[※ ↑「原発さえなければと思います」(週刊金曜日、2021年03月12日、1320号)]
/ (2022年07月03日[日])
断固、汚染水の放出に反対する。風評被害でおさまる保証はどこにあるのか? 汚染水の放出からX年後にどう責任をとるつもりか? 捨てて、拡散させてしまってからでは遅い。
『●「汚染水」の海洋放出からX年後を恐れる ―――《政府は
基準値を大きく下回るまで薄めるというが…物質の総量は変わらない》』
『●《東京電力は処理水を「希釈すれば飲める」》…政府、自公お維の
議員、原子力「寄生」委員会の皆さん、「どうぞ、どうぞ御飲み下さい」』
『●【西谷文和 路上のラジオ】《小出裕章さん…東京電力福島第一原発の
トリチウムなど放射性物質を含む処理水を海洋放出していけないわけ》』
『●《ひとたび制御を失った原発が、後世にどれだけの重荷を残すのか。
…廃炉作業が遅々として進まぬ現実が、原発の巨大なリスク》を顕在化』
『●《それは「お花畑」などといって茶化される話ではなく、日本社会の
将来を決定づける超現実的な選択なのである》(コラム 狙撃兵)』
小野沢健太記者による、東京新聞の記事【処理水放出「断固反対」全漁連の新会長 経産省で面談に応じたのは…大臣ではなく定年退職した参与】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/186025)によると、《坂本氏は面談後、報道各社の取材に応じ「11年前の事故時、私自身も千葉県で大変な風評被害に遭った。自分の経験から(海洋放出を)容認することはできない」と明言》。
以前引用した沖縄タイムスの【社説[福島原発事故11年]廃炉の道筋見えぬまま】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/923228)によると、《政府はトリチウムを含んだ水は国内外の原発で放出されており、影響は確認されていないとする。ただ、事故で溶けた炉心の冷却に使った水を放出した例は過去になく、長期にわたる放出への不安や懸念は消えない》。
政府曰く《…影響は確認されていない》って、イギリスのセラフィールドやラ・アーグではどうなんですかね? 《影響は確認されていない》なんて言いきれるのですか?
そもそも、通常運転している核発電所からのトリチウムと東京電力核発電人災の処理水という名の汚染水中のトリチウム (など) を同列に論じていいのですか?
デモクラシータイムスの【【原発耕論 No15】汚染水海洋放出は無責任の極み!】(https://www.youtube.com/watch?v=rUt5pk1oGJ8)も、とても勉強になりました。海洋放出以外の選択肢が示されています。
さて、東京電力核発電人災、膨大な核燃料《デブリの総量も3基で計約880トン》。さっさとデブリを元通りに原子炉の中に戻して見せてよ、核抑止幻想の「お花畑」《火事場ドロボー》の皆さん、核発電「麻薬」中毒の皆さん。
(東京新聞社説)《2号機内のデブリは推定約二百トン。三基で計八百八十トンと推計されています。今後約三十年、一日あたり八十キロずつ取り出さなければなりません。実現可能な数字でしょうか。》《原子力資料情報室の伴英幸共同代表は「四十年廃炉は無理。百年、二百年という長いスパンで考えるべきだと思う。例えば『石棺方式』といいますか、建屋を丸ごとコンクリートで封じ込め、冷却し、放射線が減衰するのを待ちながら技術開発を進めていくという道筋も考えられる」と、別の選択肢を示します》。
小出裕章さん《国と東電が策定したロードマップは「幻想」です。国と東電がいう「廃炉」とは、燃料デブリを格納容器から取り出し、専用の容器に封入し、福島県外に搬出するということです。…つまり、デブリの取り出しは100年たっても不可能です。…国と東電は、それくらい長期にわたる闘いをしているんだと覚悟しなければいけません。そのためにも、一刻も早く福島県に「廃炉は不可能」と説明し、謝罪するべきです》。
『●台湾有事を煽り《ロシアのウクライナ侵攻のような軍事衝突にまで
エスカレートさせてはならない…外交による対話を強めなければならない》』
『●誰が壊憲を望んでいる? COVID19禍のドサクサ、ロシア侵略の
火事場ドロボー1号、2号、3号…らによる壊憲など許されるはずもない』
『●《思考力あるならば殺し合わずに済む方法…、政治力を持って開戦に
至らない道を見つける事だ。ところがその政治家本人が核武装を…》』
『●《当事者でない他の国が声をあげ、国際世論をつくり出すことが、理不尽
な状況の抑止につながるというのは、国際社会の常識ではないか》!』
『●経済産業省資源エネルギー庁「復興のあと押しはまず知ることから」?
「復興のあと押しはまず〝原状回復してみせる〟ことから」です』
『●東電核発電人災から11年: 《原発事故は終わっていません。
政府が復興の名のもとに困難に陥った人たちをさらに追い詰める…》』
『●《やっぱりここさ帰りたい。親が開拓して受け継いだ土地。次の世代に
残してやりたい。汚したら、きれいにして返すのが当然じゃないか》』
『●小出裕章さん《国と東電が策定したロードマップは「幻想」です…
つまり、デブリの取り出しは100年たっても不可能》、石棺しかない』
『●《政府は過去に原発が武力攻撃を受けた際の被害予測を報告書に
まとめていたからだ。しかも、その被害予測は凄まじい内容だった…》』
『●《【原発耕論…】福島事故で被ばくしたこどもたちに、不安なく過ごせる
未来を!(311子ども甲状腺がん裁判)》(デモクラシータイムス)』
『●《政府機関の地震予測「長期評価」に基づく試算から原発への大津波の
到来は予見できた…対策の先送りを許した国…国に重大な法的責任》』
『●《武藤類子さん…が講演し、今も続く過酷な被害を訴えた。ロシアに
よるウクライナの原発攻撃にも触れ「胸がふさがれる思い」と語った》』
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/186025】
処理水放出「断固反対」全漁連の新会長 経産省で面談に応じたのは…大臣ではなく定年退職した参与
2022年6月27日 17時35分
(決議文を経済産業省の松永明参与(右)に手渡す
全漁連の坂本雅信会長=27日、東京・霞が関の経産省で)
全国漁業協同組合連合会(全漁連)の坂本雅信会長は27日、会長就任後に初めて経済産業省を訪れ、東京電力福島第一原発(福島県大熊町、双葉町)の汚染水を浄化処理後も放射性物質トリチウムが主に残る水の海洋放出について「断固反対」との特別決議文を松永明参与に手渡した。
坂本氏は千葉県漁連の会長で、23日の総会で全漁連会長に就任したばかり。一方、応対した松永氏は元特許庁長官で内閣府や資源エネルギー庁で原発事故後の復興に関わってきたが、今年3月末に定年退職して非常勤の参与になった。
経産省によると、萩生田光一大臣のスケジュール調整が間に合わず、大臣との面談が実現しなかった。面談直後、萩生田氏の予定を示す省内のモニターには「会議」と記されていた。
坂本氏は面談で「会長が代わろうとも、反対であることに変わりはない」と話し、政府が予算化した風評被害対策などの基金とは別に、漁船の燃料費支援など漁業の継続に向けた基金を創設するよう求めた。
松永氏は「実効性のある具体策を示すよう全省あげて取り組む」と述べた。
坂本氏は面談後、報道各社の取材に応じ「11年前の事故時、私自身も千葉県で大変な風評被害に遭った。自分の経験から(海洋放出を)容認することはできない」と明言。萩生田氏と面談できなかったことについては「当然、できるだけ早く大臣に会って直接思いを伝えたい」と話した。(小野沢健太)
福島第一原発の処理水 1~3号機の原子炉に注入した冷却水が事故で溶け落ちた核燃料(デブリ)に触れ、建屋に流入した地下水や雨水と混ざって発生する汚染水を、多核種除去設備(ALPS)で浄化処理した水。取り除けない放射性物質トリチウムが国の排出基準を上回る濃度で残る。政府は2021年4月、23年春をめどに処理水を海洋放出する方針を決定。東電は、大量の海水でトリチウム濃度を排出基準の40分の1未満に薄めて海へ流す計画を進めている。
【関連記事】保管タンク満杯は「2023年秋ごろ」 福島第一原発の処理水 東電が試算見直しも23年春の放出開始は変えず
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[※ ↑「原発さえなければと思います」(週刊金曜日、2021年03月12日、1320号)]
(2022年06月16日[木])
[その2へ]
「原発さえなければと思います」―――《原状回復》なき《原発回帰》は許されない。
長周新聞の記事【なぜ電力不足が起きているのか? 「儲からぬ」と火力を休廃止 再エネに必須なバックアップ電源なし】(https://www.chosyu-journal.jp/shakai/23747)によると、《政府は7日、電力不足に備えた対策を協議するための関係閣僚会議を開いた。電力需給のひっ迫は東日本大震災直後に深刻さが指摘され「計画停電」などがおこなわれたが、その後全国の原発がすべて停止するなかでも電力不足や停電は起こらなかった。それが今ここにきて政府が「深刻な電力不足」を騒ぎ、家庭や企業での節電を呼びかける方針を出すなど慌てている。本当に電力は不足しているのか、それはどこからきているのかについて見てみた》《電力の安定供給はどこへ?》《電力自由化後の変化》《「脱炭素」がもたらす弊害》《原発の再稼働促す狙いも》。
そして、最大の戦犯は未だにのうのうと政治家で居続けている。最大の戦犯・アベ様が、核発電所を新規に作りたいそうです…正気じゃない。「アベシンゾウ」とでも名付けては如何か?
『●「あれだけの事故を起こして被害を出して、だれか1人でも
責任とってやめたか。申し訳ないと謝罪したか」』
《馬奈木厳太郎弁護士…樽川さんのお怒りは、まっとうなものなんです。
今回の福島の被害の象徴と言ってもいいかもしれない。
彼が求めていることは「責任をとってくれ」です。
「あれだけの事故を起こして被害を出して、だれか1人でも責任とって
やめたか。申し訳ないと謝罪したか」と。そう思っているのは、
樽川さんだけではない。国と東京電力を相手に、事故から2年後の
2013年3月11日に福島地裁に起こした
「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟(生業訴訟)
には約4千人の原告がいて、樽川さんもそのお一人です》
『●「生業を返せ、地域を返せ!」…原告団馬奈木厳太郎弁護士
「国の対応、東電の責任を厳しく断罪する判決となっている。一審よりも…」』
『●「原子力災害伝承館」《批判…口封じ》…《安倍政権では「被災地
切り捨て」政策がつづけられてきたが、それを菅政権も「継承」》』
『●東電核発電人災での国の責任も放棄…《あの未曾有の福島第一原発
事故を招いた“最大の戦犯”》アベ様の責任は追及され続けるべき』
『●《避難者の生業はいまだ戻らないままである》…責任をもって東電や
国が「原状回復」してくれれば《生業》を、《地域》を取り返せる』
『●高松高裁原発避難者訴訟…《「長期評価」を真摯に受け止めていたら、
遅くとも東日本大震災の前までに、さまざまな津波対策は取れた》』
『●東京電力核発電人災後に《福島県から千葉県などに避難した住民ら
43人が国と東電に損害賠償を求めた集団訴訟の控訴審》で逆転判決』
『●《「国に法的責任はある」−原発事故で千葉県に避難した人々が起こした
訴訟での東京高裁の判断だ。規制権限の不行使を厳しく指弾した》』
『●東電核発電人災、仙台高裁上田哲裁判長に続き、国の責任も認めた東京
高裁白井幸夫裁判長による逆転勝訴判決―――この判決の意義とは?』
『●《政府機関の地震予測「長期評価」に基づく試算から原発への大津波の
到来は予見できた…対策の先送りを許した国…国に重大な法的責任》』
東電や自公政府、《火事場ドロボー》の皆さんは、さっさと「原状回復」して見せてくれよ。
[※ ↑号外【国の責任認める/東京高裁 千葉地裁判決覆す/原発避難集団訴訟 東電にも賠償命令】 (福島民報 2021年02月19日)]
さて、生業訴訟…「生業を返せ、地域を返せ!」がようやく最「低」裁に。
東京新聞【福島第一原発事故、国の責任は 17日に最高裁が初判断 原発避難4訴訟の争点とは】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/183386)によると、《東京電力福島第一原発事故で避難した住民らが国に損害賠償を求めた4件の訴訟の上告審判決が17日、最高裁第二小法廷(菅野博之裁判長)で言い渡される。原発事故の国の責任について最高裁が判断を示すのは初めてとなる。判決次第で国と東電を相手取った同種訴訟をはじめ、避難者への賠償の見直し議論や今後の原発政策など広範に影響が及ぶ可能性がある。(小沢慧一)…福島訴訟弁護団の馬奈木厳太郎弁護士は「現在、賠償金は東電しか払っていない。国が『加害者』となれば賠償の在り方が根元から変わり、除染や汚染水の海洋放出問題など、原発事故に関わる多くの政策に大きな影響を与える」と意義を強調する》。
[※ ↑【連載「6・17最高裁判決/原発被災者4訴訟」】 (東京新聞 2022年06月11日)]
そして、東京新聞のシリーズ記事【「歩く風評被害」と言われても、私は逃げない 覚悟決めた原発事故被災者福島訴訟の中島孝原告団長/連載「6・17最高裁判決/原発被災者4訴訟」①福島】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/182747)。《原告団長として被害を訴え続けることで周囲から非難されるだろうと覚悟していた。「歩く風評被害」と近隣住民から言われた時はこたえた。だが、東電と国に原発事故の責任を認めて謝罪させ、原告以外の被害者も救済するという気持ちは揺るがなかった》。
【「悔しいから、くじけなかった」 原発事故被災者群馬訴訟の原告・丹治杉江さん/連載「6・17最高裁判決/原発被災者4訴訟」②群馬】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/182959)。《◆事故を防ぐ機会は「何度も何度もあったのに」 10日午後6時前、JR前橋駅前で、丹治杉江さん(65)はマイクを握っていた。「事故の原因をはっきりさせ、2度と同じように涙を流す人を見たくない」 2012年11月から毎週金曜に始めた脱原発を呼び掛ける活動は、483回目。次回17日には駅前に立たない。その日、自身の裁判で最後の判決が最高裁で言い渡される》。
【「ふるさと奪われ、なんでこんな仕打ちを…」 原発事故被災者千葉訴訟の原告・南原聖寿さん/連載「6・17最高裁判決/原発被災者4訴訟」③千葉】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/183201)。《「国と東電にふるさとを奪われ、何でこんなに苦しい仕打ちを受けないといけないのか」。原告団に加わった時から、その思いは変わらない。裁判を通じて「国は東電に責任をなすりつけ、東電は安全対策よりも経営のことしか考えていない」と痛感した。5年ぐらいで終わると思っていた裁判は、想像以上に長期化した。「責任の有無はすぐに分かるはず。どうしてここまで引き延ばすのか不思議でならない」と嘆く。南原さんはかつて、二酸化炭素(CO2)などの温室効果ガスが発生する火力発電よりも、原発は環境に優しいと前向きにとらえていた。だが、放射能で汚染した土の保管や長期化する廃炉作業を目の当たりにし、考え方は完全に変わった。「国の管理監督責任をもっと拡大することが将来のためになる。最高裁は忖度せずに判断を下してほしい」》。
【「若者が希望持てる判決を」 原発事故被災者愛媛訴訟の原告・渡部寛志さん/連載「6・17最高裁判決/原発被災者4訴訟」④愛媛】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/183388)。《15年1月、松山地裁での第1回口頭弁論で、国の冷酷な態度を見せつけられた。避難生活の苦しさを法廷で意見陳述しようとしたところ、国の代理人は「(裁判の)証拠にならないから不要だ」と、耳を傾けようとしなかった。その後も延々と科学的な論争が続き、傍聴席で疑問に思った。「この裁判に、避難者の居場所はあるのだろうか」》。
『●星北斗座長「甲状腺がんは放射線の影響とは考えにくい」
…では、何が原因なのか?、を説明して下さい!』
『●2011年の『X年後』:星北斗座長「現時点で
放射線影響は考えにくい」…なんて気安く発言して大丈夫?』
『●《原発再稼働や増設を唱える連中の頭の中を掻っ捌いて、中身を見て
みたい》(鈴木耕さん)――― なぜ今直ぐ「原状回復」しないの?』
《とくに、原発事故による放射性物質の拡散の影響、それによる
疾病の増大、小児甲状腺癌の発生と検査体制の問題については、
とても数十行の文章では意を尽くせない。それについては稿を
改めようと思う》
『●《【原発耕論…】福島事故で被ばくしたこどもたちに、不安なく過ご
せる未来を!(311子ども甲状腺がん裁判)》(デモクラシータイムス)』
『●子ども甲状腺がん裁判《東電側…弁護団…「原告らは…甲状腺の健康
リスクの上昇には関わりがない」などと因果関係を否定》…血も涙も無し』
一方、米山隆一さんのツイート(https://twitter.com/RyuichiYoneyama/status/1535472059093876736)で知りました…《福島甲状腺検査の立役者星北斗氏を擁立した自民党》。こんなデタラメが許されるのですか? 「ふくしまの”命”を守る。」(https://hoshi-hokuto.jp/)って、何かの冗談か?
『●3.11から11年で、この有様…《配管は…事故直後…炉内の汚染蒸気を
放出する排気(ベント)で使われた。11年が過ぎても、人が近づけない》』
さらに、この有様でも《原発回帰》したい? まず、《原発回帰》してから言いなさい。
【器具がまた食い込み動かず 汚染配管2本目の切断を中断 東電福島第一原発】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/182880)によると、《東京電力は10日、福島第一原発(福島県大熊町、双葉町)の1、2号機間にある高濃度の放射性物質で汚染された配管の撤去作業を18日ぶりに再開し、2本目の配管の切断を始めたが、トラブルで中断した。チェーン状の切断器具が配管に食い込み、動かなくなった。3月にも同じトラブルがあり、食い込み防止策を準備していたが、うまくいかなかった。工法の見直しを迫られる》《3月末にあった同様のトラブルも、配管の片側9割を切った際に起きた。食い込み防止策を検討して2カ月後に作業を再開した際、配管が自然に切れてしまっていたため、用意した対策を現場で試せなかった。配管は計135メートル。2011年3月の事故当初、原子炉格納容器の破裂を防ぐため、炉内にたまった高濃度の放射性物質を含む蒸気を外部に放出するベント(排気)に使われた。今後の工事の支障になるため、26分割して取り除く。2月末に始まった作業はトラブルが続き、1本目(長さ約12メートル)の切断は5月23日に成功。この配管の切断面では、毎時3シーベルトと人が数時間浴びれば死亡する高線量が検出され、作業手順を見直していた。(小野沢健太)》。
[その2へ]
[※ ↑「原発さえなければと思います」(週刊金曜日、2021年03月12日、1320号)]
(2022年04月24日[日])
小野沢健太記者による、東京新聞の記事【切れかけの汚染配管をワイヤロープで固定へ 地震で切れ落ちて垂れ下がる恐れ 東電福島第一原発】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/172904)。
《トラブルの原因調査は終わらず、撤去再開は見通せない。東電は計135メートルの配管を26分割して、4月中に撤去する計画だったが、目標を9月末までに変更した。配管は2011年3月の事故直後、原子炉格納容器の破裂を防ぐために炉内の汚染蒸気を放出する排気(ベント)で使われた。11年が過ぎても、人が近づけない。(小野沢健太)》。
小出裕章さん《国と東電が策定したロードマップは「幻想」です…つまり、デブリの取り出しは100年たっても不可能》…構図としては同じ。どこまでもいい加減で、甘い見積の東電。
「ワイヤロープで固定」って、なんじゃそれ。
『●シレ~ッと批判しているが、そんな《ずさん》な東電を〝育てた〟のは
国や自公であり、更田豊志氏委員長ら原子力「寄生」委員会でしょ?』
で、どこのバカや《火事場ドロボー》どもが《原発回帰》したいんだってぇ? 新型原子炉「アベシンゾウ」を造りたい? アホですか?
