ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後 三浦英之

2016-06-02 13:54:21 | Book

第13回開高健ノンフィクション賞受賞


日中戦争当時、日本が旧満州国の最高学府として構想された「建国大学」が、首都の新京に設立された。「五族協和」という理念のもとに1938年に日本・中国・朝鮮・モンゴル・白系ロシアの五つの民族のエリートが選抜されて創立。全寮制の徹底した共同生活による教育が行われた。午前は講義、午後は農業・軍事・武術などの実践、夜には言論の自由の保障のもとで徹底した討論が特色だった。その上、必要な費用はすべて無料。彼らはスーパーエリートだったわけです。将来の国家運営を担うための。

建国大学のもととなる「アジア大学構想」を提唱したのは「石原莞彌」。その命を受け、建国大学の設立計画を推進したのは「辻正信」だった。

けれどもそれは「満州国」のために設立されたものであり、その歴史は短い。満州国崩壊後の学生たちによって、70年後に明かされたドキュメンタリーである。筆者の三浦英之氏のこの一冊に込めた熱意と、取材に惜しみなく協力して下さった、建国大学のご高齢の卒業生たちの合作と言える。

こんな一節があります。
『歴史を学ぶということは、悲しみについて語ることである。』

満州国崩壊後、建国大学の学生たちは、それぞれの国の思想統制の犠牲となった方々ばかりですから。「五族協和」の夢は彼等を苦しみに陥れたことになります。

さて「五色の虹」という表題が、どこから生まれていたのか?それは「あとがき」で明かされます。それはネルソン・マンデラの歴史的な演説「レインボー・ネーション」に由来する。人種、民族の違いを超えた多民族国家を目指したマンデラの願いは、建国大学の卒業生達の目指した「民族協和」と同質のものであったのだ。

ここで、私事になりますが、哈爾浜中学を卒業してから、建国大学に入学した方が、この本のなかでお二人いらっしゃいました。ウランバートルのダニシャム氏と、日本人僧侶の父とロシア人の母との間に生まれ、「如二…ジョージ」と名づけられた方でした。哈爾浜中学は、我が父が若き日に教鞭をとったところでした。もしかしたら出会っていたかもしれませんね。そして我が父もまた、はかない夢の学校にいたわけですね。記憶にはない満州ではあっても、そこで両親が新しい人生を始めたわけで、私は小さな赤ん坊の引揚者となって、祖国へ帰りました。二人の姉たちにはわずかながら記憶があるようですが。



さらに私事ですが、1999年夏にモンゴルに行きました。上の写真が、その時のウランバートルのダンバダルジャー記念公園(筆者とウランバートルのダニシャム氏が訪れた、日本人慰霊地。)です。この写真はその時に撮ったものですが、現在はこんな風になっているようです。時とともに人々の思いはやわらかくなってゆくようですね。

https://www.ab-road.net/asia/mongolia/ulan_bator/guide/03948.html

最後に、三浦英之氏が、我が子と同い年であることに、少々驚きつつ、彼のこの一冊に込めた熱情に敬意を表したいと思います。そしてこのようにして次の時代へ渡されてゆくであろう、貴重な一冊となりましょう。よいご本を読ませて頂きました。感謝いたします。このご本を先に読んだのは我が子でした。

 (2015年12月 第一刷 集英社刊)