙を撮影しました。

 市川大野の花屋さんに、アイスランドポピーの鉢植えが出ていました。買い物の予定もないので、帰りに買おうかと思っておりましたが、店を覗いたときはあいにく無人でした。アイスランドポピーがほしかったというより、買い物ついでに店主に訊ねたいことがあったのです。
 あとひと月弱で、新松戸への転居一年を迎えます。転居したてのころ、その花屋さんで小手毬(コデマリ)の鉢植えを見かけていました。

 小手毬は前からほしいと思っていた樹でしたが、庭もない生活の上、手に入れるとしたら花屋ではなく植木屋だろうと考えていました。鉢植えが手に入れられるとは思ってもみないところに見かけたのでした。
 買おうか買うまいかと逡巡しながら眺めているうちに、花は散り始め、花はなくてもよいが、と思いながら、なおも逡巡しているうち、やがて店先から姿を消してしまいました。
 買う人がなかったのだろうと思います。

 で、今年は仕入れるかどうか心配です。
 仕入れて貰っても、桔梗おぢさんが仕事を終えて帰るころ、店は閉まっていますので、買うなら出勤時に手を打っておかねばなりませぬ。

 去年見たのは小さな鉢でしたが、小手毬は枝垂れ桜のように長く伸びた枝がイノチです。それを手に提げて出勤に及ぶのはやや気が引けます。だからすなわち、出勤時に支払いだけ済ませておいて、夜は店の裏にでも置いておいて貰えまいか……。

 店主とはそういうやりとりを交わすのを夢想しているのですが、まだおぢさんが頭の中で架空の会話を交わしているだけなので、店主は何も知りません。
 わりと気の弱い私はその件を訊ねてみるだけでは店に入り得ず、手土産代わりに何か買ってからでないと話を切り出すことができぬと考えるのです。
 しばらく花を物色するような振りをして店の入口にとどまっていましたが、店主はどこへ行ったのか、戻ってくる気配がありませぬ。
 ほしいと思いながらも、小手毬とは縁がないのかもしれぬのう、となぜか武家言葉で独り言を呟いて店を出ました。

 数歩歩いたところで、前掛けを締め、手に花鋏を持ったおじさんが一軒の民家から出てくるのを見ました。どうやらその家に切り花を届けに行っていた、と見ましたが……。
 顔見知りというのではないので、二人は無言のうちにすれ違って、今日の日は終わりました。

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武蔵野貨物線の水仙

2009年02月06日 22時58分43秒 | 

 今朝は雲一つない快晴。そして風が強い。冬の関東特有の天気です。
 気づかぬうちに太陽も高くなっていて、ずっと陽が当たらなかった武蔵野貨物線の北側土手にも朝日がこぼれるようになりました。

 今朝はほんの気持ち早く庵を出ました。出勤前にベランダから武蔵野貨物線を見下ろして、水仙がかなり咲いたのと土手に朝日が当たっているのを見たので、撮影せむと思ったからです。



 もっと引いた位置に立ってカメラを構えれば、横一列ながらも、50メートルほどにわたって咲いている水仙が撮れるのですが、境には無粋な鉄条網が張ってあるので、話にならぬのです。
 そこで、鉄条網に邪魔されぬよう近づいてシャッターを切りました。本当はもっとたくさんの花があるのに……と残念でなりませぬ。

 新松戸駅までの途中、新坂川を渡る橋の名を水琴橋といいます。その手前に10㍍ほどの遊歩道があって、お花畑と呼ぶにはあまりにも可愛らしい花壇があります。そこにも数本の水仙があって、貨物線脇と同じように花を咲かせていました。

 不思議なものです。昨日はほとんど咲いていなかったのに、昨日より寒いと感じられる今朝になって、ポツポツと咲いたのです。

 勤め先のある市川大野というところで生活するようになって、初めて里山というものを目にするようになりました。
 社内は禁煙なので、酒はやめられても煙草はやめられそうもない桔梗おぢさんはちょくちょく外に出ます。目の前がこざと公園で、背景に小高い里山が望めます。
 里山のてっぺんに三本の欅(けやき)があります。葉を落とした欅は少し薹のたったブロッコリーを連想させます。

 明日土曜日は休み-。
 寝坊して、起きたらおもむろに洗濯をして……それから、昼ごろから夕食の下ごしらえにかかって……ハテ、何を作ろうかしらん。

 退社は九時近くになりましたので、むろん真っ暗です。はっきりとは見えませぬが、駅へ向かって歩いて行くと、里山のブロッコリーが目に入りました。
 そうじゃ、そうじゃ……新松戸に戻ってきて、とあるスーパーで、おぢさんは小躍りしながら、ブロッコリーを買い、大好物のじゃが芋を買いました。
 じゃが芋さえあれば、ほかはべつ
になくても困りはせぬが……と思いながらも、玉葱と人参。豚か鶏かと迷った揚げ句、鶏肉を買いました。