『●新高速炉「アベシンゾウ」…愚かな核発電「麻薬」中毒患者・
核燃サイクル教信者の罪を後世に残すために』
『●(リテラ)「あの未曾有の福島第一原発事故を招いた
“最大の戦犯”が、他ならぬ現内閣総理大臣・安倍晋三」』
『●東電核発電人災での国の責任も放棄…《あの未曾有の福島第一原発
事故を招いた“最大の戦犯”》アベ様の責任は追及され続けるべき』
『●高松高裁原発避難者訴訟…《「長期評価」を真摯に受け止めていたら、
遅くとも東日本大震災の前までに、さまざまな津波対策は取れた》』
大竹まことさん、室井佑月さんの仰ることに同意します。でも、《防衛のことや原発のこと》で、1号のような《火事場ドロボー》がワラワラと湧いてくるのですものねぇ。「平和憲法・立憲主義・原発廃炉」に結びつける人の数 ≪≪≪ 「壊憲・戦争できる国・敵基地攻撃・原発回帰」に結びつける人の数ですもの?
日刊ゲンダイのコラム【室井佑月の「嗚呼、仰ってますが。」/大竹まことさんの意見は至極、真っ当…国を超えロシアに抗議する場面では?】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/304272)によると、《「日本は、ロシアに向かって『なんてことしてるんだ』と。『こんなことしていいのか』と。まずそのことを先にちゃんと言って、その後に、この状態が収まって冷静になってから、日本の防衛問題を真剣に考えると」(大竹まこと) これは18日の『大竹まこと ゴールデンラジオ!』での大竹さんの言葉。賛同。100%同意。…防衛のことや原発のことを、今、話すなってことじゃないの。戦争被害に遭っている人たちを出して、今そこに結びつけそれ以外のことを話すことが、とても残酷に思えてしまう》。
『●台湾有事を煽り《ロシアのウクライナ侵攻のような軍事衝突にまで
エスカレートさせてはならない…外交による対話を強めなければならない》』
『●誰が壊憲を望んでいる? COVID19禍のドサクサ、ロシア侵略の
火事場ドロボー1号、2号、3号…らによる壊憲など許されるはずもない』
『●《思考力あるならば殺し合わずに済む方法…、政治力を持って開戦に
至らない道を見つける事だ。ところがその政治家本人が核武装を…》』
『●《当事者でない他の国が声をあげ、国際世論をつくり出すことが、理不尽
な状況の抑止につながるというのは、国際社会の常識ではないか》!』
『●経済産業省資源エネルギー庁「復興のあと押しはまず知ることから」?
「復興のあと押しはまず〝原状回復してみせる〟ことから」です』
『●東電核発電人災から11年: 《原発事故は終わっていません。
政府が復興の名のもとに困難に陥った人たちをさらに追い詰める…》』
『●《やっぱりここさ帰りたい。親が開拓して受け継いだ土地。次の世代に
残してやりたい。汚したら、きれいにして返すのが当然じゃないか》』
『●小出裕章さん《国と東電が策定したロードマップは「幻想」です…
つまり、デブリの取り出しは100年たっても不可能》、石棺しかない』
『●《政府は過去に原発が武力攻撃を受けた際の被害予測を報告書に
まとめていたからだ。しかも、その被害予測は凄まじい内容だった…》』
『●《【原発耕論…】福島事故で被ばくしたこどもたちに、不安なく過ごせる
未来を!(311子ども甲状腺がん裁判)》(デモクラシータイムス)』
『●《政府機関の地震予測「長期評価」に基づく試算から原発への大津波の
到来は予見できた…対策の先送りを許した国…国に重大な法的責任》』
『●《武藤類子さん…が講演し、今も続く過酷な被害を訴えた。ロシアに
よるウクライナの原発攻撃にも触れ「胸がふさがれる思い」と語った》』
『●《ひとたび制御を失った原発が、後世にどれだけの重荷を残すのか。
…廃炉作業が遅々として進まぬ現実が、原発の巨大なリスク》を顕在化』
『●東電核発電人災…《あまりに切ない一枚です。…犬。…鎖につながれた
まま…取り残されたわが家で、何を思いながら力尽きたことでしょう》』
『●斎藤貴男さん《ロシア軍のウクライナ侵攻をダシにした、帝国主義への
妄執と言うべきか…日本の対米従属度が、いっそう高められるだろう》』
『●《火事場ドロボー》1号、2号、3号…を支持し、投票する人々に、
壊憲して戦争する国になる自覚はあるのか? 予想されるその結果は?』
『●《それは「お花畑」などといって茶化される話ではなく、日本社会の
将来を決定づける超現実的な選択なのである》(コラム 狙撃兵)』
『●「失敗から学べ」? 《火事場ドロボー》1号がよくもまぁ…《自分が
プーチンを増長させた張本人であるという事実を消し去ろうとしている》』
『●火事場ドロボー…《このような状況で便乗型の様々なショック・ドクト
リンが出てきている…その一つが安倍晋三元首相による「核の共有論」》』
『●「あほか」…3.11から11年、ウクライナへのロシア侵略に乗じて
《火事場ドロボー》らがウヨウヨ、ワラワラと湧いてくる始末なニッポン』
『●《「ストップ・プーチン」に動く気が岸田にあるのなら、あらゆる
アベ案件から直ちに撤退しなければおかしい。二枚舌は通用しない》』
『●《火事場ドロボー》1号アベ様という《安全保障上の脅威》…
《またぞろ…物騒なことを叫んでいる》《アベノマスク着けて黙っとれ!》』
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/172904】
切れかけの汚染配管をワイヤロープで固定へ 地震で切れ落ちて垂れ下がる恐れ 東電福島第一原発
2022年4月20日 19時55分
東京電力は20日、福島第一原発(福島県大熊町、双葉町)の1、2号機間にある高濃度の放射性物質で汚染された配管が、切断中の複数回のトラブルでもろくなっているため、ワイヤロープで近くの別の配管に固定すると発表した。汚染配管は一部が切れかけの状態で、地震などで切れ落ち、折れて垂れ下がる恐れがある。
(9割切って作業が中断し、地震で切れ落ちて折れて垂れ下がる
可能性がある配管=東京電力福島第一原発で(東電提供))
切断を試みている配管は直径約30センチ。3月27日に遠隔操作の装置で、初回に撤去する約11メートル(重さ約1トン)の両端の片側9割を切った後、切断器具が配管に食い込んで動かなくなり、作業を中止した。3月1、2日に失敗した際の切れ目も近くに集中し、配管の強度が下がっている。
今月19日の調査で、切れかけの配管のゆがみが大きくなっていることが判明。20日にクレーンによる遠隔操作でワイヤロープを配管に巻き付ける作業を始めた。
(撤去対象の細い配管は写真中央部分を9割切ったが、作業が中断。
地震で切れ落ちて折れて垂れ下がる可能性があるため、太い配管と
ワイヤで固定する=東京電力福島第一原発で(東電提供))
トラブルの原因調査は終わらず、撤去再開は見通せない。東電は計135メートルの配管を26分割して、4月中に撤去する計画だったが、目標を9月末までに変更した。
配管は2011年3月の事故直後、原子炉格納容器の破裂を防ぐために炉内の汚染蒸気を放出する排気(ベント)で使われた。11年が過ぎても、人が近づけない。(小野沢健太)。
【関連記事】1カ月で終わるはずが...切断進まない高濃度汚染配管 東京電力の準備に不備多く撤去難航 福島第一原発
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[※↑ 双葉町で牧場経営していた鵜沼さんがキクハナと再会…希望の牧場にて (報道特集 2021年03月06日[土])]
(2022年03月13日[日])
東京新聞の【<社説>3・11から11年 ペットだって被災する】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/164762?rct=editorial)。
《あまりに切ない一枚です。小屋の近くでタオルを掛けられた犬。よく見ると、鎖につながれたままではありませんか。取り残されたわが家で、何を思いながら力尽きたことでしょう。東日本大震災から数週間後、福島県浪江町でのひとこまです》。
《ペットだって被災する》。「原発さえなければと思います」…《原発さえなければ》、結果は随分と違ったものになっていたでしょうに。核発電所さえなければ…。何の罪もない、《希望の牧場》の牛たちのことを想いました。
11年経って、何の進展もないし、何も解決していない。「事故はなかったことにされた」も同然な現状 ――― 『吉沢正巳さん「被ばく牛は原発事故の生き証人。処分すれば証拠は消え、事故はなかったことにされる」』。
『●大飯原発再稼働撤回に向けて、この熱気を見よ!』
『●「浪江町で300頭の牛を一人で飼っている
牧場主の吉沢正巳さん」国会前スピーチ』
「(OurPlanet-TV、…)では、「浪江町で酪農を
経営していた「希望の牧場」の吉沢正巳さんは、「政府は福島の
原発事故を過去のものとして蓋をして、再稼働でばんばんいって
しまう。今回の事故で誰が責任をとっているのか、皆逃げている。
言い訳をしてる。ごまかしてる。嘘ついている。もうたくさんだ。」
と力強く話した」そうだ」
《被ばく牛と生きている牧場主の声を聴いてほしい!
ドキュメンタリー映画の『フタバから遠く離れて』をみて以来、
気にかかっていた人がいた。それは浪江町で300頭の牛を一人で
飼っている牧場主の吉沢正巳さん(写真)のことだ》
『●終わらない原発人災の影響:
「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ…」』
『●吉沢正巳さん「被ばく牛は原発事故の生き証人。処分すれば
証拠は消え、事故はなかったことにされる」』
「《福島原発事故で故郷の町を奪われ、避難生活を強いられる
根本昌幸さんの「柱を食う」である》… 《/牛よ/恨め恨め/
憎き者を恨め/お前を飼っていた者ではない。/
こういうふうにした者たちを》。そして、《福島県いわき市の
芳賀稔幸さんの「もう止まらなくなった原発」だ》…
《失ったものは永遠に帰っては来ない/元通りに出来ないはずだのに
/責任をはたすって?/何の責任をだ/一体責任って何だ?》」
『●希望の牧場・吉沢正巳さん「この牛たちを見て、命の扱い方とか、
原発があるというのはどういうことかを考えるきっかけになってほしい」』
《福島県浪江町の「希望の牧場・ふくしま」。代表の吉沢正巳さん…
吉沢さんは自身のことをベコ(牛)屋と呼ぶ。「ここにいる牛は
経済的には意味がない。けれど生きるってことに意味がある。
餓死もせず、殺処分もされず、生きてきた。これからも餌食って
くそたれて、寿命までここで暮らす。この牛たちを見て、
命の扱い方とか、原発があるというのはどういうことかを考える
きっかけになってほしい。3・11を風化させないためにも
ここを維持する」。牛と共に生きる覚悟を決めたベコ屋の意地が見えた》
「原発さえなければと思います」…この哀しい〝声〟に尽きます。「原状回復」することも無く、する気も無く、核発電「麻薬」中毒な《火事場ドロボー》どもは《原発回帰》へ。正気だろうか? 《汚したらきれいにして返すのが当然》です。元通りにして下さい、東京電力核発電人災前の元通りの姿に。自公お維コミを支持し、投票する皆さん、《火事場ドロボー》に手を貸す大愚行をやっている自覚はないのですか?
『●台湾有事を煽り《ロシアのウクライナ侵攻のような軍事衝突にまで
エスカレートさせてはならない…外交による対話を強めなければならない》』
『●誰が壊憲を望んでいる? COVID19禍のドサクサ、ロシア侵略の
火事場ドロボー1号、2号、3号…らによる壊憲など許されるはずもない』
『●《思考力あるならば殺し合わずに済む方法…、政治力を持って開戦に
至らない道を見つける事だ。ところがその政治家本人が核武装を…》』
『●《当事者でない他の国が声をあげ、国際世論をつくり出すことが、理不尽
な状況の抑止につながるというのは、国際社会の常識ではないか》!』
『●経済産業省資源エネルギー庁「復興のあと押しはまず知ることから」?
「復興のあと押しはまず〝原状回復してみせる〟ことから」です』
『●東電核発電人災から11年: 《原発事故は終わっていません。
政府が復興の名のもとに困難に陥った人たちをさらに追い詰める…》』
『●《やっぱりここさ帰りたい。親が開拓して受け継いだ土地。次の世代に
残してやりたい。汚したら、きれいにして返すのが当然じゃないか》』
『●小出裕章さん《国と東電が策定したロードマップは「幻想」です…
つまり、デブリの取り出しは100年たっても不可能》、石棺しかない』
『●《政府は過去に原発が武力攻撃を受けた際の被害予測を報告書に
まとめていたからだ。しかも、その被害予測は凄まじい内容だった…》』
『●《【原発耕論…】福島事故で被ばくしたこどもたちに、不安なく過ごせる
未来を!(311子ども甲状腺がん裁判)》(デモクラシータイムス)』
『●《政府機関の地震予測「長期評価」に基づく試算から原発への大津波の
到来は予見できた…対策の先送りを許した国…国に重大な法的責任》』
『●《武藤類子さん…が講演し、今も続く過酷な被害を訴えた。ロシアに
よるウクライナの原発攻撃にも触れ「胸がふさがれる思い」と語った》』
『●《ひとたび制御を失った原発が、後世にどれだけの重荷を残すのか。
…廃炉作業が遅々として進まぬ現実が、原発の巨大なリスク》を顕在化』
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/164762?rct=editorial】
<社説>3・11から11年 ペットだって被災する
2022年3月10日 07時46分
あまりに切ない一枚です。小屋の近くでタオルを掛けられた犬。よく見ると、鎖につながれたままではありませんか。取り残されたわが家で、何を思いながら力尽きたことでしょう。
東日本大震災から数週間後、福島県浪江町でのひとこまです。撮影した太田康介さん=滋賀県草津市=たちは、その亡きがらを見つけ、白いタオルをかけ、薄紫の花を一輪、供えてあげました。
太田さんは大震災時、都内で保護猫と暮らす動物カメラマンでした。人々が避難した街を、えさを探して徘徊(はいかい)する犬や猫の存在を知ります。二〇一一年三月末、大量のペットフードと水を車に詰め込んで被災地に向かいました。
福島第一原発の半径二十キロ圏内に入りました。がりがりに痩せた猫がキャットフードにむしゃぶりついてきました。人も車も通らぬ国道を犬がとぼとぼ歩き、豚舎では大量の豚が身を寄せ合うように息絶えていました。この一枚では、倒れた仲間の横で、馬の目に涙が浮かんでいるように映ります。
原発が制御不能となり、国は矢継ぎ早に避難指示の範囲を拡大し避難先も変更しました。多くの住民は泣く泣く、ペットや家畜を置き去りにしたまま、故郷を離れざるをえなかったのです。
太田さんは週に一度、現地に通い続けました。「人間の都合で罪のない動物たちを死なせていいのか」。その一心でした。一時帰宅や立ち入り許可の権利を譲ってもらい、警戒区域内に計五十五カ所のえさ場を設け、里親のめどを付けては猫や犬を保護しました。
◆「同行避難」広めたい
大震災では二万二千人余の命が奪われました。国によると、少なくとも三千百匹余の犬も犠牲になりました。ただ猫をはじめ他ペットの実態は分かっていません。
ペットがいるために避難を躊躇(ちゅうちょ)して人も被災する。逆に、避難所に連れてきた動物の鳴き声やにおいに悩まされる。こうした過去の災害の教訓から、国は3・11以前から、指定避難所にペット専用の空間をつくるなど、ペットと共に逃げる「同行避難」という考え方を広めようとしていました。
しかし、その文言が防災計画に盛り込まれていても、ほとんどの被災自治体は、避難所や仮設住宅での具体的な運用を取り決めていませんでした。例えば福島県で実際に避難所に来た犬は三百五十五匹、猫は七十九匹のみ。机上の空論にすぎなかったのです。
大震災後、環境省はペットの防災ガイドラインを作りました。飼い主は少なくとも五日分のえさやトイレ砂などを備蓄する、迷子札や個体識別番号を記録したマイクロチップを装着する、ケージやキャリーバッグに入るようふだんからしつけをする、などです。
国は、ペットをどう扱うか、避難所運営マニュアルなどに反映させるよう、求めていますが、NPO法人、人と動物の共生センター(岐阜市)の奥田順之代表理事はどの自治体もなかなか進んでいないと指摘します。人や予算上の余裕がなく、ペットのことは後回しにされがちだと言います。
奥田代表は全国動物避難所協会を立ち上げ、ペットホテルや動物病院、宿泊施設に呼びかけ、災害時、ペットが泊まれる場所を各地につくろうとしています。「ペットがいるから避難をあきらめる。そんなことだけはないようにしたい」と奥田代表は話します。
◆苦楽を共にする仲間
歴史家の渡辺京二さんは著書「逝きし世の面影」で、幕末から明治期に来日した西洋人の記録を丹念に追っています。牛や鶏を食用にすると分かり、かたくなに譲渡を拒む農民、カメや魚との別れに涙する女性、往来に寝そべる肥えた野犬…。近代化前の日本人にとって、動物は、飼うというより、生や苦楽を共にする仲間だったと結んでいます。
このコロナ禍で改めて見直されていますが、われわれは目に見えない多くのものをペットから得ています。ペットたちもまた、人なくしては生きていけません。
翻って、防災の基本とはいかに想像力を働かせるかにあります。災害からどう逃げ、どう命を守るか。われわれの仲間たちのことも決して忘れたくないものです。
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[※ ↑「原発さえなければと思います」(週刊金曜日、2021年03月12日、1320号)]
(2022年02月26日[土])
マガジン9の記事【【寄稿】「おめでとう」と言えない正月(青木美希)】(https://maga9.jp/220112-5/)。
《政府は生活できる環境がないまま、帰還政策を進めています。政府は、浪江町など帰還困難区域700世帯を含む2万世帯の避難住宅提供を打ち切りました。さらに浪江町や南相馬市などの避難者、帰還者らへの医療費無償の支援策も打ち切る方針を出しています。避難指示解除されれば固定資産税の減免もなくなっていきます。原発事故は終わっていません。政府が復興の名のもとに困難に陥った人たちをさらに追い詰めることがないように、私は被災者の声を発信し続けていきたいと思っています》。
『●お見舞い申し上げます…』
『●あの3・11原発人災から1年: 松下竜一さん「暗闇の思想」を想う』
『●3.11東京原発人災から2年が過ぎて』
『●「福島原発事故の今」
『週刊金曜日』(2014年3月7日号、982号)について』
『●3.11東京電力原発人災から4年:
虚しき「地球にやさしいエネルギー原子力 人にやさしい大熊町」』
『●東電核発電人災から5年: 「今や世界の笑い者…
政権批判をいとわないキャスターの首を差し出した」』
『●東電核発電人災から6年: 4つの「生」+「命」「活」「業」「態」…
どれか一つでも原状回復できたか?』
『●東電核発電人災から7年: 「村の生活は百年余りにわたり、
人生そのもの」…「やっぱりここにいたいべ」』
『●東電核発電人災から8年: 《11日の夜9時すぎには、
