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●(小谷内毅珠洲市議)「珠洲に原発があれば、隆起で配管が破断し、大惨事になっていたのでは。…もし事故…、とても逃げられる状況ではなかった」

2024年03月27日 00時00分29秒 | Weblog

[↑ ※「地震列島の原発安全性に警告」(週刊金曜日 1457号、2024年01月26日号)]


(20240314[])
3.11の教訓は? 能登半島地震の「警告」を無視…《原発回帰》《原発復権》へと暴走する狂気なキシダメ政権。
 《東京電力福島第1原発事故の影響で、今も全国で約29千人が避難生活を送る》理由は何ですか? その多くが核発電人災による影響なのではないのですか。さっさと東電と政府が《原状回復》し、周辺に飛び散った全ての放射性物質を3.11以前のように福島第一核発電所の原子炉内に戻して見せてくれればよいだけなのに、キシダメ政権や自公お維コミは全くやる気なし。

 《圓龍寺塚本真如(まこと)住職(78)…「能登半島地震が起きてからは(原発計画を止めて)『西日本を救ってくれてありがとう』という電話がかかってくる。日本に原発を動かせる場所はない。本当にそう思います」》(東洋経済オンライン)。
 沖縄タイムスの【[社説]東日本大震災13年 命守る教訓をつなごう】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1322491)。《原発事故と地震の複合災害への備えは不十分だ。東京電力福島第1原発の事故を受け、原子力規制委員会は災害対策指針を策定。原発からの距離ごとに住民の避難計画を示した。だが、能登半島地震では道路が寸断され、唯一の避難経路が失われた。北陸電力志賀原発でもし事故が発生しても避難できない事態に陥ったのである。今年1~3月に共同通信が実施した原発に関する全国世論調査では、原発事故に備えて自治体が定める避難計画を「見直す必要がある」とした人は94%に達している。原発事故により福島県では今も7市町村で帰還困難区域が残る。第1原発の廃炉の道筋は見えず、除染で出た土などの廃棄物搬出も不透明だ。それにもかかわらず岸田文雄首相は原発回帰に転換した事故の教訓に背を向けているのではないか。…福島の原発事故を受け、各地で避難生活を送る人はいまだに約2万9千人に上る》。

 東洋経済オンラインの記事【能登地震、現地で見た「原発事故で避難不能」の怖さ 志賀原発とかつての原発予定地の現状が問うもの/青木 美希】(https://toyokeizai.net/articles/-/736154)。《日本では大きな地震の都度、「原発は大丈夫か」と懸念されるようになっている。新年早々に起きた能登半島地震からおよそ50日。最大震度7を観測した現地ではまだ大勢の住民が避難生活を続けているが、志賀原発周辺や原発予定地だった珠洲市はどうなっているのだろうか。原発事故の際、避難は可能なのかそもそも原発は地震に耐えられるのか。現地を訪れた》。

 琉球新報の【<社説>東日本大震災13年 教訓を確認し引き継ごう】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-2887782.html)。《東京電力福島第1原発事故の影響で、今も全国で約29千人が避難生活を送る福島県では7市町村で原則立ち入り禁止のエリアが残っているかつての日常を取り戻す復興の歩みは道半ばだ。…日本世論調査会による世論調査によると、今後の原発利用について「今すぐゼロ」が4%、「将来的にゼロ」は55%で約6割が「ゼロ」を望んだ。理由を尋ねると「福島第1原発事故のような事態を再び招く恐れがある」が最多で80%だった。政府はこの結果を重く受け止めるべきだ》。
 東京新聞のシリーズ記事【雨風が吹き込み、横にもなれない家に「屋内退避」しろと? 原発事故対策の絵空事を能登で見た】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/314516)。《<連載・能登から見る 3.11後の原発防災>㊥ …能登半島地震では、2011年の福島原発事故後に見直された避難と事故対策のあり方に致命的な問題が露呈した。原発と共存できるのか、能登の被災地で考える》《◆「危険」を示す赤い紙が貼られた家屋… ◆破れた屋根「外にいるのと何も変わらん」… ◆放射性物質を防ぐはずの施設が機能喪失… ◆肝心の放射線量もデータが取れない… ◆「無計画な避難を避けるため」屋内退避を設定》。

   『●能登半島地震と珠洲核発電所建設計画凍結と断層の上に建つ志賀核発電所
      …「悪夢のような民主党政権」と比較して、今のキシダメ政権の無残さ
   『●能登半島地震と珠洲核発電所建設計画凍結と断層の上に建つ志賀核発電所
      …それでも再稼働・新規建設したいという核発電〝麻薬〟中毒患者ら
   『●【能登を襲った巨大地震/狙撃兵】《役立たずかと思うほど鈍くさい動き
     に、思わずこの連中に「人の心」は宿っているのだろうかと思うほどである》
   『●「想定外」!? 【震度5強の志賀原発で「想定外」続々…なのに規制委は
     動かない 「安全上影響ない」「一定の時間かかる」とは?】(東京新聞)
   『●斎藤貴男さん《日本列島は地震の巣なのに、原子力の利用を「国の責務」と
     うたうGX(グリーントランスフォーメーション)法案にかまけて》いた…
   『●これまでの教訓は何処に? 決して「想定外」と言う勿れ…能登半島地震
      と珠洲核発電所建設計画凍結と断層の上に建つ北陸電力志賀核発電所
   『●本当に賢明な判断だった…珠洲核発電所《建設を阻止したのは、住民らの長
     年にわたる根強い反対運動だった…無言電話や不買運動に耐えた阻止活動》
   『●石川県志賀町・稲岡健太郎町長「北陸電力は再稼働を目指すとのこと
     だが、首長として以前のように安全性をアピールすることは難しい」と…
   『●3.11東京電力核発電人災の教訓はどこに? 能登半島地震の警告は?
     正気だろうか? 東電に核発電所を運転する資格や能力は在るのかね?
   『●小出裕章さん《今回一番学ばなければいけないことは、志賀原発が止まって
      いてよかったということ。…原発が1年間稼働すれば、広島原爆が…》
   『●《志賀原発…すぐ近くで地盤が4m隆起…取水口が海面から離れることに
     より冷却水が取れなくなる恐れ…原発の建屋が損傷する恐れもあった》
   『●「閉じない環」破綻した核燃サイクル…《1993年から26回の延期…核
     燃料サイクル政策は要の再処理工場の稼働が見通せず、「破綻」》が露わ

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https://toyokeizai.net/articles/-/736154

能登地震、現地で見た「原発事故で避難不能」の怖さ
志賀原発とかつての原発予定地の現状が問うもの
青木美希
: ジャーナリスト
2024/02/23 9:00


     (倒壊した圓龍寺(珠洲市)の庫裡(くり)(以下、被災地の
      写真はいずれも1月20~22日、筆者撮影))

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日本では大きな地震の都度、「原発は大丈夫か」と懸念されるようになっている。新年早々に起きた能登半島地震からおよそ50日。最大震度7を観測した現地ではまだ大勢の住民が避難生活を続けているが、志賀原発周辺や原発予定地だった珠洲市はどうなっているのだろうか。原発事故の際、避難は可能なのかそもそも原発は地震に耐えられるのか。現地を訪れた。
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■原発建設予定地だった寺では住職の妻が下敷きに

能登半島の先端に位置する石川県珠洲市では1975年に原発立地構想が浮上した。関西電力は135万キロワット級の原発を高屋地区に、中部電力も寺家(じけ)地区に造る、と具体化させていったが、30年近くに及ぶ住民らの強い反対運動で計画は停滞。コスト増もあって2003年に両原発は計画断念に追い込まれた。

     (原発計画を断念した際に中部電力などの発表した
      資料から=2003年12月)

能登半島地震が起きた際、その高屋地区には住民や帰省してきた家族100人ほどがいた。震源地の近くだったこともあり被害は甚大で、山道は複数個所で崩落地区は孤立した。実際、原発立地予定地内だった圓龍寺を筆者が訪れたところ、住職らの住居になっていた庫裡(くり)は大きく崩れていた。

住職の妻は地震で下敷きになった。住職が引っ張りだしたが、妻の足は翌日から紫色に腫れ、「痛い痛い」と訴え続けていたという。

高屋地区の海岸では海底が2メートル近く隆起し、船が近づけない。1月3日になって自衛隊がゴムボートで上陸し、ヘリがけがをした住職の妻や体調の悪い高齢女性、出産間近の女性を金沢市の病院に搬送した。

集落はその後も孤立状態が続く。1月4日になると、起伏が激しい場所でも前進できる自衛隊車両のみが通行できる状態となった。5日には地元の有志が道路への倒木や地割れなどの補修を実施。10日ごろに自衛隊による道路補修用の砂利搬入が始まり、12日になってようやく集落の出口まで道路は開通した。


■現地で目の当たりにした地震の爪痕

筆者が高屋地区に向かったのは、発災から3週間後の1月21日である。

現地に行くまで、「高屋まで行ける」「行けない」と情報は錯綜。高屋とバイクで行き来していた男性の案内で車を走らせたものの、行く手には崩落箇所に鉄板を敷いた仮設道路しかない。道幅も車のすれ違いは困難なほど狭い。

     (高屋地区に続く道)
     (高屋地区の入り江。海辺が隆起し、岩礁が露出した)

細い砂利道を進み、山を越えると、眼下に高屋地区の入り江が広がっていた。しかし、青い海が広がっているはずの場所に海はない。海岸から数メートル先まで土地が隆起し、白い岩礁が露出しているのだ。

高屋漁港には数十センチ程度の段差が何カ所も生じていた。漁船が10数隻係留されていたが、船は岸壁より2メートルほども低い位置にある。はしごを掛けて降りなければ、乗り込めない。地震の前は普通の港と同様、岸壁からひょいと漁船に乗りこめる状況だったという。岸壁側が2メートルほど隆起したのだろう。

     (高屋漁港で並ぶ漁船)

地区を歩くと、屋根の瓦が崩れ落ちた家が多く、土砂崩れにのまれた家もある。住民の多くは避難し、約100人のうち残っているのは9人だった。

集会所に行くと、黄色いジャンパーを着た長靴姿の男性がきびきびと動いている。谷口直生(なおき)さん(38)。「この集落で一番若いので(働いています)」。電気も水道も復旧しておらず、1月1日から3週間も風呂に入っていないという。

けが人がいるのに救助の手がどこからも来ないという状態が発災直後に続き、車中泊を続けた人もいる。仮に珠洲原発の計画が頓挫せずに完成し、そして万が一の事故が起きたら住民らの避難路になっていたはずの道。そこが寸断し、当初は救助も支援もまともに来ない、かといって脱出もできなかった

そして筆者が訪れた3週間後でも水道、電気は回復していなかった。谷口さんも「珠洲原発があったら目も当てられない状態だったと思う」と言葉少なだった。

現地を案内してくれた珠洲市議の小谷内毅さん(63)はこう言った。

珠洲に原発があれば、隆起で配管が破断し、大惨事になっていたのでは。この国で原発を使うのであれば、隆起時の実験を行ってからにすべきだ。もし事故を起こしていたとしたら、とても逃げられる状況ではなかった


■圓龍寺の住職が語ったこと

珠洲市で原発立地計画が進んでいた当時、反対の声を上げた住民のリーダーの1人は、圓龍寺塚本真如(まこと)住職(78)だった。建物が壊れ、妻が下敷きになったあの寺だ。塚本さんは避難先だった加賀市内のホテルで取材に応じてくれた。

     (塚本真如住職。30代のときに原発の計画を聞いて
      勉強し、反対のリーダーを担った)

原発計画を聞いたとき、塚本さんは30代だったという。原発について知識がなかったため、原発建設の是非を自分で判断しようと、「推進派と反対派の本をそれぞれ100冊ずつ読んだ」そうだ。

福井県の敦賀原発など他の現場にも足を運んだ。敦賀原発は1981年に放射性廃液の大量流出事故もあり、女性たちが健康影響を心配していた。

うそを固めてできたのが原発と思った。どうしても『原発がいい』という結論が自分の中で出なかった

塚本さんらは原発建設予定地に土地を持つ人たちを説得し、そのうち数人の土地を共有化して容易に買収できないようにした。

「能登半島地震が起きてからは(原発計画を止めて)『西日本を救ってくれてありがとう』という電話がかかってくる。日本に原発を動かせる場所はない。本当にそう思います」

筆者は、志賀原発の状況も取材した。原発の入り口には他の原発と同様に検問所のようなゲートがあり、黒っぽい上下の警備員が歩いている。行きかう車の台数は他の原発よりも少ない。時折車両が行き来する程度で、警察官を輸送するバスの行き来のほうが目立つほどだ。

