2月10日、両国の「江戸東京博物館」にて、観てまいりました。モンゴルには以前旅行したことがありますので、記憶との遭遇(?)を楽しみつつ観ましたが、ただしこれは、中国の内モンゴル自治区にある「内モンゴル自治区博物館」所蔵のものでして、モンゴルのものではないのです。モンゴルにもたしかに「博物館」はありました。「王座」やもろもろの歴史的な品々を観た記憶はあります。しかし、このように所蔵できる国力は最終的には中国になるのでしょうね。
広大なモンゴルと中国、そしてベトナム、ロシア、イラン、イラクまで及んだ遊牧民族の勢力は政権交代を繰り返しながら、その度に地図は描き変えられたということですね。そしてその勢力の頂点の時代が「チンギス・ハーン」ということになるのでしょう。詳細は「チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展」のオフィシャル・サイトをご覧ください。
遊牧民族の最高権力者となったとしても、彼等は城を建てるわけでもなく、財宝や戦利品などを所蔵する大きな建物も造ることはありません。仏像をおさめる大きな寺院も必要ではなかったのです。所蔵品を観ながら改めて「遊牧民」の歴史の実態がわかる思いがいたします。
常に移動する遊牧民は、携帯できるもの、組み立てと移動が可能なものがまず必要です。薬や手術用の器具を入れるもの、草原で食事できる道具や食器、乳樽、短剣や武具を携帯するための帯、それから「仏像」はとても小さなものでした。これも移動のためでしょう。
さらに冠飾り、豪華な刺繍を施した絹の衣装、玉石(これらはおそらく身分の高い人だけが着用したものでしょう。)・・・・・・これらの「金」「絹」「宝石」などは草原の民には手に入らないものですから、交易も盛んであったでしょうし、あるいは戦利品か献上品でしょう。
しかしながら、ここに展示されたものはすべて身分の高い者の所蔵品であることです。普通の遊牧の民の実態はここには見えません。
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《おまけのお話》
「江戸東京博物館」は両国にあります。「国技館」はすぐそばです。博物館を出てから両国駅前まで来たら「フジテレビです。インタビューにお答えねがえませんか?」と若者がマイクを突きつけてきました。ははぁーん。。。
モンゴル出身の問題児「朝青龍」へのご意見を、ということはすぐにわかりました。「お断りいたします。」とすぐに逃げましたが、後で考えてみたら「朝青龍って、やんちゃ坊主みたいで可愛いわ。大好きよ。」と言ってやればよかったなぁ。惜しいことをした。しかし顔がテレビに映るのはごめんだなぁ。「Ⅴサイン」でカメラ顔するのはおバカだしね♪
総武線で、両国から亀戸に移動。亀戸天神で梅を観ました。それから「おりこうさんになりますように。」とおいのりしました。
東風吹かばにおいおこせよ梅の花あるじなしとて春なわすれそ 菅原道真