東電の社員も家族もだれ一人双葉町に残って…》』
『●東電核発電人災から9年: 金(カネ)色の五つの輪《オリンピック
聖火リレーを前に「福島はオリンピックどごでねぇ」》』
『●東電核発電人災から10年: あの人災から何の教訓を得ることもなく、
何も変わらないニッポン…核発電〝麻薬中毒〟から抜け出せないまま』
《原発事故は終わっていません。政府が復興の名のもとに困難に陥った人たちをさらに追い詰める》…11年経っても何も変わらない。東電や政府、自公お維コミ議員達は、さっさと早く「原状回復」してみせて下さい。元の環境に戻してみせてよ。毎年、その事をお願いしているのですが、一向に「原状回復」する気がないようだ。そのくせ、汚染水を海洋放出したい? バッカじゃなかろうか。
《「もともとあった肥沃な土は放射能で汚染されたため除染で取り除かれ、山砂が入れられました。元の田んぼになるまでは長い年月がかかりますね」》《地産地消の豊かな暮らしが、かつて、ここにありました》《政府が「復興した姿を世界に発信する」とした復興五輪は終わりましたが、復興どころか、手付かずのまま10年8カ月過ぎた家々が、ありました》…さっさと元に戻してください、核発電「麻薬」中毒な皆さん。
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【https://maga9.jp/220112-5/】
特別企画
【寄稿】「おめでとう」と言えない正月(青木美希)
By マガジン9編集部 2022年1月12日
東京電力福島第一原発事故による被災者の方たちを取材し続けているジャーナリストの青木美希さんから、帰還困難区域の様子、避難指示が進められるなかでの被災者の声を映像とともに寄稿していただきました。
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避難先で迎えた11回目の正月
2011年の福島第一原発事故から今年で11年となります。政府は今でも原子力緊急事態宣言を発令中で、数万人が避難を続けています。一方で、復興五輪が終わり、「もう復興したんでしょ」という声を聞くことが増えてきました。現地は復興しているのでしょうか。
福島県浪江町の柴田明範(あきのり)さん(55)は今年も避難先の福島県二本松市内で正月を迎えました。二本松市内で、11回目の正月です。
柴田さんは、これまで仮設住宅で知り合った人たちや支援者を含め100枚以上の年賀状をやり取りしてきましたが、10年を機に、年賀状を書くのをやめました。20人ほどがそれでも年賀状を送ってきてくれましたが、「迎春」と書いて返しました。
「10年たっても戻れない。失礼とは思いますが抵抗がある。どうも、新年おめでとうという気持ちになれない。なんとなく1月1日が来た感じ。避難している人たちはおめでとうと言いたくない人が多いと思う。心から言える人はいないと思います」と話しました。
柴田さんと私は、長くフェイスブックでつながっています。
柴田さんは毎年、正月に「おめでとうと言えない」と友達限定の投稿で書いていました。今年もまた、柴田さんにとってはおめでとうと言えない正月になりました。
(柴田さんご夫妻)
原発事故で、柴田さんの正月はまったく違ったものになりました。
事故前は、柴田さんの家に親せきたち20人以上が集まり、飲んで騒いでつぶれ、泊っていっていました。家族と父母だけではなく、父の兄弟や浪江町にいる柴田さんの妹も来ていました。自宅で作った炭の炭ごたつや七輪で暖かく、臼と杵で餅をつき、七輪で焼きました。酒を飲めない柴田さんも楽しみました。
いまは、避難先の二本松市の中古住宅で、柴田さんの家族が元日の昼に集まるだけです。酒もなく、騒ぐこともありません。自作の炭もなく、餅はオーブントースターで焼きます。柴田さんの妻が作った煮物をみんなで食べました。騒ぐことはできないと言います。「近所の人たちが自分たちを避難者とみている。バカ騒ぎはできないから」
3歳と2歳の孫3人が走り回り、柴田さんに「じいじ」と抱っこをせがんできたのが唯一うれしかったことだと言います。それでも「子どもたちに明るい言葉はかけられなかった。かぜひくなよ、冬道気をつけろよ、ぐらいです」と話していました。
2022年の正月を一緒に迎えた方々と喜びをわかちあいたい、という気持ちが「明けましておめでとう」なのだと思いますが、そのおめでとうですら違和感がある方々がいます。原発事故被害が回復するどころか、いまも被害が生じ続けているからです。
私は、この現状を知ってほしくて、この原稿を書いています。
現地で撮影してきた動画を掲載しました。原発事故の被災地がどのような状況にあるのか、記事と動画を交えて見ていただければと思います。
帰還困難区域にある柴田さんの自宅へ
2カ月前の2021年11月7日、私は柴田さんと、福島県浪江町の帰還困難区域にある、柴田さんの自宅に向かいました。国道114号から津島地区の集落に入る道路は、「内閣府」と書かれた銀色のバリケードでさえぎられています。
警備員に許可証を見せ、ゲートを越えた途端、柴田さんの線量計からピーピーというアラーム音が出ました。数値は0.7~0.8マイクロシーベルト/時。時間の経過とともに減ってきたとはいえ、まだ事故前の県内各地の大半の線量の20倍程度もあります。
東京電力福島第一原発の事故後、政府は除染を進め、少しずつ「避難指示」を解除してきましたが、原発から北西に延びる放射線量が高い地域、7市町村にわたって今も帰還困難区域があります。そのエリアの除染対象はわずか8%で、そのほかの地域は、政府は2020年代に希望者が帰還できるよう一部を除染し、避難指示を解除する基本方針を決めています。柴田さんの自宅もこの地域です。これまで政府は地域一帯の除染をしてきたのに一部のみの除染になることに、住民から「まだら除染になり、放射線量が上がってしまう。ほかと同じように地域一帯を除染してほしい」と要望が出ています。
帰還困難区域のうち、この津島地区には約1400人が住んでいましたが、放射性物質が多く飛散したため、国が道路にバリケードを張り、住民が自宅に行くためにはその都度、事前に許可手続きをしなければなりません。今も住むことができません。
ゲートを越えて草ぼうぼうになった細い道を車で進みます。線量計のアラームがピーピーと鳴り続け、放射線量は上がっていきます。車内で1.5マイクロシーベルト/時を超えました。事故前の30倍以上です。
ところどころ除染が行われている様子が見られました。この年の7月に来たときは森のようになっていたところが、除染が進められて草木が刈られ、重機で田んぼの畔(あぜ)が再建されていました。
運転席で柴田さんが言いました。
「もともとあった肥沃な土は放射能で汚染されたため除染で取り除かれ、山砂が入れられました。元の田んぼになるまでは長い年月がかかりますね」
柴田さんの家は、私道を登っていたところにあります。町道から、柴田さんの家に入る私道に右折した途端、両側は森になりました。やぶに囲まれた細い道です。枝がところどころに落ちているため、車を何度も止めて、そのたびに車を降りて枝をよけなければ前に進めません。
「両側にはうちの畑が広がっていました。ブルーベリーや白や紫、ピンクのリンドウを育てて、いつか奥さんとブルーベリーの観光農園をやろうと思っていました」
柴田さんが住んでいた家と畑を切り開いたのは柴田さんの祖父母で、柴田さんで3代目。原発事故当時は父母と妻、子ども5人の計9人で暮らしていました。
止まったままの時計、イノシシの足跡……
やぶの道をさらに進むと、瓦屋根の平屋住宅が見えました。サンルームや玄関の下部にオレンジ色のベニヤ板が張られています。
「イノシシ除けだよ」
ベニヤ板にはイノシシの茶色い足跡が残っていました。新しい足跡と古い足跡が混在しているように見えます。
「汚染がひどくて、家にはもう住めないんです。新潟大学の教授に家の中の放射線量を測ってもらって『住めるレベルではない。解体しかない』って言われた。だから、もう住めない……それでも、イノシシに荒らされるのは許せない。将来は長男一家が住めるようにと思って、平屋の上に2階を建て増しできる作りにしたんですよ」
柴田さんはカギを開けると、板をまたいで家に入りました。
居間も子ども部屋も台所も、天井のあちこちにクモの巣がかかっています。居間の中央にはクリーム色の天板と布団のこたつがありました。
「家の木を切って炭焼きをして木炭にして、こたつに入れてました。すごいあったかいから。足をいれると体がばーっとあったかくなる」
柴田さんは木造の自宅の柱や鴨居を見ながら言います。
「この家は、祖父がうちの土地で育てたスギやマツ、クリの木で建てたんだ」
「山菜がとれると近所でお互いに交換してね。そういうのがすごく楽しみだったんだ」
地産地消の豊かな暮らしが、かつて、ここにありました。
この場面の動画がこちらです。
(https://youtu.be/b5HbqBgnPmw)
居間には黒く四角い掛け時計がかけてありましたが、地震があった2時46分で止まっています。月めくりカレンダーは2011年3月のまま。長女の部屋にはハンガーにセーラー服の夏服と冬服がかかっていました。
柴田さんが長女の部屋で「あ」と声を上げ、紺色のファイルを手にしました。
「3・11は長女の中学の卒業式だったんだよね。夜はみんなでお祝いしようねと言っていた……」
「長女は、もう終わったことだからと言って、避難してから一度も家に足を踏み入れたことがない」
ときが止まっていました。
客間の天井近くの高い場所に、紋付き袴の男性や着物姿の女性の写真が並んでいました。この土地を拓いた祖父や祖父の親族の写真だと言います。
「先祖に見守っていてもらいましょう、と妻と言いあって、写真は飾ったまま、置いたままになっているんです。何十年も住んだ場所。やっぱり自分の家は落ち着く。じいちゃんから親、親からおれ、本当は息子につなぎたかったけど、かなわないわね」
自宅の隣には柴田さんの両親の家がありました。ガラス戸が破られ、玄関のドアは開きっぱなし。ピンクの座布団が玄関に落ちています。中に入るとテーブルがひっくり返り、タンスが倒れ、足を踏み入れることはできません。私は思わず、「こんな風になりますか」と声を上げてしまいました。「イノシシが全部突き破って」。部屋の後ろ側、壁があるはずのところから、外のやぶが見えます。壁が外れています。「壁ぶちぬいて。……怖いね」。柴田さんは疲れ切ったように話していました。
撮影してきた動画はこちらです。
(https://youtu.be/5tSSrFkkW6o)
政府が「復興した姿を世界に発信する」とした復興五輪は終わりましたが、復興どころか、手付かずのまま10年8カ月過ぎた家々が、ありました。
「選手にここに来て、世界に実態を伝えてほしかった」と柴田さんは話していました。
生活環境が整わないまま、進められる帰還政策
避難指示解除されたところでは何が起きているのでしょうか。
私は2021年11月27日、双葉屋旅館を経営する小林友子さんに話を聞きました。
小林さんは福島県南相馬市小高区のJR小高駅前の「双葉屋旅館」4代目。福島第一原発から20キロ圏内にあり、政府の避難指示で小高区の全員が避難しました。
小林さんは原発事故後、長男が住む名古屋市に避難しました。ハローワークに行っても50代という年齢で仕事が見つからず、地元で旅館を再開することを決めました。政府は事故から5年4カ月たった2016年7月に小高区の避難指示を解除しましたが、小高区の原発事故時の住民登録者数は12,840人で、2021年11月30日現在の居住者は3,800人ほど。居住者の半数が65歳以上です。
小林さんは語りました。
「多くの事業者が再開しておらず、家業と別の勤め先の兼業で暮らしていた人たちが多かったなかで、仕事は残念ながらやっぱりありません。3世代で住む家も多かったのですが、自分の代でいい、自分たちの代で完結するという思いの人たちが帰ってきています。建て替えの時に家を小さく、平屋にしたり」
農業や商業を営みながら、さらに別の勤め先で働いて暮らしてきたのに、その兼業先がないため帰れないと言います。何より、小高は、南側で原発で栄えていた双葉郡と商圏の結びつきが強かったなかで、この商圏が壊れてしまいました。
「自分たちの代で完結する」という言葉が悲しく、重く響きました。
(双葉屋旅館の小林友子さん)
「10年過ぎて見えてくることは、本来はずっと土と一緒に生きていた方が暮らせるんですよね。生業(なりわい)がなくても生きていける土壌だったんですよね。今まではコメや野菜を自分たちで作っていました。それがみんなお金で買わないといけない。キノコだったり海のものだったり。そこで育った人たちの失ったものをちゃんと見てないよね。本当にしんどいのが現実」
私は避難者の方々から「初めてコメを買った」という言葉を多く聞きました。買わなくても食べ物はほとんどまかなえる生活だったと。
「両手にいっぱいの買い物袋を持っていると『いいな』って言われるけれども買わないと生きていけないから。『いいな』って言われましたけど、『なくなったんだよ』って。月10万円の慰謝料はあっという間になくなりました。全部買わないといけない。あんなにお金がなくなるとは」
同じ言葉を、避難してきた多くの方から伺いました。そして、避難者を受け入れている人たちからは「避難者の人たちはものすごいたくさん買い物していくんだから」という非難めいた言葉も多く聞きました。賠償金の差、強制避難か否かの差、政府が生んだ多くの差が精神的な分断を生んでいます。
「家に帰らないでいると、隣の人から『草ぼうぼう、草刈りしろ』と言われるのが一番つらい。だから田んぼを人にまかせちゃう。そうすると太陽光発電が造られる。知らない間に虫食いのようにできていってしまう。山ががんがん切られて木も切られて。里山から除染のあとを埋めるために山土がとられ、山がなくなっていく。それが災害の一つの原因になる。原発事故って放射能だけじゃない被害を起こしていると知ってほしいです。食料が不足すると言われているときに、どうしていい場所の農地をつぶしていくのか。ソーラーも都会ではなく、地権者、福島に収益や雇用を生み、経済が回るシステムを議論してほしい。帰れと言うのなら受け入れる素地をちゃんとしてほしい」
帰れと言うのであれば、その環境を。それもその通りです。小林さんは「次に繋いでくれる人もいる事も現実」といいますが、雇用の場の整備がなければ生活できません。
小林さんに会う前に、私は50代の楢葉町の男性から話を聞いていました。
その男性は、避難指示で避難し、政府が避難指示解除をしたから戻ってきたけれども、元々勤めていた事業所は閉まってしまった。再就職先も見つからず、結局非正規雇用しかない、と話していました。
政府は生活できる環境がないまま、帰還政策を進めています。
政府は、浪江町など帰還困難区域700世帯を含む2万世帯の避難住宅提供を打ち切りました。さらに浪江町や南相馬市などの避難者、帰還者らへの医療費無償の支援策も打ち切る方針を出しています。避難指示解除されれば固定資産税の減免もなくなっていきます。
原発事故は終わっていません。政府が復興の名のもとに困難に陥った人たちをさらに追い詰めることがないように、私は被災者の声を発信し続けていきたいと思っています。
青木美希(あおき・みき)ジャーナリスト。北海タイムス(休刊)、北海道新聞を経て全国紙。「道警裏金問題」取材班で菊池寛賞など受賞。原発事故検証企画「プロメテウスの罠」、「手抜き除染」報道で各取材班で新聞協会賞を受けた。原発事故被害を描いた『地図から消される街』(講談社現代新書)は貧困ジャーナリズム大賞、日本医学ジャーナリスト協会賞特別賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞を受賞。8刷に。新刊『いないことにされる私たち』(朝日新聞出版)を2021年4月に出版した。日本ペンクラブ言論表現委員。
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[※ ↑「原発さえなければと思います」(週刊金曜日、2021年03月12日、1320号)]
(2021年08月29日[日])
時事通信の記事【全域で20年代帰還へ 福島の避難解除方針―政府】(https://www.jiji.com/jc/article?k=2021082300459&g=soc)。
《東京電力福島第1原発事故の帰還困難区域のうち、避難指示解除の見通しが立っていない地域について、政府が2020年代中に希望者全員が帰還できるよう解除する方針を固めたことが23日、政府関係者への取材で分かった。今月にも復興推進会議・原子力災害対策本部の合同会合を開き、正式決定する》。
東電と国は、まずは「原状回復」、つまり元通りに戻してから、《避難解除》の検討に入ってください。《自民、公明両党の東日本大震災復興加速化本部が、帰還困難区域に関して「帰りたいと思う住民が一人残らず帰還できる」よう求める提言を菅義偉首相に提出》したそうだが、順番が逆でしょ。まずは、元通りの生活空間に戻してください。そうすれば、お願いされなくったって、多くの皆さんは故郷の生活に喜んでお戻りになります。「原発事故前の故郷に戻して」が多くの皆さんの唯一のお願いではないのですか。
「原発事故前の故郷に戻」すことなど不可能、そんな不可能なことをいつまで言っているのか……そんな主張に対して、返す言葉がありません。そう主張したいのならば、核発電再稼働、核燃サイクル、新高速炉「アベシンゾウ」…などなど、直ぐに断念し、すぐさまの全炉の廃炉作業に入るべきです。
『●「国際的に一番厳しい基準を設けている」し、
そして「原状回復」したのならば、「そこ」に住んでみては?』
『●東京電力原発人災、支援の幕引き:
「区域外避難」者も含めて「“棄民”政策だというそしりは免れない」』
『●今村雅弘復興相、「本人の責任」
「裁判でも何でもやればいい」と…「死の町」にした者こそ糾弾されるべき』
『●今村雅弘復興相「問題は激高よりも「自主避難は自己責任」発言」
…ココで「自己責任」論に出くわすとは…』
「それにしてもこんなところで「自己責任」論が出てくるとは、
唖然としました。《誰が好き好んで自主避難などするだろうか》!」
『●東京電力原発人災、支援の幕引き:
「区域外避難」者も含めて「“棄民”政策だというそしりは免れない」』
『●東京電力に核発電所を再稼働させる資格はあるのか?
無条件で即時に全ての廃炉作業に入るべき』
『●アベ様による「棄民」政策をも追認…東電旧経営陣の
刑事裁判で永渕健一裁判長は「無罪」という「政治判断」を下した』
『●やはり核発電は「金のなる巨大木」だった…
高浜「原発マネー」が八木誠会長ら関西電力経営陣個人に見事に《還流》』
『●東電旧経営陣に無罪判決…《誰も事故の責任を取らなければ
企業に無責任体質がはびこり、また同じことが起きる》』
『●東京電力核発電人災、決して自主避難者の《自己責任》ではない
…「原発事故がなければ福島を出た人は誰もいない」』
「《住宅無償提供打ち切りで、避難を続けるか、福島に帰るか選択に
迫られた。家賃の支払いをめぐり被告となる人たちも出ている》…
何という無慈悲。自主避難者を《被告》にする? デタラメ」
『●《「知っている町はどこかに行ってしまいました。返してください!
