スヌーピーと、散歩を始めてからもう何年になるだろう。彼女(スヌーピーはメスである)が幼い時に保健所から引き取って6年半。雨の日も風の日も、嵐の日も雪の日も、私は一日も欠かさずに彼女とともにいた。「猫家」にあってひとりだけの犬。いつも裏庭にいて目立たない存在ながらも、砂利道、山道、獣道、畦道、彼女は私とともに近在にある道という道を歩いてきてくれた、大切な家族の一員である。そのスヌーピーが、もう私の歩くペースに追いつかなくなってきたと気がついたのは、ごく最近のことだった。
今の私の歩くペースは、決して速いものではない。私自身ももう、10年前、20年前の自分ではないのだ。年老いたというよりも、意識とそれにともなって自分自身が必然的に変わってしまったという方が言いえている。特にここ数年で、世界はとても小さなものとなった。その広大さは以前にも増しているのだが、認知する世界は身近にまるで自分と同じように生きているみたいに思える時がある。それが歩く速さに影響を及ぼすのだ。踏むひと足に対話がある。息をつめたような空気の中に言葉がある。これらの生きた、膨大な情報を、今までの私はただ無視して素通りするだけだった。歩むこと、それは生きる中で人が一貫して成してきた行為だったし、旅にあること、それはこの人生そのものとも言える。
生物はこの世に生まれ、生きて、死んでいく。誰もが等しく知っているそのこと自体が、既に暗示していたのだった。生きることは旅の中にある。私も、彼女も、すべてのものたちも。個性は「かたち」として表わされて、旅の経路と時間と、あり方とを決める。この世に同じタンポポがふたつとしてないように、同一の旅もまたふたつとしてない。みな他の誰のものでもない、その唯一の生を選びとっているのだ。過去のすべての瞬間と、今この時において。
スヌーピーは、彼女の時間において然るべき年をとっていた。何年か前から前足を一本、びっこを引いていたのは気づいていたのだが、それが際立っている時もあれば、それと気づかぬほどに調子のいい時もあった。しかしこのところ呼べば駆けてくる、彼女の四足はいつも決まって不揃いだった。愛するものが年老いたと認めまいとする、自分自身の弱さと執着が、事の自覚を妨げていた。
この家で生まれては育ち、そしてある日突然のように私の世界から消えていった、何匹の猫たちを、何十羽の鶏たちを、何千の草木たちを見たことだろう。おまえとだけは離れたくない。そう念じつつも、私を残して行ってしまった存在たち。でもそれは、彼らが私をおいていったわけではなくて、むしろ私が自分の世界を旅していった結果であったのかもしれない。
だから自分が旅をしていることを、常に認識していないとならない。別れた猫たちは、二度と戻らぬものたちはそれを私に教えるために、二度と来ないあの瞬間をともにいて、それから更に自分自身の旅を続けていったのだから。だからあれは彼らの旅の経過であり、それと同調した私の旅の記憶でもある。旅の認識は、彼らとの「とき」を共有し続けるために、私の見つけた唯一の手段でもあった。
気がつけば、ミーコはもうあまり朝の散歩について来なくなった。コマリンは、娘のマスキーの行動力に、これもまたついていけないようだった。たった一年か二年しか違わないはずの彼らの生において、その一年が人間にとっては7年にも10年にも匹敵する重さがあるものなのだと、もの静かな毎日の朝の散歩は私に教えてくれていた。
卵はその形に世界を包含する。生まれ出た生は、円形を描いて卵殻の中に還る。この家で生まれたものたちは、この場所にささやかな足跡を刻みながら、生きて、行って、また戻る。ただし戻る場所は、今のここでは決してない。私たちはみな一様に旅をし続けているのだから。
彼女の老いは旅の一部であり、自分の老いもまた受け容れざるをえないものである。旅の途中のどの一瞬も、生きる存在は輝いているのだろうけれど、ままそれを認知しきれないでいるのは、もしかしたら私たち人間だけなのかもしれない。
今の私の歩くペースは、決して速いものではない。私自身ももう、10年前、20年前の自分ではないのだ。年老いたというよりも、意識とそれにともなって自分自身が必然的に変わってしまったという方が言いえている。特にここ数年で、世界はとても小さなものとなった。その広大さは以前にも増しているのだが、認知する世界は身近にまるで自分と同じように生きているみたいに思える時がある。それが歩く速さに影響を及ぼすのだ。踏むひと足に対話がある。息をつめたような空気の中に言葉がある。これらの生きた、膨大な情報を、今までの私はただ無視して素通りするだけだった。歩むこと、それは生きる中で人が一貫して成してきた行為だったし、旅にあること、それはこの人生そのものとも言える。
生物はこの世に生まれ、生きて、死んでいく。誰もが等しく知っているそのこと自体が、既に暗示していたのだった。生きることは旅の中にある。私も、彼女も、すべてのものたちも。個性は「かたち」として表わされて、旅の経路と時間と、あり方とを決める。この世に同じタンポポがふたつとしてないように、同一の旅もまたふたつとしてない。みな他の誰のものでもない、その唯一の生を選びとっているのだ。過去のすべての瞬間と、今この時において。
スヌーピーは、彼女の時間において然るべき年をとっていた。何年か前から前足を一本、びっこを引いていたのは気づいていたのだが、それが際立っている時もあれば、それと気づかぬほどに調子のいい時もあった。しかしこのところ呼べば駆けてくる、彼女の四足はいつも決まって不揃いだった。愛するものが年老いたと認めまいとする、自分自身の弱さと執着が、事の自覚を妨げていた。
