ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

水死・大江健三郎

2010-04-13 22:43:05 | Book
 「作家自身が一冊の本である。」という言葉がある。大江健三郎を読んでいると、その言葉が思い出される。この小説の始まりには、東大に合格した若い頃の主人公は「文学部ではロクは就職口もないだろう。」と東大法学部出身のエリートに娘を嫁がせた親類から言われる。すかさず母親は「就職できないとならば、あれは小説家となりましょう!」と言い放つシーンがあります。

 さて、「老年」を意識しはじめた作家は、まず「憂い顔の童子」「取り替え子・チェンジリング」「さようなら、私の本よ!」の三部作を書き上げて、さらに新たな書き方を模索して、「(らふ)たしアナベル・リィ総毛立ちつ身まかりつ」と「水死」の2作を書きました。


               海底の潮の流れが
ささやきながらその骨を拾った。浮きつ沈みつ
齢と若さのさまざまの段階を通り過ぎ
やがて渦巻きに巻き込まれた。

 (T・S・エリオット・深瀬基寛訳)


 この小説の扉には、またもや「エリオット」の詩が引用されています。この小説の行く末を暗示するかのようです。50歳で亡くなった父上のことを長く思い続けながら、言葉にすることを封印してきた作家が、父上の死後10年を経て、家族のみに、それぞれあるであろう「赤革のトランク」を開き、父上の死についての封印を解こうとするのですが・・・・・・。


コギーを森に上らせる支度もせず
川流れのように帰ってこない。
雨の降らない季節の東京で、
老年から 幼年時代まで
逆さまに 思い出している。



 これは主人公の老作家「長江古義人」が、おそらくN文学賞の受賞を記念して、故郷に建てられた記念碑に書かれた詩のような(失礼!)ものです。「コギー」とは「古義人」の幼少時の呼称です。「森に上がる」とは、森の中には、生まれた子供の守護霊のような樹が必ず1本あって、そこに「コギー」の「童子=コギーの心に内在する双子の1人と言えばいいのかな?」が棲んでいるということです。時々その樹に呼ばれるのですから「森」へあがるのです。「川流れ」とは、川で水死した人、あるいは故郷を出てから戻って来ない者のことです。
 前半2行は母上が、後半3行は「古義人」が書いたもので、石に彫られた筆跡は「古義人」のものでした。この記念碑が道路拡張工事のために移動させられることになって、「古義人」の郷里の別荘である「森の家」に預かることになったのでした。「古義人」の「森の家」は、郷里に住む妹の「アサ」にほとんど任されています。

 この「森の家」の1階の居間の大半は、演劇集団「穴居人=ザ・ケイヴ・マン」の「穴井マサオ」「ウナイコ」「リッチャン」などに開放されています。彼等は「古義人」の小説から演劇脚本をおこし、舞台にかけているのでした。そして郷里の「円形劇場」で、観客参加型演劇として中高生ととに上演されている。世間的には「左翼作家」のものが上演されることで、当然教育委員会との対立が起こる。

 「アサ」が連れてきた、もう1人は「大黄」という男で、「超国家主義者」の父親の教えを受けた者であった。「赤革のトランク」の中身はほとんどなかった。母親が処分したものと思われるが、そうなると「大黄」が最も事実を知っている者となるはず・・・・・・。

 「一体。父親の水死の謎はどこで解かれるのか?」というわたくしの内心の声は聞き入れられないまま、小説は「演劇」を中心として展開し、「古義人」はシナリオまで書くことになる。井上ひさしの演劇を精力的に観てきた作家は、ここでその演劇手法を取り込んでいるようだった。

 新しく書き下ろされたシナリオは「メイスケ母出陣と受難」であり、それは四国の百姓一揆で獄死した「メイスケ」の母の怒りの出陣でありながら、彼女は強姦、輪姦という辱めを受けているのだった。そこに「ウナイコ」が教育者の伯父から同じ辱めを受けたことに重なる。「穴居人」たち、「「古義人」、「教育委員会」・・・・・・結末は「大黄」が「ウナイコ」の伯父を殺すことで終わる。そして「大黄」は「古義人」の父親の後を追うように・・・・・・。

 それは「よりまし」を誰が引き受けるか?ということだ。そして真の意味での「思想の自由」とは誰が守り、誰が引き継ぐか?という大きな問いとして遺される。


 *    *    *


 「――もしあなたが死んでも、私がもう一度、生んであげるから、大丈夫。」
 「――・・・・・・けれどもその子供は、いま死んでゆく僕とは違う子供でしょう?」
 「――いいえ、同じですよ、と母は言いました。あなたが私から生まれて、いままでに見たり聞いたりしたことを、読んだこと、自分でしてきたこと、それを全部新しいあなたに話してあげます。」


 「コギー」は大雨の降る夜の森へ上がったことがありました。童子のいるという樹のうろにいるのだと察知したのは母親でした。自警団の男たちに救出され、肺炎をおこして寝ていた時の母と子の会話です。


 (2009年第1刷・講談社刊)

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