10年前を!」。故郷をめちゃくちゃにされたことへの怒りは深かった》』
『●武藤類子さん《本来ならその人たちにとってもこの10年、まったく
違った時間があったはず…原発事故は、その時間を奪ってしまった》』
『●「復興五輪」!? 原状回復してから言ってくれ…片山夏子記者【「原発
事故前の故郷に戻して」 浪江町・津島訴訟の原告団長が語った決意】』
『●《原発再稼働や増設を唱える連中の頭の中を掻っ捌いて、中身を
見てみたい》(鈴木耕さん)――― なぜ今直ぐ「原状回復」しないの?』
『●富岡町の「白地地区」に自宅がある避難民の方「…国も東電も避難者を
ばかにし、うんと軽く見ている」…さっさと《原状回復》してみせよ』
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【https://www.jiji.com/jc/article?k=2021082300459&g=soc】
全域で20年代帰還へ 福島の避難解除方針―政府
2021年08月23日13時43分
(町のほとんどが帰還困難区域に指定されている
双葉町=3月10日、福島県双葉町)
東京電力福島第1原発事故の帰還困難区域のうち、避難指示解除の見通しが立っていない地域について、政府が2020年代中に希望者全員が帰還できるよう解除する方針を固めたことが23日、政府関係者への取材で分かった。今月にも復興推進会議・原子力災害対策本部の合同会合を開き、正式決定する。
居住3割、帰還頭打ち 避難解除区域、存続に危機感―原発事故から10年・福島
帰還困難区域のうち、22~23年春の避難解除を目指している「特定復興再生拠点区域」(復興拠点)は面積全体の約8%にとどまる。復興拠点外の解除について政府が具体的な方針を示すのは初めて。この地域には約2万人が住民登録をしており、今後、個別に意向を調査した上で除染作業を行うとみられる。
除染は地元自治体と相談した上で範囲などを決め、全額国費で実施される。このため、福島復興再生特別措置法を改正し、復興拠点外の避難解除などについて盛り込む見通しだ。
今年7月には自民、公明両党の東日本大震災復興加速化本部が、帰還困難区域に関して「帰りたいと思う住民が一人残らず帰還できる」よう求める提言を菅義偉首相に提出していた。
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[※↑ 双葉町での聖火リレーに際しての大沼勇治さん(報道特集 2021年03月27日[土])]
(2021年04月11日[日])
片山夏子・保坂千裕の両記者による、東京新聞の記事【「政府は押し切るのか」原発汚染処理水の海洋放出に福島の漁業関係者が憤慨】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/96490)。
《東京電力福島第一原発で保管が続く汚染水を浄化処理した後の処理水を巡り、菅義偉首相は7日夜、近く処分方法の方針を決めると明言した。政府が念頭に置く海洋放出処分となれば、漁業関係者への打撃は必至で、福島県や隣接する茨城県からは強い反対の声が上がった。(片山夏子)》。
『●《子どもたちに、原発が安全なエネルギーと思ってほしくない。同じ
過ちを繰り返さないため、声を上げられなかった人たちの分まで…》』
東電核発電人災汚染水放流に反対…(筆洗)《取り除くべきは放射性物質に加えて、地元の心配であり、悩みである。簡単には水に流せぬ》。
正に《簡単には水に流せぬ》し、流してはいけない。愚行。アベ様曰く《アンダーコントロール》なんでしょ? 元・最低の官房長官=現首相も「汚染水の『影響』は完全にブロック」と仰っているのでしょ? では、東電と国の方で、そのまま制御し続けてください。それを公約に、金(カネ)色の五つの輪を東京に招致したのですから、復興五輪と嘯いて。いまさら〝処理〟水を、なんで《海洋放出》《海に放出》する必要があるの? ブログ主は実害が出ると思いますが、風評だと仰るのなら、東京湾や(お維もお望みのようですから)大阪湾に放流すればいい。自民党や公明党の本部にでも降り掛けてみたら? ブログ主は《X年後》を恐れます。
利権漁りカースーオジサンは、4月13日にも、それを決める模様だ。愚かすぎるし、世界中の顰蹙を買うことになる。
『●東京電力原発人災、
今頃公開されたわずかな捏造・改竄映像からでも分かったこと』
『●東京電力原発人災、汚染水問題は続く』
「しかし、海に放出を検討なんて、無責任にもほどがある。
今も地下水を汚染し続けていると思うけれども、「ほとんどの種類の
放射性物質を法定濃度未満になるまで除去」するなんて本当にできる
のかどうか眉唾であり、それを海に放出するなんて許されるのか?」
『●トリチウム、使用済み吸着剤の処理・処分、…
再稼働や輸出なんてやっている場合か?』
『●屁理屈にもなっていない…
菅義偉官房長官「汚染水の『影響』は完全にブロック」』
『●「暴走するゾウ、ゴジラを解き放とうという「愚」」な
東電をどのように「信頼」すればよいのか?』
《原子力規制委員会は二〇一七年以降に海洋へ放出すべきだとして
いるが、全国漁業協同組合連合会(全漁連)は反発を強めている。
水産関係者にとっては死活問題だけに、当然だ。
米スリーマイル島原発事故の際にも、約六千トンのトリチウム汚染水が
残された。米原子力規制委は、河川への放出など九通りの選択肢を
地元住民に提示した。そうして選ばれたのが、ボイラーで少しずつ
大気中に蒸発させるという方法で、処理には十年をかけた。福島とは
量が違う。廃炉は早く進めたい。
しかし、トップダウンで決めるべきではない》
『●東京電力核発電人災、膨大な《デブリの総量も
3基で計約880トン》…1個のデブリを僅かに持ち上げた?』
《汚染水を浄化した後に残る放射性物質トリチウムを含んだ水の扱いも
異なる。TMIでは近くの川への放出が検討されたが、下流域の住民が
反発。91年から93年に約9000トンを蒸発させ大気中に放出処分
した。一方、第一原発では貯蔵量が既に100万トンを超えて増え続け、
政府が海洋放出などの処分方法を検討しているが、結論は出ていない》
『●《安倍晋三首相は…「まったく問題はない。
汚染水の影響は、港湾内で完全にブロックされている」と強調した》』
《交代直前に、薄めに薄めた“希釈した”表現で次の内閣に宿題を
言い放った環境相・原田義昭の発言の重みと衝撃をどうとらえるかは
内閣の大きなテーマとなる。 ★それは10日の閣議後の記者会見で、
東京電力福島第1原発から出る放射性物質を含んだ汚染水を
「思い切って(海に)放出して希釈するしか方法がない」という発言だ。
「海に放出する」となれば、ストロンチウムなどの放射性物質の
基準値を超えた汚染水を海に垂れ流すことになり、
「アンダーコントロール」発言を世界が蒸し返すだろう。ことに
韓国や中国などは強い反応を示す可能性があり、新環境大臣となる
小泉進次郎の発言が極めて重要となる》
『●むき出しの「言論弾圧政党」は《人材の宝庫》…
《この内閣の水準の低さ…自民党は…国民の気持ちを第一に考えな》い』
《経産の決定を環境相として真っ向から挑んでいくのが仕事ではないのか。
政治家としても閣僚としても2人の発言は憲政史上まれに見るお粗末さだ。
閣僚の発言は官房長官や首相の責任でもあることを付記しておく》
『●三浦英之記者の質問「今でも『アンダーコントロール』だとお考えで
しょうか」? アベ様のお答え「…その中で正確な発信をした…」!?』
《元東京都小金井市長の佐藤和雄事務局長は会見で「国が進める
核燃料サイクルは、既に破綻している」と述べた。佐藤事務局長らは、
運転開始から四十年を超えた原発は再稼働するべきではないとも指摘。
東京電力福島第一原発で増え続ける放射性物質トリチウムを含んだ
水を、海洋放出の方が確実に処理できると強調した提言案を
政府小委員会が一月に大筋で了承したことを受け、
放出せずに長期保管するよう求めた》
『●東電核発電人災汚染水放流に反対…(筆洗)《取り除くべきは放射性
物質に加えて、地元の心配であり、悩みである。簡単には水に流せぬ》』
『●東京電力核発電人災から10年経って、この有様…アンダーコントロール
どころか人災は継続中、しかも、まだ核発電を続けたいという…』
『●武藤類子さん《本来ならその人たちにとってもこの10年、まったく
違った時間があったはず…原発事故は、その時間を奪ってしまった》』
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/96490】
「政府は押し切るのか」原発汚染処理水の海洋放出に福島の漁業関係者が憤慨
2021年4月8日 06時00分
東京電力福島第一原発で保管が続く汚染水を浄化処理した後の処理水を巡り、菅義偉首相は7日夜、近く処分方法の方針を決めると明言した。政府が念頭に置く海洋放出処分となれば、漁業関係者への打撃は必至で、福島県や隣接する茨城県からは強い反対の声が上がった。(片山夏子)
【関連記事】原発汚染処理水の海洋放出へ最終調整 地元の理解得られぬまま
福島県北部の新地町の漁師小野春雄さん(69)は「全国漁業協同組合連合会(全漁連)も福島県漁連も絶対反対という中、政府は押し切るのか。原発事故の被害を受けた地元や漁業者への説明も足りない。十分に声も聞かず、話し合いもせず決めるのか」と憤慨した。
2011年3月の原発事故後、福島の漁業は窮地に陥った。漁獲量を制限した試験操業は8年9カ月続き、今年3月に終了。4月からは本格操業に向けて、水揚げ量を増やすことになったばかり。小野さんは「我慢を重ねようやくだとほっとしたのに、風評被害の具体策も示されていない。われわれには死活問題。今このタイミングで流せば、後継者のなり手もいなくなり福島の漁業は衰退する」。
相馬原釜魚市場買受人協同組合長の佐藤喜成さん(68)は「今でも福島県の魚は価格が低い。10年たっても年収は半分にも満たない。風評被害は絶対に起きる。補償するなら漁業者だけでなく、仲買人や小売業者の補償もすべきだ」と訴えた。「流せば生きている間、そして息子の代もずっと影響を受ける。これだけ反対の声が上がっているのに、国は一方的に強引に流すというのか」
市民団体「これ以上海を汚すな!市民会議」の三春町の大河原さきさん(69)は、福島の多くの市町村が海洋放出に反対か慎重な判断を求めていることに言及。「県民の意見を聞く場を求めたが、ほとんど開かれなかった。影響は福島だけではなく、全国的な議論をすべきだ。民意を無視して、強行して決めるのは許されない」とくぎを刺した。
◆茨城県内からも「絶対に困る」
福島県境に近い大津漁協(茨城県北茨城市)の60代漁師は、菅首相が全漁連の岸宏会長との面会で海洋放出への理解をあらためて求めたことについて「絶対に困る」と語気を強めた。
「震災から10年たった今でも、大津の魚は(県内でも南に位置する)大洗や久慈より安い」と嘆き、海洋放出が決まった場合の補償に対する不安も訴えた。
別の50代漁師も「死ぬまで漁師をするつもりだった。せっかく魚が売れるようになったのに、また10年前のように騒ぎになってしまう」と風評被害の再燃を懸念した。(保坂千裕)
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(2021年03月22日[月])
安藤恭子記者による、東京新聞の記事【仲間の自死、見せかけの復興「このまま戻れない」…原発事故「自主」避難者たちの不条理な現在地】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/93000)。
《東京電力福島第一原発事故の後、福島県内の旧避難指示区域外から逃れた人たちは「自主避難者」と呼ばれ、さまざまな支援の外に置かれた。同県郡山市から川崎市に母子避難した松本徳子さん(59)もその1人だ。自主避難者への住宅無償提供が打ち切られた後、自死を選んだ同郷の母親もいた。「避難をした人、しない人。それぞれの選択が尊重される社会を願ってきたが、かなわなかった。不条理です」と自主避難者の現状を見つめる。(安藤恭子)》
『●今村雅弘復興相、「本人の責任」「裁判でも何でも
やればいい」と…「死の町」にした者こそ糾弾されるべき』
《今村雅弘復興相は四日の記者会見で、東京電力福島第一原発事故に
伴う自主避難者への対応を巡り、国の責任を質問したフリーの記者に
対し「二度と来ないでください」「うるさい」などと激高》。
《「自主避難者」について、今村雅弘復興相が「本人の責任」
「裁判でも何でもやればいい」などと発言した問題》。
《★この東電8000株所有の復興相・今村雅弘は、前任のパンツ大臣
より始末が悪いのか。そもそも何に激高し何に謝罪したのか》
《支援団体「避難の協同センター」(東京都新宿区)の満田夏花
(みつたかんな)事務次長は「被災者支援の要である大臣が、
原子力政策を進めた国の責任を無視している。大変ゆゆしき問題だ」
と怒る。「国は避難者の実情の把握を怠り、福島県に責任を
転嫁している。復興庁の避難者への姿勢が見えた発言で、
あまりにひどい」と話した》
『●今村雅弘復興相「問題は激高よりも「自主避難は
自己責任」発言」…ココで「自己責任」論に出くわすとは…』
『●東京電力原発人災、支援の幕引き:
「区域外避難」者も含めて「“棄民”政策だというそしりは免れない」』
『●東京電力に核発電所を再稼働させる資格はあるのか?
無条件で即時に全ての廃炉作業に入るべき』
『●アベ様による「棄民」政策をも追認…東電旧経営陣の
刑事裁判で永渕健一裁判長は「無罪」という「政治判断」を下した』
『●やはり核発電は「金のなる巨大木」だった…
高浜「原発マネー」が八木誠会長ら関西電力経営陣個人に見事に《還流》』
『●東電旧経営陣に無罪判決…《誰も事故の責任を取らなければ
企業に無責任体質がはびこり、また同じことが起きる》』
『●東京電力核発電人災、決して自主避難者の《自己責任》ではない
…「原発事故がなければ福島を出た人は誰もいない」』
「《住宅無償提供打ち切りで、避難を続けるか、福島に帰るか選択に
迫られた。家賃の支払いをめぐり被告となる人たちも出ている》…
何という無慈悲。自主避難者を《被告》にする? デタラメ」
『●《「知っている町はどこかに行ってしまいました。返してください!
10年前を!」。故郷をめちゃくちゃにされたことへの怒りは深かった》』
国や東電のデタラメに対する答えは簡単だ、責任をもって東電や政府が「原状回復」して見せればよいだけ。元の姿に完全に戻してくれれば良いだけ。責任を果たして下さればよいだけ。《原状回復》して見せてくれれば、喜んで皆さんは元の福島の生活に戻られるでしょうよ。それに、そもそもこんな核発電人災などなければ、《福島を出た人は誰もいな》かった。東京電力核発電人災、決して自主避難者の《自己責任》ではない…「原発事故がなければ福島を出た人は誰もいない」。
『●「故郷の川に身を投げたい衝動に駆られた」
「早く浪江に帰りたい」…「原状回復」することも無く…』
《全町避難が続く福島県双葉町で昨年末始まった「原子力広報塔」の
撤去工事が4日、完了…原発PR標語の看板の一部を業者が細断。
標語考案者の1人の大沼勇治さん(39)が「復元できない」と抗議し、
工事は工法変更の検討などで中断していた》
「双葉町で、《「原子力明るい未来のエネルギー」
「原子力正しい理解で豊かなくらし」と表裏に記された看板1枚の撤去を
開始》していたわけですが、ついに撤去。「愚」の一言…双葉町長の言う
《復興した時にあらためて復元、展示》は東電原発人災の何年後?
「麻薬」中毒患者にとって目の上のタンコブ、目障りな看板を取り去り
はずせて、せいせいしているのでしょう。標語の作者である大沼勇治
「少年」の言う《事故を思い出して原発を議論するきっかけになるもの》を
この世から〝消し去った〟わけです。愚かです」
『●核発電所は本当に《郷土の未来も照らしていた》のだろうか?
「原子力 破滅を招く エネルギー」を東日本大震災・原子力災害伝承館に』
(双葉町での聖火リレーに際しての大沼勇治さん、報道特集 2021年03月27日[土])
(双葉町での聖火リレーに際しての大沼勇治さん、サンデーモーニング 2021年03月28日[日])
(松本徳子さん)《2月の地震でも原発事故の恐怖はよみがえり「このままでは帰れない」と心に決めている。戻れば、福島が大丈夫と認めることになるからだ。「子どもたちに、原発が安全なエネルギーと思ってほしくない。同じ過ちを繰り返さないため、声を上げられなかった人たちの分まで、おかしいと言い続けなければと思っているんです」》。
《事故を思い出して原発を議論するきっかけになるもの》、10年が経過した今こそ、「原子力 破滅を招く エネルギー」「原子力 破 滅 未来のエネルギー」も嚙み締め、伝承すべきではないか。
『●原状回復が損害賠償の基本: 東京電力原発人災で
「ふるさとをなくした痛み」は全く癒えていない』
『●東京電力核発電人災の刑事裁判: 東京地裁永渕健一裁判長の判決は、
あまりに酷い理由も含めて《司法犯罪とも言える不当判決》』
《被告人全員無罪! 2019年9月19日、福島第一原発事故刑事裁判の
判決が下された。司法犯罪とも言える不当判決の内容を弁護士・
海渡雄一が徹底解説する、前作「東電刑事裁判 動かぬ証拠と原発事故」
の改訂版。東京高等裁判所での控訴審を前に全国民必見の33分間!!》
『●東京電力核発電人災後に《福島県から千葉県などに避難した住民ら
43人が国と東電に損害賠償を求めた集団訴訟の控訴審》で逆転判決』
『●東電核発電人災から10年: あの人災から何の教訓を得ることもなく、
何も変わらないニッポン…核発電〝麻薬中毒〟から抜け出せないまま』
『●希望の牧場・吉沢正巳さん「この牛たちを見て、命の扱い方とか、
原発があるというのはどういうことかを考えるきっかけになってほしい」』
『●《「国に法的責任はある」−原発事故で千葉県に避難した人々が
起こした訴訟での東京高裁の判断だ。規制権限の不行使を厳しく指弾した》』
『●《「知っている町はどこかに行ってしまいました。返してください!
10年前を!」。故郷をめちゃくちゃにされたことへの怒りは深かった》』
『●武藤類子さん《本来ならその人たちにとってもこの10年、まったく
違った時間があったはず…原発事故は、その時間を奪ってしまった》』
《避難者の人たちだって、多分ほとんどの人は「叶うなら帰りたい」
と思っているでしょう。でも、それはただ同じ場所に戻りたい
ということではなく、慣れ親しんだ、かつてのふるさとに帰りたい
ということ。「帰りなさい」と言いながら、復興予算がじゃぶじゃぶ
投入されて知らない建物が次々に建ち、新しい住民ばかりが増えて、
以前とはまったく違う「ふるさと」になってしまっているというのは、
大きな矛盾だと思います》。
「東電や国はさっさと「原状回復」して見せてほしい…10年も経って
しまったではないですか。下記CMLより、《ひとりひとりの市民が…
国と東電の責任を問い続けています。そして、原発はもういらない
と声をあげています。私たちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です》」
『●大阪地裁《関西電力3原発の運転差し止め認めず》、水戸地裁
《東海第二原発の運転禁じる》、広島高裁《伊方原発3号機の運転容認》』
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/93000】
仲間の自死、見せかけの復興「このまま戻れない」…原発事故「自主」避難者たちの不条理な現在地
2021年3月22日 12時00分
東京電力福島第一原発事故の後、福島県内の旧避難指示区域外から逃れた人たちは「自主避難者」と呼ばれ、さまざまな支援の外に置かれた。同県郡山市から川崎市に母子避難した松本徳子さん(59)もその1人だ。自主避難者への住宅無償提供が打ち切られた後、自死を選んだ同郷の母親もいた。「避難をした人、しない人。それぞれの選択が尊重される社会を願ってきたが、かなわなかった。不条理です」と自主避難者の現状を見つめる。(安藤恭子)
(東日本大震災の追悼イベントで「原発事故を忘れないで」
と呼び掛ける松本徳子さん=10日、横浜市で)
◆いないことにされる私たち
「五輪に向け、福島は今『復興』の一色。その一方、私たち区域外避難者はいないことにされ、この国は原発をやめようとしない」。3月10日夕、横浜・象の鼻パークで開かれた東日本大震災の追悼イベント。松本さんが聴衆に語りかけた。「この10年で何かが変わった、とされることには憤慨しています」
松本さんが生まれ育った郡山は、福島第一原発から約60キロ離れている。当初は避難するつもりはなかったが、震災の3カ月後、当時12歳の次女が大量の鼻血を出し、吐き気や下痢をもよおすようになった。「少しでも被ばくしない所へ」。自営の夫を残し、2011年秋に川崎市に移転した。
17年3月、自主避難者への住宅の無償提供政策が打ち切られたが、郡山には帰れなかった。「自宅の庭にはまだ汚染物が残っていたから。娘も体調を崩した怖さを覚えている」と松本さん。除染は進んでも、放射線量が高い場所や食べ物は存在する。次女は川崎で高校を卒業し、就職した。
「住んでいた区域によって分断されず、福島で生きるのに必要な検査や治療が保証され、正確な情報を提供されていたならば、多くの自主避難者は故郷に帰れたはずだ」と振り返る。
◆声を上げられなかった人たちの分まで
16年にできた「避難の協同センター」(東京)の代表世話人に就き、自主避難者らの相談に応じてきた。17年5月、相談者の1人で郡山から母子避難していた女性が自死をした。「睡眠剤をのんだから、またね」。電話で話したのが最後だった。
女性は仕事を掛け持ちし、自分の物を切り詰めて子どもたちの学費を貯金していた。家族に母子避難を反対され、自分を責めてもいた。「頑張っていた彼女を、貧困が追い詰めた。住宅無償提供の打ち切りを決めた国や行政の選択は間違いだ」。五輪を前に自主避難者をなかったことにする「見せ掛けの復興」がうたわれている。松本さんの目には「棄民政策」と映る。
松本さんは昨年から、両親の介護で一時的に郡山に戻っている。2月の地震でも原発事故の恐怖はよみがえり「このままでは帰れない」と心に決めている。戻れば、福島が大丈夫と認めることになるからだ。「子どもたちに、原発が安全なエネルギーと思ってほしくない。同じ過ちを繰り返さないため、声を上げられなかった人たちの分まで、おかしいと言い続けなければと思っているんです」
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[※ ↑「原発さえなければと思います」(週刊金曜日、2021年03月12日、1320号)]
(2021年03月20日[土])
マガジン9のインタビュー記事【この人に聞きたい 武藤類子さんに聞いた:原発事故から10年。東電刑事裁判と福島の今】(https://maga9.jp/210317-3/)。
《「私たちはいま、静かに怒りを燃やす東北の鬼です」──2011年9月、福島第一原発事故から半年後の集会で読み上げられた武藤類子さんのスピーチは大きな反響を呼び、多くの人の心を揺さぶりました…。それからもうすぐ10年。原発事故と向き合い、東京電力の刑事責任を問う活動などを続けてきた武藤さんは何を思い、いまの日本をどう見ているのでしょうか。お話をうかがいました》。
『●東京電力核発電人災の刑事裁判: 東京地裁永渕健一裁判長の判決は、
あまりに酷い理由も含めて《司法犯罪とも言える不当判決》』
《被告人全員無罪! 2019年9月19日、福島第一原発事故刑事裁判の
判決が下された。司法犯罪とも言える不当判決の内容を弁護士・
海渡雄一が徹底解説する、前作「東電刑事裁判 動かぬ証拠と原発事故」
の改訂版。東京高等裁判所での控訴審を前に全国民必見の33分間!!》
『●東京電力核発電人災後に《福島県から千葉県などに避難した住民ら
43人が国と東電に損害賠償を求めた集団訴訟の控訴審》で逆転判決』
『●東電核発電人災から10年: あの人災から何の教訓を得ることもなく、
何も変わらないニッポン…核発電〝麻薬中毒〟から抜け出せないまま』
『●希望の牧場・吉沢正巳さん「この牛たちを見て、命の扱い方とか、
原発があるというのはどういうことかを考えるきっかけになってほしい」』
『●《「国に法的責任はある」−原発事故で千葉県に避難した人々が
起こした訴訟での東京高裁の判断だ。規制権限の不行使を厳しく指弾した》』
『●《「知っている町はどこかに行ってしまいました。返してください!
