アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

餞別

2005-07-01 10:04:45 | 思い出
満州8月12日、第107師団長、安部中将は指令車両の座席に坐り沈思していた。
彼には師団を無事新京まで転進させる任務、並びに辺境に居住する在満邦人の生命を守る責務がある。部隊の移動を夜間に行うことによって道路を開放し、大方の邦人は既に先に逃れたとは思うが、未だ部隊の前後には相当数の満人非難民が列を成している。恐らくその中には身の周りを取り纏めるに時間を要し出立が遅れた開拓団員やその家族もいるに違いない。
一方、状況は決して楽観を許さない。
山中を東進するソ連軍は既に師団の撤退路に当たる索倫(ソロン)、徳伯斯(トポス)方面に達しつつあるとの情報もある。昨日転進路確保のため急遽鉄路にて先進させた野沢大隊や野戦砲隊が索倫に着くのは明朝になろう。
彼は緒戦が少なくとも一両日中に起こるだろうことを予感していた。
「猪俣大尉!」
安部中佐はドアを開けて降り、軍刀の柄に両手を載せ足を軽く開いた姿勢で地面に立った。師団の最前線を担う猪俣三郎は、今目前で参謀長河瀬大佐に敵情捜索についての口頭命令を受けていた。

「はっ!」
猪俣はきびっとした動作で振り返りただちに走り来る。
炎天下の砂塵が彼の双肩を吹き抜ける。
猪俣三郎陸軍大尉。
陸軍士官学校卒後関東軍に配属され、幾つかの歩兵連隊を経て今この177連隊第一大隊長に就任。若くして才気溢れ、熟練の将兵のほとんどを南方にとられてしまった今、3歩兵連隊の中でも彼の隊は師団の主力となっている。

目前に対峙するはソ連軍の中でも最強を誇るザバイカル方面軍。それが現在国境を越えて一挙果敢に雪崩れ込んでいた。対する関東軍からの指示は二転三転し、最終的に国境守備部隊に対して新京に向けての転進命令が出されたのは開戦から2日後の11日。恐らく司令部も混乱を極めていたことと思われる。しかしその結果、すべての対応が後手後手に回ってしまっている。軍令部としては日本との間に不可侵条約を取り交わしたソ連がこの期に及んで参戦しようとは、まさか思わなかったのだろう。太平洋、大陸南方での戦いに消耗し尽くしている関東軍にとって、それはまさに寝耳に水の出来事だった。つまりここ満州には、あまりに長い間平和が続き過ぎたのである。
猪俣大隊は米本連隊麾下の最精鋭であり、今は一時的に角田大佐率いる第二梯隊指揮下に編入され撤退作戦上にある第107師団の再前衛にあった。
(恐らくは・・・)
求められるあらゆる情報を分析すれば、恐らくはソ連軍機甲師団主力は既に我が軍退路上に達しつつある。早晩彼我の全面的な衝突は避けられない。その際に真っ先に敵の銃砲火に晒される猪俣大隊の命運は・・・。
(しかし・・・)
しかしそれでも、我が軍は勝たねばならぬ。例え前途にどれ程の無理や犠牲があろうとも、断じて勝たねばならない。それは部隊に同行して避難行を続ける辺境開拓団員・満人たちの命運のみならず、引いては在満155万同胞の命運が、我ら満州の防備を預かる軍の双肩にかかっているのだから。
しかし、我が軍には軍装が無い。往時泣く子も黙ると言われた天下の関東軍の中核は、兵装もろとも南方戦線に移動してしまった。今ここに集まっているのは師団とは名ばかりの単に頭数を揃えた「衆」に等しいやも知れぬ。ソ連の巨大な機械化師団に対してこちらは戦車など一輌も無く、野砲も機銃も数えるほどしかない。それどころか歩兵にとって最小兵備であるはずの小銃も、全員には行き渡っていない。つい先日着任した現地召集兵に手渡す武器が何もなく、仕方ないので各員一本ずつスプーンを携帯させたという笑い話のような事実は、既に師団長である自分の耳にも届いている。
しかしどのような事情であろうとも、猪俣大隊にはここで血路を開いてもらわねばならぬ。つまりそれは、現況の彼我の戦力差に照らし合わせれば
「死ね」
と言うに等しいか・・・

「猪俣大尉、参りました!」

(うむ。)と軽く答礼を返した安部はそのまま張り詰めた表情を崩さずに、瞬時敬礼を崩さない若き士官の顔を見つめた。
福島男児の剛直さがありありと見て取れる。猪俣の顔から目を逸らさずに、安部は内心の悲痛とは裏腹に決然とした声で語り出す。
「猪俣大尉、現情勢において、早晩貴隊は敵軍に遭遇すると見込まれる。」
安部はその眼差しに更に力を込める。
「斥候によれば現時点で我が進路上にある敵戦力は、戦車数輌を有する一個中隊程度。しかし経過とともに漸次後続が終結しつつある。貴大隊は本薄暮を利用して西口(シーコウ)南側高地の敵を攻撃、当該高地を確保して師団主力の前進路を啓け!」
そして懐から用意していた品を取り出す。
「心ばかりの餞別だ。受け取れ。」
米屋の羊羹ひと包み。
内地で定評のあるこの菓子は、この時世、満州においてはある意味貴重品でもある。餞別に羊羹とは甚だ意にそぐわないところもあったが、この状況下において他に与える何ものも考え付かなかった。

攻撃命令を賜ることは戦時下何ら珍しいことではない。
しかしそれとともに師団長自ら餞別を賜るということは、特別な意味を有する。
一呼吸の間にその意を正しく汲んだ猪俣は、頬に走った戦慄を厚い皮の下に隠しつつ改めて姿勢を正す。
「は! ありがたく、頂きます!」
もしかしたら師団長の顔を拝むのもこれが最期となるのかもしれない。猪俣は再度敬礼し、拝領した羊羹を左手に握り脇腹に押し付けながら、回れ右をして辞した。

(替わりたい・・・)
その後姿を見送りながら、安部はふとそう思う。
有意のこの若き仕官に替わって自分が真っ先に敵陣に切り込むことができるのなら、どれだけ気持ちが楽だろう。一万三千有余の将兵の命運を預かるこの職責を全うするために今しも肺腑を抉るこの重圧を、自ら矢面に立ち奮迅することによって跳ね除けることができるのならばどんなにか清々するだろう。皇国と日本人と戦友のために力いっぱい闘って死ぬるのであれば、この命一亳も惜しくは無い。
しかし師団指令にとって、それはただ夏の朝の露のように儚い夢想である。今の自分に与えられたものはただ、何物にも換えがたい貴重な部下たちの命を兵火の修羅場に飛び入らせる命令を下すことだけである。


その頃佐藤正三郎属する部隊は、路肩で小憩をとりながら猪俣大隊長の帰還を待っていた。
ここ数日夜を徹しての行軍で睡魔がしきりに襲って来る。日昼休み夜歩くといっても、昼の暑さは甚だしくて例え木陰に寝転がろうと満足に眠れる者はいない。どの兵も寝不足と吹き上げる砂塵によって目を真っ赤に腫らしていた。
これほどまでに本隊が先を急ぐ理由はいったい何なのか。
その時点では、そこから僅か数十キロの西口において敵戦車隊が部隊を待ち受けているのだとは、正三郎たち一般兵は思いもしなかったのである。








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