この家で生まれては育ち、そしてある日突然のように私の世界から消えていった、何匹の猫たちを、何十羽の鶏たちを、何千の草木たちを見たことだろう。おまえとだけは離れたくない。そう念じつつも、私を残して行ってしまった存在たち。でもそれは、彼らが私をおいていったわけではなくて、むしろ私が自分の世界を旅していった結果であったのかもしれない。
だから自分が旅をしていることを、常に認識していないとならない。別れた猫たちは、二度と戻らぬものたちはそれを私に教えるために、二度と来ないあの瞬間をともにいて、それから更に自分自身の旅を続けていったのだから。だからあれは彼らの旅の経過であり、それと同調した私の旅の記憶でもある。旅の認識は、彼らとの「とき」を共有し続けるために、私の見つけた唯一の手段でもあった。
気がつけば、ミーコはもうあまり朝の散歩について来なくなった。コマリンは、娘のマスキーの行動力に、これもまたついていけないようだった。たった一年か二年しか違わないはずの彼らの生において、その一年が人間にとっては7年にも10年にも匹敵する重さがあるものなのだと、もの静かな毎日の朝の散歩は私に教えてくれていた。
卵はその形に世界を包含する。生まれ出た生は、円形を描いて卵殻の中に還る。この家で生まれたものたちは、この場所にささやかな足跡を刻みながら、生きて、行って、また戻る。ただし戻る場所は、今のここでは決してない。私たちはみな一様に旅をし続けているのだから。
彼女の老いは旅の一部であり、自分の老いもまた受け容れざるをえないものである。旅の途中のどの一瞬も、生きる存在は輝いているのだろうけれど、ままそれを認知しきれないでいるのは、もしかしたら私たち人間だけなのかもしれない。
「自分」というイメージは、いずれ手放す運命にあります。その下に畳まれた翼を広げるためには、まず今当たり前だと思いこんでいる世界を変えなければならない。それを人生の途上で意図的に何度も何度も繰り返す人もいるし、死によって初めて成す人もいる。そのための力は誰でも持ってるものですが、自分で作った習慣や癖の中で弱めてしまってるだけですよ。
「外道」といえば、一般社会の中で、私ほど外道的な人はいないかもしれないと思うのですが、でも私の世界では常に「本命」です。それ以外の見方は必要ではありません。
うちにはテレビも新聞もないし、ラジオも滅多に聞かないので、こんな私と世間との隔たりというのは大きいものなのでしょうね。
世界が変わる時というのは、本当にあっと言う間です。いきなりジャンプするみたいに基本的な枠組みが変わってしまう。でもそれは後で振り返って認識できることで、そのときは、意外と変わったことなどに何も気づかないでいたりするのです。
それを何度か経験するうちに、なんだ人生って、こんなに面白いものなのかというような投げ出したような気持ちになることがあります。それまでの自分がふと顕微鏡の中の微生物のように細かい存在に思えてしまうのですね。でもその状態も長くは続かなかったりして、結局振り子のように行きつ戻りつ動き回る自分を発見したりします。
鍵は、「思い続けること」じゃないかと思うんですよ。それは簡単なようでいて、実は多くの人が、思い続けることをやめてしまっている。思い続けること。私自身はそのことによって行動したし、その結果求めたものは不思議なことに次々と手にすることができました。その道のりの途上に、今の自分があるのだなと思います。
無理に何かを言おうとする必要もないし、理解しようとする必要もありません。ただありのままの自分同士で付き合っていきましょう。結局それが一番の早道なのですよ。
人間からバクテリアまで含めた「生の道」は山道などと違って、いわゆるコースというものがありません。例えこの地上に何億の生命が存在しようが、それらすべてが独自に異なった道を歩んでいる。これが生命に付随する究極の創造性であり、宇宙の創造性にもつながっているのだと思います。天地創造の本質にもっとも近い部分なのかもしれません。
(つまり私たちは、総体として天地創造を担ってると言えるかもしれない)
少しだけ私に言えるのは、さまざまな生のかたちがある中で、苦しみや悲しみがなければ生まれないものがある。大きい破壊やある意味殺戮のようなものがなければ創造されえないものがある。それは地球史上の生物大絶滅の時でもあったし、歴史の節目ごとにあった文化や価値観の転覆のことでもあったし、近代に絶滅した数え切れないくらい多くの生物たちのことでもあり、また振り返ればそれが私の人生でもありました。
なにかを産むためには、何かを壊さなければならない。なにか大きなものを構築するためには、より広範なものを破壊し集合する必要がある。端的に言えばそのようなことが、私たちの身の上にも起こりえているのだと思います。
しかし幸か不幸かはともかくとして、今の状態は誰にとってもそんなに長くは続きませんよ。それは今までの人生を見てもわかると思います。例え今が幸せでも不幸せでも、私たちは旅にあり、それゆえに変化から免れえないのだと思います。これに反するものを見つけるのは難しい気がします。
釈迦は自殺を戒めたそうですが、それでなくても本来自殺というのはなかなかできるものではないと思います。でも現代、人間から生命力が奪われているような周辺環境があるから、消滅の方向に向かう衝動がより刺激されてしまうのでしょう。自殺が是か非かはわからないけれど、でもこのスリルに満ちた人生を、そう簡単に手放すのはあまりにもったいないかもしれません。ゲームに例えれば、私たちはいよいよクライマックスにいるのですから。
私の家族たちも、それなりにさまざまな生を生きてますよ。これだけは、周りがどうにかしてやれることじゃありません。彼には彼の生がある。彼らの生を、ただ私は見守るしかしようがない。けれど同時に、それが自分の世界なんだと知ることができるところに、悲しみを突き抜けた自己との出会いがあると思います。