10年前を!」。故郷をめちゃくちゃにされたことへの怒りは深かった》』
《避難者の人たちだって、多分ほとんどの人は「叶うなら帰りたい」と思っているでしょう。でも、それはただ同じ場所に戻りたいということではなく、慣れ親しんだ、かつてのふるさとに帰りたいということ。「帰りなさい」と言いながら、復興予算がじゃぶじゃぶ投入されて知らない建物が次々に建ち、新しい住民ばかりが増えて、以前とはまったく違う「ふるさと」になってしまっているというのは、大きな矛盾だと思います》。
東電や国はさっさと「原状回復」して見せてほしい…10年も経ってしまったではないですか。下記CMLより、《ひとりひとりの市民が… 国と東電の責任を問い続けています。そして、原発はもういらないと声をあげています。私たちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です》。
『●脱アクションウィーク、5万人集会』
「最後の福島の被災市民としての武藤類子さんが
訴えておられる映像がとても印象に残りました。
その文章おこしされたものはCML
(http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-September/011909.html)
にありますので、一読して頂きたいです」
『●再稼働・輸出問題に続いて、東京電力原発人災下の
五輪招致騒動: 「あろうことか」、の連続』
《団長を務める武藤類子さん(60)は「抜本的な対策を取らない
と大量な汚染水が出ることは、東電にとって想定内だったはず。
文書はそれを示す証拠だ。これまでのずさんな汚染水対策を見ると、
私たち被災者の犠牲はなんだったのかと思う」と憤る》
『●「東電元幹部の罪と罰」
『週刊金曜日』(2014年9月19日、1008号)についてのつぶやき』
《武藤類子氏【これでも罪を問わないのか】。
明石昇二郎さん【東電関係者の「不起訴」理由 検察は、いかに
原子力ムラに丸め込まれたか】、「告発人として主任検事から
詳細な説明を受けていた筆者が、その詳細を暴露する……
御用電力学者の言い訳を鵜呑み……原子力ムラにしてやられた検察」》
『●原状回復が損害賠償の基本: 東京電力原発人災で
「ふるさとをなくした痛み」は全く癒えていない』
《「東京電力福島第一原発事故で国と東電の刑事責任を
追及している福島原発告訴団の武藤類子団長は「原発事故が
解決していない中での再稼働は信じ難い」と強調。川内原発建設
反対連絡協議会の鳥原良子会長は「民意を反映しない
鹿児島県や薩摩川内市の再稼働同意に住民は大きな怒りを
感じている」と述べた》
《原発事故被害者団体連絡会が設立された。被災者の悲しみ、
怒りは、激しく、深く。共に訴え、助け合うため団結した。
それは私たちとも無関係ではあり得ない。福島が求めている
のは、当然そうあるべきことだけだ。謝罪と被害の完全賠償、
暮らしと生業の回復、詳細な健康診断と医療保障、
および被曝(ひばく)低減策、そして、事故の責任解明-》
『●東電核発電人災、「だれひとり刑事罰を問われなくて
いいのか」? 「市民の正義」無き国ニッポン』
《長い困難な裁判になるのだろうが、みんな裁判にかけている。
団長の前いわき市議佐藤和良さんは「有罪に持ち込むため、
スクラムを組もう」と訴えた。副団長の武藤類子さんも
「最悪の事故を経験した大人として、未来に対して何ができるか」
と問うた。私も、市民の正義を求める人びととともに
「われらゆるがず」の歌声に連なりたい。 (佐藤直子)》
『●武藤類子さん《沖縄で闘っている人の言葉…「国を相手に
ケンカしたって勝てない。でも、おれはやるんだ」》』
「レイバーネットのコラム【●木下昌明の映画の部屋 250回/
原発事故に翻弄された14人~土井敏邦監督『福島は語る』】
…。《映画は、生活を根こそぎ奪われ、人生を翻弄された
14人の被災者に焦点を当てている。…暮しの中から被災後の困難を
浮かび上がらせているのが特徴だ》」
《こういった人々の語りから「病めるフクシマ」という言葉がじわり
と浮かんでくる。福島原発告訴団の武藤類子団長が登場する章では、
「自分たちは理不尽な被害者なのに、黙っていていいの?」
と問いかける武藤団長が、沖縄で闘っている人の言葉を紹介する。
「国を相手にケンカしたって勝てない。でも、おれはやるんだ。
それが尊厳なんだ。プライドなんだ」 胸に響く。》
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【https://maga9.jp/210317-3/】
この人に聞きたい
武藤類子さんに聞いた:原発事故から10年。東電刑事裁判と福島の今
By マガジン9編集部 2021年3月17日
「私たちはいま、静かに怒りを燃やす東北の鬼です」──2011年9月、福島第一原発事故から半年後の集会で読み上げられた武藤類子さんのスピーチは大きな反響を呼び、多くの人の心を揺さぶりました(前回のマガ9でのインタビューはこちら)。それからもうすぐ10年。原発事故と向き合い、東京電力の刑事責任を問う活動などを続けてきた武藤さんは何を思い、いまの日本をどう見ているのでしょうか。お話をうかがいました。
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原発事故は「あったはずの時間」を奪ってしまった
──今年2月に出版された『10年後の福島からあなたへ』(大月書店)には、2012年1月に出版された前作『福島からあなたへ』の後、武藤さんが書いたり、話したりされてきた内容が収められています。本をつくる過程で東日本大震災と原発事故からの10年を振り返りながら、何を思いましたか。
武藤 とにかく、「どういう時間だったか」と振り返る時間もなく生きてきた10年だったな、と思いました。長かったのか短かったのかもよく分からない、そのくらい激変した人生を夢中で生きてきたという感じですね。
改めて感じたのは、原発事故がなかったら私は今、まったく違う時間を生きていただろうということです。私だけではなく、あの原発事故は本当に多くの人の人生を変えてしまった。特に、自宅に住めなくなるなど大きな被害を受けた方たちは、根底から人生が覆ってしまったわけで。本来ならその人たちにとってもこの10年、まったく違った時間があったはずだった。原発事故は、その時間を奪ってしまったんだということを強く感じました。
──原発事故がなかったら、武藤さんは今も、福島県三春町のご自宅で開いていた里山カフェを続けていらしたでしょうか。
武藤 そうかもしれません。実際には、原発事故直後からカフェは休業、3年目に正式に廃業ということになりました。家の周りで採れた木の実なども料理に使うお店だったので、放射能の影響がある中での継続は難しいと考えたのです。
その後は、東京電力幹部の刑事責任を問う「福島原発告訴団」の団長として活動しながら、地元で放射能の市民測定所をつくるための働きかけをしたり、被曝に関する専門家をお呼びして講演会を企画したり、いろんなことをやってきました。子どもたちを放射能から守るために何ができるだろうと模索しながらも、必死で両手にすくった砂が指の間からこぼれ落ちていってしまうようなもどかしさが常にありましたね。
──それはどうしてですか。
武藤 あれだけの事故があったにもかかわらず、原発による被害はなくなるどころか、形を変えて分かりにくくなりながら、むしろ広がっていっていると感じたからです。
そもそも、福島第一原発の事故そのものがまだ収束したわけではありません。今年2月にも東日本大震災の余震で大きな地震があり、1・3号機の格納容器の水位が下がったと伝えられました。直接的な意味でも原発事故は終わっていなくて、この先も何があるのか分からない状態なんですよね。
しかも、そこでは今もたくさんの人たちが被曝しながらの労働に従事している。よく「廃炉」作業といわれるけれど、実際には廃炉なんてまだまだ先の話で、その道のりさえ見えていません。
また、政府は原発から出た汚染水を浄化処理してもなお、放射性物質が残留する汚染水を海洋放出する方針を繰り返し示していますよね。加えて、除染作業で出た土が双葉町・大熊町の中間貯蔵施設に運び込まれていて、その量が1400万立方メートルにもなっているんですが、これも再利用資材として全国に拡散しようとしている。2045年には全量を県外に出すとまで言っています。
──2014年に、「中間貯蔵施設での保管を始めてから30年以内に福島県外で最終処分する」ことを明記した法律(改正日本環境安全事業株式会社法)が成立しているんですね。
武藤 でも、今年環境省が実施したアンケートによれば、福島県外の人では8割以上が、そのことを「知らない」と答えていました。ほとんど知られていないままに、汚染土の拡散が進められようとしているわけです。
あと、除染作業やそこから出た廃棄物を処理する焼却事業、また木質バイオマス発電事業など、さまざまな形で原発関連企業の名前を見るようになっているのも気になります。かつて原発で利権を得ていた人たちが、「復興」に名を借りて再び福島で利権を取り戻そうとしているのではないでしょうか。
そんなことばかりが続く状況に、理不尽さと怒りを強く感じながら、なんとか自分にできることを探し続けてきた日々だったような気がします。
実情と乖離したまま、喧伝される「福島の復興」
──2020年には福島県双葉町で、「東日本大震災と津波に伴う原子力災害を後世に伝える」ことを目的に掲げる「東日本大震災・原子力災害伝承館」がオープンしましたが、その内容については批判も多いようです。
武藤 私も3回訪れましたが、内容以前にそもそも立地が問題だと思いました。まだ事故が収束していない福島第一原発からわずか4キロ、周囲はすべて帰還困難区域に指定されているような場所です。しかも、東側はすぐ海で、東日本大震災のときのような大津波が来たら、水没する恐れがある。そんなところにたくさんの人が集まるものをつくるのはどうなのか。しかも福島県は、高校生の修学旅行を誘致するとも言っているんです。
──展示についてはどうでしたか。
武藤 それも、私たちが本当に伝承してほしいことがまったく描かれていない、という印象でした。
原発事故が起きたときのこと、直後にみんなが避難せざるを得なくなって大変だったことなどは、映像も交えながらそれなりに詳しく描かれているのですが、避難先で子どもがいじめに遭ったとか、大事にしていた家畜やペットを置いたまま避難せざるを得なかったとか、そういうことはすっぽり抜け落ちてしまっている。事故後に子どもの被曝を予防するためのヨウ素剤配布が適切に行われなかったこと、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)による、放射性物質の拡散状況予測データが公表されず隠されていたこと、東電が津波についての試算をしていたのに対策しなかったことなどへの反省も見当たりませんでした。嘘は展示していないけれど、本当に伝えるべき大事なことがスルーされているという感じでしょうか。
「伝承」の役割とは、起きたことを正確に検証し、反省して教訓を導き出すことだと思うのですが、それがまったくできていないと感じました。この伝承館だけでなく、原発の再稼働を進めようとする動きがあることなどを見ても、「同じような悲劇を二度と起こさない」という視点が、今の政策からは抜け落ちている気がします。
──「復興五輪」の言葉などに象徴されるように、政府は事あるごとに東日本大震災被災地の、そして福島の「復興」を強調しようとしているように見えます。ずっとそこで暮らしている立場として、福島の状況をどう見ていますか。
武藤 事故から10年経って、なんとか生活が落ち着いてきたという人も多いとは思います。ただ全体としては、やはり「復興」ばかりが叫ばれることで、不安や苦しみをますます口にしづらくなっているところがあるのではないでしょうか。
多くの人が、怒りや悲しみを心の中に押し込めて暮らしている。避難生活を続ける中で、鬱になってしまったといった話もよく聞きます。その結果が、2300人以上と他の被災県よりも圧倒的に多い「災害関連死」なのではないでしょうか。ある意味では「復興」という言葉が、人が抱えていて当然の痛みを外に出すのを邪魔してしまっているといえるかもしれません。
──避難生活を送っている人も、いまだ数万人にのぼるといわれます。
武藤 福島県の発表では、今年の初め時点で約3万6000人。ただ、これも正確に把握されているわけではなく、自治体や集計する機関によって「避難者」の定義が違うため、数はかなり違ってきます。県内の各自治自体が把握している避難者の数の合計は6万7000人以上と、3万人以上の開きがあるんです。
──2017年ごろからは、やはり「復興」を強調するためでしょうか、避難者への住宅支援を打ち切るなど、あからさまな「帰還政策」が取られてきました。
武藤 それでも、健康不安や生活基盤の問題から、帰らないという選択をする人は少なくありません。だから、補助金を出して新しい住民を呼び込み、それによって人口を増やして、見せかけの帰還率を上げている自治体もあります。「復興している」と宣伝されている福島の姿と、実際の状況とが、すごく乖離してしまっているんですね。
避難者の人たちだって、多分ほとんどの人は「叶うなら帰りたい」と思っているでしょう。でも、それはただ同じ場所に戻りたいということではなく、慣れ親しんだ、かつてのふるさとに帰りたいということ。「帰りなさい」と言いながら、復興予算がじゃぶじゃぶ投入されて知らない建物が次々に建ち、新しい住民ばかりが増えて、以前とはまったく違う「ふるさと」になってしまっているというのは、大きな矛盾だと思います。
福島原発刑事訴訟が明らかにしたこと
──さて、武藤さんが告訴団長を務められていた、福島原発刑事訴訟についてもお聞きしたいと思います。福島第一原発事故に対する東電幹部などへの刑事責任追及を求める裁判ですが、武藤さんたち告訴人が検察に告訴状を提出したものの、当初の結論は「不起訴」。最終的には二度にわたる検察審査会の「起訴相当」という判断を受けて、2015年7月に東電幹部3人の強制起訴が決定しました。
武藤 不起訴になったときは「この国は、これだけ大きな事件であっても責任をきちんと問わないのか」という絶望感があったので、強制起訴になったときは、ようやく裁判が開かれるんだ、とほっとしましたね。
2017年6月に初公判があり、そこから全部で38回の公判が開かれたので、私は全部傍聴しました。朝早くから並んで傍聴券を確保しないといけないのですが、告訴人や支援者などたくさんの人たちが協力してくれて。みんな毎回、始発電車に乗って集まってくれたんです。
──裁判の中では、それまで知られていなかった事実がいくつも明らかになったそうですね。
武藤 21人の方が証人として証言された他、メールや議事録などの証拠書類からもさまざまなことが見えてきました。すでに政府事故調査委員会の報告書なども出ていましたから、ある程度は推測がついていたこともあったのですが、中には驚くような新事実も出てきたんですね。
たとえば、被告の一人であった事故当時の東電会長、勝俣恒久氏も出席していた会議──「御前会議」と呼ばれていたそうなんですが──で、事故前から福島第一原発での津波対策の必要性が議題に挙がっていたこと。東北電力や日本原電など、太平洋沿いに原発を所有している他の電力会社とも、東電がリーダーシップを取って津波対策についての協議をしていたこと。その後、東電は経営判断によって津波対策をやめてしまうのですが、対照的に日本原電は独自で東海原発の津波対策をして、その結果東日本大震災による津波の際にも、ぎりぎりのところで事故に至らなかったということも明らかになりました。
──津波対策の必要性がしっかりと東電社内でも認識されていて、それなのにやらなかった、ということですね。
武藤 なぜやらなかったのかについても、元社員の方が証言しています。2004年の新潟県中越地震のとき、東電が新潟県に所有する柏崎刈羽原発では、火災が起きて放射性物質が漏れ出るなど大きな被害が出ました。その修理のために一時運転が停止されるのですが、その結果として東電は28年ぶりの大赤字を出してしまった。福島第一原発でも津波対策をするとしたら莫大な費用がかかるし、対策をするにはいったん原発を止める必要があるから、そうしたらまた大損失になる。それを恐れて、対策は見送るという判断になったというのです。
これは、明らかな東電の不作為です。危険性を認識していて、しかも対策をしようと思えばできたのに、やらなかった。裁判を傍聴しながら、これはどう考えても有罪だろうと確信していました。
──しかし、2019年9月に東京地裁が出した判決は「全員無罪」でした。
武藤 最初に裁判長が「被告人はいずれも無罪」と読み上げ、その後判決要旨を述べたのですが、この内容もひどかったです。
たとえば、東電が津波対策の必要性を認識する根拠の一つだった、文部科学省の地震調査研究推進本部が公表した「長期評価」を、「信頼に値しない」と切り捨て、だから東電が津波対策をしなかったことには妥当性がある、としている。でも、この長期評価は、国や東電の責任を問う他の民事訴訟でも、「東電が危険性を予測できた」ことの根拠として何度も認められているものです。また、裁判の中で出てきたさまざまな証言の取り扱いも、「この裁判長はいったい何を聞いていたんだろう」という感じで、まったく整合性がありませんでした。
──本当に、驚きとしかいいようのない判決でした。
武藤 裁判で検察官役を担当してくださった指定弁護士チームの方たちが、判決後の記者会見で「原子力行政に忖度した判決だ」と指摘されていて、「ああ、そういうことか」と思いました。
もちろん納得できるはずはなく、昨年9月に控訴趣意書を裁判所に提出しました。まだ予定は決まっていませんが、おそらく今年中には被告人側の答弁書が出て、裁判が始まるだろうといわれています。司法は本当の意味で独立した、正義が行われる場であってほしいと思うので、その期待は捨てずにいたい。控訴審では正しい判決を出してください、裁判所は正義の砦であってくださいと、訴え続けようと思っています。
(東電刑事裁判で明らかになった事実や、判決の問題点について
分かりやすく解説した短編映画『東電刑事裁判 不当判決』
(監督:河合弘之、企画・監修:海渡雄一)が、
福島原発刑事訴訟支援団のホームページで無料公開されています。)
福島で起きていることは「自分の身に起きていること」
──改めて、原発事故から10年です。武藤さんが、福島から今の日本を見ていて感じることはありますか。
武藤 強く感じるのは、一番大事にすべきもの──人の健康、人の命といったものが、まったく大事にされていなくて、二の次にされているということです。
コロナ対応を見ていてもそれを強く感じます。去年、仲間たちと東京オリンピック開催に反対する「福島はオリンピックどごでねぇ!!」というアクションを立ち上げたのですが、今の状況は日本全体、世界全体がどう考えても「オリンピックどころじゃない」ですよね。それなのに、政府やオリンピックの組織委員会は、いまだに開催を強行しようとしている。まさに、人の命が二の次にされているんです。
あるいは、今経済産業省が進めているエネルギー基本計画の見直し。原発の復権を盛り込もうとする動きがあるのを見ていると、この社会は命を大事にしないばかりか、「反省をすることができない社会」でもあるんだと感じます。何が起きたのかをしっかりと目をこらして見て、どこが悪かったのか反省をして、二度と同じことを起こさないための教訓を導き出す。そういう態度が抜け落ちているといえるのではないでしょうか。
──先ほどお話しいただいた伝承館にも、まさにそのことが表れているといえそうです。
武藤 そういう中で、福島で起きていることについても、多くの人たちに「遠くのどこかで起きていること」ではなくて、まさに今、自分たちの身に起きていることなんだという現実感を持って受け止めてほしい。そうでないと、気づかないうちにどこかに流されて、今度は自分自身が命を奪われるようなことになっていくんじゃないかと思います。
人権や尊厳が無視され、奪われて踏みにじられる。そういう状況は、これから災害などが起こるごとにいろんなところで起きてくるんじゃないか。福島では、それが先行して起こっているだけなんじゃないか。そんな気がしています。
──『10年目の福島からあなたへ』のまえがきの最後には、絶望の中に「光を見出せると信じて」とあります。私たちが「光」を見出せるとしたら、それはどこにあると思われますか。
武藤 実は、この部分は最初は「希望を見出せると信じて」と書いていたんです。でも、あまりにもこの10年、「希望」という言葉が空々しく、本当の意味とは違う意味で使われ続けてきたような気がして、自分の中でもしっくり来なかった。それで「光」と書き換えたんですが、本当はやっぱり本来の意味の「希望」を見出すことができればいいなと思いますよね。
そして、見出せるとすればそれは、若い人たちの存在にかな、と思います。これからの世代は、本当に大変な時代を生きていかなくてはなりません。福島だけではなく、世界中で核実験や原発から出てきた膨大な廃棄物を押しつけられ、気候変動やコロナのような感染症の問題と向き合い……私たちは原発事故の被害者ではあるけれど、同時に若い人や未来の世代に対する加害者でもあるという意識が、常にあります。
それでも、その厳しい状況を生きていく若い人たちの賢さに、私は期待したい。どうか私たちの間違いを繰り返さずに新しい道を切り開いていってほしいし、そうなるように手助けができたらと思っています。
(取材・構成/仲藤里美)
*
むとう・るいこ ●1953年生まれ。福島県三春町在住。養護学校教員などを経て、2003年に開業した里山喫茶「燦(きらら)」を営みながら反原発運動に取り組む。3・11原発事故発生後、「さようなら原発5万人集会」でのスピーチが反響をよび『福島からあなたへ』(大月書店)として書籍化。2012年に結成した福島原発告訴団の団長として全国に告訴運動をよびかけ、以後も東京電力の責任を問う活動を継続している。原発事故被害者団体連絡会(ひだんれん)共同代表、3・11甲状腺がん子ども基金副代表理事。他の著書に『どんぐりの森から』(緑風出版)など。
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[※ ↑「原発さえなければと思います」(週刊金曜日、2021年03月12日、1320号)]
/ (2021年03月13日[土])
レイバーネットの二つの記事。堀切さとみ氏による記事【「石碑があるから希望がわく」〜双葉町民が避難した「旧騎西高校」で除幕式】(http://www.labornetjp.org/news/2021/0306futaba)と、
【町が奪われた!10年前を返してください」〜東電本店前で労働者抗議アピール】(http://www.labornetjp.org/news/2021/0305tobu)。
《2011年3月の福島第一原発事故から逃れた双葉町の人たちが、避難所として身を寄せた旧騎西高校(埼玉県加須市)。事故から10年を前に、双葉町と加須市の友好を示す石碑が建てられ、3月6日、除幕式が行われました。着の身着のまま、県境を越えて避難してきた町民のために、廃校になった校舎に畳を敷き、支援を惜しまなかった加須市。避難所は2013年末に閉鎖となりましたが、今も加須市には384名の双葉町民が暮らしています。「避難した方がすべて帰還されるまで支援を続ける」という大橋加須市長の話につづき、大野埼玉県知事、双葉町副町長らが挨拶しました。「希望」という題字を揮毫したのは、双葉町の書家・渡部翠峰さん。双葉町がある北東の方角を向いた石碑を前に「すべての双葉町民に見てほしい。大変なのは皆同じだった」。双葉町民、支援者たちが久しぶりの再会を喜び合いました。「双葉のことは忘れられない。でも、加須市は第二の故郷だな」(堀切さとみ)》。
《福島原発事故からまもなく10年。3月5日午前10時すぎから、「福島原発事故10カ年糾弾! 東京電力前労働者抗議アピール行動」が行われた。東京東部労組の呼びかけで、全労働者組合、下町ユニオン、東京管理職ユニオンなど10以上の組合メンバー約80人が集まった。最初にアピールしたのは、全労働者組合の組合員の小笠原七重さん(写真)。彼女は、原発から10キロ以内の富岡町から両親とともに東京に避難している人だった。マイクを手にしたが「感極まって声が出ない」。でも、涙ながらに訥々と語り出した。「今年で10年経ちますが、私にとってはまだ10年。多分20年、30年経っても、私は東京電力のことを恨んでいます。私の育った町は日に日に変わっています。小学校もなくなりました。中学校もなくなりました。駅もなくなりました。知っている町はどこかに行ってしまいました。返してください!10年前を!」。故郷をめちゃくちゃにされたことへの怒りは深かった》。
国や東電は何時になったら「原状回復」してくれるのか?
