物語:国王帰る その2
ホルを追われた野生の馬の中に数頭の非常に美しい雌馬がいた。
魔国に着いてすぐに、キャンガペルポはその虜になった。
間もなく、雌馬たちとキャンガペルポは一時も離れがたいほど親密になり、魔国の雌馬たちはキャンガペルポを移り気だと嫉妬した。
ホルの馬たちは魔国に数日いただけで耐えられなくなり、故郷の塩の湖を懐かしみ、キャンガペルポを取り囲むようにして魔国の中心からはるか離れたホルとの境界へと向かった。
不思議なことに馬たちは、朝日の昇る前に草の露を啜るだけで、魔国の至る所に湧き出でている澄んだ泉の水を飲もうとはしなかった。
雌馬たちに尋ねても、媚びた素振りをするだけで、水の問題については何も教えようとしなかった。
辺境の砂地に来ると、そこには泉はなく、キャンガペルポの頭は徐々にはっきりして、こうしていては主人からどんどん遠ざかってしまうと気付き、急いで戻ろうとした。
「どうしてご主人様の元へ戻るの」
「主人が妖怪や敵を倒すのを助けるのだ」
「ここの風は爽やかで気持ちがいいわ。考えてみて、あなたのご主人様が、あなたに乗って草原を走り回らなくなって、何年になるのかを」
この時一陣のそよ風が砂地の深いところから吹いて来て、キャンガペルポはっきりと目覚め、思わず叫んだ。
「リンの国を離れてすでに六年だ」
その言葉に、野生の馬の群れは彼に別れを告げた。
「ここには長く居られない。塩の泉の味が懐かしくて、故郷を思わずにはいられない。ここでお別れしましょう」
キャンガペルポは別れを悲しんだ。
「ボクを愛してたんじゃないのか」
野生の馬は遠くへ去って行った。
最も美しい目をした雌馬が振り返って言った。
「あなたはリンに戻りなさい」
キャンガペルポはリン国に戻ったが、そこで目にしたすべてが彼の心を傷つけ、自分と主人ケサルのために悲しんだ。自分と主人が天から降ったことは、何の意味もなかったのだろうか。
キャンガペルポはもう一度魔国に戻ると、ホルの野生の馬を真似て、花や草の露だけを口にし、清らかに響く澄んだ泉の水を見ても見ぬふりをした。
キャンガペルポはこれまで主人の前で人間の言葉を話さなかったが、今は、一歩進むごとに思いを口にしたい気持ちが高まっていった。
下界に降ったのは何故かなのか、
忘却の泉の力はなぜこのように強いのか、
主は一切の毒の杯を清める呪文を学んだのに、なぜ自らは魔国の忘却の泉に犯されてしまったのか、
神はまだ啓示をお示しにならないのか…
天馬が進み、涙を落とした場所に、泉が湧き出した。その時、魔国にもともとあった泉はすべて涸れてしまった。
おかげで、キャンガペルポが鉄の城に付く前に、ケサルはすでにはっきりと目覚めていた。
愁いの雲が再びリン国を覆っているありさま、
トトンが意気揚々と横暴に振る舞い、人々が大人しくそれに従っているありさま、
自分の人の世の父がトトンに代わって忙しそうに貢物を受け取っているありさまを知った。
更に、クルカル王の王宮では、それまで愁いに表情を曇らせていたジュクモが新しく生まれた子供に笑顔を表しているのを知った。
キャンガペルポは胸一杯に恨みを抱いていたが、主人の顔を見て、まだ口を開かないうちから主人が熱い涙を流しているのを目にすると、自分もまたぽろぽろと涙を溢れさせ、言葉にならなかった。
アダナムとメイサが現われた。
ケサルは言った。
「また邪魔をするのではないだろうな」
二人の妃はそのまま前へ進み、ケサルが馬に乗るのを手伝った。
アダナムはメイサと違って気丈に言った。
「大王様が天の命を受けて出発したいと心から願われるなら、お邪魔することはありません」
魔国を発ち、ケサルはリンには戻らず、直接ホル国へと向かい、ジェツンイシとシンバメルツから密かに手引きを受け、クルカル王と二人の兄弟-黄帳王、黒帳王を殺した。
ジェツンイシはケサルの妃となり、シンバメルツはリン国がホルを治めるための総領事となった。
最後にケサルはクルカル王とジュクモの間に生まれた子供の命を一刀の元に絶った。
ジュクモはケサルに馬に乗せられると、叫ぶように言った。
「大王様。たとえクルカル王の血を引いてはいても、あの罪のない子供を、私はなによりも愛していました」
だがこの時、ケサルの心は憐みを抱くはずもなく、腹黒いトトンを片付けようと帰国の道を急いだ。
リンへ向かう途中で、ケサルにはすでに分かっていた。
すべての恨みを晴らそうと、一刀の元にトトンの命を奪ったならば、必ずダロン部の強い敵意を招くだろうことを。
