跳躍へのレッスン 鮎川信夫(1920~1986)
見えがくれに歩きながら
ときには肩をよせあい
迷路をさまよったあげくに
夜明けとも日暮ともつかぬ薄明の中で
ぼくらは崖に立っている
道に迷ったところで
どちらに向くかは身体にきめさせた
その日その日の
快楽と苦痛の結果がこれだ
一期の夢だから
狂え狂えといっても
身は現つのままで
千仞の崖っぷちに立つ
雲切れの空にのぞく
まがまがしい双つ星は
離れまいとして
必死に輝きをましている
いとしきひとよ
あそこまでは跳べる
ぼくらの翼で
試してみようではないか
――『宿恋行』1978年・思潮社刊 より――
この詩は詩集の最後におかれている。ちなみに最初の詩は「地平線が消えた」である。その詩を一部紹介します。
ぼくは行かない
何処にも
(中略)
あってなきがごとく
なくてあるがごとく
欄外の人生を生きてきたのだ
(後略)
この詩集には、わたくしの個人的な思い出がある。この本は、五十代の若さで癌のため他界した独り身の姉の膨大な蔵書を整理していた時、たった一冊だけ出てきた詩集である。姉はわたくしの詩にすら興味を示さない人だったのに……。そしてその詩集のタイトルが「宿恋行」……わたくしは大きな衝撃を受けました。
姉の死後、姉の住んでいた2DKの部屋をすべて整理しなくてはならなくなった。そこが人間の不在する部屋になってしまうと、その空間を占めるものは物品の累積だけになってしまう。そして部屋全体はぬくもりも息づかいも失う。人間の生涯とはただこのようなものであったのかと嘆息する。わたくしが時おりその雑多な物品の整理に疲れて、途方に暮れながらへたり込むと、そのおびただしい物品の隙間のあちこちからかならず亡くなった姉の悲痛な声がわたくしの耳を幾重にも包囲するのだった。
狂え狂えといっても
身は現つのままで
千仞の崖っぷちに立つ
姉の看護に明け暮れた日々にはきづかず、姉が亡くなったのちの「暮らしの抜け殻」のような空間のなかで、初めて亡き姉の孤独の姿が、わたくしの想像をはるかに超えていたことを思い知らされたのです。