《富岡町から両親とともに東京に避難している人だった。…「今年で10年経ちますが、私にとってはまだ10年。多分20年、30年経っても、私は東京電力のことを恨んでいます。…知っている町はどこかに行ってしまいました。返してください!10年前を!」。故郷をめちゃくちゃにされたことへの怒りは深かった》。
東電・政府・原子力「寄生」委員会等は放射性物質で汚染された地域を早く「原状回復」してみせてよ! もう10年も経ってしまったではないですか。
東京電力核発電人災から10年目の『週刊金曜日』の表紙。撮影は豊田直巳さん。「原発さえなければと思います」と書き残して自死…この重い言葉を東電・政府・原子力「寄生」委員会等はどう応えるのか?
『●哀しい遺書: 「原子力さえなければ」』
『●ドキュメンタリー映画『わすれない ふくしま』:
「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ…」』
『●「「3.11」から2年② 原発という犯罪」
『週刊金曜日』(2013年3月8日、934号)』
『●「原発さえなければ」「福島の百姓は終わりだ」:
東京電力原発人災と自殺には因果関係あり』
『●終わらない原発人災の影響:「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ…」』
「「震災さえ」ではなく、 「原発さえなければ…」である。
「原子力郷土の発展豊かな未来」「原子力明るい未来のエネルギー」
「原子力正しい理解で豊かなくらし」を信じ込ませた自民党議員や
電力会社幹部といった東京電力原発人災の責任者・「罪人・犯罪者」は、
誰一人として罰せられることもなく、まだのうのうと生活している」
『●ドキュメンタリー映画『わすれない ふくしま』:
「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ…」』
『●自公議員や原子力「推進」「寄生」委員会委員らは
「闘うみんな」ではないようだ』
「3・11から3年が経ち、何の解決も見ていない。「福島県飯舘村の
村民を追ったドキュメンタリー映画「遺言 原発さえなければ」が、
八日から東京都内で上映される」そうだ。「震災さえなければ」
ではなく「原発さえなければ」」
『●大沼「少年」の《事故を思い出して原発を議論する
きっかけになるもの》を撤去し…いま、政治的と言われ…』
『●《草木のすべてにセシウムが染みついている。田畑を耕すが自分で
食べるだけ。孫には食べさせないし、売ることもできない》』
『●西日本新聞【フクオカ☆シネマペディア/『遺言 原発さえなければ』
野田雅也、福島を追い10年「飯舘の酪農 復活までは」】』
[↑「原発さえなければと思います」(週刊金曜日、2021年03月12日、1320号)]
[↑「今週の表紙」豊田直巳さん(週刊金曜日、2021年03月12日、1320号)]
『●東京電力核発電人災後に《福島県から千葉県などに避難した住民ら
43人が国と東電に損害賠償を求めた集団訴訟の控訴審》で逆転判決』
『●東電核発電人災から10年: あの人災から何の教訓を得ることもなく、
何も変わらないニッポン…核発電〝麻薬中毒〟から抜け出せないまま』
『●希望の牧場・吉沢正巳さん「この牛たちを見て、命の扱い方とか、
原発があるというのはどういうことかを考えるきっかけになってほしい」』
『●《「国に法的責任はある」−原発事故で千葉県に避難した人々が
起こした訴訟での東京高裁の判断だ。規制権限の不行使を厳しく指弾した》』
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【http://www.labornetjp.org/news/2021/0306futaba】
「石碑があるから希望がわく」/双葉町民が避難した「旧騎西高校」で除幕式
「石碑があるから希望がわく」〜双葉町民が避難した「旧騎西高校」で除幕式
堀切さとみ
2011年3月の福島第一原発事故から逃れた双葉町の人たちが、避難所として身を寄せた旧騎西高校(埼玉県加須市)。事故から10年を前に、双葉町と加須市の友好を示す石碑が建てられ、3月6日、除幕式が行われました。
着の身着のまま、県境を越えて避難してきた町民のために、廃校になった校舎に畳を敷き、支援を惜しまなかった加須市。避難所は2013年末に閉鎖となりましたが、今も加須市には384名の双葉町民が暮らしています。「避難した方がすべて帰還されるまで支援を続ける」という大橋加須市長の話につづき、大野埼玉県知事、双葉町副町長らが挨拶しました。
「希望」という題字を揮毫したのは、双葉町の書家・渡部翠峰さん(写真上)。双葉町がある北東の方角を向いた石碑を前に「すべての双葉町民に見てほしい。大変なのは皆同じだった」。双葉町民、支援者たちが久しぶりの再会を喜び合いました。
「双葉のことは忘れられない。でも、加須市は第二の故郷だな」「この碑ができて、加須にいても気持ち的に堂々としていられる。感謝しかない」。津波で親戚を亡くし、毎月11日には欠かさず騎西高校を訪れ、黙とうを捧げてきた関根茂子さんは「これからは石碑があるから希望がわく」と力強く語りました。
Last modified on 2021-03-07 21:29:36
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【http://www.labornetjp.org/news/2021/0305tobu】
「町が奪われた!10年前を返してください」/東電本店前で労働者抗議アピール
「町が奪われた!10年前を返してください」〜 東電本店前で労働者抗議アピール
→動画(5分20秒)
福島原発事故からまもなく10年。3月5日午前10時すぎから、「福島原発事故10カ年糾弾! 東京電力前労働者抗議アピール行動」が行われた。東京東部労組の呼びかけで、全労働者組合、下町ユニオン、東京管理職ユニオンなど10以上の組合メンバー約80人が集まった。
最初にアピールしたのは、「全労働者組合」組合員の小笠原七重さん(写真上)。彼女は、原発から10キロ以内の富岡町から両親とともに東京に避難している人だった。マイクを手にしたが「感極まって声が出ない」。でも、涙ながらに訥々と語り出した。「今年で10年経ちますが、私にとってはまだ10年。多分20年、30年経っても、私は東京電力のことを恨んでいます。私の育った町は日に日に変わっています。小学校もなくなりました。中学校もなくなりました。駅もなくなりました。知っている町はどこかに行ってしまいました。返してください!10年前を!」。故郷をめちゃくちゃにされたことへの怒りは深かった。
彼女がもっとも悔しかったのは、テレビ報道などで煽られた心ない周りの声だったという。「私たちはしぶしぶ生活していたのに、原発があるから原発マネーで潤っている。原発ができたから道路もできた。お金ももらえた。だから仕方ない。それを聞くと心が痛くてしょうがなかったです」。
その後、参加組合の代表が次々にスピーチに立ち「東電は責任をとれ」「再稼働するな」の声を上げた。郵政ユニオンの内田正さんの発言は印象的だった。「みなさんあの事故を思い出してください。たまたま風向きが海に向かっていたから大量の放射能は太平洋に流れました。もし風向きが逆だったら、首都圏は汚染され住めなくなっていたでしょう。運が良かっただけなのです。だからこれは私たちの問題です。そしていま東京にもっとも近い東海第二原発の再稼働が画策されています。脱原発を自分たちの問題として取り組んでいきましょう」と。
また本店で働く労働者に向けて「東京電力労組も自分たちの問題として一緒に取り組んでほしい」とのアピールもあった。3.11から10年のいま、脱原発運動に市民団体だけでなく労働組合もしっかり声を上げた意義は大きい。(M)
Last modified on 2021-03-05 16:46:30
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(2021年03年11月[木])
西日本新聞のコラム【春秋/原発推進の看板「震災遺構」として展示へ】(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/682302/)。
東京新聞の【<社説>3・11から10年 影をこそ伝えたい】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/90767?rct=editorial)。
《▼数年後、看板が老朽化し危険だから…と撤去を町が決めたとき、標語の作者の気持ちは変わっていた。地域の記憶として残すべきだと考えた。町民の避難先も訪ねるなどして約7千人分の署名を集め、要望したこともある。撤去後も看板は保管されてきた》。
《例えば「原子力 明るい未来の エネルギー」という標語を掲げた長さ十六メートルの大看板。かつては町の中心に、まるで凱旋門(がいせんもん)のように飾られていたものの、震災後「老朽化」を理由に撤去され、役場の片隅に死蔵されていた実物が、今あるパネル写真に替えて展示されることになりました。震災後「負の遺産」と呼ばれるようになった看板です》。
核発電所は本当に《郷土の未来も照らしていた》のだろうか? 「原子力 破滅を招く エネルギー」「原子力 破 滅 未来のエネルギー」も東日本大震災・原子力災害伝承館に掲出すべきだ。
『●「原子力災害伝承館」《批判…口封じ》…《安倍政権では「被災地
切り捨て」政策がつづけられてきたが、それを菅政権も「継承」》』
大沼勇治さんは、(撤去の)当時、「壊すのは簡単だが、事故を思い出して原発を議論するきっかけになるものだと思うので、残してほしい。町の歴史が消されてしまうように感じる」と語っておられました。
『●希望の牧場・吉沢正巳さん「この牛たちを見て、命の扱い方とか、
原発があるというのはどういうことかを考えるきっかけになってほしい」』
《事故を思い出して原発を議論するきっかけになるもの》、10年が経過した今こそ、「原子力 破滅を招く エネルギー」「原子力 破 滅 未来のエネルギー」も嚙み締め、伝承すべきではないか。
《メディアの「震災10年」報道は震災遺構にも向く。「小学生に原発推進の協力を求めた歴史を『なかったこと』にしてはいけない」と児童にも分かる言い方で書いた新聞もある》。《せりなさんは…勇治さんに深く共感し、ともに活動しています。「原発のこと、原発事故のこと、やっぱり子どもたちに伝えてあげたいと思うんです。この町でこういう悲惨なことがあったんだよって。看板を展示できれば、あれを見て、みんな、いろいろ考えてくれるんじゃないかしら。事実を知って、考えて、本当に『明るい未来』を、それぞれに築いてほしい」》。
政府や東電は、あるいは、核発電「麻薬」中毒者らは、《教訓》を《伝承》しようとしているだろうか?
『●福島県双葉町「原子力明るい未来のエネルギー」
……いま、その〝少年〟は?』
『●消えゆく「事故を思い出して原発を議論するきっかけになるもの」
~「原子力 破滅 未来のエネルギー」~』
『●東京電力原発人災4年目のアベ様の酷い記者会見:
情報公開、信頼関係、オンカロ、将来的、自立、除染』
『●原発PR看板撤去=「間違った過去と向き合わない行為」
…「人間の愚かさ」にさらなる恥の上塗り』
『●双葉町長「(原発PR看板)復興した時に
あらためて復元、展示したい」…それは『X年後』の何年後?』
『●「故郷の川に身を投げたい衝動に駆られた」
「早く浪江に帰りたい」…「原状回復」することも無く…』
《全町避難が続く福島県双葉町で昨年末始まった「原子力広報塔」の
撤去工事が4日、完了…原発PR標語の看板の一部を業者が細断。
標語考案者の1人の大沼勇治さん(39)が「復元できない」と抗議し、
工事は工法変更の検討などで中断していた》
「双葉町で、《「原子力明るい未来のエネルギー」
「原子力正しい理解で豊かなくらし」と表裏に記された看板1枚の撤去を
開始》していたわけですが、ついに撤去。「愚」の一言…双葉町長の言う
《復興した時にあらためて復元、展示》は東電原発人災の何年後?
