5 鷓鴣山を越える その2
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)
2時間後には、日陰に白い雪を積もらせている峠が見えた。山を登っていく車の後ろには大量の土ぼこりが一面に舞い上がる。エンジンは力のこもった音を響かせているが、スピードは非常にゆっくりだ。
峠まであと30分ほどのところで、目の前に広がるキイチゴの茂みに腰を下ろした。
赤紫のキイチゴはすでに熟れていて、遠からすでに甘酒の匂いがしていた。ただしそれは甘酒よりも更に甘い。
そこで私は斜面に座ったまま、尻をずらしながら一つのキイチゴの茂みから次の茂みへと向きを変え、げっぷが甘酒の匂いになるまで食べ続けた。そうしてからやっと、また先へと歩き始めた。
もう少しで公道までたどり着く頃、険しい山の斜面にトラックの残骸が散らばっているのが見えた。
再び足を踏み出してからは、もう顔をあげなかった。そうしなければ、最後のこの道が特別長く感じられそうな気がしたからだ。
峠にたどり着いたのは午後3時50分だった。
強い風が背を吹き、公道が山を通り抜ける辺りでは、両側の斜面から滲み出して来る水が風の中で表面を薄く凍らせ、風が耳元を吹きぬけると、笛のような愉快な音を立てた。
日陰に入る手前で、来た方向を振り返ってみた。この山より更に高い雪の峰が、どこまでも青い空の下に静かに聳え、まぶしいほどにキラキラと透明に輝いていた。
雪の峰は、私の周りで、この地形に高く聳え立つ中央の部分を構成していた。
この中央部分の東南方向、霧でぼんやりしているあたりが、曲がりくねり、少しずつ開けていく峡谷と、峡谷の両側の緑に覆われた群山である。公道、一本の灰色の帯は、陽の光の下でキラキラ輝く河の流れを従え、群山の向こうへと進んで行く。
この高度から一段一段上へ昇って行く大地の梯子がはっきりと見えた。
私は又前を向き、鷓鴣山の峠を通り抜けた。この数十mのほんの短いでこぼこの道は、群山の影に覆われていた。これは公道の両側の斜面の影で、峠の反対側まで歩き着いた時、光はまた私の体に降り注いだ。
この尾根もまた重要な分水嶺である。東側は泯江流域である。そして、私の目の前に姿を見せている、あの森林と草地の中から流れ出す多くの渓流は、複雑に入り組んだ大渡河の細い支流である。
更に顔をあげて遠くを望むと、また別の風景になる。
東の山野は雄大で高く険しく、西側の群山はどれも少しずつ緩やかになり、低くなっていく。まるで私が峠に登りついた時発した大きく長いため息のようだ。
東側の斜面はすべて森林に覆われ、西側の丸みを帯びて緩やかな斜面は見渡す限りの高原の牧場である。秋の初め、近くの草はまだ緑だが、遠く眺めると草の先端の点々とした黄色が濃さを増し、雲の立つ辺りは目を奪うばかりの黄金色になっている。
この時私は、群山の梯子を踏んで、本当に青蔵高原に登り付いたのである。
私は峠から離れ、山の途中をカーブしながら下っていく公道からも離れ、急な角度で下っていく峡谷の中へ踏み込んでいった。
峠から眺めた時には、まだそこには一本の道路がぼんやりと見えた。これは数十年間、荒れ果てたまま忘れられた古い街道が残した微かな痕跡である。
私は雑草の生い茂るこの街道に沿って、峡谷を降りて行った。だが、峡谷の底の清らかで浅い渓流の辺りで、この道を見失った。
私はこれは荒地の草と群れて生えている潅木のせいだと考えた。
それからの時間、私は潅木の茂みの包囲を突破するために奮闘した。
脱出口を見つけた時、目の前に一人の狩人が現れた。彼は私がこんな所に現れたのに少しは驚いているはずだ。だが、彼はただちらっと笑っただけで言った。
「何でそんなところに嵌まり込んでるんだ」
私は頭に来て言った
「道が悪すぎる」
彼は手を伸ばして、複雑に絡まりあった小さな木の間から引っ張り挙げてくれた。
この時、すでに夕日が山に隠れ、たそがれ時になっていた。
周囲の森では木々の間を抜ける風の音がざわざわと響いていた。幸いにも、私はこの時、狩人に連れられて大きな道に戻っていた。
彼は木のうろから二羽の雉を取り出した。先程仕留めて置いておいた獲物だ。二発の弾はどれも頭に当たっていた。彼は私を見て笑った。言うことには
「林に何かいるのが見えたんで、クマかと思ったよ。何にも考えずに、どこにでも入っていくのはクマだけだからな」
言い終わると、手の中の銃をぽんぽんと叩き、無造作に背に担いだ。
私は言った「あんたが撃たなくて助かったよ」
彼は言った「オレは優秀な狩人だぜ。優秀な狩人は獲物をみきわめて、それから撃つのさ」
私は笑った。
彼は言った「あんたはなかなかのモンだ、大概の人間は、街へいくと肝っ玉が小さくなるもんなんだが」
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)