     (志賀原発1号機(右)と、再稼働を申請中の2号機)

北陸電力には内部取材について問い合わせているが、返事はなかった。原発そばにある原発PR館「アリス館志賀」を訪れると、職員2人が中から出てきて「入れません」「休館中です」と繰り返す。


■「北陸電力から情報が出てこない」

能登半島の住民や取材者の間では「北陸電力から情報が出てこない」とよく言われる。ホームページで資料を出してはいるが、東京電力のように記者会見のYouTube公開もない。志賀原発の海水の取水口が耐えられる隆起は20センチ+αとされているが、これも記者会見で質問を浴びた北陸電力が答えたことだ。広く一般には公開していない情報であり、会見に参加した記者たちが報道しない限り、住民も国民も知らされない

志賀原発の周辺も回った。

志賀町富来地区は震度7を記録し、甚大な被害が出た。瓦屋根が地面に接地している家、ブルーシートで入り口が覆われている家……壊滅的な風景が続く。乗用車が屋根に押しつぶされている家もあった。

原発事故が発生したら原発からおおむね5~30キロ圏内の住民は屋内退避するように、との方針を政府は示しているが、志賀町の状況を見ると、「屋内退避の非現実性が実感できる。

     (志賀原発から北に9キロの富来地区。
      屋根が崩れた家が目立った)

志賀町の避難所にいた高齢夫婦に話を聞くと、夫(86)は1988年着工の志賀原発で建設作業に従事していたという。能登半島地震の後でも原発は安全だと言い切る夫。その隣で妻(77)は「地震で揺れるたびに原発が心配です」と首を横に振る。

志賀町議の堂下健一さん(69)は、志賀原発から20キロの地点に自宅がある。地震の後は、周辺の県道51号線が土砂崩れとなり、孤立してしまった。自身を含めた住民は運よく土砂崩れの前に避難できたが、自宅にはその後、近づくことができない。

この県道は、石川県の防災計画で能登半島の北部に避難する「基本的な避難ルート」の1つとされているが、2月18日現在も通れないままだ。

堂下さんは言う。

「これで原発は、地震に対応できないことがはっきりしました。それが一番心配です」


■町人口は1万8000人、防護施設の定員は2500人

放射能を防ぐ防護施設も足りない。志賀町によると、町人口の1万8000人に対し、防護施設の定員は2500人しかない。原子力規制庁や政府、県の原子力災害時の現地対応拠点となる「オフサイトセンター」には今回の地震で1月1~2日の2日間に町民130人が避難に駆け込み、職員が対応する事態になった。避難施設ではないが、放射線防護機能があるためだ。県によると、2日夕方に避難所に移ってもらったという。

志賀町長の稲岡健太郎氏は「万が一の場合、全町民を受け入れる容量はない。施設を何倍も増設する必要がある」とし、志賀原発については「以前のように安全性をアピールすることは難しい」と語っている(東京新聞・2月4日朝刊)。

もっとも、被災地から遠く離れてしまうと、原発への懸念は消えたのか、再稼働による「原発回帰」の声が強くなる。

1月30日には関西経済連合会と、原子力発電所が立地する福井県の4市町(敦賀市、美浜町、高浜町、おおい町)の意見交換会が大阪市内で開かれ、エネルギー安全保障や経済を支える観点から国に原子力政策の推進を求めていくことで見解が一致した。

関経連の金花芳則副会長(川崎重工業会長)は「原発稼働を継続する重要性を再確認した」と発言し、美浜町の金花芳則町長は「今年策定される国の次期エネルギー基本計画に原発推進を明確に位置付けてほしい」と求めている。

翌31日には北陸電力の松田光司社長が「(能登半島地震でトラブルが相次いだ志賀原発は)安全上問題はなかった」「原子力は電力の安定供給や二酸化炭素排出の面から素晴らしい電源には間違いない。重要性は変わらない」と記者会見で語っている。

珠洲市や原発立地自治体の人たちは2月2日、原子力規制委員会に「能登半島地震の知見がまとまるまで、(各地の原発再稼働に関する)審査を凍結してほしい」と要望書を出したが、規制委の山中伸介委員長は2月7日の記者会見でそのような考えはないと拒んだ

     (原子力規制委の山中委員長=2月14日)

先述したように、国の原子力災害対策指針は、原発から5~30キロ圏内は「住民等が比較的容易に採ることができる対策」として屋内退避を掲げている。家屋や公共施設などの建物内にとどまれ、という意味だ。

しかし、今回の能登半島地震では屋内退避ができない場合が存在することが明らかになった。実際、規制委の山中委員長も地震後の会見で、「屋内退避ができないような状況が発生したのは事実だ。その点の知見をきちんと整理したうえで、もし、災害対策指針を見直す必要があれば、見直していきたい」と述べていた。


■発言から1カ月後に態度を一変

ところが、その発言からおよそ1カ月後の2月14日になると、山中委員長は「避難もできない、屋内退避もできないということは今回の検討の中では考えない」と発言。態度を一変させた。

家屋の倒壊が相次ぎ屋内退避もできない、道路が至るところで壊れて避難もできない。そんな状況が現実に起きたのに、規制委のトップが対応を考えない」というのだ。規制委が考えずして、いったい誰が被曝防護を考えるのか

東日本大震災に伴う福島第一原発の事故では、避難区域から餓死状態で見つかった人たちがいた。その教訓から学ばず、能登半島地震の教訓からも学ばないのであれば、また同じことが起きるかもしれない

国内では現在、12基の原発が再稼働しているが、さらに中国電力の島根原発2号機、東北電力の女川原発2号機が今年、8〜9月の再稼働に向けて手続きが進行中だ住民の命に直結する課題を棚上げにしたままで、日本は「原発を最大限活用する」(岸田政権)道を走り続けている


あおき みき / Miki Aoki
札幌市出身。北海タイムス(休刊)、北海道新聞を経て全国紙に勤務。東日本大震災の発生当初から被災地で現場取材を続けている。「警察裏金問題」、原発事故を検証する企画「プロメテウスの罠」、「手抜き除染」報道でそれぞれ取材班で新聞協会賞を受賞した。著書「地図から消される街」(講談社現代新書)で貧困ジャーナリズム大賞、日本医学ジャーナリスト協会賞特別賞など受賞。近著に「いないことにされる私たち」(朝日新聞出版)
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https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-2887782.html

<社説>東日本大震災13年 教訓を確認し引き継ごう
公開日時 2024年03月11日 05:00

 東日本大震災から今日で13年となった。地震の規模を示すマグニチュードは日本の観測史上最大の9.0を記録し、死者1万5900人、行方不明者2520人、震災関連死は3802人に上った。


 東京電力福島第1原発事故の影響で、今も全国で約2万9千人が避難生活を送る。福島県では7市町村で原則立ち入り禁止のエリアが残っているかつての日常を取り戻す復興の歩みは道半ばだ

 今年元日には能登半島地震が起き、防災や減災に関する課題が多く浮き彫りになった。原発事故や津波などによって甚大な被害をもたらした東日本大震災の教訓を風化させてはならない。再確認し、将来に引き継いでいきたい。

 東日本大震災が残した大きな教訓の一つが原発に頼らないエネルギー政策、すなわち脱原発である。政府は震災後、「原発に依存しない社会」を掲げ、30年代に原発ゼロを目指すと宣言した。しかし現在、政府は原発利用を推進している震災の教訓を忘れたのだろうか。当初目標に立ち返るべきだ。

 日本世論調査会による世論調査によると、今後の原発利用について「今すぐゼロ」が4%、「将来的にゼロ」は55%で約6割が「ゼロ」を望んだ。理由を尋ねると「福島第1原発事故のような事態を再び招く恐れがある」が最多で80%だった。政府はこの結果を重く受け止めるべきだ。

 今も課題は山積している。使用済み核燃料、いわゆる「核のごみ」の最終処分地再処理工場の完成は不透明だ。建設中を含む国内19原発の30キロ圏にある自治体のうち18道府県計109市町村で、地震など災害時の緊急輸送道路が土砂崩れなどにより寸断される恐れがあることが共同通信社の分析で判明した。避難に不可欠な道路整備への十分な財政措置が求められる。東日本大震災の教訓を伝える語り部が、担い手の高齢化や資金難で継続が難しくなっている。

 能登半島地震では、電気や水道といったライフラインの耐震性の強化や、マンパワーや宿泊場所の確保などの課題が顕著だ。東日本大震災の課題と合わせ、行政と民間が一体となって課題の解決に取り組まねばならない。

 一方、沖縄では、最大クラスの津波発生時に被害が想定される「津波災害警戒区域」に、高齢者や障がい者ら「要配慮者」が使用する施設が少なくても628カ所ある一方、避難確保計画の作成は83カ所にとどまることが琉球新報の調べで分かっている。避難所に女性専用避難室などを設けている自治体は3市町村しかないことも判明した。要配慮者や女性の立場に立った避難計画が必要だ。

 私たち一人一人は、沖縄が強い地震や大きな津波に襲われた場合を想定し、普段から備えたい。避難方法の確認をはじめ、水や食料、燃料の備蓄、通信手段の確保などを実行することが肝要だ。
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●「原子力災害伝承館」《批判…口封じ》…《安倍政権では「被災地切り捨て」政策がつづけられてきたが、それを菅政権も「継承」》

2020年10月13日 00時00分48秒 | Weblog


リテラの記事【菅首相がきょう訪問する福島の「原子力災害伝承館」で、被災者の“語り部”が国や東京電力の批判をしないよう口封じ】(https://lite-ra.com/2020/09/post-5650.html)。

 《菅義偉首相が初の地方視察として福島県を訪問する。16日におこなわれた初閣議で決定された内閣の基本方針では東日本大震災や原発事故について一切触れなかったことから「もう終わったことにするのか」と批判を浴びていたが、こうした声をかき消すために慌てて視察先に福島を選んだのはミエミエだ。実際、安倍政権では「被災地切り捨て政策がつづけられてきたが、それを菅政権も継承する》。

   『●【金子勝の「天下の逆襲」/野党は「消費減税で戦う」ではなく
      ニューディール議論を】…最悪な税制なんかを導入したが故に…
   『●さようならアベ総理、そして、こんにちはアベ様…数々のアベ様案件
       について真相を解明し、真の「責任」を果たしていただきましょう
    「2020年8月28日(金)午後、漸くこの日を迎えました
     アベ様が首相辞任を表明しました

   『●《自助》大好きオジサン・元最低の官房長官と学商は〝ベーシック
       インカム7万円〟を「トリクルダウン」だとでも思っているのでは?
   『●《「その後、体調は」と問われた安倍前首相は、こう答えているのだ。
      「新しい薬が効いている。もう大丈夫だ。」》(リテラ)…仮病?
   『●アベ様御夫妻、元・最低の官房長官スガ様、晋官房長官殿…
     ジャパンライフ、48HDも含め「桜を見る会」問題の幕引きは許されない

 《「被災地切り捨て」政策…も「継承」》とはねぇ…。
 リテラのエンジョウトオルさんによる記事【3.11に改めて問う安倍首相の罪! 第一次政権で福島第一原発の津波、冷却機能喪失対策を拒否した張本人だった】(http://lite-ra.com/2018/03/post-3862.html)によると、《そんなマスコミが一切触れようとしない、重大な事実がある。それは、あの未曾有の福島第一原発事故を招いた“最大の戦犯が、他ならぬ現内閣総理大臣・安倍晋三であるということだ》。この一点をとっても、アベ様政権や大惨事アベ様政権の冷酷さが分かろうというもの。東京電力核発電人災下の福島でも荒稼ぎしたゲス・ヒトデナシな詐欺師・ジャパンライフの片棒を担ぐ議員達の多くも無《責任政党》議員だ。
 《いや、政府の姿勢は「被災地軽視」にとどまらない。というのも…「東日本大震災・原子力災害伝承館」…をめぐっては、被災者である「語り部」の話す内容に対し、国や東京電力の批判をおこなわないよう求めている》《「語り部」の話す内容を職員が“検閲”“修正”している》。開いた口が塞がらないよ、全く。

