ちょっとした環境の変化と、それにつれて心境の変化がありました。
そのこととブログの内容とは関係がありませんが、短いブログを書いてみようという気になりました。
我が庵近くにいくつか点在している農家の無人野菜即売所の一つに青梅が出ていたので、三年ぶりに梅酒をつくろうと思って買ってきました。
もう一つ先の即売所を覗いてみると、そこには空豆があったので、それも買って……。
三袋分(1・8キロ)の青梅です。
三年前、呑ん兵衛の自分のためではなく、健康維持のために計14リットルこしらえましたが、残り少なくなってきたので、そろそろ、と思ったのです。
空豆の半分は塩ゆでにされて、すでに我が胃の腑に納まっています。
残った分は今夜か明日の晩か、三~四粒をかたまりにして、かき揚げ天麩羅となる予定です。
一袋にこの倍の量があって、青梅と同じ二百円。青果店を覗いてみたら、倍ほどの値がつけられていました。
歳を重ねたせいか、二~三月の芹、四月の筍、そしてこの季節の青梅と空豆、というように、ビニールハウス栽培とは無縁のものを目にして、味わうのが愉しみになりました。
普段は歩かない径を歩いたら、ブラシの木にお目にかかりました。まだ小さな木です。
我が庵の近くには高さ3メートルほどのブラシの木があって、毎年ボンボンのような紅い花を見るのが愉しみでしたが、去年行ってみたら、伐られてなくなっていました。
私だけが格別の木だと思っているだけで、飼い主(とはいわないか)にとってはなんでもない木だったのでしょうか。
毎年愉しみにしている花を見に行って、がっかりさせられることがつづいているようです。
今日二十七日は私の「月誕生日」です。
月命日という言葉はあっても、月誕生日という言葉はありません。私が誰に断わりもなく、勝手にこしらえた造語です。
月誕生日には我が干支の守り本尊・阿弥陀如来が祀られている東漸寺へ参拝に赴きます。
何年前だったか憶えていませんが、ふと毎月誕生日と同じ日がくると、先月から一か月の間、何事もなく過ごせたこと、守っていただいたことへのお礼をしなければならないと思ったのです。お礼に行くのですから、お願いはしません。
二日間ぐずついていた空が晴れて、気持ちの佳い天気です。境内の青紅葉も美しかろうと思って、観に行くことにしました。
北小金駅のコンコースを通り抜けて、北口から南口に出ます。
土曜日といっても、人通りも車の量もいつもと変わりがありません。ただなんとなく華やいだ雰囲気があるが……と感じたら、東漸寺で開催されている骨董市の幟が風にはためいているのでした。
何年か前から毎月第四土曜日に限って、境内で骨董のフリーマーケットが開かれるようになったのです。
門前からいつもとは異なる華やかさがあります。
いつもならほとんど無人の境内ですが、この日は結構な人出がありました。
参道右側に、骨董市では定番といえる陶磁器類を売る店。店主はどこかで話し込んでいるものか、不在でした。
これも参道右側。掛け軸と団扇と……。ここも店主がいないので、何を売りたいのかよくわかりません。
市が開催されるのはこの日だけです。
何時までやるのか知りませんが、すでに十時半だというのに、何をしているのか、ここの店主は店も広げず、どこかに行ったままです。
緑茶のペットボトル横で、点けっ放しのラジオからはシカゴの「♬サタデー・イン・ザ・パーク」が流れていました。ここはパークではなく、テンプルであるけれど、「サタデー・イン・ザ・……」であることには間違いがない。
旅姿? 托鉢姿? の小僧さん。
あとで調べると、十時半ごろの気温は25~6度。今日の陽気ではちょいと早いが、かき氷屋さんも出ていました。
輪ゴム鉄砲もありました。
子どものころは割り箸を使って手製の鉄砲をつくったものです。しかし、銃爪(ひきがね)のところはどうしたものか、まったく記憶が蘇ってきません。
入口から三つ目の門(中雀門)をくぐると、犬の散歩はご遠慮くださいと書かれているように、聖域です。露店もありません。
進んで行くと、正面に阿弥陀様が祀られている本堂。左に観音堂。その奥に墓域。右は寺務所です。
扉が開けられていて、金色の阿弥陀様を見ることができます。
青紅葉の鑑賞も二の次になってしまいました。
人を撮さず、青紅葉だけを撮すのはカメラを空に向けるしかなく、結構むずかしい。
この画像ではわからないかもしれませんが、青紅葉の向こうに鐘楼塔が見え隠れしています。
二つ目の門(仁王門)を本堂側から。
毎日お参りを欠かさぬ慶林寺です。
参道で梅の実を見つけました。
毎日お参りを欠かさぬといいながら、梅の花を見たという確かな記憶がありません。木肌はたしかに梅で、葉も実も梅。
慶林寺のご住職は植えてある樹は植木屋任せであるものの、花の咲く樹が好きだといっておられたことがあります。参道にある紅花常磐万作(ベニバナトキワマンサク)。四月の花期を終えたばかりですでに花はありませんが、これも名前のとおりの濃いピンク色の花を咲かせます。