父であるセンロンも勧告した。
「どうあってもトトンを許さなくてはならない、さもなければ、ダロン部は反乱を起こし、リン国は敵に攻められるまでもなく、自らの足元が大混乱となるだろう」
トトンもまた自分の罪の重さを知り、跪いて許しを請うた。
「大王よ、もしワシを殺さなければ、我々ダロン部の優れた将兵も大王の言葉に従うだろう」
ケサルは心に燃えあがる怒りの炎を憎しみへと置き変え、トトンのダロン部長官の職を取り上げ、辺境に送り馬の放牧をさせた。
ケサルは心の中で思った。
この時この人物を殺さなければ、一、二年後、また彼を元の職に戻すことになるだろうと。
以前にも書いた通り、リンの穆氏の長仲幼三氏族の中で、このトトンはあろうことかケサルの属する幼氏の一統なのだった。
追放令が出てすぐ、トトンがまだ辺境に到着しそうもない頃、同じ幼系に属する父センロンが、またトトンのために許しを請いに来た。
「長系と仲系が我々を覗っている。幼系が自ら争いを起こせば、内輪もめが起こるのだぞ」
まだ天から降りてくる前、神の子は人の世を簡単に考えていた。
その役割とは、妖魔を倒し領土を広げるだけのこと。
国王になってこのような面倒と向き合うことになろうとは思っていなかった。
まず妃たちの寵愛をめぐる争いに身の置き所を失いった。
そして今、血縁の序列のために賞罰をはっきりさせられないでいる。
ケサルは首席大臣がどのような指示を出すか待った。
ロンツァ、センロン、トトンは三人とも幼系の長老である。
それでも、首席大臣がセンロンの言葉に頷かないようにと、ケサルは願っていた。
だが、首席大臣は頷いて受け入れてしまった。
若い国王は冷笑して言った。
「お前たちは、もし私がいなければ、リン国の幼系は一つに団結出来ると言いたいのだな」
「そのようなことは申しておりません」
「私がリンに来たのは天下を平定するためだ。だが、お前たちは心を煩わすことばかり起している。
私は早く天に帰るべきなのか」
二人の老人は彼の前に同時に跪き、言った。
「大王様!」
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KESARU NOTE
ギャツァの死をめぐって
http://blog.goo.ne.jp/kesaru/e/30010fddc78a3b88f8c2e587c96a8d08
ホルを追われた野生の馬の中に数頭の非常に美しい雌馬がいた。
魔国に着いてすぐに、キャンガペルポはその虜になった。
間もなく、雌馬たちとキャンガペルポは一時も離れがたいほど親密になり、魔国の雌馬たちはキャンガペルポを移り気だと嫉妬した。
ホルの馬たちは魔国に数日いただけで耐えられなくなり、故郷の塩の湖を懐かしみ、キャンガペルポを取り囲むようにして魔国の中心からはるか離れたホルとの境界へと向かった。
不思議なことに馬たちは、朝日の昇る前に草の露を啜るだけで、魔国の至る所に湧き出でている澄んだ泉の水を飲もうとはしなかった。
雌馬たちに尋ねても、媚びた素振りをするだけで、水の問題については何も教えようとしなかった。
辺境の砂地に来ると、そこには泉はなく、キャンガペルポの頭は徐々にはっきりして、こうしていては主人からどんどん遠ざかってしまうと気付き、急いで戻ろうとした。
「どうしてご主人様の元へ戻るの」
「主人が妖怪や敵を倒すのを助けるのだ」
「ここの風は爽やかで気持ちがいいわ。考えてみて、あなたのご主人様が、あなたに乗って草原を走り回らなくなって、何年になるのかを」
この時一陣のそよ風が砂地の深いところから吹いて来て、キャンガペルポはっきりと目覚め、思わず叫んだ。
「リンの国を離れてすでに六年だ」
その言葉に、野生の馬の群れは彼に別れを告げた。
「ここには長く居られない。塩の泉の味が懐かしくて、故郷を思わずにはいられない。ここでお別れしましょう」
キャンガペルポは別れを悲しんだ。
「ボクを愛してたんじゃないのか」
野生の馬は遠くへ去って行った。
最も美しい目をした雌馬が振り返って言った。
「あなたはリンに戻りなさい」
キャンガペルポはリン国に戻ったが、そこで目にしたすべてが彼の心を傷つけ、自分と主人ケサルのために悲しんだ。自分と主人が天から降ったことは、何の意味もなかったのだろうか。
キャンガペルポはもう一度魔国に戻ると、ホルの野生の馬を真似て、花や草の露だけを口にし、清らかに響く澄んだ泉の水を見ても見ぬふりをした。