   『●東京電力核発電人災下の福島でも荒稼ぎしたゲス・ヒトデナシな
               詐欺師・ジャパンライフの片棒を担ぐ議員達
   『●(リテラ)「あの未曾有の福島第一原発事故を招いた
      “最大の戦犯”が、他ならぬ現内閣総理大臣・安倍晋三」
   『●東電核発電人災から9年: 金(カネ)色の五つの輪
     《オリンピック聖火リレーを前に「福島はオリンピックどごでねぇ」》

 未だに3.11東京電力核発電人災を引き起こした国が何をやっているのか…。
 東京新聞の【社説/原発輸出戦略 「看板」を書き換えねば】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/58232?rct=editorial)によると、《日立製作所が、英国での原発新設計画から完全撤退することを決めた。原発輸出は政府の成長戦略の柱の一つ。だがもはや、原発に資金は集まらない。世はまさに再生可能エネルギーの時代である》。
 第一、《省エネの進展と再生可能エネルギーの増加で原発が稼働しなくても電力不足は生じず、温暖化対策も両立できる》…トドメは刺されている。

   『●核発電所を再稼働したい? 《女川いのちの石碑…十三番目の石碑
     …<故郷を 奪わないでと 手を伸ばす> この痛切な願い》を聞けよ!
    《女川原発は、震源に最も近い原発です。福島同様、激しい揺れと津波に
     襲われました。到達点よりわずかに高い所にあったため、辛うじて難を
     逃れたにすぎません。…東北の被災原発を再稼働に導いて、「復興原発
     にしたいのか
。原発は安全です、ちゃんと制御
     アンダー・コントロールできていますと、五輪を前に世界へ
     アピールしたいのか》。

   『●森一岳裁判長《原発の危険性検証には『福島原発事故のような
     事故を絶対に起こさないという理念にのっとった解釈が必要…』》
   『●姫野洋三さんの「若狭の海」: 核発電銀座…
     《地元の人間にしてみれば原発があっても怖いし、なくても怖い》…
   『●《省エネの進展と再生可能エネルギーの増加で原発が稼働しなくても
     電力不足は生じず、温暖化対策も両立できる》…トドメは刺されている

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https://lite-ra.com/2020/09/post-5650.html

菅首相がきょう訪問する福島の「原子力災害伝承館」で、被災者の“語り部”が国や東京電力の批判をしないよう口封じ
2020.09.26 10:11

     (首相官邸HPより)

 本日26日、菅義偉首相が初の地方視察として福島県を訪問する。16日におこなわれた初閣議で決定された内閣の基本方針では東日本大震災や原発事故について一切触れなかったことから「もう終わったことにするのか」と批判を浴びていたが、こうした声をかき消すために慌てて視察先に福島を選んだのはミエミエだ。

 実際、安倍政権では「被災地切り捨て」政策がつづけられてきたが、それを菅政権も「継承」する。たとえば、昨日25日に判明した復興庁の2021年度予算の概算要求は、昨年度当初予算である1兆4024億円から55%減となる6331億円。なかでも「住宅再建・復興まちづくり」の予算は5472億円から546億円と10分の1にまで減らされるという。

 東京五輪の招致の際は「復興五輪」と連呼しながら、いつのまにかその掛け声は人類が新型ウイルスに打ち勝った証し」「コロナ克服五輪へとすり替わったように、菅首相も「現場主義に徹して復興をさらに前に進める必要がある」と口にしながら、予算大幅削減の方針からも被災地軽視の態度は明らかだ

 いや、政府の姿勢は「被災地軽視」にとどまらない。というのも、本日、菅首相が訪問する予定の「東日本大震災・原子力災害伝承館」(以下、「伝承館」)をめぐっては、被災者である「語り部」の話す内容に対し、国や東京電力の批判をおこなわないよう求めていることが発覚したからだ。

 「伝承館」は震災と原発事故の記録と教訓を風化させず伝えていくためのアーカイブ拠点施設として今月20日に双葉町に開館したばかりで、「災害の記録と記憶を後世に伝える」「国内外に向け教訓を発信する」ことを目的として設置。24万点を超える資料の展示のほか、「語り部」による被災体験の講話を聞くことができる、という触れ込みだった。

 しかし、開館から3日後の今月23日、「語り部」の話す内容を職員が“検閲”“修正”しているという事実を朝日新聞朝刊が報じたのだ。


■水俣病伝承館ではチッソ批判を禁止してないのに原発災害の伝承館では国や東電批判を禁止

 記事によると、「語り部」の研修会で配られたマニュアルでは〈口演内容は「大震災及びそれに伴い発生した原発事故に関する」ものとする一方、「特定の団体、個人または他施設への批判・誹謗中傷等」を「口演内容に含めないようお願いします」と記載〉していたといい、〈口演内容は事前に原稿にまとめ、伝承館が確認、添削特定の団体を批判した場合などは口演を中止して、語り部の登録から外すこともあるという趣旨の説明もあった〉という。実際、〈東電や国の責任を指摘する語り部のひとりは、〈添削で原稿の一部の変更を求められた〉というのである。

 また、朝日新聞の「『特定の団体』に国や東電が含まれるかどうか」という取材に対し、伝承館を所管する福島県の生涯学習課長は「そうですね」と回答県から出向する伝承館の企画事業部長も「国や東電、県など第三者の批判を公的な施設で行うことはふさわしくないと考えている」と答えている

 言うまでもなく、原発事故は「安全神話」を振りまいてきた東電と国の責任抜きには語れないものだ。しかも、この施設は「東日本大震災・原子力災害伝承館」というその名のとおり、原発事故の教訓を伝え継ぐ役割を担っている。にもかかわらず、被災した「語り部」の思い、考えを封じようとは何事か。

 無論、「伝承」を謳う施設でこのような言論封殺は許されるものではない。たとえば、熊本県にある水俣市立水俣病資料館では、語り部に原因企業であるチッソの批判を禁止するようなことはなく、〈一部の語り部はチッソを名指し、「水俣病の原因と知りながら有機水銀を流した。水俣病問題でなく事件だ」と批判することもある〉(朝日新聞23日付)という。

 しかも、福島第一原発事故は、国会の事故調査委員会も「事故は自然災害ではなく明らかに人災」と結論づけているものだ。国も東電も地震や津波に対する十分な安全対策を怠り、さらには事故後の対応でも東電はメルトダウンの事実を隠蔽するなど杜撰極まりないものだったこうした実態を語ることさえ許さず、何を「教訓」にしようというのだろう


■誰が国と東電の批判を封じたのか 背景に安倍政権から続く原発推進路線

 そして、問題なのは誰が批判封じをしようとしているか、ということだろう。「語り部」のひとりは「(事業費を全額負担する)国への忖度があるんだろう」と朝日新聞の取材に語っているが、実際、「伝承館」の建設費や収集費など計53億円はすべて国が負担。管理・運営をおこなう「公益財団法人福島イノベーション・コースト構想推進機構」には国の職員も出向している。

 昨年、福島原発事故で対応拠点となるはずだったが役に立たなかった福島県大熊町の「原子力災害センター」(オフサイトセンター)が解体され、事故当時の備品の展示が2020年に開館予定だった「伝承館」に引き継がれることになった際も、「展示を決める主体によって中身が左右されやすい」「原発事故が起きた原因や責任の所在を伝えなければならないが、その点をきちんと伝えられるか」といった懸念が指摘されていた。(東京新聞2019年9月22日)

 安倍政権では「影の総理」とも呼ばれた今井尚哉首相補佐官(現・内閣官房参与)の下、原発推進路線がとられ、原発再稼働が押し進められ、菅首相も総裁選では原発を重要なベースロード電源と位置づけてきた安倍政権を継承する姿勢を見せていた。そうした背景を考えれば、政府が睨みをきかせるなかで国や東電の批判は封じ込められたのだろう。

 「語り部」が教訓を伝える場なのに、政権にとって不都合な事実を語ることが封じ込められた、その施設に出向く菅首相は、いったい何を語るのか。できれば囲み取材で記者からこの件にかんする質問がおこなわれることを期待したいが、今後、菅政権がどのような原発政策を打ち出すのか、その点にも注視しなければならないだろう。

(編集部)
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●➁《吉田調書…取り消しという虚報扱い…メディアとジャーナリズムの将来に禍根》(青木理さん)…アベ様による「報道統制」が可能になった今

2020年03月20日 00時00分03秒 | Weblog


その➀へ]

リテラの二つの記事【ワセダクロニクル「吉田調書報道の真実」前編 「吉田調書」を報じた朝日新聞特報部元記者らが改めて検証! 誤報ではない「吉田調書報道」をなぜ朝日新聞は自ら葬り去ったのか】(https://lite-ra.com/2020/03/post-5304.html)と、
【ワセダクロニクル「吉田調書報道の真実」後編 封印された朝日吉田調書報道の“続報”とは……検証を続け、新事実を明かした元特報部記者たちに朝日新聞が圧力、記事の削除要求】(https://lite-ra.com/2020/03/post-5305.html)。

 《吉田所長の待機命令にもかかわらず、福島第一原発所員の約9割が第二原発に撤退してしまったことを報じたものだ。だが、この吉田調書報道は、“第一原発の所員を誹謗・中傷した誤報”として批判を浴び(ちなみに批判の火付け役は映画『Fukushima50』の原作者・門田隆将である)、従軍慰安婦報道とともに朝日新聞バッシングの餌食となった。その結果、朝日は記事を取り消して謝罪》。
 《だとしたら、幹部たちはなぜ、吉田調書報道だけを矢面に立たせ、記事を取り消したのか──。後編ではその不可解な意思決定の裏側と封じ込められた続報、そして、騒動から5年経った昨年末、朝日新聞が吉田調書問題を検証している元記者たちの所属するワセダクロニクルに、圧力をかけていた事実をレポートする》。

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https://lite-ra.com/2020/03/post-5304.html

ワセダクロニクル「吉田調書報道の真実」前編
「吉田調書」を報じた朝日新聞特報部元記者らが改めて検証! 誤報ではない「吉田調書報道」をなぜ朝日新聞は自ら葬り去ったのか
2020.03.11 07:22

………。


●福島第一原発から最も多くの放射性物質が漏出した3月15日にいったい何が起きていたのか

 福島原発事故で、最も多くの放射性物質が原発から外に出たのはいつか。大地震から4日後の2011年3月15日午前9時だ。毎時1万1930マイクロシーベルトという桁違いの線量を記録した。この日に何があったのかを報じたのが、朝日新聞の吉田調書報道だ。

 未明、衝撃音が発生する。前夜から核燃料が入っている2号機の格納容器が壊れるかもしれないという見方が広がっていたところに衝撃音だ。壊れれば所員が大量に被曝してしまう。東電は、第一原発から10キロ離れた隣町の「第二原発」へ「撤退」することにした。

 ところが、格納容器が壊れているのではなく、圧力を計測する装置が故障しているだけかもしれないという情報が東電本店から届いた。吉田所長は「2号機の格納容器は壊れていないかもしれない」と考えを変えた。格納容器が壊れていないのなら第二原発に撤退する必要はない。720人の所員が引き続き原発事故の対応にあたれる可能性がある。

 午前6時42分、吉田所長は福島第一原発の所員約720人に「命令」する。

「所員たちは第一原発の敷地内の放射線量の低いところにとどまって待機するように

 吉田所長は第二原発に撤退してしまわずに、第一原発に残るよう命じた。ギリギリでチャンスを見出した。

 ところが吉田所長が見出したチャンスは生かされなかった。吉田所長の命令とは裏腹に、720人のうちの9割にあたる650人が、第一原発を離れて第二原発に行ってしまったのだった。

 650人の所員がいなくなった。午前9時、第一原発正門付近で毎時1万1930マイクロシーベルトを記録する。その後も、高い放射線量が継続的に放出されていく。

 もし650人が所長の待機命令通りに第一原発にとどまり作業にあたっていたら──。そのことはいまだに検証されていない。


朝日が伝えた東電会見のウソは無視され、「命令」「違反」「撤退」という言葉に批判が

 吉田所長の「所員たちは第一原発の敷地内の放射線量の低いところにとどまって待機するように」という命令は、第一原発と東電本店をつないだテレビ会議で伝えられた。このテレビ会議は、第二原発や柏崎刈羽原発、オフサイトセンターにもつながっていた。