「麻薬」中毒患者にとって目の上のタンコブ、目障りな看板を取り去り
はずせて、せいせいしているのでしょう。標語の作者である大沼勇治
「少年」の言う《事故を思い出して原発を議論するきっかけになるもの》を
この世から〝消し去った〟わけです。愚かです」
『●大沼「少年」の《事故を思い出して原発を議論する
きっかけになるもの》を撤去し…いま、政治的と言われ…』
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【https://www.nishinippon.co.jp/item/n/682302/】
春秋
原発推進の看板「震災遺構」として展示へ
2021/1/17 10:40
福島県双葉町に昨秋開館した県の「東日本大震災・原子力災害伝承館」に、かつて町が中心部に掲げた看板(長さ16メートル)が展示されることが先日決まった。負の遺産として
▼標語の看板だ。「原子力明るい未来のエネルギー」。1987年に地元の小学6年生が学校の宿題で考えた。「原子力」で始まる標語を、と言われた。大熊町から双葉町にまたがる東京電力福島第1原子力発電所は郷土の未来も照らしていた
▼標語を考えた大沼勇治さん(茨城県に避難中)が描いた未来は原発事故で暗転する。看板は「原子力安全神話」の皮肉として取り上げられた。恥ずかしくなり、取り外してほしいと思った
▼数年後、看板が老朽化し危険だから…と撤去を町が決めたとき、標語の作者の気持ちは変わっていた。地域の記憶として残すべきだと考えた。町民の避難先も訪ねるなどして約7千人分の署名を集め、要望したこともある。撤去後も看板は保管されてきた
▼町の大半は今も帰還困難区域のままだが、JR双葉駅周辺は立ち入り規制が緩和された。開館した伝承館に、あの看板は写真で展示中。昨秋、大沼さんは妻と子を連れて故郷に行った。仕事は太陽光発電事業をしているそうだ
▼メディアの「震災10年」報道は震災遺構にも向く。「小学生に原発推進の協力を求めた歴史を『なかったこと』にしてはいけない」と児童にも分かる言い方で書いた新聞もある。
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/90767?rct=editorial】
<社説>3・11から10年 影をこそ伝えたい
2021年3月11日 06時46分
窓越しに遠く、水平線が見渡せます。十年前、東京電力福島第一原発に襲いかかったあの海です。
福島県双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」。原発から北へ四キロの海辺に広がる「福島県復興祈念公園」の一角に、昨秋開館したばかり。ガラス張りの外観が印象的な、それ自体がアートのような建物です。
総事業費は約五十三億円。国の復興予算を使って福島県が建設し「公益財団法人・福島イノベーション・コースト構想推進機構」という団体が運営しています。
◆教訓を伝えているか
来館者はまず円形のシアターに通されて、壁いっぱいに映し出される原発事故や津波の模様を記録した映像作品を鑑賞します。
<光もあれば影もあります。事故のこと、復興のこと。この場所で皆さんと一緒に考えることができたなら>
福島県出身の俳優西田敏行さんの語りに導かれ、螺旋状(らせんじょう)の回廊を展示室へと進むのですが−。
県が収集、保管する約二十四万点の震災資料のうち、実物展示されたのは、突然の避難を強いられて置き去りにされたランドセルやカメラなど、百七十点足らず。映像や展示パネルにも、安全神話を形成し、原発誘致を主導した国や県、東電の責任などへの言及は、ほとんどありませんでした。
「教訓が伝わらない」「光ばかりで影がない」…。被災者からも多くの批判が寄せられて、開館して半年もたたないうちに、大規模な展示替えが進んでいます。
例えば「原子力 明るい未来の エネルギー」という標語を掲げた長さ十六メートルの大看板。かつては町の中心に、まるで凱旋門(がいせんもん)のように飾られていたものの、震災後「老朽化」を理由に撤去され、役場の片隅に死蔵されていた実物が、今あるパネル写真に替えて展示されることになりました。震災後「負の遺産」と呼ばれるようになった看板です。
◆暗転した「明るい未来」
双葉町に生まれ、今は茨城県古河市で太陽光発電事業を営む大沼勇治さん(45)が看板の標語を作ったのは、小学六年生の時。町からの募集に伴う学校の宿題でした。
「原発のおかげで、町は仙台のように大きくなって、新幹線もやって来る。そんな二十一世紀を本気で思い描いていたんです」と、勇治さんは振り返る。全国の原発立地に共通の“夢”でした。
十年前の今日、「明るい未来」は突然、文字通り暗転します。
双葉町にいた発災時、妻のせりなさん(45)は妊娠七カ月。できるだけ安心安全な場所で出産をと、親類を頼って夫婦は愛知県安城市に避難しました。
その年七月、勇治さんは防護服に身を包み、町が仕立てたバスで、避難後初めて双葉町に立ち入った。ひとけの全くない町をダチョウや牛がわが物顔でのし歩く。懐かしいはずのふるさとに、恐怖を感じる自分に気が付きます−。
「原子力 破滅を招く エネルギー」。その時、大沼さんは心の中で看板を書き換えました。そして「この町の過去と未来を記録し続けよう。看板の言葉とともに次の世代に伝えていこう」と決めました。看板の撤去にあらがい、撤去後は伝承館への実物展示を訴え続けてきたのも、そのためです。
せりなさんは、同じ県内でも原発からは距離のある会津若松市の出身ですが、勇治さんに深く共感し、ともに活動しています。
「原発のこと、原発事故のこと、やっぱり子どもたちに伝えてあげたいと思うんです。この町でこういう悲惨なことがあったんだよって。看板を展示できれば、あれを見て、みんな、いろいろ考えてくれるんじゃないかしら。事実を知って、考えて、本当に『明るい未来』を、それぞれに築いてほしい」
安城で生まれた長男の勇誠君は六月、十歳の誕生日を迎えます。勇治さんは背負い続けた看板に、せりなさんは子どもたちの成長に、十年の重みを感じています。
◆遠い道のりだからこそ
「もう十年? まだ十年? やっと十年?」などと言われます。しかしやっぱり「まだまだ十年」なんでしょう。「まだ」と言えば廃炉におよそ四十年。核のごみを無害化するには十万年。まだ、まだ、まだ、まだ…。
<原爆は威力として知られたか。人間的悲惨として知られたか>
せりなさんと話をしながら、ふと思い浮かべた言葉。大江健三郎さんの「ヒロシマ・ノート」に引用された、中国新聞論説委員の問いかけです。
原発は威力として知られたか。人間的悲惨として知られたか。私たちは何を伝えていくべきなのか−。3・11から十年の一里塚。私たちも自らに、あらためて問いかけなければなりません。
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[※↑ 双葉町で牧場経営していた鵜沼さんがキクハナと再会…希望の牧場にて (報道特集 2021年03月06日[土])]
(2021年03月07日[日])
東京新聞の【<社説>老朽原発 新しい未来図描く時】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/87794?rct=editorial)と、
東京新聞の二つの記事【福島発「再生可能エネルギー発電」へ、草の根からの挑戦の記録「魂の発電所」出版】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/88892)、
【本紙の片山夏子・福島特別支局長「ふくしま原発作業員日誌」が早稲田ジャーナリズム奨励賞】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/86372)。
《長年の酷使で劣化の危険が指摘される「老朽原発」の延命が、なし崩しに進む。再生可能エネルギーへの追い風が、国内でもようやく吹き始めた今、原発依存に立地地域の未来はあるのだろうか。福井県高浜町と美浜町が、二月に入って相次いで、町内に立地する高浜原発1、2号機と美浜原発3号機の再稼働に同意した。いずれも運転開始から四十年を超える関西電力の「老朽原発」だ。原子炉等規制法が改正され、原発の運転寿命が四十年と定められたのは、東日本大震災の翌年のことだった。ただし、原子力規制委員会の審査に通れば、一度限り二十年までの延命を認めるという例外規定が設けてある》。
《放射能汚染で牛が飼えなくなった飯舘村では和牛農家が社長になり「飯舘電力」を設立、会津の喜多方市では酒造店当主が「会津電力」を設立した。本書は電力の「素人」たちが再エネ拡大に後ろ向きな行政や大手電力と厳しい交渉を繰り広げながら、発電所を実現させる苦難の道のりを描いた。飯舘では出力1000キロワットの大規模発電所をつくる予定が東北電に「送電線に余裕がない」と拒否され頓挫。小規模発電所を多数つくる戦略に転換。会津では「豪雪で太陽光発電は不可能」といわれる中、実証設備を手作り。一冬、毎日観察し、発電できて雪も滑り落ちるパネルの最適角度を突き止めた》。
《「石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞」の授賞作が16日発表され、公共奉仕部門の奨励賞に本紙の片山夏子・福島特別支局長の著書「ふくしま原発作業員日誌 イチエフの真実、9年間の記録」=写真=が選ばれた。東京電力福島第一原発事故で働く作業員に粘り強く取材し、本紙で131回掲載している「ふくしま作業員日誌」に加筆。廃炉現場の過酷さ、作業員の家族への思いなどを伝えている》。
東京電力核発電人災から、10年が過ぎ、未だにこの有様だ。《例外》が通例に…核発電「麻薬」中毒者が暴走し、「老朽原発」さえも再稼働させたいらしい。狂っている。関西電力だけでなく、九州電力、さらには、東京電力、マトモではない。
『●原子力「促進」委員会の危険なメンツの危険な判断』
『●60年間稼働させたい高浜原発:
「電気代が高い低いの問題とを並べて論じること自体、許されない」』
『●関西電力八木誠社長のあの高浜原発:
「プルサーマル原発」に続き「寿命原発」を動かしたいそうです』
『●「老いた馬」ではなく「狂ったゴジラ」:
「麻薬」患者の関電がプルサーマルに続いて「寿命核発電所」…』
『●熊本大分大地震の最中、「狂ったゴジラ」
=関西電力高浜原発1、2号機を野に放つ原子力「規制」委員会』
『●高浜「寿命核発電所」延命、「安全より
経済優先の時代へと逆戻り」…「規制緩和」委員会(©東新)』
『●熊本大分大地震の最中、
伊方プルサーマル核発電所を再稼働…アタマオカシイ』
『●寿命核発電所再稼働:「世界は既に廃炉時代…
時代の先端を行く方が、地域の実りははるかに多い」』
『●「あとの祭り」:
核発電「麻薬」中毒患者、増殖中…どんどん壊れ行くニッポン』
『●2014年5月大飯原発運転差し止め判決…樋口英明さんは《基準地震動を
超える地震が来ないと言えるかどうか…他の原発と共通の問題》』
内橋克人さんのFEC。
『●『不安社会を生きる』読了(2/2)』
『●『新版 悪夢のサイクル/ネオリベラリズム循環』読了(4/4)』
『●原発絶対断固反対!』
『●FECにつながる「地給率」』
『●SLAPPと祝島』
『●まさに、FEC自給圏を目指せ』
『●内橋克人さんインタビュー:
〝貧困マジョリティー〟の形成と『FEC自給圏』への志向』
『●衆院選の惨敗と参院選という正念場:
FEC自給圏・「浪費なき成長」と「暗闇の思想」』
『●原子力ムラに対して、開き直ろう!:
こういう挑発や脅し、騙しに乗ってはならない』
『●居直ろう!: 〈毒食わば皿まで〉?
「一度認めた以上、どこまでも認めるという論理の一貫性」?』
『●電源構成(エネルギーミックス)案という貧相な「未来図」:
泥棒やその子分に縄をなわせる愚』
「ニッポンにとって、デンマークはとても参考になると思うのですが?
内橋克人さんのFEC自給圏の確立を」
『●「始まりの地、福島から日本を変える」:
シェーナウ電力、会津電力、飯舘電力…内橋克人さんのFEC』
核発電「麻薬」中毒者らが政権を握っているようではニッポンに未来はない。
AERAのコラム【浜矩子「菅首相の『グリーン成長戦略』が驚くべきトンデモ政策だと言い切れる理由」】(https://dot.asahi.com/aera/2021030200015.html)によると、《このような状況を是正するためにグリーン化が急がれるのである。それなのに、やはり所信表明演説の中で、スカノミクス親爺は「もはや、温暖化への対応は経済成長の制約ではありません」などと言っている。おいおい。経済成長をそれなりに制約することによって、温暖化を少しでも食い止める。それが筋というものだろう。さらには、施政方針演説の方に、何と、次のくだりがある。「グリーン成長戦略を実現することで、2050年には年額190兆円の経済効果と大きな雇用創出が見込まれます」 ついに、「グリーン成長戦略」などという表現が飛び出してきてしまった》。
『●(筆洗)《「コブラ効果」とは問題解決のための政策や判断が
裏目に出て、かえって状況を悪化させることをいうそうだ》』
『●《継承》《前例踏襲ばかり》の大惨事アベ様政権・スガ様…《故
吉岡斉さん…「原発はリスクを伴う。過大な投資のつけは国民に回る」》』
『●政策スカスカオジサン《第1…日本学術会議の任命拒否問題》《第2…
温室効果ガス排出量…実質ゼロ》《第3…新型コロナウイルス対策》』
ゴールデンラジオ (2021年03月07) のゲストは東京新聞・片山夏子記者でした。
『●原発で働く: 「コスト優先」、「命は二の次」』
「東京電力原発人災の処理にあたる作業員の言葉はなかなか伝わって
こない。「◇まるで戦場」「◇命は二の次」「◇コスト優先」など、
見出しだけでも憂鬱になる言葉が並ぶ」
『●特定秘密隠蔽法と恫喝:
被曝労働の上に世間に「声」を発することも許されず』
『●東京都知事選: 福島からの眼……
「反対はしないが、その前にすることがあるのではないか」』
『●核発電人災のアノ東電の柏崎刈羽核発電所に、
「寄生」委がお墨付き!? 凄いよなぁ、ニッポン…愚かだ』
『●《「袴田事件」で死刑判決を書きながら、後に「無罪の心証だった」
と明かした元裁判官熊本典道さん》がお亡くなりになりました』
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/87794?rct=editorial】
<社説>老朽原発 新しい未来図描く時
2021年2月24日 07時25分
長年の酷使で劣化の危険が指摘される「老朽原発」の延命が、なし崩しに進む。再生可能エネルギーへの追い風が、国内でもようやく吹き始めた今、原発依存に立地地域の未来はあるのだろうか。
福井県高浜町と美浜町が、二月に入って相次いで、町内に立地する高浜原発1、2号機と美浜原発3号機の再稼働に同意した。いずれも運転開始から四十年を超える関西電力の「老朽原発」だ。
原子炉等規制法が改正され、原発の運転寿命が四十年と定められたのは、東日本大震災の翌年のことだった。ただし、原子力規制委員会の審査に通れば、一度限り二十年までの延命を認めるという例外規定が設けてある。
原発の建設は一九九〇年代までに集中しており、二〇三〇年までに十一基が寿命を迎えることになる。これまでに延命の申請があったのは東海第二も含め三原発四基。規制委の認可を受けた後、立地自治体が再稼働に同意するのは、高浜町が全国初だ。
電力事業者との紳士協定により、再稼働の最終同意権を持つ福井県の杉本達治知事は、原発から出る使用済み核燃料を県外へ持ち出すよう求めており、県外での一時保管先が見つかっていないことを理由に「議論の入り口には立っていない」との立場を取ってきた。
関電の森本孝社長は今月十二日に杉本知事と面談、「二三年末を最終期限として保管先を確定する」と約束し、「青森県むつ市で東京電力などが運営する中間貯蔵施設を利用させてもらう」という案を提示した。
これに、むつ市は猛反発。「関電の選択肢になることはあり得ない」と全面否定の構えである。
なのに知事は姿勢を一転。「三基の再稼働について議論に着手していただきたい」と開会中の県議会に促した。不可解だ。
高浜町の野瀬豊町長が再稼働同意の理由について「原発が稼働することが、町の将来に資すると考えた」と述べたのは、歳入や雇用の多くを交付金など「原発マネー」に依存せざるをえない過疎地の現実の裏返しでもあるだろう。美浜町も同様だ。
福島の事故で安全対策費がかさみ、原発は経済的に見合わなくなっている。原発に未来はない。だが一方で、依存からの脱却は簡単なことではない。
交付金と引き換えに過疎地への立地を進めてきたのは国だ。脱原発依存の未来図をともに描く責任が国にはある。
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/88892】
福島発「再生可能エネルギー発電」へ、草の根からの挑戦の記録「魂の発電所」出版
2021年3月2日 06時00分
福島第一原発事故以来、本紙が報道してきた福島の人々による再生可能エネルギー発電の取り組みをノンフィクションにつづった「魂の発電所―負けねど福島 オレたちの再エネ十年物語」=写真=が1日発売された。仕事も暮らしも奪われた人々が再エネに希望を見つけ、ふるさと再生をかけ挑戦してきた記録だ。
「原発に頼らない電気を自分たちでつくろう」―。放射能汚染で多くの人が長期避難し、風評で農作物も不振に陥った福島。太陽光や水力などを生かした発電所をつくる機運が市民から高まり本紙はその展開を継続報道してきた。池尾伸一経済部長がノンフィクションとしてまとめた。
放射能汚染で牛が飼えなくなった飯舘村では和牛農家が社長になり「飯舘電力」を設立、会津の喜多方市では酒造店当主が「会津電力」を設立した。本書は電力の「素人」たちが再エネ拡大に後ろ向きな行政や大手電力と厳しい交渉を繰り広げながら、発電所を実現させる苦難の道のりを描いた。飯舘では出力1000キロワットの大規模発電所をつくる予定が東北電に「送電線に余裕がない」と拒否され頓挫。小規模発電所を多数つくる戦略に転換。会津では「豪雪で太陽光発電は不可能」といわれる中、実証設備を手作り。一冬、毎日観察し、発電できて雪も滑り落ちるパネルの最適角度を突き止めた。
菅義偉内閣は「2050年温暖化ガスゼロ」を公約するが大手主導と原発依存は不変だ。金子勝・立教大特任教授は「本書が光を当てた地域の自然を活用した電気を地域で使う分散型発電にこそ未来への希望がある」と話す。徳間書店。1870円。280ページ。
【関連記事】<原発のない国へ 福島からの風>屋根で発電 農業ハウス 会津電力の地産地消
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/86372】
本紙の片山夏子・福島特別支局長「ふくしま原発作業員日誌」が早稲田ジャーナリズム奨励賞
2021年2月16日 20時26分
「石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞」の授賞作が16日発表され、公共奉仕部門の奨励賞に本紙の片山夏子・福島特別支局長の著書「ふくしま原発作業員日誌 イチエフの真実、9年間の記録」=写真=が選ばれた。東京電力福島第一原発事故で働く作業員に粘り強く取材し、本紙で131回掲載している「ふくしま作業員日誌」に加筆。廃炉現場の過酷さ、作業員の家族への思いなどを伝えている。連載は特報面に随時掲載中。
【関連リンク】片山記者が語る取材の裏側、音声番組はこちら
【関連記事】むのたけじジャーナリズム賞に片山夏子本紙記者の「ふくしま作業員日誌」
(福島特別支局長 片山夏子)
「長年にわたって作業員たちの話を聞き取った努力は並大抵ではない。作業員一人ひとりの、また著者のうめくような声が聞こえてくる」(選考委員の吉岡忍氏)と高い評価を受けた。片山支局長は「現場で実際に何が起きているのかは、箝口かんこう令下にある多くの作業員に聞かなければ、分からないことばかりでした。作業員一人一人の闘いと生き様を伝えたかった。約10年間取材し続けたことがジャーナリズムとして評価されたことをうれしく思います」とコメントした。
公共奉仕部門の大賞は西日本新聞のかんぽ生命不正販売問題を巡るキャンペーン報道と毎日新聞の「桜を見る会」の一連の追及報道。草の根民主主義部門大賞は三上智恵さんの著書『証言 沖縄スパイ戦史』、同奨励賞はNHKBS1スペシャル「封鎖都市・武漢~76日間 市民の記録~」、文化貢献部門奨励賞は静岡新聞「サクラエビ異変」。
【関連記事】「痛いっ!」横揺れでベッドから振り落とされ、なだれのように棚から本が…窓の外からは子を呼ぶ声 震度6強が襲った福島特別支局長の現地報告
【関連リンク】原発のない国へ
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(2021年02月23日[火])
佐藤哲紀記者による、東京新聞の記事【警戒区域で生き残った牛1頭が問う「生きるとは…」 福島県浪江町「希望の牧場」】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/87449)。
[※↑ 双葉町で牧場経営していた鵜沼さんがキクハナと再会…希望の牧場にて (報道特集 2021年03月06日[土])]
《福島県浪江町の「希望の牧場・ふくしま」。代表の吉沢正巳さん…吉沢さんは自身のことをベコ(牛)屋と呼ぶ。「ここにいる牛は経済的には意味がない。けれど生きるってことに意味がある。餓死もせず、殺処分もされず、生きてきた。これからも餌食ってくそたれて、寿命までここで暮らす。この牛たちを見て、命の扱い方とか、原発があるというのはどういうことかを考えるきっかけになってほしい。3・11を風化させないためにもここを維持する」。牛と共に生きる覚悟を決めたベコ屋の意地が見えた》
『●「あれだけの事故を起こして被害を出して、
だれか1人でも責任とってやめたか。申し訳ないと謝罪したか」』
『●東電核発電人災から10年: あの人災から何の教訓を得ることもなく、
何も変わらないニッポン…核発電〝麻薬中毒〟から抜け出せないまま』
責任をもって東電や国が「原状回復」して見せてくれよ! 10年経ちましたよ…。
東京電力核発電人災から10年。あの人災から何の教訓を得ることもなく、何も変わらないニッポン。民主党政権末期・野田政権、アベ様・カースーオジサンによる《悪夢のような》、〝地獄〟の自民党政権は、核発電〝麻薬中毒〟から抜け出せないままです…。
10年経って、何の進展もないし、何も解決していない。「事故はなかったことにされた」も同然な現状 ――― 『吉沢正巳さん「被ばく牛は原発事故の生き証人。処分すれば証拠は消え、事故はなかったことにされる」』。
『●大飯原発再稼働撤回に向けて、この熱気を見よ!』
『●「浪江町で300頭の牛を一人で飼っている
牧場主の吉沢正巳さん」国会前スピーチ』
「(OurPlanet-TV、…)では、「浪江町で酪農を
経営していた「希望の牧場」の吉沢正巳さんは、「政府は福島の
原発事故を過去のものとして蓋をして、再稼働でばんばんいって
しまう。今回の事故で誰が責任をとっているのか、皆逃げている。
言い訳をしてる。ごまかしてる。嘘ついている。もうたくさんだ。」
と力強く話した」そうだ」
《被ばく牛と生きている牧場主の声を聴いてほしい!