 シチューのルウはハウスかグリコでよいと思っていたら、軽井沢うんぬんと銘打ったルウがありましたので、ちょっぴり高めでしたが、能書きも読まずに買いました。
 今夜の晩ご飯のおかずにと思って、出来合いのヒレカツを買いました。最近魚を食べていないことを思い出して、鯖と鮭も買いました。
 焼き魚には大根おろし……野菜売り場に戻ろうとしたら、ヌイユを見つけました。フランスのスパゲッティです。ほほう、松戸でこんなものがあろうとは、と空かさず手を伸ばしました。シチューとはべつにクラムチャウダーのヌイユにでもするかと、とりあえず浅蜊だけ買いました。喉が渇いていたので、キレートレモンとダカラと牛乳。

 給料日も近いので、おぢさんは強気です。おかげでレジ袋三つという大手柄-通勤用にいろんなものを入れているトートバッグと合わせて四つ-で、両手いっぱいの大荷物です。一階の集合ポストに配達される新聞夕刊も取れぬ始末でした。

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立春大吉―市川大野風物詩

2009年02月04日 21時20分53秒 | 風物詩

 立春です。
 が、曇って薄ら寒く、春とは程遠い陽気です。
 ワタクシは昔から年賀状を出さない代わり、立春の朝に葉書が先方に届くよう挨拶状を出してきました。最近は人との付き合いがめっきり減ってしまったので、出すのは数通です。

 武蔵野貨物線の土手に植えられている水仙の花が目立つようになりました。
 撮影せむ、と考えてはいるのですが、出勤時は何かと慌ただしいのと、咲いているのが陽の当たらない暗い場所なので、カメラを構えるのをためらってしまいます。
 帰ってくるころはむろん真っ暗なので、撮影できません。今週は土曜が休みなので、土日どちらか天気がよければ撮影せむと考えています。

 二日前の月曜日の朝、家から新松戸駅へ向かうとき、流鉄踏切際のずっと閉まったままだった貸店舗のシャッターが上げられて、玄関のガラスの引き戸が20センチほど開いているのを見ました。
 居抜きのまま放置されていたようで、広めのカウンターと木製の椅子が並んでいるのが見えました。どうやら前は和食系の店だったらしい。

 昨日、帰宅するときも、明かりこそ灯っていませんでしたでしたが、シャッターは上げられたままでした。
 新しく借り手が見つかったのだろうと思います。どんな店ができるのかわかりませんが、呑むところが増えると思うと、愉しみです。

 閉まったままだった間、この店は藤田まこと主演の「剣客商売」から連想して、奥の厨房でワタクシがつたない料理をつくり、表では若い愛人が接客している、というロマンをかき立ててくれる店でした。
 自分がやるのは夢でしかないが、本当にそういうオヤジと若い娘のいる店ができぬものかと愉しみです。オヤジの腕の悪さは我慢して、ついつい寄ってしまうかもしれません。



 勤め先近くの「こざと公園」では枯れた葦の刈り取りが始まりました。毎年のことです。これから何日かすると、池の半分を埋めている葦は全部刈り取られてしまいます。
 池を取り囲んでいる桜の蕾はまだまだ固いようです。

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切支丹お蝶捕縛

2009年02月02日 15時26分12秒 | 歴史



 上野山下や両国広小路という盛り場では、相変わらず切支丹お蝶の籠抜けが人気を博していました。
 一方、簪抜き事件も一向に治まらない。
 痺れを切らした八丁堀では囮捜査まで考えました、
 銀簪を挿した女を歩かせ、同心があとを尾けながら目を光らせていたというのに、煌々たる月明かりの屋敷町で、前後数丁の間、針が落ちたのも見えるほどはっきりとした明かりがありながら、簪は鮮やかに抜き取られたというし、次は小柄な同心自身が女装して縁日に紛れ込んだが、番屋へ帰り着くまでは無事で、番屋の戸口をくぐった途端に簪がなくなっていたという。
 人間技である限り、実際にはそんなことがあるはずがありません。どこかにからくりがあるか見落としがあるはずですが、さっぱりわからない。
 で、いつまで経っても、簪抜きの尻尾は掴めないのです。

 籠抜けの切支丹お蝶と簪抜き ― 。
 この二つを一緒にしてみようなどとは誰一人として考えていませんでしたが、イヤ、待てよ、と思った男が広いお江戸にたった一人だけいたのです。

 源助という髪結いでした。
 髪結いとはいっても、お蓮という腕のいい女髪結いを女房に持っていたので、日がな一日遊んで暮らせるという身分。
 もっぱら神田明神女坂下に住む蜘蛛七という親分の手先を勤めておりました。

 親分の蜘蛛七は掏摸(すり)の元締めです。
 そっちのほうのお目こぼしを願う代わりに、八丁堀の御用を勤めていたのですが、掏摸でありながら、誰にも気づかれずに簪を抜くという不思議な技がどうしても理解できない。
 掏摸の
元締めなのですから、あらかたの掏摸の名前は知っているし、腕前も知っている。自分を含めて、誰にも気づかれずに簪を抜くという離れ業を演じられるような者は思い当たらない。

