ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

身ぶりとしての抵抗  鶴見俊輔

2016-05-14 16:57:30 | Book



これは河出文庫から出版されている、黒川創編集による「鶴見俊輔コレクション」の(2)にあたる書となります。黒川創氏は作家。10代から「思想の科学」に携わり、鶴見俊輔氏らと共に編集活動を行っていました。

あなたは勝つものと思ってゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ  土岐善麿

この短歌が、この本を読み始めてすぐに記されていました。
土岐善麿は、明治初期から大正にかけて、啄木の友人として、戦争に反対し、朝鮮併合に反対した歌人であったが、やがて新聞人として、戦争に肩入れすることになった。そのあいだ家にあって、台所で料理をととのえていた妻は、その乏しい食材から夫とは別の現状認識をしていました。この思想の違いを、正直に見据えて、土岐善麿は敗戦後の歌人としての一歩をふみだした。この彼の生き方を鶴見俊輔氏は立派だとおっしゃる。

さらに、敗戦当夜、食事をする気力をなくした男は多いとおっしゃる。しかし夕食を整えない女性がいただろうか?他の日と同じく、女性は食事を整えた。この無言の姿勢のなかに、平和運動の根があるとおっしゃる。これがおそらく鶴見俊輔氏の基本的なお考えではないだろうか?

もうこれで充分に「読んだ!」という感動が湧く。しかし、ここから鶴見俊輔氏は、様々な実体験に沿って、「抵抗」の歴史を語るのであった。すべてに感想を書くことはできませんが、読むことに一切の苦痛はなかった。その上「平和」と「人権」を守り抜く姿勢が崩れることがなかった。強い方だ。そして自由で柔軟な方だ。そして信頼できる方でした。

経験と実践と思想とが、しっかりと結びついた鶴見俊輔氏の言葉は私を導いて下さった。これからも、もう少しだけ生きてゆかねばならない私にとっての、道案内人となってくださる方だと思っています。


以下、引用です。

『「足なみのあわぬ人をとがめるな。かれは、あなたのきいているのとは別のもっと見事な太鼓に足なみをあわせているのかもしれないのだ。」ソロー 

『正論が抑圧される時、流言蜚語が正論のかわりになる。これにたいして権力は、それじしんの蜚語をつくって、まやかしの道をひらこうとする。その政府創作の蜚語にたいして、民衆の蜚語をすすめなくてはならない。』


(2012年10月10日 河出書房新社刊)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。