キャンガペルポはこれまで主人の前で人間の言葉を話さなかったが、今は、一歩進むごとに思いを口にしたい気持ちが高まっていった。
下界に降ったのは何故かなのか、
忘却の泉の力はなぜこのように強いのか、
主は一切の毒の杯を清める呪文を学んだのに、なぜ自らは魔国の忘却の泉に犯されてしまったのか、
神はまだ啓示をお示しにならないのか…
天馬が進み、涙を落とした場所に、泉が湧き出した。その時、魔国にもともとあった泉はすべて涸れてしまった。
おかげで、キャンガペルポが鉄の城に付く前に、ケサルはすでにはっきりと目覚めていた。
愁いの雲が再びリン国を覆っているありさま、
トトンが意気揚々と横暴に振る舞い、人々が大人しくそれに従っているありさま、
自分の人の世の父がトトンに代わって忙しそうに貢物を受け取っているありさまを知った。
更に、クルカル王の王宮では、それまで愁いに表情を曇らせていたジュクモが新しく生まれた子供に笑顔を表しているのを知った。
キャンガペルポは胸一杯に恨みを抱いていたが、主人の顔を見て、まだ口を開かないうちから主人が熱い涙を流しているのを目にすると、自分もまたぽろぽろと涙を溢れさせ、言葉にならなかった。
アダナムとメイサが現われた。
ケサルは言った。
「また邪魔をするのではないだろうな」
二人の妃はそのまま前へ進み、ケサルが馬に乗るのを手伝った。
アダナムはメイサと違って気丈に言った。
「大王様が天の命を受けて出発したいと心から願われるなら、お邪魔することはありません」
魔国を発ち、ケサルはリンには戻らず、直接ホル国へと向かい、ジェツンイシとシンバメルツから密かに手引きを受け、クルカル王と二人の兄弟-黄帳王、黒帳王を殺した。
ジェツンイシはケサルの妃となり、シンバメルツはリン国がホルを治めるための総領事となった。
最後にケサルはクルカル王とジュクモの間に生まれた子供の命を一刀の元に絶った。
ジュクモはケサルに馬に乗せられると、叫ぶように言った。
「大王様。たとえクルカル王の血を引いてはいても、あの罪のない子供を、私はなによりも愛していました」
だがこの時、ケサルの心は憐みを抱くはずもなく、腹黒いトトンを片付けようと帰国の道を急いだ。
リンへ向かう途中で、ケサルにはすでに分かっていた。
すべての恨みを晴らそうと、一刀の元にトトンの命を奪ったならば、必ずダロン部の強い敵意を招くだろうことを。
父であるセンロンも勧告した。
「どうあってもトトンを許さなくてはならない、さもなければ、ダロン部は反乱を起こし、リン国は敵に攻められるまでもなく、自らの足元が大混乱となるだろう」
トトンもまた自分の罪の重さを知り、跪いて許しを請うた。
「大王よ、もしワシを殺さなければ、我々ダロン部の優れた将兵も大王の言葉に従うだろう」
ケサルは心に燃えあがる怒りの炎を憎しみへと置き変え、トトンのダロン部長官の職を取り上げ、辺境に送り馬の放牧をさせた。
ケサルは心の中で思った。
この時この人物を殺さなければ、一、二年後、また彼を元の職に戻すことになるだろうと。
以前にも書いた通り、リンの穆氏の長仲幼三氏族の中で、このトトンはあろうことかケサルの属する幼氏の一統なのだった。
追放令が出てすぐ、トトンがまだ辺境に到着しそうもない頃、同じ幼系に属する父センロンが、またトトンのために許しを請いに来た。
「長系と仲系が我々を覗っている。幼系が自ら争いを起こせば、内輪もめが起こるのだぞ」
まだ天から降りてくる前、神の子は人の世を簡単に考えていた。
その役割とは、妖魔を倒し領土を広げるだけのこと。
国王になってこのような面倒と向き合うことになろうとは思っていなかった。
まず妃たちの寵愛をめぐる争いに身の置き所を失いった。
そして今、血縁の序列のために賞罰をはっきりさせられないでいる。
ケサルは首席大臣がどのような指示を出すか待った。
ロンツァ、センロン、トトンは三人とも幼系の長老である。
それでも、首席大臣がセンロンの言葉に頷かないようにと、ケサルは願っていた。
だが、首席大臣は頷いて受け入れてしまった。
若い国王は冷笑して言った。
「お前たちは、もし私がいなければ、リン国の幼系は一つに団結出来ると言いたいのだな」
「そのようなことは申しておりません」
「私がリンに来たのは天下を平定するためだ。だが、お前たちは心を煩わすことばかり起している。
私は早く天に帰るべきなのか」
二人の老人は彼の前に同時に跪き、言った。
「大王様!」
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