おまイの。しせ(出世)にわ。みなたまけました。わたくしもよろこんでをりまする。
なかた(中田)のかんのんさまに。さまにねん(毎年)。よこもり(夜篭り)を。いたしました。
べん京(勉強)なぼでも。きりかない。
いぼし。ほわ(烏帽子=近所の地名 には)こまりおりますか。
おまいか。きたならば。もしわけ(申し訳)かてきましよ。
はるになるト。みなほかいド(北海道)に。いてしまいます。わたしも。こころぼそくありまする。
ドかはやく。きてくだされ。
かねを。もろた。こトたれにこきかせません。それをきかせるトみなのれて(飲まれて)。しまいます。
はやくきてくたされ。はやくきてくたされはやくきてくたされ。はやくきてくたされ。
いしよ(一生)のたのみて。ありまする。
にし(西)さむいてわ。おかみ(拝み)。ひかしさむいてわおかみ。しております。
きた(北)さむいてはおかみおります。みなみ(南)たむいてわおかんておりまする。
ついたち(一日)にわしおたち(塩絶ち)をしております。
ゐ少さま(栄昌様=修験道の僧侶の名前)に。ついたちにわおかんてもろておりまする。
なにおわすれても。これわすれません。
さしん(写真)おみるト。いただいておりまする。はやくきてくたされ。いつくるトおせて(教えて)くたされ。
これのへんちちまちて(返事を待って)をりまする。ねてもねむれません。
《明治45年1月21(3?)日付》
この手紙は、留学中の細菌学者野口英世に宛てた母上の手紙です。
母上は字が書けませんでしたが、遠く離れた息子との文通のために、初めて字を習い覚えて、たどたどしく書いた手紙です。
田村隆一の詩「帰途」には・・・・・・
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか
という一節がありますが、これは言葉を突き詰めてしまった詩人から発するものと思えます。
忘れられない永瀬清子の一文がありましたが、その本がどうしてもみつからない。
記憶をたよりに書きますと、それは少女期の永瀬清子が母親に向けて語ろうとしたがどのようにしても伝わらず、
地団駄を踏む思いだったという体験です。
幼い子供の持ち得た言葉だけでは、あふれる心のうちを母親に伝えることに、追いつけないことだったのでしょう。
そのはがゆさが、永瀬清子の「詩」の出発点だったという一文でした。
こうした言葉の出発点あるいは到達点に近いところで、詩人たちはこんな風に言葉と向き合うものなのでしょう。
しかし、野口シカは、たどたどしく、数少ない、習い覚えたばかりの言葉によって、
その言葉以上の心のうちを伝えてわたしを圧倒してきます。
人間は生涯に一編まったく作為のない、うつくしい詩を書くものなのかもしれません。
この一通の手紙は、詩を書き続けた者のかかえている「澱み」を恥じるような散文詩です。
「はやくきてくたされ」の繰り返しは哀切です。
資料315 野口英世に宛てた母シカの手紙