スペイン内戦下の1937年、ゲルニカ爆撃の直後に、約2万人のバスクの子供たちは、欧州各地に疎開させられた。その中の1人の少女「カルメンチュ」は、ベルギーの文学青年「ロベール・ムシュ」と、その一家に引き取られる。
このことだけでも、私は驚く。日本の戦中の疎開児童の移動とは大きな隔たりがある上に、異国の戦災少女を家族として受け入れることなどを。しかし、第二次世界大戦の勃発とともに、「カルメンチュ」は荒廃したバスクへの帰還を余儀なくされる。
この小説の主人公は「ロベール・ムシェ」。「カルメンチュ」との出会いが彼の人生に大きな方向性を指し示すことになる。そしてこの物語は、著者の懸命な調査によって書かれた事実による小説であること。歴史に書き残されていない一人の文学青年の生涯が丁寧に書かれています。ムシュの娘カルメンの協力が大きい。カルメンは、70年前にバスクの少女「カルメンチュ」を受け入れた父のことを、バスクの作家が書くという巡り合わせに、執筆を初めて許した。
「ロベール・ムシェ」は、友人ヘルマンと、妻ヴィック、娘カルメン(カルメンチュにちなんで名付けられた。)に恵まれながらも、幸福な家族を離れて反ナチ運動に。その先は「逮捕」「拷問」そして「ノイエンガンメ強制収容所」に。1945年、収容所撤収となり、リューベック港から貨物船に。しかし家族のもとへ帰ることはできなかった。最悪の条件の中での移動であったから。
最後に、この一文を引用して終わりにします。これは、「ロベール・ムシェ」が「カルメンチュ」とその仲間たちを動物園に連れていった時の一連の写真を、筆者と娘のカルメンが見つけた時のことです。以下引用です。
『1983年の春。アントワープ動物園で、ライオン、猿、アザラシを見つめる子供たち。動物たちを見終ったあと、彼らは出口に空っぽの檻があることに気づいた。檻のなかには一枚の鏡。鏡の上にはこの一文があった。「人間、もっとも悪しき動物」』と……。
(2015年10月25日 白水社刊 翻訳・金子奈美)
《追記》
動物園の珍しい動物 天野忠
セネガルの動物園に珍しい動物がきた
「人嫌い」と貼札が出た
背中を見せて
その動物は椅子にかけていた
じいっと青天井を見てばかりいた
一日中そうしていた
夜になって動物園の客が帰ると
「人嫌い」は内から鍵をはずし
ソッと家へ帰って行った
朝は客の来る前に来て
内から鍵をかけた
「人嫌い」は背中を見せて椅子にかけ
じいっと青天井を見てばかりいた
一日中そうしていた
昼食は奥さんがミルクとパンを差し入れた
雨の日はコーモリ傘をもってきた。
この詩を思い出しました。