 命令から2時間後の3月15日午前8時35分、東電は東京で記者会見を開いた。所員は吉田所長の命令に反して、9割にあたる650人が第二原発に行ったあとの時刻だ。ところが、東電は記者会見でこう公表する。

 「所員は一時的に第一原発内の安全な場所へ移動した」

 つまり東電は、所員が吉田所長の命令通りに行動したと、事実とは違うことを公表した。第二原発に撤退した事実を把握していなかったのか、ウソをついたのか、そのいずれかになる。

 朝日新聞はこの日のことを、2014年5月20日の朝刊で報じた。1面トップの主見出しは「所長命令に違反 原発撤退」。2面では「東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた」と書いた。

 3面には当時特報部員だった木村英昭(現ワセダクロニクル編集幹事)は「再稼働論議 現実直視を」という見出しで解説を書いた。

「吉田調書が残した教訓は、過酷事故のもとでは原子炉を制御する電力会社の社員が現場からいなくなる事態が十分に起こりうるということだ」
「その時、誰が対処するのか。当事者ではない消防や自衛隊か。特殊部隊を創設するのか。それとも米国に頼るのか」

 ところが「所長命令に違反 原発撤退」という表現は、「第一原発の所員が臆病で逃げ出したと書いているのに等しい」という批判が他メディアから出てきた。現場が混乱し、所員に吉田所長の言葉が伝わらなかった可能性がある以上、「命令」「違反」「撤退」の三つの言葉の組み合わせは所員の名誉を傷つけたという主張だ。

 では、なぜ「命令」「違反」「撤退」という言葉が記事では使われたのか。取材班の説明は次のようなものだ。

 (1)「命令」という言葉: 吉田所長は原子力災害の現地対策本部の責任者で、対応の判断と決定は吉田所長が負っていた。吉田所長が「東日本壊滅」をイメージするような深刻な状況で、戦時下にも匹敵する。単なる「指示」ではなく、「命令」だ。

 (2)「違反」という言葉: 命令を知らなくても、違った行動をとれば違反だ。一方通行の標識を見落として道路に進入して「知らなかった」といっても、交通違反になるのと同じだ。

 (3)「撤退」という言葉: 第二原発に行ったことが故意とはいえないので、「逃げた」という表現は使わないことにした。「撤退」を使ったのは、第二原発が第一原発から10キロ離れていて、何かあってもすぐ戻れない上、9割の所員が第二原発に行ったから。また、撤退の翌日も所員の8割が第一原発に戻っていなかった。

 だが取材班の主張は聞き入れられなかった。


朝日新聞・木村伊量社長は記事を取り消して謝罪、しかし社員向けの説明会では……

 記事が出てから3カ月半後の2014年9月11日、木村伊量社長は、杉浦信之編集担当役員、喜園尚史広報担当役員と共に、突然、記者会見を開き、記事を取り消した。木村社長は冒頭、次のように述べた。

「朝日新聞は『吉田調書』を政府が非公開としている段階で入手。吉田調書を読み解く過程で評価を誤り、『命令違反で撤退』という表現を使った結果、多くの東電社員らがその場から逃げ出したかのような印象を与え、間違った記事だと判断いたしました。『命令違反で撤退』の表現を取り消すと共に、読者及び東電の皆様に深くお詫びを申し上げます」

 記者会見には、会見を手伝う関係者以外は朝日新聞の社員は入れなかった。

 その1カ月後、朝日新聞特別報道部員だった渡辺周現ワセダクロニクル編集長は、経営・編集の責任者たちの説明に耳を疑った。

 2014年10月6日午後2時、渡辺周は、東京・築地にある朝日新聞本社の15階レセプションルームにいた。朝日新聞の社員約300人が詰めかけていた。朝日の役員たちが社員向けに開いた「一連の問題」についての説明会だった。一連の問題とは次の三つを指す。

 (1) 8月初旬に慰安婦報道の検証結果を掲載。その中で、1982年から掲載した記事を取り消した。「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」という吉田清治氏の証言がウソだった。だが朝日新聞はウソの証言を掲載したことについて謝罪しなかった。
 (2) 9月初め、朝日新聞が慰安婦に関して吉田清治氏が証言した記事を取り消したことについて、池上彰氏が朝日新聞のコラム「池上彰の新聞ななめ読み」で、「慰安婦報道検証 訂正、遅きに失したのでは」と書こうとした。だが朝日新聞は掲載しなかった。
 (3) 9月11日、朝日新聞が原発「吉田調書」報道を取り消した。

 壇上には、解任された前編集担当役員の杉浦信之、新編集担当役員の西村陽一、前ゼネラルマネジャーの市川速水、前ゼネラルエディターの渡辺勉。そして、販売担当役員の飯田真也、社長室長の福地献一が並んだ。

 杉浦が冒頭にこう言った。

「私は9月11日の記者会見で吉田調書の報道を取り消し、社長が謝罪するという中で、編集担当の職を解かれました」
「しかし、私自身の中では、9月の冒頭にあった池上コラム(不掲載)の中で、まさに朝日新聞の名誉を傷つけたことが最も大きいと感じていました」
「私自身、吉田調書で解任されていますが、私の中では現在でも、池上コラム(不掲載)が最も重大な責任であったと感じています」

 渡辺周は驚いた。記者会見は池上コラムの不掲載を謝罪するためではなく、吉田調書報道を取り消し謝罪するために開かれた。それなのに木村社長と共に記者会見に出席した編集部門の責任者が、「池上コラムの不掲載が最も重大な問題」と発言したのだ。


説明会に出席した朝日幹部6人中4人が「吉田調書や慰安婦報道より池上彰のコラム不掲載が問題」

 渡辺周は前編集担当役員の杉浦に「なぜ池上コラム不掲載が吉田調書より問題だと思ったのか」と尋ねた。杉浦はこう言った。

「朝日新聞の最も大事なリベラルさ、多様な意見を載せるということを大きく傷つけたことが、私の中では最も大きな問題だと思っています」

 渡辺は再度聞いた。

「当時の編集の責任者がそう思っているのに、なぜ記者会見が吉田調書で行われたのか」

 すると杉浦は一言。「そこはわかりません」

 渡辺は出席した他の幹部全員にも質問した。

「杉浦さんは、池上コラムの不掲載が一番問題だと言った。出席している他の方も、慰安婦報道の検証、池上コラムの不掲載、吉田調書の三つのうちどれが一番問題か、理由とともに言ってください」

 飯田(販売担当役員):「営業サイドの立場で申し上げると、慰安婦報道の検証ではそれほど部数が落ちなかった。一気に落ちたのは広告不掲載も含めて池上コラム問題、続いて吉田調書」「部数の問題でいうと、池上さんのことで傲慢さが出てきたということで、部数が落ち始めた」「吉田調書は取り消しがあった。当初は表現の問題なのかなと思っていた。しかし世間が見たのは、朝日新聞が取り消したこと。それは社長会見も含めてそうだ」

 西村(編集担当役員):「私は池上コラム見合わせの影響が圧倒的に大きいと思っている。朝日新聞は幅広い異論を積極的に取り入れて、紙面で展開することが強みだっただけに、その信用を傷つけたという非常に大きな問題だったと思う。私から言えるのは以上」

 福地(社長室長):「少なくとも吉田調書については、あれだけの展開をした記事を取り消したので、それをもって職を解くというのはやむを得なかったと思っている」

 市川(ゼネラルマネジャー):「(杉浦)編担が解任された直接の理由は吉田調書。しかし池上問題がかなり大きいと思う」

 渡辺(ゼネラルエディター):「現時点で軽重はつけられない」

 出席した幹部6人のうち4人が、「一連の三つの問題」のうち、池上コラム不掲載をあげた。そこには新旧の編集部門の最高責任者も含まれている。

 なぜ「一番問題」と思っている池上コラム不掲載はおとがめなしにして、吉田調書報道だけで処分を決めたのか。誰が処分を決めたのか。なぜ、幹部たちが「池上コラム不掲載が一番問題」と思いながら、吉田調書報道が矢面に立ったのか──。

 この疑問は、それから3年半たった、2018年に木村伊量社長自身によって明らかになる。

(後編に続く)
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https://lite-ra.com/2020/03/post-5305.html

ワセダクロニクル「吉田調書報道の真実」後編
封印された朝日吉田調書報道の“続報”とは……検証を続け、新事実を明かした元特報部記者たちに朝日新聞が圧力、記事の削除要求
2020.03.12 06:58

     (2014年9日12日付の朝日新聞朝刊1面には深々と頭を下げる
      木村伊量の写真が掲載された (C)Waseda Chronicle)

 朝日新聞が福島第一原発の吉田昌郎所長(当時)の政府事故調査委員会による聴取録をスクープするも、取り消し・謝罪し、なかったことにしてしまった原発「吉田調書」記事取り消し事件。今回、リテラは9年目の3.11に、朝日でその吉田調書記事を担当していた木村英昭と、やはり特報部に所属していた渡辺周が立ち上げた探査ジャーナリズムNGO「ワセダクロニクル」による検証レポートをお届けしている。前編では、報道が誤報ではなかったにもかかわらず、朝日新聞が記事を取り消した裏で、幹部たちがまったく矛盾した発言をしていたことが明らかにされた。

 記事が出てから3カ月半後の2014年9月11日、木村伊量社長が突如、吉田調書報道の記事を取り消し、全面謝罪をしたのだが、その1カ月後、社内向け説明会で経営・編集幹部が口にしたのは、むしろ朝日の慰安婦報道問題をめぐる対応を批判した池上彰のコラムを不掲載したことだった。なんと説明会に出席した幹部6人中、4人が「吉田調書や慰安婦報道より池上彰のコラム不掲載が問題」という認識を明かしたのだ。

 だとしたら、幹部たちはなぜ、吉田調書報道だけを矢面に立たせ、記事を取り消したのか──。後編ではその不可解な意思決定の裏側と封じ込められた続報、そして、騒動から5年経った昨年末、朝日新聞が吉田調書問題を検証している元記者たちの所属する「ワセダクロニクル」に、圧力をかけていた事実をレポートする。
(編集部)


●池上彰の朝日批判コラムを不掲載にしたのはやはり木村社長だった

 木村伊量は社長を退任後、『文藝春秋』2018年2月号に手記を寄せた。この号の特集は「私は見た!平成29大事件の目撃者」。木村伊量の記事は「朝日前社長初告白『W吉田誤報』の内幕」というタイトルだ。「W吉田誤報」とは、慰安婦報道での「吉田清治証言」と、福島第一原発の吉田昌郎所長の「吉田調書報道」の双方を指している。

 木村伊量は、ここで真実を告白する。その理由についてはこう書いた。

「当時の経緯やトップとしての判断を、できるだけ正確に書き残すことは、やや大げさなもの言いをするなら、歴史に対する責任ではないか、という思いが去来してもおりました。社を退いて三年。それなりの時間が経過したこともあり、今回、編集部の求めに応じたしだいです」

 そして、池上コラムが不掲載になった理由について書く。

「池上コラムの不掲載については「一読して『役員全員で検証記事のトーンを決めたのに、『おわびがない』という一点をもって検証記事の意味はなかったと言われ、読者の不信を買うようなら、ぼくは責任をとって社長を辞めることになるよ』と、かなり厳しい調子でコメントしたと記憶しています」

 木村伊量は「社長を辞めることになる」「かなり厳しい調子でコメントした」と言ったことを自ら認めたのだ。 2014年9月12日の記者会見の内容とは異なるものだ。記者会見では、池上コラムの不掲載を支持したわけでなく、「感想を述べただけ」と説明していた。木村伊量は、ウソをついていた

 池上コラムの不掲載は社長の木村伊量が決めたことで、社内外の批判は最高潮に達していた。その批判の嵐が社長を直撃しないように朝日は吉田調書報道を「生贄」として差し出したのだ。

 しかし、そのことに良心の呵責を感じたのか、杉浦ら役員たちは「一連の問題」で吉田調書報道ではなく、池上コラム不掲載が一番問題だと吐露したのではないか。あの社員説明会には、社長の木村伊量は出席していなかった。


新聞協会賞をとらせるため、「続報」を掲載させなかった朝日新聞の“危機管理ライン”

