六月の薬師詣では東京都中野区を歩いてきました。歩いてきました、などというと、まるで長距離をものともせず歩いたかのように思われるかもしれませんが、かつては一万歩はおろか、二万歩でもものともせずに歩いた我が身からすると、情けないほどに歩けなくなっていて、新井薬師前という西武新宿線の駅を起点に、往復一時間足らず歩いたのに過ぎませんでした。
出発前の腹づもりでは、最初に同じ西武新宿線の少し手前、下落合で降りて薬王院というお寺に参拝し、次に新井薬師前へ行って、今回巡ってきた二つのお寺に参拝する予定を立てていたのですが、西武線に乗る高田馬場へ向かう地下鉄に乗っている間に ― 座席に腰掛けていたのですが ― 今日の腰の具合ではどうもそれほど歩けない、という予感がしてきて、薬王院参拝はいつか別の日に回してしまったのでした。
というわけで、新井薬師前駅で下車。
徒歩九分で新井薬師こと梅照院に着きました。
山門です。
梅照院本堂。真言宗豊山派の寺院。山号は新井山、寺号は薬師寺。
「新編武蔵風土記稿」には「本尊薬師坐像の石佛にて、長一寸八分(約5・4センチ)、厨子に入。開山を快儀と云。正保三年(1647年)四月五日示寂す。又云天正年中(1573年-92年)行春と云僧開基せしと。其後第六世朝曇を中興とす。此僧の頃より本尊の霊験世にあらはる。子育薬師と称して遠近こぞって歩を運ぶ者多し」と記されています。
梅照院から新井薬師前駅前を通り過ぎ、駅から八分で東光寺(真言宗豊山派)に着きました。
山門を入ってすぐ左手には如意寳蔵大龍神を祀る祠があり、石橋の下は祠をぐるりと巡る池になっていて、鯉がたくさん泳いでいましたが、資料が何もなく、現地には説明板もなかったので、如意寳蔵大龍神がいかなる神でおわすのかわかりません。
東光寺本堂。
「新編武蔵風土記稿」には「本尊薬師の立像長一尺五寸(約45センチ)なるを安ず。開山開基は詳ならず」と記されています。
梅照院から新井薬師前駅を素通りして東光寺に向かう間、腰の状態がよければ薬王院に寄ろうと考えていましたが、陽射しが夏を思わせるように暑かったことも災いしたのか、東光寺をあとにするころには、寄り道どころか駅に戻るのも危ぶまれるような状態になってしまいました。
なんとか駅に辿り着いて乗った電車では、腰の痛みを騙すために、高田馬場までの三駅の間でもでき得ることなら坐りたいと願ったのですが、あいにく空席はありませんでした。
今日は薬師如来の御加護はないのかと思いながら、地下鉄東西線に乗り換えると、幸いにして空席あり。やれやれとひと息ついて大手町まで行き、千代田線に乗り換えるとき、何を思ったのか自分でも不思議なのですが、「→千代田線」という案内に従って進むべきであるのに、エスカレーターを上ったところで「→東西線」という標識を目にして、間違えたと思い、クルリとUターン。東西線のホームに戻ってしまうというチョンボ。
ところが、そのチョンボが幸いして千代田線のホームに着いたときには、二本に一本の割でしかこない常磐線直通電車に乗ることができ、けっこう混んでいたのにもかかわらず、空席を見つけて坐ることができて、やはり薬師如来のご加護はあったのだと思いを新たにしたのに、またもや「ところが」。
電車が金町を出るころ、新松戸で信号確認を行なっている関係で、松戸駅でしばらく停車するとの車内アナウンスが流れました。
結果は、しばらくどころか一時間二十分も待ちぼうけを食わされてしまいました。車内アナウンスは通常どおりに運行している常磐線快速で柏まで行き、これも通常どおり運行している上り電車で折り返してくるよう勧めていましたが、元気なころならいざ知らず、腰痛をこらえている身体だし、慌てる乞食はなんとやらともいうし、と思ってじっと座席に坐ったまま我慢していました。こうして坐り過ぎたおかげで、電車が下車駅の新松戸に着いたときには腰痛と膝のあたりのしびれで、歩くのもやっとというありさまでした。
せっかく薬師詣でに出かけたのに、薬師如来のご利益をいただくどころか、飛ばしてしまった薬王院の薬師如来のお怒りを買ってしまったのであろう、と反省しながら我が庵に帰り着きました。