紫陽花(アジサイ)の季節が近づいてきました。
門前にある河津桜のさくらんぼが真っ赤に色づいていました。
染井吉野はいまの言葉でいえばハイブリッドで、種を播いても芽を出すことがないと聞いたことがあります。
この河津桜もハイブリッドですから、折角こんな鮮やかな実を手に入れたところで、芽を出すことはないのでしょうか。
今月の薬師詣では先月につづいて土浦を歩きます。
電車に乗る前に地元の慶林寺に参拝して行きます。
河津桜のサクランボが紅く色づき始めていました。
降りた駅も先月と同じ土浦駅です。
普段なら歩いて行けない距離ではなさそうですが、急にさっぱりしたとはいえ、直前までは行けるかどうか危ぶむような体調でした。たまたま十分の待ち時間でバスがあったので乗って、国立病院入口というバス停で降りました。
最初に参拝するのは新義真言宗の常福寺です。
バス停から常福寺の本堂前まではわずか百数十メートルの距離でしたが、何があったのか、道はおびただしい人の群れと車でした。
車は道路にびっしりと並んでいて、駐車しているのか、動くのを待っているのか、わからない状態。
旧暦でいうと、五月三日がお釈迦さまの誕生日にあたる四月八日に当たるので、五日後の今日になっても法会がつづいているのかとも思いましたが、どうも様子は違うようです。
みなみな手に卒塔婆を持って、あっちへ行ったり、こっちへきたりしています。私にはそのように見えただけで、実際は誰一人ウロウロしていたのではないかもしれません。
お盆のころに行なわれる施餓鬼みたいです。
あまりにも多い人だったので、本堂に向かって遠くから手を合わせただけで、お参りは済ませることにしました。
樹齢四百年といわれるイチョウ(公孫樹)。
常福寺は高台にあります。墓所からは土浦市街と筑波山を見渡すことができました。
このときは知らず、帰ってから知るのですが、遠くから手を合わせただけの本尊の薬師如来はおよそ百年も前に重要文化財に指定された貴重な仏像であったということです。近くまで行っても拝観できたかどうかわかりませんが、薬師詣でに行っているのに、素通り同然で済ませてしまった唐変木でした。
常福寺をあとにして坂を下り、銭亀橋で桜川を渡ります。
下流に向かって左岸を進みながら、振り返って上流方向をパチリ。
さらに下流に向かって歩きます。
土手を下る石段に茶虎の猫殿がいて、私を見ると、近寄ってきてくれました。まさか猫殿に会うとは思っていなかったので、キャットフードなど持っていません。
六年前の十一月、土浦にきて、お寺巡りをしています。そのときに、どのあたりであったか、記憶はハッキリしていないのですが、数匹の猫殿に出会って、キャットフードを置いています。
我が庵近隣の散策ならいざ知らず、土浦までの小旅行でなぜキャットフードを持って行ったのか、まったく記憶にありませんが、この日、庵を出るとき、ふとそのことを思い出していました。
まさかもう一度、とは思わなかったので、何も持たずに出ていました。折角挨拶にきてくれたのに、猫殿には無言で謝って立ち去りました。
私が向かっているのは次の目的地・東光寺です。
東光寺に近づくのにつれて、高架の道路がある道、うどん屋の看板……と、六年も経っているのに、光景をはっきりと思い出していました。
東光寺門前に着きました。
参道正面にこの薬師堂があり、左奥に本堂がある、という伽藍配置もまざまざと記憶に残されています。
東光院本堂。我が曹洞宗のお寺です。慶長十二年(1607年)、心庵春伝大和尚によって開かれたと伝えられています。
東光寺のすぐ隣には浄土真宗大谷派の等覚寺。
等覚寺の梵鐘。重要文化財です。
等覚寺の斜め前に小径があり、奥に御堂が見えたので寄ってみました。
真言宗豊山派の花蔵院ですが、遺されているのはこの不動堂だけで、歴史や由来はまったくわかっていないようです。
不動堂でまた猫殿に会いました。
飼い猫かどうか。野良であれば、初対面の人間が近づこうとすれば、逃げるか、そうでなくとも、いつでも逃げられるように身構えるものですが、この猫殿は不動堂の濡れ縁に身体を横たえたまま、どっしりと構えていました。堂守さんだったのかもしれません。失礼しました。
不動堂の後ろには江戸時代後期の地理学者・天文学者である沼尻墨僊(1775年-1856年)の墓がありました。
この画像の右端にも黒白斑の猫殿がいて、黒い尻尾が見えています。
この日は月曜日だということもあって閑散としていましたが、旧水戸街道です。
途中で見かけた天満宮。知人び大学受験を控えた息子さんがいるので、ちょっと立ち寄って参拝。
土浦駅近くの歓楽街。こちらも閑散としていました。
※日付は更新した日ではなく、訪問した日の日付にしています。