 池上コラムの不掲載が明るみに出たのは、『週刊文春』がネットで速報した2014年9月2日だ。それ以前は、吉田調書報道は朝日新聞社にとっての「看板」報道だった

 その証拠に、朝日は吉田調書報道で新聞協会賞に応募した。翌年度の会社案内には取材班の木村英昭と宮崎知己の顔写真が掲載し、吉田調書報道をアピールした。その過程で犠牲になったのが本来やるべき吉田調書報道批判への反論や説明、「続報」だった

 吉田調書報道の最初の記事の見出しは「所長命令に違反 原発撤退」だ。福島第一原発の所員が「『逃げた』と書いている」との批判が出た。だが記事には「逃げた」と一言も書かれていない主眼は「原発の過酷事故のもとで誰が事故の収束に対処するのか」だ

 批判は記事の主旨とズレたものだった。

 このため、朝日新聞社は続報を出すことで、記事の主旨と根拠を詳しく説明しようとした。そして、広報部を交えた編集サイドとの話し合いで、詳報を用意することが決まった。ところが、その続報はことごとく不掲載になった

 最初に予定された掲載日は7月4日。総合面と特設面を使って、続報を展開する予定だった。しかし、7月2日に中止が指示された。中止を決めたのは、「危機管理ライン」と呼ばれる編集担当役員の杉浦信之、社長室長の福地献一、広報担当役員の喜園尚史だ。

 取材班には担当デスクから「理由は追って説明する」と伝えられた。翌日の7月3日に、新聞協会賞の応募の締め切りを控えていた。朝日新聞社の幹部は協会賞の審査を前に記事に傷をつけたくなかった、と幹部は言った。

 次の掲載予定日は7月24日に設定された。ところが、これも実現しなかった。協会賞の審査にプラスに働くのかマイナスになるのか、判断が揺れていた。

 7月25日に新聞協会賞の1次審査で吉田調書報道は落選した。吉田調書報道で新聞協会賞を受賞する目的はなくなったが、8月に入ると状況が刻一刻と変わっていった。

 まず、8月5日と6日に朝日新聞が慰安婦報道の検証を掲載した。ところが、ウソの証言をもとにした記事を取り消したのに謝らなかったことへ批判が起きた。

 8月18日には産経新聞が吉田調書を入手し、朝日新聞の報道内容を批判する。朝日新聞が5月20日に吉田調書を入手して以降、マスコミ各社は調書を入手できず報道できなかった。しかし、政府が吉田調書の公開を決定する前後から、他社が次々と手に入れた。そこからは堰を切ったように大手マスコミが吉田調書について報道する。

 それでも朝日新聞編集局はまだ強気で、再び詳報を掲載する計画を進めていた。批判を浴びている最中、特報部の担当デスクは取材班に編集担当役員の杉浦の言葉を伝えている。

「杉浦さんは『強く行け』『絶対に謝るな』と言っている」

 しかし、9月2日に池上コラムの不掲載が「週刊文春」にスクープされて、状況は決定的に悪化する。詳報が予定された最後の日は9月5日だったが、これも中止になった

 結局7月から計4回、詳報の掲載が予定されたのに全て実現しなかった

 報道内容に批判が寄せられることは、よくある。報道した側の意図が誤解される場合もある。その場合、私たちジャーナリストは追加で記事を出したり放送したりして内容を補っていく。捏造でない限り、それが読者や視聴者への説明責任だ記事を取り消すことはありえない


■5年後、吉田調書報道を検証しようとした「ワセクロ」にかけられた朝日新聞の圧力

 しかも、朝日新聞のこの姿勢はそれから5年経った今も変わっていない。わたしたちはその後、朝日新聞を退社し、「ワセダクロニクル」を立ち上げ。自分たちのメディアで改めて吉田調書問題を検証し、連載「葬られた原発報道」として掲載し始めた(現在も継続中)。

 ところが朝日の広報部は2019年11月28日付で、編集長の渡辺周あてに「葬られた原発報道」で掲載した記事の一部内容に対して「削除要求」を送ってきた。

 削除要求の対象は二つある。

 一つ目の対象は、ワセクロが2019年11月11日にリリースした「葬られた原発報道」の6回目「幻の紙面が問うた『福島第一原発事故の宿題』」の中の記述だ。私たちは朝日新聞が掲載しなかった吉田調書報道の「幻の詳報記事」を入手し、報じた。そこには特報部長の市川誠一の解説が載っている。特報部長の解説は、読者に対して真摯な内容だ。

「報道の目的は、過酷事故のもとでは危機対応に必要な作業員が大量にいなくなることもあり得るという現実を直視し、組織・体制のあり方を根本から練り直す必要があることを問いかけることにあります」

 二つ目の対象は11月12日リリースの7回目「『危機管理人』の登場」だ。私たちは、朝日新聞社が2015年度で使う予定だった会社案内の中身を手に入れ、それを記事で報じた。

 会社案内には、吉田調書報道をスクープした記者2人が写真付きで掲載されている。会社案内のゲラは2014年8月28日に2人に届いており、吉田調書報道を朝日が取り消したのはその2週間後だ。あっという間に「会社案内にも載るヒーロー」を記事取り消しの戦犯にした証拠だ。

 朝日新聞社が主張する削除要求の理由は以下の通りだ。

 (1)当該の記事は社内で検討した結果、読者への説明として適切ではないとの判断に至り、掲載を見送った
 (2)未公表の取材結果や記事を漏洩した者の行為はジャーナリストとしての重大な職務倫理違反に該当する
 (3)上記(2)の行為は、朝日新聞社の就業規則や記者行動基準にも違反。記事作成当時に朝日の特報部に在籍した渡辺周が、ワセクロに記事を掲載したことは極めて遺憾

 ワセクロという独立したジャーナリズム組織にとって、朝日は取材・報道の対象だ。社会に必要な情報と判断すれば報道する。たとえ社員であっても、組織人ではなくジャーナリストとしての倫理を優先するならば、他メディアを使って報道することすら何ら問題はない。

 そもそも朝日新聞は、取材対象の内部情報を報じたことがないのか。入手した文書を報じるのに、相手の了解をとっているのか。

 そんなことはない。

 ワセクロの今回の報道に対して、このような削除要求をしてくるようでは、現場は取材できない。内部告発者が、組織から糾弾されるリスクを冒して情報を提供しようとしても、こう判断されるだろう。

「朝日は、自分のことを組織を裏切って情報を漏洩した人間だとみなすので、提供はやめておこう」、そうなれば、探査報道はできない。もちろん、朝日が探査報道はあきらめて、政府や大企業の広報機関になるなら別だが



なんでへこへこ謝るんだよ」「ここぞという時に勝負しろよ」という福島の被災者の声

 しかし、どんな圧力があっても、わたしたちは、この吉田調書報道の再検証をやめるつもりはない。先述した「幻の詳報記事」にもあったように、福島第一原発事故には未だ放置されている宿題が山ほどある。また、この問題を検証し続けることは、ジャーナリズムの意義と巨大メディアの問題点を明らかにする作業でもあるからだ。

 吉田調書報道の取り消し後、渡辺周が殺到する読者からの電話対応を「お客様オフィス」で手伝ったことがあった。電話してきた中には、福島の被災者の男性もいた。彼は事故後に、母親が6箇所の施設をたらい回しにされて衰弱し、亡くなったという。記事に取り消しについて「何でへこへこ謝るんだよ」と電話口で1時間に渡りまくし立てた。

「サンゴ事件の時のようなねつ造じゃないじゃないか。吉田所長が1F(福島第一原発)で待機しろといったのに、2F(福島第二原発)に行ってた。状況的には命令違反じゃないか。あの時は東日本が壊滅するかどうか紙一重の状況の中で、1Fにとどまれといったんだよ
一度事故が起きたらアンコントロールド(制御不能)になる。これが本質だ。放射能の前ではみんな一緒。大熊町に『原子力 明るい未来のエネルギー』という看板があって、今や草がぼうぼう、イノシシが10頭走ってるのを見た。あれが原発の姿だと思うんだ」

 そして、ジャーナリストへの思いをこう語った。

「第二次大戦の時は、良心的な人が牢屋に入り、新聞は戦争を煽った。同じ失敗を繰り返すのか。今回は第二次大戦の時に匹敵するくらい『ペンは力なり』を試されている時だと俺は思う。普段は駄文を書いても許すよ。ここぞという時に踏ん張って勝負しなきゃしっかりしろよ
(了)


ワセダクロニクルとは
2017年2月1日に創刊した、独立・非営利・探査ジャーナリズムを掲げたニューズルーム。購読費や広告費に依存せず、市民からの寄付で運営されている。ジャーナリストだけではなく、銀座のバーの経営者やベンチャー企業家、営業マンなど、総勢18人で運営する。77カ国から182の独立・非営利のニューズルームなどが加盟する世界探査ジャーナリズムネットワーク(GIJN: Global Investigative Journalism Network)のオフィシャルメンバー。国境や文化、組織を超えた国際共同取材にも力を入れている。報道の自由推進賞(2017年)や貧困ジャーナリズム大賞(2018年)などを受賞。編著書に『探査ジャーナリズム/調査報道──アジアで台頭する非営利ニュース組織』や『探査ジャーナリズムとNGOとの協働』など。


〈関連記事〉=連載継続中 
ワセダクロニクル/特集「葬られた原発報道」

第1回「『国が壊れても記者は黙る』国・日本の共犯者は誰だ」
第2回 「福島からの叱咤」
第3回「『圧倒的に池上コラム』」
第4回「朝日新聞『記者会見』のウソ」

第5回「『功名心』が封じた続報」
第6回「幻の紙面が問うた『福島第一原発事故の宿題』」
第7回「『危機管理人』の登場」
第8回「安倍政権の『慰安婦問題検証』に身構えた朝日社長」
第9回「 『水に落ちた朝日』をたたいてビジネス」

第10回「拝啓 朝日新聞社長、渡辺雅隆さま 『記事の削除要求』にお答えします」
第11回「拝啓 朝日新聞社長、渡辺雅隆さま 『記事の削除要求」の撤回を求めます」


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その➀へ]

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●《ニコニコ》の山下俊一《先生も小児の甲状腺被ばくは深刻なレベルに達する可能性があるとの見解です》

2019年03月07日 00時00分43秒 | Weblog


東京新聞の榊原崇仁記者による記事【震災後「放射線ニコニコしている人に影響ない」 山下・長崎大教授「深刻な可能性」見解記録】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201901/CK2019012802000122.html)。

 《東京電力福島第一原発事故の直後、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの山下俊一・長崎大教授が子どもの甲状腺被ばくについて「深刻な可能性がある」との見解を示したと、国の研究機関「放射線医学総合研究所」(放医研、千葉市)の文書に記されていたことが分かった》。

   『●「これまで東電に、8兆4000億円を超える税金が投入…
             でもって今、東電は巨大な利益を上げている…」
   『●《余ると分かっている電力を、なぜ原発で作り続けるのか?》
                核発電「麻薬」中毒なアベ様に忖度する九電
   『●《地球温暖化対策を名目に、経済産業省が新たな小型原発の開発》 
                       …「海暖め装置」でホントに温暖化防止?
   『●《経団連を引き連れての俯瞰する外交の破綻》…
       日立製作所も断念、アベ様による原発輸出が《全て暗礁》…
   『●核発電「麻薬」中毒患者の覚めぬ悪夢…
       《安全神話、経済神話、クリーン神話-三つの神話》を脱却できず
   『●それでも経済産業省は核発電の《維持推進を掲げる》…
           東京電力核発電人災から8年なのに、この体たらく

 久しぶりにお名前を拝見…《日々被ばくによるがんの危険を押し付けている山下俊一教授。《避難指示区域内と、区域外の福島市の違いにより、見解が異なった》そうですが、さすがに《ニコニコ》はデタラメすぎる。「朝日がん大賞」授与なんて、マンガですよね…。

   『●子供たちをモルモットにするのか? ~福島県民の罪悪感~
    《6月21日に開かれた、「山下俊一氏を福島県の
     放射線リスク・アドバイザーなどから解任することを求める県民署名」
     「福島の子どもたちを守るための緊急署名」の記者会見》

   『●山下俊一教授受賞
    《[CML 011600] 【怒!】山下俊一への「朝日がん大賞」を撤回させよう!(緊急)》
    《朝日新聞「ひと」欄また問題人物登場…
     トンデモ教授に「朝日がん大賞」は驚愕…
     他にも山下氏は言いたい放題で、ユーチューブには
     「山下俊一トンデモ発言」なるコーナーまでアップされている。
     そこでは「放射線の影響は実はニコニコ笑っている人には来ません。
     クヨクヨしている人に来ます」なんて言っている。ある雑誌によれば
     「福島県の子どもたちは幸せですね。これからガイガーカウンターを
     一人一人持って、毎日測って、科学に強くなる」なんて発言も。》

