桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2017年十一月の薬師詣で・川口市

2017年11月08日 23時15分47秒 | 薬師詣で

 十一月の薬師詣ではここ何か月かの間、行こうと思いながら、いろいろなことが重なって行けないままだった茨城県は美浦村の海源寺にお参りしようと決めていました。
 幸いにも十一月八日は平日。
 なぜ平日が幸いなのかというと、美浦村へ行くためには常磐線の土浦からバスに乗らなければならないのですが、土日祝日と平日ではバスの時刻が異なっていて、平日ならわりとすんなり行き帰りできるのに、休日だとそうは行かないのです。

 数日前まで、今日八日の天気予報は曇でした。しかし、当日を迎えてみると、テレビの天気予報は雨が降るかもしれない、などといっています。

 初めての土地を訪ねるのに雨……というのは億劫だし、それ以上に問題なのは体調です。
 朝、目覚めたときは特段のことはない感じでした。ところが、七時、八時と時間が経つのに連れて、なんともいえぬ具合の悪さに襲われるようになったのです。
 具合が悪い日は珍しいことではないので愕きませんが、2011年一月から毎月八日の薬師詣でを始めて、先月八日まで六年と十か月。前日まで思わしくなかった体調が薬師詣での当日を迎えると、なんとかかんとかシャッキリする、ということが通例なので、高を括っていました。

 急遽川口市内の薬王寺と西光院というお寺を訪ねることに変更しました。
 しかし、ぼんやりした頭で決めたので、途中、
かなりの距離を歩かなければならない、というのを失念していました。



 電車の時間に余裕があったので、薬師如来を祀る地元の慶林寺に先に参拝して行くことにします。



 新松戸で武蔵野線に乗り換えて、東浦和駅で降りました。この駅を利用するのは去年三月の薬師詣で以来二度目です。
 川口市内の寺院を訪ねようとしているのに、東川口では降りず、一駅先の東浦和まで乗ったのは、駅から徒歩十分ほどのところに、「足立十二薬師」というサイトで識った柳崎薬師堂があるからです。
 そこを手始めにして、東川口方面に戻りながら、薬師如来を祀る二つのお寺を訪ねようというのが今日の予定です。

 柳崎薬師堂は恐らく小さな御堂であろうと思われます。うっかり見過ごしてしまうかもしれません。
 持ってきた地図には、柳崎氷川神社の手前にその薬師堂があることになっているので、見過ごすようなら氷川神社まで行ってもいい、と思いながら歩き始めました。
 電車を降りた東浦和駅があるのはさいたま市緑区ですが、途中で川口市に入ります。




 東浦和駅をあとにして、歩くこと十分ちょっと。左前方に石垣が見え、赤い手摺りのついた石段が見えてきました。危惧したとおり薬師堂は見過ごしてしまい、先に氷川神社に着いてしまったようです。

 神社を拝観したあと、地図を広げます。よくよく見ると、歩いてきた道路を右(きたときは左)に入る小径があります。神社に到る直前、塀の向こうに小さな墓所があり、御堂らしき建物があったのを見ていました。

 神社をあとにして、目星をつけた路地に入ります。



 シャッターが降りて無人のようです。屋根の形が薬師堂らしい形をしているので、この中に薬師如来が祀られているのでしょうか。
 賽銭箱はないので、お賽銭もあげられませんが、シャッターに向かって手を合わせます。




 行きに歩いてきた道を離れると、見沼代用水西縁に出会いました。



 用水沿いに歩いて行くと、見沼通船堀公園に着きました。用水はこの公園の左を流れています。

 何度か地図を開いているうちに、この日は結構長い距離を歩かねばならない、ということを思い出していました。
 あまり体調が優れないこともあって、必要以外の歩行は控えたほうがよさそうなので、公園内に入るのは割愛しました。




 車止めも筍(タケノコ)の意匠です

 

 公園の入口は竹林に囲まれています。



 見沼通船堀公園を背に、歩道がこんな幅しかない道を歩き始めます。
 この道は埼玉県道103号線。通称・赤山街道(大宮道)といって、江戸時代初期、関東郡代として関東地方の開発に当たった伊奈氏が拠点としていた赤山陣屋(現川口市赤山)までつづいています。




