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伊藤史朗。(番外編vol.359)

2013年10月08日 08時58分55秒 | Weblog
50年代から60年代にかけて活躍した日本人ライダー「伊藤史朗」選手ですよ。

国内のオートバイメーカーが数百社もあった時代、

どのメーカーが速く耐久性が高いのかを競う競技として、

55年から始まった浅間高原(火山)レースで、今は無き、

丸正自動車製造のライラック号というバイクで出場したところから

プロレーサーとしてのキャリアが始まります。

世界大会としては58年に開催されたアメリカ・カタリナGPにヤマハワークスとして参戦。

59年には浅間高原(火山)レースにBMWチームから参戦し500ccクラス優勝を果たします。

60年にはWGPにBMWチームからエントリー。

最高峰500ccクラス初のフル参戦日本人ライダーとなります。

翌年はヤマハワークスから125cc、250ccクラスに戦いの場を移し、

63年にはベルギーGPで優勝したのを始め数度の表彰台をゲットし250ccクラスで総合3位に。

しかし64年、マレーシアGPで転倒し大けがを負っていまい、

そのまま現役を引退してしまいます。

日本人レーサーとしてはかなりの成績を収めた「伊藤史朗」選手でしたが、

私生活は随分荒れていたようで、銃刀法違反(拳銃の密輸や所持)で逮捕。

釈放された後は91年に他界するまでアメリカで生活しています。

とにかく、レーサーとしては素晴らしいのですが、かなり危険な人物だったようですね。

また80年代に公開された「汚れた英雄」という映画のモデルにもなっており、

同期の高梁国光選手などからは天才と呼ばれてたみたいですけどね。


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