塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来の初期短編  『生命』

2018-11-10 01:19:24 | 塵埃落定

阿来の『塵埃落定』をどのように訳したらいいのか。
フォークナーを読んでからずっと考えている。
その答えを得るために、阿来の初期の短編を読んでみることにした。
まず、『生命』。1985年の作と思われる。この中で阿来は詩を何よりも価値のあるものと訴えている。『塵埃落定』はやはり詩として訳すべきなのかもしれない。



『生命』(要約)

秋霜の降りた草原へと続く険しい山の中。長時間きつい道を登り続け、同行の馬も歩みを止める。二人の男はここで一休みすることにした。一人は長髪、一人は坊主頭。二人ともかつては僧だった。
解放によって彼らの寺は封鎖され、年取ったラマは寺を焼き死んだ。二人の若いラマも死んだと思われていた。だが彼らは生き延びていた。その後彼らは、迷信を破るためという理由で、工作隊から山で狩りをするよう迫られるが、殺すよりは自分が死ぬと言って断崖から跳び下りる。死んだ、と思われた。だが、彼らはこの時もまた生き延びた。それ以降、二人は戒を捨て、一人は髪を伸ばした。
それがこの二人である。夜雪が降る。彼らは衣にくるまって眠る。

同じころ同じ山の中、風に苦しみながら、若い郵便配達員が馬に新聞や手紙を積み、険しい登り道を進んでいた。自ら志願し、年老いた配達員の代わりに往復五日かる山の中の小さな村を目指していた。ホイットマンの詩を口ずさみながら。だが、激しい風と雪にその声も止み、喘ぐ馬を気遣って荷を下ろすと、その上に自分のコートを被せ、休むことにした。

深夜、二人のラマは遠くに馬のいななきを聞きつけ、駆けつけると、若者が意識を失っていた。僧たちに温められて若者は生き返える。

僧たちは若者になぜこここに来たのかと尋ねる。若者は答える。詩を書きたかったのだ、と。そして、今深く雄大な詩を読んでいるのを感じる、自分が雄大な詩を読むホイットマンになれると信じられる、と。
僧が訪ねる。怖くないのか?
怖くない。
何故?
そうやって死ねば価値がある。
価値?
そう、誇り高く死ねる,.人間らしく。

二人の僧は考える。自分たちのあの二回の死は価値のある死ではなかったのだ、と。
若者が尋ねる、どうしたんですか?
いや、何でもない。
僧は静かに微笑んだ


***** *****


若者が雪の中で口ずさんだホイットマンの詩
ホイットマン「草の葉」冒頭

申し分なく産みつけられ、一人の完全な母によって育て上げられ、
生まれ故郷の魚の形をしたパウマノクを出発して、
多くの国々を遍歴したあと――人の往来はげしい舗装道路を愛するものとして、
わたしの都市であるマナハッタのなか、さてはまた南部地方の無樹の大草原のうえの住民として、
あるいは幕営したり、背嚢(はいのう)や銃をになう兵士、あるいはカリフォルニアの抗夫として、
あるいはその食うものは獣肉、飲むものは泉からじかというダコタの森林中のわたしの住居に自然のままのものとして、
あるいはどこか遠い人里離れたところへ黙考したり沈思するために隠棲(いんせい)し、
群衆のどよめきから遠のいて合間合間を恍惚(こうこつ)と幸福に過ごし、
生き生きした気前のいい呉れ手、滔々(とうとう)と流れるミズリー川を知り、強大なナイアガラを知り、
平原に草を食う水牛や多毛でガッシリした胸肉の牡牛(おうし)の群れを知り、
わたしの驚異である大地、岩石、慣れ知った第五の月の花々、星々、雨、雪を知り、
物まね鳥の鳴く音と山鷹(やまたか)の飛び翔(か)けるのを観察し、
明け方には比類まれなもの、湿地種のシーダー樹林からの鶫(つぐみ)の鳴くのを聴き、
《西部》にあって歌いながら、ただひとりでわたしは《新世界》へと旅立つ。

                                   富田砕花・訳