今朝の出勤時、市川大野の駅を降りてから、ほんの少し遠回りをしました。欅(ケヤキ)の木立の中に若葉が見えるような気がしたので、近づいてみたのです。近づいてみると、見えるような気がするのではなく、確かに若葉が芽吹いているのでした。
我が庵の真下にある欅の大木はまだ芽吹いていません。近づこうとしていた木立も、ほかの樹には芽吹いている様子がありません。
随分気の早い樹もあるものだなと思いながら、さらに近づいてみると、どうやら欅ではなさそうだとわかりました。周りの欅に較べると、樹高も低く、幹の太さも枝ぶりも弱々しい感じです。
欅ではなかったのだなと思ったものの、なんという名前の樹だか、若芽では葉の形もよくわからず、幹にも取り立てて特徴もなさそうなので、あとで調べるすべもないと諦めて勤め先へ向かおうとしたら、木立の手前にある生け垣がゴソゴソと鳴って、田夫らしきおじさんが顔を覗かせたので、びっくりしました。
ワタクシが首を伸ばしていたのを見ていたようで、樹を振り返り、「あれはイヌシデ」といって首を引っ込めてしまいました。
じつはそのときは「あれは犬……(?)」といったように思えただけで、「イ・ヌ・シ・デ」だと明確に聞き分けたわけではありません。昼休みにインターネットで「犬」と「樹木」をキーワードに検索して、イヌシデという樹木があるのを識って、(多分……)樹の名を教えてくれたのではないかと想像したのです。
ただし、イヌシデ(漢字では犬四手と書くそうです)は岩手以南から九州にかけての「山地」に自生する落葉高木とありました。
市川大野には丘陵はありますが、山地と表現できるような土地ではありません。とすると、犬四手ではないのかもしれない。
花でもつければわかりやすくなりますが、犬四手だとすると、尾が垂れたような花が咲くのはもう少し先のようです。
そもそも四手とは何か? と思って調べてみたら、神社の注連縄に結びつけられている「く」の字を縦に繋げた形の白い紙のことだとわかりました。
神主が用いる玉串や御幣につけてあるのも四手ですが、神道の場合は「紙垂」と書くのが一般的であるようです。
横綱の土俵入りのとき、綱から下げているのも紙垂です。花の形が似ていることから命名されたようです。
毎朝出勤するとき、NHKの連続テレビ小説が始まるのを合図に、テレビのスイッチを切って庵を出ます。
直前のニュース番組では、番組の最後に日本各地の風景を見せてくれますが、今朝は京都・清水寺の桜でした。
寒いといわれる京都で、すでに満開に近い桜を見たあとなのに、市川大野の「こざと公園」はまだまったくといっていいほど花がありません。
「こざと公園」では、一昨日の夕暮れから夜桜鑑賞用の提灯に灯りが点りました。画像は昨晩、帰るときにカメラに収めたものですが、折からの冷気も手伝って、寒々しい思いをかき立てるだけでした。
昼休みに見に行くと、ようやく蕾の開いた樹がありました。しかし、まだ一分咲きとまでもいかず、五厘咲きというところ。
大柏川まで足を延ばすと、気のせいか風が冷たくなりました。桜並木のある川沿いを半分だけ歩きましたが、二十本ほどあるうち、花が咲いていたのは二本だけ。それも各一輪だけでありました。