ドキュメンタリー映画の『フタバから遠く離れて』をみて以来、
気にかかっていた人がいた。それは浪江町で300頭の牛を一人で
飼っている牧場主の吉沢正巳さん(写真)のことだ》
『●終わらない原発人災の影響:
「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ…」』
『●吉沢正巳さん「被ばく牛は原発事故の生き証人。処分すれば
証拠は消え、事故はなかったことにされる」』
「《福島原発事故で故郷の町を奪われ、避難生活を強いられる
根本昌幸さんの「柱を食う」である》… 《/牛よ/恨め恨め/
憎き者を恨め/お前を飼っていた者ではない。/
こういうふうにした者たちを》。そして、《福島県いわき市の
芳賀稔幸さんの「もう止まらなくなった原発」だ》…
《失ったものは永遠に帰っては来ない/元通りに出来ないはずだのに
/責任をはたすって?/何の責任をだ/一体責任って何だ?》」
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/87449】
警戒区域で生き残った牛1頭が問う「生きるとは…」 福島県浪江町「希望の牧場」
2021年2月22日 12時00分
(肉用牛に交ざり、餌を食べる「いちご」。
「牛は餌食ってる時が一番いい顔するんだ」と
吉沢さんは言う=福島県浪江町の
「希望の牧場・ふくしま」で(佐藤哲紀撮影))
朝の牛舎で黒毛和牛などが並ぶ中、1頭だけ白黒模様の牛が目を引く。牧場内唯一のホルスタイン「いちご」がのんびりと餌の時間を待っている。
東京電力福島第一原発から北西約14キロに位置する福島県浪江町の「希望の牧場・ふくしま」。代表の吉沢正巳さん(66)が飼育していた肉用牛は原発事故で放射性物質にさらされ、出荷できなくなった。原発から半径20キロ圏内の警戒区域(当時)に位置するため、国からは殺処分を求められたが吉沢さんは拒み、牛の世話を続けている。
吉沢さんによると、いちごは警戒区域内で生き残った最後のホルスタインだという。原発事故後、同牧場からほど近い南相馬市の酪農家の牛舎で保護された。牛舎には餓死と思われる十数頭の死骸が残り、他に生きた牛はいなかった。
3月15日ごろに生まれたことから、いち(1)ご(5)と名付けられた。この3月で10歳。「うちに来たときは小さい体でビクビクしていた。立派に成長したけど、気弱な性格はあまり変わってない。何年も生きてほしい」と願う。
(いちご(右端)や出荷されることのない肉用牛250頭が
暮らす「希望の牧場・ふくしま」の牛舎=福島県浪江町で)
吉沢さんは自身のことをベコ(牛)屋と呼ぶ。「ここにいる牛は経済的には意味がない。けれど生きるってことに意味がある。餓死もせず、殺処分もされず、生きてきた。これからも餌食ってくそたれて、寿命までここで暮らす。この牛たちを見て、命の扱い方とか、原発があるというのはどういうことかを考えるきっかけになってほしい。3・11を風化させないためにもここを維持する」。牛と共に生きる覚悟を決めたベコ屋の意地が見えた。
「希望の牧場・ふくしま」では見学者の受け付けを随時行っている。詳細は公式ブログで。 (写真と文・佐藤哲紀)
【関連記事】飯舘牛、8年ぶり復活 震災後初出荷 福島復興に追い風
【関連記事】<ふくしまの10年・牛に罪があるのか>(1)名士 まさかの反乱
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(2021年03月11日[木])
中原岳記者による、西日本新聞のコラム【10年 時が止まった町 中原岳】(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/667005/)。
《毎時0・196マイクロシーベルト。駅舎の空間放射線量率計が、数字を赤くともしていた。福島第1原発事故の被災地、福島県富岡町の夜ノ森駅。駅の東側はいまだに帰還困難区域だ。空間線量率は福岡県でその日測定された線量より3倍以上高かった。東京都と宮城県を結ぶJR常磐線が今年3月、東日本大震災の被害から復旧し、9年ぶりに全線再開を果たした。列車の旅が好きな「乗り鉄」にとって未制覇の常磐線。被災地の「今」も気になり、夏の終わりに訪ねた》。
『●お見舞い申し上げます…』
『●あの3・11原発人災から1年: 松下竜一さん「暗闇の思想」を想う』
『●3.11東京原発人災から2年が過ぎて』
『●「福島原発事故の今」
『週刊金曜日』(2014年3月7日号、982号)について』
『●3.11東京電力原発人災から4年:
虚しき「地球にやさしいエネルギー原子力 人にやさしい大熊町」』
『●東電核発電人災から5年: 「今や世界の笑い者…
政権批判をいとわないキャスターの首を差し出した」』
『●東電核発電人災から6年: 4つの「生」+「命」「活」「業」「態」…
どれか一つでも原状回復できたか?』
『●東電核発電人災から7年: 「村の生活は百年余りにわたり、
人生そのもの」…「やっぱりここにいたいべ」』
『●東電核発電人災から8年: 《11日の夜9時すぎには、
東電の社員も家族もだれ一人双葉町に残って…》』
『●東電核発電人災から9年: 金(カネ)色の五つの輪《オリンピック
聖火リレーを前に「福島はオリンピックどごでねぇ」》』
金(カネ)色の五つの輪誘致の際の《ウラアリ》な《オモテナシ》、何が一体《アンダーコントロール》だったのか? 何が一体《復興五輪》なのか? ましてや、いまや、福島の「ふ」、復興の「ふ」の字もなく、COVID19人災の下、「人類が新型ウイルスに打ち勝った証し」「コロナ克服五輪」として、出来もしないのに…開催を目指すと嘯くあり様だ。
アベ様らはこれまで何をやってきたのか? アベ様口癖の「悪夢のような旧民主党政権」…あらゆる意味で、悪夢のような最悪な政権はもはや明白です。そして、《自助》大好き、利権漁りカースーオジサンの「地獄」のような政権。10年経ち、何一つ解決せず。東電・政府・原子力「寄生」委員会等は放射性物質で汚染された地域を早く「原状回復」してみせてよ! もう10年も経ってしまったではないですか。
『●東京電力核発電人災下の福島でも荒稼ぎしたゲス・ヒトデナシな
詐欺師・ジャパンライフの片棒を担ぐ議員達』
『●(リテラ)「あの未曾有の福島第一原発事故を招いた
“最大の戦犯”が、他ならぬ現内閣総理大臣・安倍晋三」』
『●三浦英之記者の質問「今でも『アンダーコントロール』だとお考えで
しょうか」? アベ様のお答え「…その中で正確な発信をした…」!?』
《元東京都小金井市長の佐藤和雄事務局長は会見で「国が進める
核燃料サイクルは、既に破綻している」と述べた。佐藤事務局長らは、
運転開始から四十年を超えた原発は再稼働するべきではないとも指摘。
東京電力福島第一原発で増え続ける放射性物質トリチウムを含んだ
水を、海洋放出の方が確実に処理できると強調した提言案を
政府小委員会が一月に大筋で了承したことを受け、
放出せずに長期保管するよう求めた》
『●東電核発電人災汚染水放流に反対…(筆洗)《取り除くべきは放射性
物質に加えて、地元の心配であり、悩みである。簡単には水に流せぬ》』
『●「原子力災害伝承館」《批判…口封じ》…《安倍政権では「被災地
切り捨て」政策がつづけられてきたが、それを菅政権も「継承」》』
これは核発電人災 ――― 核発電「麻薬」中毒者らはまだ核発電を続けたいらしい…。
アサヒコムの記事【原発事故は人類の悲劇、まだ終わってない 坂本龍一さん】(https://www.asahi.com/articles/ASNDY76JYNCJULFA021.html)によると、《「…10年近くが経った今でも、溶け落ちた核燃料の状態がよくわかっていないですよね。ロボットを送り込んでも強い放射線ですぐに壊れてしまうといいます。人類の悲劇です」》。
『●「あれだけの事故を起こして被害を出して、
だれか1人でも責任とってやめたか。申し訳ないと謝罪したか」』
東京電力核発電人災から10年。あの人災から何の教訓を得ることもなく、何も変わらないニッポン。民主党政権末期・野田政権、アベ様・カースーオジサンによる《悪夢のような》、〝地獄〟の自民党政権は、核発電〝麻薬中毒〟から抜け出せないままです…。
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【https://www.nishinippon.co.jp/item/n/667005/】
10年 時が止まった町 中原岳
2020/11/24 11:00
西日本新聞 中原 岳
(大野駅近くの道路。帰還困難区域内は通行止めが続いていた)
毎時0・196マイクロシーベルト。駅舎の空間放射線量率計が、数字を赤くともしていた。福島第1原発事故の被災地、福島県富岡町の夜ノ森駅。駅の東側はいまだに帰還困難区域だ。空間線量率は福岡県でその日測定された線量より3倍以上高かった。
東京都と宮城県を結ぶJR常磐線が今年3月、東日本大震災の被害から復旧し、9年ぶりに全線再開を果たした。列車の旅が好きな「乗り鉄」にとって未制覇の常磐線。被災地の「今」も気になり、夏の終わりに訪ねた。
夜ノ森駅は仙台駅から電車を乗り継いで2時間超。一人降り立ち、電車が走り去るとしーんと静けさに包まれた。
駅の東側を歩く。構内や駅への道路は除染済みという。道の両側には柵が並び、除染されていない民家や商店には入れない。屋根瓦は崩れ、割れた窓ガラスからカーテンが風になびいている。車庫には、ほこりをかぶったままの車。原発事故の日から時が止まっているように感じた。
1駅戻り、福島県大熊町の大野駅で降りた。原発から約4キロの最寄り駅だ。線量率はさらに高い毎時0・343マイクロシーベルト。多くはいまだに帰還困難区域で、商店や飲食店も並ぶ通りは封鎖されている。不審者に備えてか、防犯パトロール車が巡回していた。
駅の待合室で町の広報紙を手に取った。6月末現在の人口は1万295人。町内居住者は推計852人だが、住民票があるのは帰還者122人を含む244人。残りの大部分は、町によると原発の廃炉作業員。他の町民は今も全国に避難している。九州は最多の宮崎が27人。福岡21人、大分6人、佐賀3人、長崎と熊本各2人、鹿児島1人と続く。長崎大の保健師らによる健康相談の記事も見つけた。九州の支援も続いていると分かり、エールを送りたくなった。
常磐線に再び乗る。原発から遠ざかるにつれ新築が増え、車や人影が目立ってきた。ほっとする風景は、逆に帰還困難区域が置き去りになっていることを印象づけた。
居住再開に向けた準備は思うに任せないのか。いったん人間の手に負えなくなった原子力は、復興へ歩む時までもゆがめていた。
あの3・11から、3カ月半で10年になる。 (編集センター)
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リテラの記事【菅首相がきょう訪問する福島の「原子力災害伝承館」で、被災者の“語り部”が国や東京電力の批判をしないよう口封じ】(https://lite-ra.com/2020/09/post-5650.html)。
《菅義偉首相が初の地方視察として福島県を訪問する。16日におこなわれた初閣議で決定された内閣の基本方針では東日本大震災や原発事故について一切触れなかったことから「もう終わったことにするのか」と批判を浴びていたが、こうした声をかき消すために慌てて視察先に福島を選んだのはミエミエだ。実際、安倍政権では「被災地切り捨て」政策がつづけられてきたが、それを菅政権も「継承」する》。
『●【金子勝の「天下の逆襲」/野党は「消費減税で戦う」ではなく
ニューディール議論を】…最悪な税制なんかを導入したが故に…』
『●さようならアベ総理、そして、こんにちはアベ様…数々のアベ様案件
について真相を解明し、真の「責任」を果たしていただきましょう』
「2020年8月28日(金)午後、漸くこの日を迎えました。
アベ様が首相辞任を表明しました」
『●《自助》大好きオジサン・元最低の官房長官と学商は〝ベーシック
インカム7万円〟を「トリクルダウン」だとでも思っているのでは?』
『●《「その後、体調は」と問われた安倍前首相は、こう答えているのだ。
「新しい薬が効いている。もう大丈夫だ。」》(リテラ)…仮病?』
『●アベ様御夫妻、元・最低の官房長官スガ様、晋官房長官殿…
ジャパンライフ、48HDも含め「桜を見る会」問題の幕引きは許されない』
《「被災地切り捨て」政策…も「継承」》とはねぇ…。
リテラのエンジョウトオルさんによる記事【3.11に改めて問う安倍首相の罪! 第一次政権で福島第一原発の津波、冷却機能喪失対策を拒否した張本人だった】(http://lite-ra.com/2018/03/post-3862.html)によると、《そんなマスコミが一切触れようとしない、重大な事実がある。それは、あの未曾有の福島第一原発事故を招いた“最大の戦犯”が、他ならぬ現内閣総理大臣・安倍晋三であるということだ》。この一点をとっても、アベ様政権や大惨事アベ様政権の冷酷さが分かろうというもの。東京電力核発電人災下の福島でも荒稼ぎしたゲス・ヒトデナシな詐欺師・ジャパンライフの片棒を担ぐ議員達の多くも無《責任政党》議員だ。
《いや、政府の姿勢は「被災地軽視」にとどまらない。というのも…「東日本大震災・原子力災害伝承館」…をめぐっては、被災者である「語り部」の話す内容に対し、国や東京電力の批判をおこなわないよう求めている》《「語り部」の話す内容を職員が“検閲”“修正”している》。開いた口が塞がらないよ、全く。
『●東京電力核発電人災下の福島でも荒稼ぎしたゲス・ヒトデナシな
詐欺師・ジャパンライフの片棒を担ぐ議員達』
『●(リテラ)「あの未曾有の福島第一原発事故を招いた
“最大の戦犯”が、他ならぬ現内閣総理大臣・安倍晋三」』
『●東電核発電人災から9年: 金(カネ)色の五つの輪
《オリンピック聖火リレーを前に「福島はオリンピックどごでねぇ」》』
未だに3.11東京電力核発電人災を引き起こした国が何をやっているのか…。
東京新聞の【社説/原発輸出戦略 「看板」を書き換えねば】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/58232?rct=editorial)によると、《日立製作所が、英国での原発新設計画から完全撤退することを決めた。原発輸出は政府の成長戦略の柱の一つ。だがもはや、原発に資金は集まらない。世はまさに再生可能エネルギーの時代である》。
第一、《省エネの進展と再生可能エネルギーの増加で原発が稼働しなくても電力不足は生じず、温暖化対策も両立できる》…トドメは刺されている。
『●核発電所を再稼働したい? 《女川いのちの石碑…十三番目の石碑
…<故郷を 奪わないでと 手を伸ばす> この痛切な願い》を聞けよ!』
《女川原発は、震源に最も近い原発です。福島同様、激しい揺れと津波に
襲われました。到達点よりわずかに高い所にあったため、辛うじて難を
逃れたにすぎません。…東北の被災原発を再稼働に導いて、「復興原発」
にしたいのか。原発は安全です、ちゃんと制御
(アンダー・コントロール)できていますと、五輪を前に世界へ
アピールしたいのか》。
『●森一岳裁判長《原発の危険性検証には『福島原発事故のような
事故を絶対に起こさないという理念にのっとった解釈が必要…』》』
『●姫野洋三さんの「若狭の海」: 核発電銀座…
《地元の人間にしてみれば原発があっても怖いし、なくても怖い》…』
『●《省エネの進展と再生可能エネルギーの増加で原発が稼働しなくても
電力不足は生じず、温暖化対策も両立できる》…トドメは刺されている』
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【https://lite-ra.com/2020/09/post-5650.html】
菅首相がきょう訪問する福島の「原子力災害伝承館」で、被災者の“語り部”が国や東京電力の批判をしないよう口封じ
2020.09.26 10:11
(首相官邸HPより)
本日26日、菅義偉首相が初の地方視察として福島県を訪問する。16日におこなわれた初閣議で決定された内閣の基本方針では東日本大震災や原発事故について一切触れなかったことから「もう終わったことにするのか」と批判を浴びていたが、こうした声をかき消すために慌てて視察先に福島を選んだのはミエミエだ。
実際、安倍政権では「被災地切り捨て」政策がつづけられてきたが、それを菅政権も「継承」する。たとえば、昨日25日に判明した復興庁の2021年度予算の概算要求は、昨年度当初予算である1兆4024億円から55%減となる6331億円。なかでも「住宅再建・復興まちづくり」の予算は5472億円から546億円と10分の1にまで減らされるという。
東京五輪の招致の際は「復興五輪」と連呼しながら、いつのまにかその掛け声は「人類が新型ウイルスに打ち勝った証し」「コロナ克服五輪」へとすり替わったように、菅首相も「現場主義に徹して復興をさらに前に進める必要がある」と口にしながら、予算大幅削減の方針からも被災地軽視の態度は明らかだ。
いや、政府の姿勢は「被災地軽視」にとどまらない。というのも、本日、菅首相が訪問する予定の「東日本大震災・原子力災害伝承館」(以下、「伝承館」)をめぐっては、被災者である「語り部」の話す内容に対し、国や東京電力の批判をおこなわないよう求めていることが発覚したからだ。
「伝承館」は震災と原発事故の記録と教訓を風化させず伝えていくためのアーカイブ拠点施設として今月20日に双葉町に開館したばかりで、「災害の記録と記憶を後世に伝える」「国内外に向け教訓を発信する」ことを目的として設置。24万点を超える資料の展示のほか、「語り部」による被災体験の講話を聞くことができる、という触れ込みだった。
しかし、開館から3日後の今月23日、「語り部」の話す内容を職員が“検閲”“修正”しているという事実を朝日新聞朝刊が報じたのだ。
■水俣病伝承館ではチッソ批判を禁止してないのに原発災害の伝承館では国や東電批判を禁止
記事によると、「語り部」の研修会で配られたマニュアルでは〈口演内容は「大震災及びそれに伴い発生した原発事故に関する」ものとする一方、「特定の団体、個人または他施設への批判・誹謗中傷等」を「口演内容に含めないようお願いします」と記載〉していたといい、〈口演内容は事前に原稿にまとめ、伝承館が確認、添削。特定の団体を批判した場合などは口演を中止して、語り部の登録から外すこともあるという趣旨の説明もあった〉という。実際、〈東電や国の責任を指摘する〉語り部のひとりは、〈添削で原稿の一部の変更を求められた〉というのである。
また、朝日新聞の「『特定の団体』に国や東電が含まれるかどうか」という取材に対し、伝承館を所管する福島県の生涯学習課長は「そうですね」と回答。県から出向する伝承館の企画事業部長も「国や東電、県など第三者の批判を公的な施設で行うことはふさわしくないと考えている」と答えている。
言うまでもなく、原発事故は「安全神話」を振りまいてきた東電と国の責任抜きには語れないものだ。しかも、この施設は「東日本大震災・原子力災害伝承館」というその名のとおり、原発事故の教訓を伝え継ぐ役割を担っている。にもかかわらず、被災した「語り部」の思い、考えを封じようとは何事か。
無論、「伝承」を謳う施設でこのような言論封殺は許されるものではない。たとえば、熊本県にある水俣市立水俣病資料館では、語り部に原因企業であるチッソの批判を禁止するようなことはなく、〈一部の語り部はチッソを名指し、「水俣病の原因と知りながら有機水銀を流した。水俣病問題でなく事件だ」と批判することもある〉(朝日新聞23日付)という。
しかも、福島第一原発事故は、国会の事故調査委員会も「事故は自然災害ではなく明らかに人災」と結論づけているものだ。国も東電も地震や津波に対する十分な安全対策を怠り、さらには事故後の対応でも東電はメルトダウンの事実を隠蔽するなど杜撰極まりないものだった。こうした実態を語ることさえ許さず、何を「教訓」にしようというのだろう。
■誰が国と東電の批判を封じたのか 背景に安倍政権から続く原発推進路線
そして、問題なのは誰が批判封じをしようとしているか、ということだろう。「語り部」のひとりは「(事業費を全額負担する)国への忖度があるんだろう」と朝日新聞の取材に語っているが、実際、「伝承館」の建設費や収集費など計53億円はすべて国が負担。管理・運営をおこなう「公益財団法人福島イノベーション・コースト構想推進機構」には国の職員も出向している。
昨年、福島原発事故で対応拠点となるはずだったが役に立たなかった福島県大熊町の「原子力災害センター」(オフサイトセンター)が解体され、事故当時の備品の展示が2020年に開館予定だった「伝承館」に引き継がれることになった際も、「展示を決める主体によって中身が左右されやすい」「原発事故が起きた原因や責任の所在を伝えなければならないが、その点をきちんと伝えられるか」といった懸念が指摘されていた。(東京新聞2019年9月22日)
安倍政権では「影の総理」とも呼ばれた今井尚哉首相補佐官(現・内閣官房参与)の下、原発推進路線がとられ、原発再稼働が押し進められ、菅首相も総裁選では原発を「重要なベースロード電源」と位置づけてきた安倍政権を継承する姿勢を見せていた。そうした背景を考えれば、政府が睨みをきかせるなかで国や東電の批判は封じ込められたのだろう。
「語り部」が教訓を伝える場なのに、政権にとって不都合な事実を語ることが封じ込められた、その施設に出向く菅首相は、いったい何を語るのか。できれば囲み取材で記者からこの件にかんする質問がおこなわれることを期待したいが、今後、菅政権がどのような原発政策を打ち出すのか、その点にも注視しなければならないだろう。
(編集部)
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