 大体掏摸は相手に身体をドーンと当てたどさくさに紛れて働くものですから、自分自身の身体が周囲の目を遮る盾になります。しかし、髪に挿した簪を抜くとなると、雲を突くような大男(大女でもいいが)でない限り、周囲の目をごまかせるものがない。
「唐(から)にも天竺にも、こんな不思議な掏摸は聞いたことがねェ……」
 思案投げ首のていで、ぶつくさいったのを聞いていたのが源助です。
 同じように、唐にも天竺にもいない ― というので、お蝶につけられたのが「切支丹」という渾名でした。

 唐にも天竺にもねぇといえば、お蝶しかいねぇ、と思いついたのが源助です。何か科学的な裏づけがあって結びつけたのではありません。なんとなく閃いた、というのですから、聞かされた蜘蛛七親分はせせら笑うしかなかったでしょう。

 お蝶の籠抜けは確かに手妻(手品)のようではあるが、誰にも気づかれずに簪を抜くという手妻とはまったく違うもんだぜ。髪結い風情のおめェなんぞにゃぁわからねェだろうが、永年経験を積んだ元締めのおれが逆立ちしてもできそうもねェようなことを、いくらなんでもあんな小娘が、と……。

 源助という男、腰は軽くなかったようですが、蜘蛛七がなんとほざこうと、思い込んだら一途、という性格でした。以来、愚直なまでの執拗な追跡が始まります。
 お蝶が大道芸を披露したあとを何度も尾行しますが、その都度まかれてしまう。それでも諦めず、ついにお蝶がねぐらにしていた谷中在の百姓家を見つけます。そこで飽きることなく張り込みをつづけます。

 源助の立てた仮説は、お蝶がねぐらにじっとしているときは簪抜き事件が起きない、ということでした。
 この仮説は当たっているような、当たっていないような……。お蝶がねぐらから出ていないはずの日に事件が起きるということもあったのです。
 お蝶の犯罪を真似た愉快犯の仕業か、見張っているはずなのに、抜け道でもあって、お蝶はまんまと外へ出ているのか。

 源助は自信を失いかけますが、その手の事件がふえてくると、お蝶が手を染めたときとは少しばかり様相が異なっているものが混じり始める、ということに気づきます。
 以前の犯罪は恋人同士か夫婦者か、あるいは不倫か……。いずれにしても仲睦まじい男女二人が連れ立っているところで被害に遭っているのですが、女ばかりでいるとき、明らかに親子と思える男女の組み合わせで事件が起きることもある、というわけです。

 そして、簪抜きが始まって五年目の慶応三年夏 ― 。
 源助は大川の夕涼みの人混みにまぎれているお蝶を見つけます。その夜のお蝶は若衆姿に変装していました。
「変わった扮装(なり)をしていなさるが、おめェ、籠抜けのお蝶さんじゃねェのかい?」
 源助に声をかけられて、さすがのお蝶もギョッとしますが、今日は思い人の命日……その人を偲んで、こんな扮装をしていますのさ ― と、一旦は煙に巻いた。

 源助はその場は適当にやり過ごし、お蝶が再び人混みに紛れ込むと、ヒタヒタとあとを尾けます。簪を三本ほど抜く現場も目撃します。
 浅草見附まできたとき、暗がりから二人の影が躍り出て、両側からお蝶を押さえ込みました。北町の二人の同心が待ち伏せをしていたのです。
 大の男二人がかりではお蝶も逃れるすべがありません。ついに御用となってしまいました。

 これにて一件落着。源助も大手柄 ― 。
 さんざんコケにされた町奉行も八丁堀もやっと胸を撫で下ろす、というところですが、ドンデン返しが待っていました。

 翌朝巳の刻(午前十時)、厳しく吟味してやろうと北町奉行・井上信濃守清直が待ち構えるお白州に引き出されたのは、若衆姿ではありますが、お蝶ではなく、庄太という男でした。お蝶の乾分(こぶん)格で、勘当されたお蝶が転げ込んだのが、谷中在のこの男の家だったのです。
 庄太はどれほど厳しく責められても、昨晩召し捕られたのは、お蝶ではなく自分だと言い張って引かない。確かに、どんなに優れた変わり身の業を身に着けていたとしても、同心が二人がかりで捕らえ、引っ張ってきたのですから、変わりようがありません。
 信濃守、わけがわからなくなって、庄太の身柄を牢屋に戻したところ、その晩も簪抜きが起きました。
 もちろん庄太が牢を破った形跡はありません。

 その年の十月のある日、両国の長屋で一人の娘の屍体が発見されました。籠抜けで有名な切支丹お蝶です。石見銀山を服んだ自殺だったということです。

 谷中天王寺にある杉の樹。
 大きなウロの中に、何本あるのか、にわかにはわからぬほどの数の銀簪に全身を貫かれた藁人形が見つかったのは、それからほどなくしてからのことだったそうです。

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