2時間後には、日陰に白い雪を積もらせている峠が見えた。山を登っていく車の後ろには大量の土ぼこりが一面に舞い上がる。エンジンは力のこもった音を響かせているが、スピードは非常にゆっくりだ。
峠まであと30分ほどのところで、目の前に広がるキイチゴの茂みに腰を下ろした。
赤紫のキイチゴはすでに熟れていて、遠からすでに甘酒の匂いがしていた。ただしそれは甘酒よりも更に甘い。
そこで私は斜面に座ったまま、尻をずらしながら一つのキイチゴの茂みから次の茂みへと向きを変え、げっぷが甘酒の匂いになるまで食べ続けた。そうしてからやっと、また先へと歩き始めた。
もう少しで公道までたどり着く頃、険しい山の斜面にトラックの残骸が散らばっているのが見えた。
再び足を踏み出してからは、もう顔をあげなかった。そうしなければ、最後のこの道が特別長く感じられそうな気がしたからだ。
峠にたどり着いたのは午後3時50分だった。
強い風が背を吹き、公道が山を通り抜ける辺りでは、両側の斜面から滲み出して来る水が風の中で表面を薄く凍らせ、風が耳元を吹きぬけると、笛のような愉快な音を立てた。
日陰に入る手前で、来た方向を振り返ってみた。この山より更に高い雪の峰が、どこまでも青い空の下に静かに聳え、まぶしいほどにキラキラと透明に輝いていた。
雪の峰は、私の周りで、この地形に高く聳え立つ中央の部分を構成していた。
この中央部分の東南方向、霧でぼんやりしているあたりが、曲がりくねり、少しずつ開けていく峡谷と、峡谷の両側の緑に覆われた群山である。公道、一本の灰色の帯は、陽の光の下でキラキラ輝く河の流れを従え、群山の向こうへと進んで行く。
この高度から一段一段上へ昇って行く大地の梯子がはっきりと見えた。
私は又前を向き、鷓鴣山の峠を通り抜けた。この数十mのほんの短いでこぼこの道は、群山の影に覆われていた。これは公道の両側の斜面の影で、峠の反対側まで歩き着いた時、光はまた私の体に降り注いだ。
この尾根もまた重要な分水嶺である。東側は泯江流域である。そして、私の目の前に姿を見せている、あの森林と草地の中から流れ出す多くの渓流は、複雑に入り組んだ大渡河の細い支流である。
更に顔をあげて遠くを望むと、また別の風景になる。
東の山野は雄大で高く険しく、西側の群山はどれも少しずつ緩やかになり、低くなっていく。まるで私が峠に登りついた時発した大きく長いため息のようだ。
東側の斜面はすべて森林に覆われ、西側の丸みを帯びて緩やかな斜面は見渡す限りの高原の牧場である。秋の初め、近くの草はまだ緑だが、遠く眺めると草の先端の点々とした黄色が濃さを増し、雲の立つ辺りは目を奪うばかりの黄金色になっている。
この時私は、群山の梯子を踏んで、本当に青蔵高原に登り付いたのである。
私は峠から離れ、山の途中をカーブしながら下っていく公道からも離れ、急な角度で下っていく峡谷の中へ踏み込んでいった。
峠から眺めた時には、まだそこには一本の道路がぼんやりと見えた。これは数十年間、荒れ果てたまま忘れられた古い街道が残した微かな痕跡である。
私は雑草の生い茂るこの街道に沿って、峡谷を降りて行った。だが、峡谷の底の清らかで浅い渓流の辺りで、この道を見失った。
私はこれは荒地の草と群れて生えている潅木のせいだと考えた。
それからの時間、私は潅木の茂みの包囲を突破するために奮闘した。
脱出口を見つけた時、目の前に一人の狩人が現れた。彼は私がこんな所に現れたのに少しは驚いているはずだ。だが、彼はただちらっと笑っただけで言った。
「何でそんなところに嵌まり込んでるんだ」
私は頭に来て言った
「道が悪すぎる」
彼は手を伸ばして、複雑に絡まりあった小さな木の間から引っ張り挙げてくれた。
この時、すでに夕日が山に隠れ、たそがれ時になっていた。
周囲の森では木々の間を抜ける風の音がざわざわと響いていた。幸いにも、私はこの時、狩人に連れられて大きな道に戻っていた。
彼は木のうろから二羽の雉を取り出した。先程仕留めて置いておいた獲物だ。二発の弾はどれも頭に当たっていた。彼は私を見て笑った。言うことには
「林に何かいるのが見えたんで、クマかと思ったよ。何にも考えずに、どこにでも入っていくのはクマだけだからな」
言い終わると、手の中の銃をぽんぽんと叩き、無造作に背に担いだ。
私は言った「あんたが撃たなくて助かったよ」
彼は言った「オレは優秀な狩人だぜ。優秀な狩人は獲物をみきわめて、それから撃つのさ」
私は笑った。
彼は言った「あんたはなかなかのモンだ、大概の人間は、街へいくと肝っ玉が小さくなるもんなんだが」
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)
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