   『●「死の町」にした者が悪いのではないか?
    《自滅する国家 自壊するマスメディア - 鈴木耕
     あの「朝日がん大賞」受賞のミスター100ミリシーベルトこと山下俊一
     福島県立医大副学長
を、朝日新聞「ひと欄」(9月1日)が褒め称えた
     ことを、僕は忘れてはいないよ》

   『●FUKUSIMA原発人災、本当に忘却していいのか?
    《<忘却>ということ。3・11なんか、なかったことのようにふるまうこと。
     3・11以前のように、あれ以前のうまくいっていた時と同じようにふるまう
     こと。そうすれば、ほら、お客さんだって戻ってきて、売り上げも上がって、
     企業の業績だって上向いて......。「放射能の影響は、実はニコニコ
     笑っている人にはきません。クヨクヨしている人に来ます。これは明確な
     動物実験でわかっています」(山下俊一・長崎大学教授の講演での発言)。
     3・11以前のようにニコニコして、生きていれば問題ないじゃん。
     国産・日の丸原発の輸出は3・11以前から決まっていたことだよ。だから、
     福島第一原発事故のような大惨事が継続中であろうと、その廃炉に
     数十年かかるという工程が示されようと、輸出しないとニホンケイザイが
     もたないじゃん! 彼らはそのように考えている。
     だから3・11以前のようにふるまう》

   『●原発人災、我々は騒ぎ過ぎているのか? 
               不安を煽り過ぎているのか??
    《村にはその後、山下俊一長崎大教授(当時)ら放射線専門家が
     入れ代わり立ち代わり訪れ、「安全だ」「大丈夫だ」と吹聴し、やがて
     放射能をことさら危険視するほうがおかしいという雰囲気さえ漂い始めた

   『●『創(2011年9・10月号)』読了
    《「「専門もバカ」のナンバーワンは、…山下俊一…。同じく
     福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの長崎大学教授 高村昇もひどい》
    「なんと、年間20ミリシーベルトどころか、100ミリシーベルト以下ならば
     心配が無いと吹聴して回っているそうである」

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201901/CK2019012802000122.html

震災後「放射線ニコニコしている人に影響ない」 山下・長崎大教授「深刻な可能性」見解記録
2019年1月28日 朝刊

     (山下俊一氏)

 東京電力福島第一原発事故の直後、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの山下俊一・長崎大教授が子どもの甲状腺被ばくについて「深刻な可能性がある」との見解を示したと、国の研究機関「放射線医学総合研究所」(放医研、千葉市)の文書に記されていたことが分かった。国の現地派遣要員らが集う「オフサイトセンター(OFC)」にいた放医研職員の保田浩志氏が書き残していた。 (榊原崇仁

 山下氏は二〇一一年三月二十一日の午後二時から、福島市内であった講演で「心配いらないと断定する」「放射線の影響はニコニコ笑っている人には来ません」と発言していたことが知られている。保田氏によると、この日の昼、県庁内のOFCで山下氏と面会。その結果は放医研内部の連絡のため、同日夜に記録していた。これらに従えば、「深刻」発言は「ニコニコ」の講演と同じ日にあったことになる。

 本紙は保田氏の記録の写しを情報開示請求で入手した。それによると「長崎大の山下俊一教授がOFCに来られ、総括班長(経産省)&立崎班長とともに話をうかがいました。山下先生も小児の甲状腺被ばくは深刻なレベルに達する可能性があるとの見解です」と記されていた。立崎班長はOFCの医療班長だった放医研職員の立崎英夫氏。OFCは事故直後の同月十五日に福島県大熊町から県庁へ移転。山下氏の講演会場から徒歩五分の距離だった。

 山下氏は取材に書面で回答。保田氏との面会を認めたうえで「原発事故直後の避難指示区域内の被ばく、特に、放射性ヨウ素の子どもへの影響は最も考慮しなくてはならないとの見解を示したのみ」とした。

 「ニコニコ」などと語った講演については「福島市民への説明。新たな爆発も起きておらず、原発から離れた福島市で深刻な状況は想定されなかった」と説明。避難指示区域内と、区域外の福島市の違いにより、見解が異なったとした。講演があった二十一日時点の避難指示区域は、原発から二十キロ圏内だった。

 福島県のアドバイザーは放射線と健康に関する正しい知識を住民に提供する役職。甲状腺内分泌学が専門の山下氏は同月十九日に委嘱されていた。保田氏はこの後、国連科学委員会の事務局員となり、原発被災者の被ばく線量をまとめた二〇一三年報告書の作成に携わった。現在は広島大教授。
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●東京電力人災時のベントと住民避難、そして、いま「彼ら」はなぜ反対の声をあげないのか?

2014年06月06日 00時00分32秒 | Weblog


nikkanーgendai.comの記事【絶望の吉田所長が感謝した 原発事故直後の「間組」の矜持』(http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/150497)。

   『●死者を鞭打つ ~東京電力原発人災原因解明の
          キーパーソン、そして、事故を防げたかもしれない人~
   『●「一体誰が朝日の記者に吉田調書を流したのか」・・・・・・
                    犯人捜しなどやってる暇があるのか?


 「9割の所員が事故直後に逃げ出し」(※ブログ主注: 140911、朝日新聞が記事を取り消しました)「現場にいるべきはずの保安院の担当官まで逃げ出していた」・・・・・・逃げたことをとやかく言うつもりはない。でも、3.11東京電力原発人災以降、再稼働なんかに手を貸してはいけないでしょう。そういう人たちこそが、声を大にして原発建設・再稼働・原発輸出に反対すべきだ

 「付近住民に内緒でドライベントの作業準備を始めていたといった、吉田氏の驚きの証言が詰まっている」・・・・・・。2011年3月15日時点、3月17日時点、4月11日時点でのベントについての情報。

   ●「想定外」という言い訳は許されない
    「塩谷喜雄・・・・・・少量とはいえ放射能を含んだ気体を、格納容器から
     外部環境に放出するベントと呼ぶ苦肉の策を、何を勘違いしたか
     「ベントに成功」などと発表し、それをそのままメディアは伝えている
     安全義務を負う電気事業者としては、内部の圧力も冷却材の水位も
     制御できずに、やむなくガス抜きするのはどう見ても「赤っ恥」であろう。
     何とも心優しいマスメディアの対応である」

   ●東日本大震災に至るまでの「安全神話」喧伝
    「後藤さんの現状認識
     4、(海)水を圧力容器に入れるためには「ベント」を開く
       これは、格納容器の役目を放棄することに等しい。
     5、放射能除去のフィルターがあるのは小さな弁のことで、「ベント」にはない。
       したがって、放射性物質が多量に放出されるのは必至

   
●後の祭り、あるいは、喉元過ぎれば
    「高野孟氏・・・・・・《ベント》
      このことだけを見ても、東電が非常用電源の喪失という事態を
     まったく想定しておらず、その場限りの対応に終始した様が
     見て取れる。ベントと呼ばれる弁を開けて格納容器内の水蒸気を
     外に逃す作業を始めるかどうかをめぐっても、毎日によれば
     11日午後10時の段階で早くも保安院は「必要」と判断したものの
     東電はその判断を採らず、午後11時過ぎの官邸の会議で
     首相はじめ
斑目春樹=原子力安全委員長や保安院幹部らが
     「早くベントをやるべきだ」との意見で一致、12日午前1時半には
     海江田万里経産相を通じて東電に指示したが、午前2時20分の
     保安院の会見で中村審議官は「最終的にベントすると判断したわけ
     ではない。過去にベントの経験はない。一義的には事業者の判断だ」
     と、国が命令するものではないとの考えを示した。それを受けて
     午前3時過ぎに開かれた東電の会見では小森常務がようやく
     「国、保安院の判断を仰ぎ、ベント実施の判断で進めるべしというような
     国の意見もありまして」と、国が言うならやらないでもないが
     というような
他人事の言い方をした。結局、1号機でベントが
     開始されたのは12日午前10時17分だったが、時すでに遅く、
     5時間後に1号機で水素爆発が起きた。もちろん「
ベントとは
     毒ガスの放出」(東芝の元格納容器設計者=後藤政志:AERA)
     であり、ためらうのは当然だが、それにしても「国が責任をとって
     くれるならやってもいい」という東電の態度がありありである」

 一方、「福島原発と同社は縁もゆかりもない。それでも現場に駆けつけた。彼らは“土方の矜持”と言うはずです」。

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http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/150497

絶望の吉田所長が感謝した 原発事故直後の「間組」の矜持
2014年5月27日

    (必死のがれき撤去(東京電力提供、右は吉田元所長))

 朝日新聞デジタルが順次公開している「吉田調書」。その中身は、衝撃の一言に尽きる。

 当時、福島第1原発の最高責任者であり、昨年7月に他界した吉田昌郎氏(享年58)が政府事故調査・検証委員会の聴取に答えた約50万字の肉声だ。

 9割の所員が事故直後に逃げ出し(※ブログ主注: 140911、朝日新聞が記事を取り消しました)付近住民に内緒でドライベントの作業準備を始めていたといった、吉田氏の驚きの証言が詰まっている。

 その吉田氏が「ものすごい恨みつらみ」と本音をぶちまけたのが、誰も救助や応援に来てくれなかったと語ったくだりだ。

 そのやりとりを一部抜粋してみよう。

   「本店(東京電力本社)にしても、どこにしても、これだけの人間で
    これだけのあれをしているのにもかかわらず、実質的な効果的な
    レスキューが何もないという、ものすごい恨みつらみが残っていますから」


――結果として誰も助けに来てくれなかった?

   「消防隊とか、レスキューだとかいらっしゃったんですけれども、
    これはあまり効果がなかった」


――(原子力安全)保安院はどうなんですか?

   「オフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点)が(60キロ離れた)
    福島(市)に引き揚げるとなったとき、みんな福島に引き揚げられて
    結局、16日、17日ぐらいまで、自衛隊や消防がピュッピュやっている
    ときはいなかったような気がする


 現場にいるべきはずの保安院の担当官まで逃げ出していた。まさしく四面楚歌(そか)で、吉田氏の絶望が見てとれる。

 そんな中、特筆すべき吉田氏の発言もあった。がれきの撤去作業のために駆けつけてくれた“ある会社”の存在だ。

   「バックホー(油圧ショベル)が数台、もともとこちらにあったのと、
    間組さんがどこからか持ってきてくれて、主として最初のころは
    間組なんです。土木に聞いてもらえばわかりますけど、間組さんが
    (放射)線量の高い中、必死でがれき撤去のお仕事をしてくれていたんです」

   「6号への道が途中で陥没したりしていたんです。その修理だとか、
    インフラの整備を最初に嫌がらずに来てくれたのは間組です」

 実は、間組(現・安藤ハザマ)は震災直後に社内有志を募り、パワーショベルやトレーラーの運転士ら7人の社員を現地に送っている。選ばれたのは、すべて50代のベテランのみ。「健康被害が心配」(間組関係者)ということで若い社員の派遣は見送られたという。 7人のおじさんは、退避する車の流れに逆行して福島に到着し、15日から作業を始めた。

 企業事情に詳しいIMSアセットマネジメントの清水秀和氏がこう言う。

   「間組には〈現場から逃げ出さない〉という社内風土がある。
    171人の犠牲者を出しながら完成させた黒四ダムの施工者も間組です。
    福島原発と同社は縁もゆかりもない。それでも現場に駆けつけた。
    彼らは“土方の矜持(きょうじ)”と言うはずです」

 誰も知らなかったが、現場にはこんなドラマがあったのだ。
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●大飯原発再稼働決定・・・アホにつける薬なし

2012年06月18日 01時15分28秒 | Weblog


東京新聞の記事3つ(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012061602000225.htmlhttp://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012061690140000.htmlhttp://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012061602000229.html)。

 このような愚かな結論・・・・・・、野田首相をはじめ西川一誠福井県知事、時岡忍おおい町長、その他大勢のそれを強行したアホな政治家ども・・・・・・、一体どう形容したらいいのか? 「愚か」「アホ」と云う以外、どんな形容の仕方があるだろうか。このような決断をするとは、哀しすぎる。将来に大きな禍根を残す愚かな行為である。一つ既成事実を作ってしまえば、あとは簡単。負の連鎖である。3.11以前の日常に、安全神話時代に逆戻り。神経は麻痺させられる。まったく、もうーッ!! FUKUSIMA人災の被災者の方々に顔向けできない。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012061602000225.html