 途中、道路の左側にあった鈴木家住宅。
 見沼干拓事業に参画し、享保十六年(1731年)、見沼通船堀が完成すると、高田家とともに通船の差配役を命じられた家です。




 八丁橋で芝川を渡ります。このあたりでさいたま市から川口市に入ります。



 八丁橋から六分で、今度は見沼代用水東縁を渡ります。



 見沼通船堀公園から二十分以上かけて、薬王寺に着きました。真言宗豊山派の寺院です。
 創建年代は不詳。本尊は不動明王です。



 境内はすっかり秋の装いです。



 薬師堂。



「新編武蔵風土記稿」には「薬師は立像にて上宮太子(聖徳太子)の作りたまふ所と云」とありますが、カメラを向けた先にあったのは坐像です。
 薬師堂前には賽銭箱がなかったので、右手にある本堂にお賽銭をあげましたが、迂闊なことに本堂をカメラに収めるのを忘れてしまいました。
 私が川口周辺を散策するとき、しばしばお世話になるのが「浮間わいわいネット」というサイトです。ここに本堂の画像があるので、ご興味があればどうぞ。
https://www.ukima.info/meisho/kawaguti/yakuohji/hondo.htm

 薬王寺をあとに西光院を目指します。




 途中、北川口陸橋で東北自動車道を越えて行かなければなりません。
 高速道路は高架になっていて、その下をくぐるもの、と勝手に判断していたので、進んで行くうち、どうやら橋を渡らねばならないとわかるようになると、たじろぎました。
 私は強度の高所恐怖症の持ち主なので、橋や歩道橋を渡るのはすこぶる苦手です。遠廻りをしても避けることにしています。

 橋を渡って行かなければならないと気づいたとき、バスの便はないのだろうか、と思いましたが、薬王寺を出たあと、この道路を歩き始めてから、結構広い道路なのに、バス停を見た憶えがありません。いまさら引き返すわけにも行かず、それこそ清水の舞台から飛び下りるつもりで歩き始めました。

 歩道は1メートルほどの幅がありました。おっかなびっくりではありますが、その幅があれば、なんとか渡れそうです。極力下を見ないよう、へっぴり腰で歩いて行きます。



 東北自動車道の真上は歩道の幅が格段に広くなっていました。3メートル以上はあるように思えました。



 すると、東北自動車道を眼下に見下ろすような余裕も出てきます。
 といっても、フェンスギリギリまで行って、真下を見下ろす、などという芸当はとてもできません。
 坂が急だと上りより下りが鬼門。陸橋のように傾斜が緩いと高さも伴うので、上りが鬼門。
 無事渡り終えました。




 陸橋を渡り終えて二十五分。曲がるところを間違えたので、遠廻りをしてしまいましたが、お陰でこんなものを目にすることができました。
 なんでこんなところにブルートレインが、と思ったら、このあたりでは有名なお蕎麦屋さんでした。




 最後にこんな急な階段が待ち構えていました。
 へっぴり腰になってなんとか上り切ると、真言宗豊山派の西光院です。天正元年(1573年)、叡雅上人が遊行の途中、この附近にあった大杉の 霊異を感じて一庵を結び、杉本坊と称したのが起因であると伝えられています。
 文禄二年(1593年)、叡雅上人が再び訪れ、堂宇を興しました。




 瑠璃堂。



 格子の間を覗き込んでみると、坐像の薬師如来でした。
 これも先の「浮間わいわいネット」にはシャープな画像があるので、ご興味があれば……。
https://www.ukima.info/meisho/kawaguti/seikouin/rurido.htm




 本堂です。



 帰りは東川口駅に出ました。
 さほどよいとは思われぬ体調で歩き始めたのに、歩いているうちに身体が暖まって調子が出たのか、比較的駅間距離の長い武蔵野線の一駅分を歩き通すことになりました。

↓この日歩いたところ。
https://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=2ebd4c661c0a95caef529ca6120853af

コメント
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