福井県知事 国の支援を要求 同意表明、淡々と
2012年6月16日 夕刊

 西川一誠福井県知事は十六日午前十時すぎに始まった野田佳彦首相らとの会談で、「国の支援を約束いただいた。関西地域の生活と産業安定のため、同意する決意をしたい」と書類を読み上げ、重い結論を淡々と伝えた。
 政府が四月十三日に再稼働の方針を決定して以来、知事は国に対し原発の安全対策や必要性などを要求。「再稼働を人質に地域振興などの条件を引きだそうとしている」との批判をよそに、自身の判断に関して二カ月以上沈黙を守ってきた。
 この日は反対デモを横目に、車で官邸に到着。会談の冒頭十分間、安全対策の徹底や地元経済や雇用への配慮など八項目を要請した。「流れに任せず、明確なビジョンに基づいてリードしてほしい」と政府の覚悟を迫ると、野田首相から「いずれも重要な課題で重く受け止める」との言質を引き出した。
 会談後は枝野幸男経済産業相や藤村修官房長官と握手。報道陣に「この後、福井で会見しますから」と言い残して立ち去った。

◆知事要請の8項目
▽原発に対する国民や消費地の理解向上
▽原発の安全技術の向上と人材育成
▽将来のエネルギー政策の明確なビジョンの提示
▽原発立地自治体にとって原発が基幹産業ということへの理解
▽使用済み核燃料の中間貯蔵施設の整備など
▽原発立地自治体と政府の連携、協力関係の強化
▽日本海側の地震と津波対策の強化
▽福井県議会の要望への忠実な取り組み
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http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012061690140000.html

大飯再稼働を決定 首相「安全」裏打ちなき強行
2012年6月16日 14時00分

 政府は十六日午前、野田佳彦首相と枝野幸男経済産業相ら関係三閣僚による四者会合を開き、関西電力大飯(おおい)原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働を決めた。これに先立ち、福井県の西川一誠知事は官邸で首相と会談し、同意する考えを伝えた。政府は十分な安全対策を取らないまま、裏打ちのない首相の「安全宣言」によって再稼働を強行した。
 首相は四者会合で「立地自治体の理解が得られた今、再稼働を政府の最終的判断とする」と表明。「政権として、原子力行政と安全規制の信頼回復に向けさらなる取り組みを進める決意だ。新たな規制機関の一日も早い発足に向け、一丸となって努力を続けたい」と強調した。記者会見はしなかった。
 四者会合前の会談には、首相のほか、枝野氏ら関係三閣僚らも同席。西川知事は安全対策や使用済み燃料の中間貯蔵施設の整備など八項目を要望し「関西の人々の生活安定のため再稼働に同意したい」と述べた。
 枝野氏は八項目の要望について「重く受け止め、真摯(しんし)に対応する」と応じ、首相は「福井県の決断に深く感謝したい」と語った。
 関電は同日午後、機器の点検など再稼働に向けた作業に着手。二基の起動は順番に行い、それぞれ本格稼働に三週間程度が必要とされるため、フル稼働は早くても七月下旬になる。
 国内の原発五十基は北海道電力泊原発3号機(北海道泊村)が五月五日に定期検査入りして以降、すべて停止している。大飯原発3、4号機が再稼働すれば昨年の東京電力福島第一原発事故以来、定期検査後の原発が再稼働するのは初めてとなる。
 しかし、安全対策に盛り込まれた免震施設の建設や防潮堤の整備などは計画を示せば十分とされ、今回の再稼働には間に合っていない。事故で信頼を失った経産省原子力安全・保安院に代わる安全規制の新組織もまだできておらず、安全対策は万全とはいえない。
 大飯再稼働をめぐっては、政府が四月十三日に再稼働方針を決定。首相は今月八日の会見で「福島を襲ったような地震、津波が起きても事故を防止できる」と表明していた。

(東京新聞)
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012061602000229.html

大飯原発「5層の防護」3層目まで 国際基準 程遠く
2012年6月16日 夕刊

 大飯原発3、4号機の再稼働が決まった。野田首相らはしきりに安全性が確保されたと強調するが、国際的な安全基準の一部しか満たしていないのが現状だ。このまま再稼働に踏み切れば、国際基準から逸脱した形になる。
 国際原子力機関(IAEA)は、原発の安全性を保つため「五層の防護」という考え方を示している。
 五層の防護とは、故障や誤作動を防ぎ、地震や津波などに襲われても炉心溶融のような重大事故にならないよう備えをするのが一~三層目。事故が起きてしまった場合、いかに事故の被害を最小限に食い止め、住民を被ばくから守るかの備えをするのが四、五層目となる。
 大飯原発はどうか。非常用電源の多様化や建屋が浸水しにくいなどの安全向上策はある程度はできたが、それは三層目までのこと。事故が起きた後に重要となる四、五層目の対応は空手形というのが現状だ。
 ベント(排気)時に放射性物質の放出を最小限にするフィルターの設置、事故収束に当たる作業員を放射線から守る免震施設の整備などが四層目に当たり、適切に住民を避難させたり、内部被ばくを防ぐヨウ素剤を配ったりするのが五層目。
 しかし、四層目が達成されそうなのは三年後で、五層目はいつになるか、めども立っていない。
 原発外で対策拠点となるオフサイトセンターは、いまだに見直し作業の最中。モニタリングポストなど広域に放射線量を監視する体制も整っておらず、福井県の避難計画も近隣の他府県との連携を考えない硬直化した内容のままだ。
 首相らは「福島のような津波と地震が襲っても事故は防げる」と胸を張るが、国際基準に照らせば、重要な対策がすっぽり抜け落ちている。 (福田真悟)
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●いずこの原子力ムラ住人も・・・

2012年05月30日 01時36分28秒 | Weblog


いずこの原子力ムラの住人も、というasahi.comの記事(http://www.asahi.com/international/update/0425/TKY201204250554.html)。そして我が国も、という東京新聞の二つの記事(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012051601002005.htmlhttp://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012051702000105.html)。

 どこの国の原子力ムラの住人も同じで、アジアの他国、とくに中国も例外じゃないでしょう。以前から言っている地元」民として、世界中の原発の推進に反対します。小皇帝知事のように何が何でも中国をお嫌いな方は、まずは中国の原発を何とかしろなんて言う方もいるかもしれませんが、世界中が原発被害の「地元」民なのですから、どっちが先に原発廃止をするか、なんて馬鹿な選択を考えてもしょうがないでしょう。中国をお嫌いな小皇帝知事が、この期に及んでも「東京に原発を!」なんて唱えることこそ滑稽です。でも、3・11FUKUSIMA原発人災を引き起こしてしまった我が国が率先して範を示してはどうなんですか。中国をはじめとした推進国の鼻をあかせますよ。原発推進論者や金の亡者の言うとおりに、そんな我が国が再稼働や原発輸出で推進しておいて、他の国に原発を推進するなとか、他の国もどうぞ推進を、なんてコッ恥ずかしすぎます。3・11FUKUSIMA原発人災の終息の目途さへもたたない段階で、また、いまだに誰も責任を取ろうともしない(とりようもないけれども)相変わらずの恥ずかしい現状で、原発再稼働や原発輸出を口にできる原発推進論者の面の皮の厚さ、無神経さにあきれ返りますね。福島その他の被災者や被爆者、避難者の目の前で、電力が足りないだとかいろいろなアホなことを理由に挙げてまで推進を唱えられる原発推進論者・・・・・・、2011年のあの3・11の経験から何も教訓を得られない哀しい人たちです。我が国が率先して原発輸出に走ったり、それを支持する〝ト〟な原発推進論者が幅を利かすことで、我が国が心あるアジアの人々や世界中の人たちの嘲笑を浴びるなんて、私は嫌だな。恥ずかしい。

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http://www.asahi.com/international/update/0425/TKY201204250554.html

2012年4月25日19時6分

韓国の原発幹部に実刑 中古部品を塗装し「新品」で納入

 韓国の古里(コリ)原発(釜山市)の幹部職員が、原発の中古部品を無断で持ち出して業者に組み立て直させ、新品機器として同原発に納入させたとして、詐欺罪で懲役3年の実刑判決を受けていたことが分かった。近隣住民は原発の安全管理のずさんさを示すものだと反発している。

 判決は釜山地裁東部支部で20日に言い渡された。判決文によると、同原発を運営する公営企業「韓国水力原子力」でタービン部品の購入を担当する課長が2008~10年、受注業者と共謀し、保管中の中古部品を無断で持ち出した。そのうえで、さびを塗装するなどして組み立て直させ、新品として同原発に納入させて、総額約32億ウォン(約2.3億円)をだまし取ったとされる。裁判長は「国民の安全に直結する原発の安全性に深刻な疑いを持たせる重大犯罪だ」と指摘し、実刑が相当とした。

 古里原発では1号機で今年、全電源喪失の事故隠しが発覚した。敷地に隣接し、集団移住を求めている地区の代表は、朝日新聞の取材に「今回の判決で原発の管理のずさんさが分かった。安全への信頼は地に落ちた。すぐに閉鎖すべきだ」と話した。
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http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012051601002005.html

津波で4原発が深刻被害 浜岡など全電源喪失、保安院
2012年5月16日 22時54分

 経済産業省原子力安全・保安院が2006年、東京電力を含む電力5社との勉強会で、北海道電力泊や中部電力浜岡など5社の原発で、敷地より1メートル高い津波を受けると全電源喪失などの深刻な被害が出ると指摘していたことが16日、当時の文書で分かった。

 勉強会では東京電力が福島第1原発について津波で全電源喪失に陥る恐れを指摘されながら、対策を講じていなかったことが判明している。文書は06年8月2日付。東電が公表した。

 指摘を受けていたのは、泊、東北電力女川、福島第1、浜岡、関西電力大飯の各原発。

(共同)
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012051702000105.html

原発事故研修 受講幹部 半数のみ
2012年5月17日 朝刊

 全国十七の原発に国が配置し、緊急時は最前線で対応する原子力保安検査官事務所の幹部の半数が、事故対応能力を向上させるための研修を受けていないことが、本紙の取材で分かった。三年前の総務省の行政評価で受講率の低さが問題視されたが、一向に改善されていない。

 研修は、原発で重大事故が起きたとき、保安検査官事務所の幹部がその後の事故の展開を的確に予測し、首相官邸や防衛省などと緊密に連携してスムーズに住民の避難を進める能力を持つために導入されている。

 基本的には、原子力防災専門官を務める副所長が受けていればいいが、常時いるとは限らない。所長やほかの保安検査官も受けておくことが望ましいとされている。

 ところが、本紙が各事務所や本省の経済産業省原子力安全・保安院に取材したところ、計三十四人いる所長と副所長のうち、過去に研修を受けたのは半数の十七人にとどまり、泊(北海道)、東通(青森県)、柏崎刈羽(新潟県)、島根(島根県)の四事務所では所長、副所長の受講はゼロだった。全十七事務所に、所長・副所長を含めて百人の保安検査官がいるが、全体でみても、受講者は二十七人だけだった。

 受講率の低さについては、総務省が二〇〇九年の行政評価で「対象者に受講させる必要がある」と勧告。保安院は研修の機会を年一回から二回程度に増やしたが、ほとんど改善しなかった。

 昨年の東京電力福島第一原発事故では、保安検査官の情報収集能力の低さなどが政府の事故調査・検証委員会などで問題視された。

 信頼回復のためにも受講で事故に備えることは、必要不可欠のはずだが、受講率は今年一月末の段階より悪化。研修を担当する保安院の原子力安全広報課の担当者は「定年退職や異動で、受講者数が減った。今後の研修でカバーしていきたい」と釈明した。

 保安院をめぐっては、事故時の対応拠点となるオフサイトセンター(OFC)で放射性物質の流入を防ぐフィルターを設置するよう行政評価で勧告されながら放置。福島の事故ではOFCがほとんど使い物にならなくなる大きな原因となった。
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●様々な意味で人災である

2011年12月31日 00時00分07秒 | Weblog


2011年も今日でお終い。3・11という未曽有の大震災・原発人災のあったとんでもない年でした。個人的にも大変な年、色々な初めての出来事を経験しました。

 東京新聞の記事(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011122702000059.html)と社説(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011122802000054.html)。

 ブラックアウトと云う人災である。しかもそれを想定しもしなかった、何も対処しようとしなかった二重三重の人災。でも、津波による浸水が無くても、地震によって破断などの致命的な事故が発生していなかったのだろうか。さらに、適切に避難させなかった地域に加えて、避難させてはならないところに避難させて被爆させてしまっている。原発など造ってはならない国に造ってしまった当然の帰結か。原発をまだ動かし続けようとしているわが国は、輸出までも行おうとしている。地震など災害の多い我国でなくとも、こんな制御困難で未完成な技術を行える場所がこの地球上にあるとは思えない。何度も述べてきたが、それにしても、FUKUSIMA後に原発の運転継続・再稼働・輸出を出来る我国、一体どんな神経をしているのだろうか。年の瀬を迎え、新年になろうとしているのに、何も変わっていない我国。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011122702000059.html

原発事故 人災で拡大  運転員、非常冷却経験なし
20111227 朝刊

 福島第一原発事故をめぐり、国の事故調査・検証委員会(委員長・畑村洋太郎東京大名誉教授)は二十六日、多角的に事故原因を検証する中間報告を公表した。非常用ディーゼル発電機のほか配電盤も地下にあったため津波で水没し、全交流電源喪失を招いたと指摘。吉田昌郎(まさお)所長(当時)ら東京電力側が、原子炉に注水して冷やす非常用装置が稼働していると誤認して代わりの冷却手段の準備が遅れ、被害が拡大した可能性があると述べた。 
 東電や首相官邸内の情報伝達の混乱や津波への備えの甘さ、避難指示の遅れなど、「人災」の側面にも言及。原子炉の重要設備が地震で壊れた跡は確認できないとして、地震が直接事故につながったとの見方は否定した。今後、菅直人前首相ら当時の閣僚らから聴取し、来年夏に最終報告をまとめる。
 中間報告によると、1~2号機は三月十一日、非常用発電機や配電盤が浸水し、交流と直流の全電源を喪失。3~4号機も配電盤が水をかぶるなどして全交流電源を失った
 このため、最初に水素爆発を起こした1号機では、電気を使わずに、原子炉の水蒸気を冷やして水に戻し再び原子炉に入れる非常用冷却装置(IC)で冷却しようとした。
 ICに蒸気を送る配管の弁は、電源が失われると自動で閉まる仕組み。この時も弁は自動で閉まったが、ICを作動させた経験のある運転員はおらず、こうした仕組みを十分理解していなかった可能性が高い。弁は開いたままで、冷却が続いていると誤認、代わりの注水の準備が遅れた。
 その間に圧力容器内の圧力は上昇。代替手段での注水も難航し、ICが機能不全に陥ってから、継続的に注水できるようになるまでに十四時間を要した。その結果、空だきとなった1号機は同日夕に炉心溶融(メルトダウン)し、翌日には建屋が水素爆発した。中間報告は「原子力事業者として極めて不適切であった」と東電の対応を厳しく批判した。
 3号機は十三日未明までは冷却が続いていたが、原子炉の蒸気の力でポンプを動かして炉に冷却水を送る装置(HPCI)を、運転員が手動で停止した。蒸気が弱くなり、過熱した設備が壊れると恐れたためだった。
 運転員は炉の圧力を減らす弁を遠隔操作で開けた上で、消火用のディーゼルポンプによる注水に切り替えようとしたが、弁は開かない。このため水が入らず、注水が七時間近く途絶えた。発電所幹部らはHPCIの手動停止を知らなかった
 中間報告は、1、3号機とも誤った認識により注水が長時間止まり、危機的な状況を招いたことを重視。「より早く別の手段で注水すれば、炉心損傷の進みを遅らせ、放出された放射性物質の量を減らせた可能性がある」と指摘した。
 政府の対応が後手に回ったことも問題視。放射能の拡大範囲を予測するシステム(SPEEDI)を住民の避難指示に生かせなかった点や、現地の対策拠点となるオフサイトセンターが機能しなかったことを批判した。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011122802000054.html

原発事故報告 設計欠陥に迫る姿勢で
20111228

 福島第一原発の事故調査・検証委員会の中間報告では、人災面の問題が浮き上がる。だが、全電源喪失大地震に耐える設計だったのか。疑われている原発自体の欠陥まで踏み込む姿勢が必要だ。
 確かに「想定」とは人の頭で枠が決められる。「失敗学」で知られる同委員会の畑村洋太郎委員長は「人間が考える範囲を決めたら、その内側のことは考えるが、外側は考えない」と語った。事故後に政府や東電が繰り返した「想定外」の言葉への批判だろう。
 報告書を読むと、全電源を喪失した原発内で、数々の落ち度があったことが分かる。原子炉に注水する非常用冷却装置(IC)が稼働しているという誤認があり、その代替手段の準備が遅れた。そもそもICを作動させた経験のある作業員はいなかった。別の冷却装置も、運転員が手動停止させ、幹部はその事実を知らずにいた。
 非常時の仕組みを十分に理解しておらず、爆発事故という最悪の事態を招いたことは深刻で、中間報告も「極めて不適切」と非難した。むろん政府の対応にも多くの問題がある。
 放射性物質の拡散を予測する「SPEEDI(スピーディ)」のデータを公表する発想がなかったのは驚くばかりだ。拡散方向に避難する人々の命をどう考えていたのか。憤懣(ふんまん)やる方ない。
 経済産業省原子力安全・保安院が「炉心溶融が起きている」と説明しながら、官邸の横やりで「炉心状況は不明」と翻したのは言語道断だ。打つ手なしと判断すれば、口を閉ざすのか。今後、当時の菅直人首相ら政府首脳への聞き取りを進めるが、ただ説明をうのみにしてはなるまい。反証しつつ、正確な状況再現を求めたい。
 不可解なのは、「地震動のみによる大きな損傷はなかったと推定」していることだ。東電の解析にすぎないはずだ。原発政策に関わるだけに、専門家を交え、より客観的な検討を行うべきだ。
 人災面を強調するだけではいけない。複雑なシステムであればあるほど、人間は失敗を犯すものだ。状況誤認や誤操作があっても、常に安全側に働かせるのがフェイルセーフの思想だ。
 原発のような破局をもたらす機械は、地震大国ではより、その思想が徹底されねばならない。原発自体の設計やシステムに欠陥はなかったのか。そこに焦点を当てて検証し、来年夏の最終報告で「失敗学」を生かしてほしい。
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●後の祭り、あるいは、喉元過ぎれば

2011年04月28日 00時06分42秒 | Weblog


THE JOURNALの記事のコピペ(
http://www.the-journal.jp/contents/takano/2011/04/post_204.html)。高野孟氏。

 

喉もと過ぎればですぐに忘れてしまわないか? 例え想定外でも、地震や津波によって次に一つでもレべル7規模の事故が起きれば、あとの祭りではないのか? このまま原子力発電所・関連施設を我が国で運転し続けて本当に良いのか? 

 

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http://www.the-journal.jp/contents/takano/2011/04/post_204.html

 

高野尖報:「安全神話」に溺れた東京電力  佐藤優が自分のブログで言うように、「批判はあとからでも出来る」「東京電力の専門家が、専門的知見と職業的良心に基づいて活動できる環境をどうすればつくることができるかを考えることが不可欠だ」と言うのは、確かに1つの見識ではある。しかし、福島第一原発の事故勃発以来、20日余りの間に明らかにいなったことは、自ら創り出した「安全神話」に長きにわたり胡座をかいてきたこの企業が、初歩的な危機対応も出来ずにおろおろしている無様な姿であり、専門家と称する彼らに任せておいても、今後、事態沈静化だけでも数カ月、廃炉までには数十年はかかる安全確保のプロセスは完遂できる保証はないという冷厳な現実である。これまでの検証を通じて、政府と国民はこれからこの企業をどう扱うか、議論をし始めなければならない時が来ている。

 毎日新聞4月4日付は、1面左肩と1011面の2ページを費やして、震災検証取材班による「検証・大震災」の初回として、原発事故発生から2日間の政府と東電の動きを追った。またAERA4月11日号の「東電『原子力村』の大罪」も、東電側の対応ぶりを追っている。官邸はじめ政府のどの部署も東電も、みなドタバタなのは仕方がないとして、両記事を通じて改めて浮き彫りになるのが東電の余りの行き当たりばったりぶりである。

《電源車調達》
 11日、電源喪失で炉心溶融の危険が予想される中、東電は「冷却作戦」のための電源車を東電及び東北電力管内からようやく6台、掻き集めて現地に向かわせるが、陸路の輸送は困難を極め、ようやく東北電力が提供した2台が国の現地拠点「福島オフサイトセンター」に到着したのが午後9時。バッテリーも切れて無電源に陥るタイムリミットまで2〜3時間しかない。ところがそこで分かったことは、電源の繋ぎ口が津波に使っていて接続できず、しかも、仮に接続できる状態であったとしても、毎日によると「高電圧の電源車を繋ぐための低電圧用のケーブルが用意されていなかった」ので、またAERAによると「ケーブルが短くて使えず、プラグも合わなくて、本社に「500メートルのケーブルが必要だ」と連絡が届いた。「そんな長いものは社内を探してもみつからない」。12日の午前0時を過ぎても幸いなことにバッテリーはまだ動いていて、危なかった2号機の水位も何とか安定を回復していた。その頃ようやく低圧ケーブルは調達できたものの「関東から空輸を準備中」という段階。そうこうするうちに、午前2時半、今度は1号機の格納容器内の圧力が上昇しはじめ、その3時間後には外部に大量の放射線物質が漏出した......

《ベント》
 このことだけを見ても、東電が非常用電源の喪失という事態をまったく想定しておらず、その場限りの対応に終始した様が見て取れる。ベントと呼ばれる弁を開けて格納容器内の水蒸気を外に逃す作業を始めるかどうかをめぐっても、毎日によれば11日午後10時の段階で早くも保安院は「必要」と判断したものの東電はその判断を採らず、午後11時過ぎの官邸の会議で首相はじめ斑目春樹=原子力安全委員長や保安院幹部らが「早くベントをやるべきだ」との意見で一致、12日午前1時半には海江田万里経産相を通じて東電に指示したが、午前2時20分の保安院の会見で中村審議官は「最終的にベントすると判断したわけではない。過去にベントの経験はない。一義的には事業者の判断だ」と、国が命令するものではないとの考えを示した。それを受けて午前3時過ぎに開かれた東電の会見では小森常務がようやく「国、保安院の判断を仰ぎ、ベント実施の判断で進めるべしというような国の意見もありまして」と、国が言うならやらないでもないがというような他人事の言い方をした。結局、1号機でベントが開始されたのは12日午前1017分だったが、時すでに遅く、5時間後に1号機で水素爆発が起きた。もちろん「ベントとは毒ガスの放出」(東芝の元格納容器設計者=後藤政志AERA)であり、ためらうのは当然だが、それにしても「国が責任をとってくれるならやってもいい」という東電の態度がありありである。

《海水注入》
 海水注入でも同様で、12日の午後6時には菅首相が真水の注入を諦め海水を使うよう指示したが、東電が「炉が使えなくなる」と激しく抵抗した。AERAによると廃炉を前提とした海水注入は「株主代表訴訟を起こされるリスクがあるので、民間企業としては決断できない。政府の命令という形にしてくれないと動けない」(東電元幹部)というのが東電のホンネだと言う。数万人、ことによっては数十万人の命がかかっているというのに、それと、株主訴訟で自社が損失を被るのとを天秤にかけているのがこの会社である。

  東電が「『安全神話』が崩れていく現実を直視できず、初動の対応を誤った」(毎日)が、惨事の致命的な原因であったことは疑いをいれない。と同時に、官邸が「政治主導にこだわりながら東電や保安院との緊密な連携を図れず、結束して危機に立ち向かえなかった」(同)のも事実である。しかしそれを首相側から見ると「東電も保安院も原子力安全委も(深刻な事態から目を背けようと)ぐるになっていたとしか思えない」(同、首相周辺)と映っている。官邸の危機管理態勢、原子力行政の仕組み、それらと電力会社とのトライアングルをどう再構築するか、もっと突っ込んだ検証が必要である。

 


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