物語:アク・トンバ その1
モンとの戦いに勝利し、ケサルのリン国の内と外での名声は頂点に達した。
ケサルはあらゆる栄華を楽しんだ。宴で舞い踊り、狩で各地を巡った。
リン国の領地であればどこでも、巡幸の馬の列が空高く埃を舞い上げるやいなや、そこではすでに料理が整えられ、盛大な宴が催された。
首席大臣ロンツァ・タゲンは、国王が毎日馬を操って体を痛めてはと配慮し、職人に命じて輿を作らせた。
壮健な男たちが順に担ぎ、傍らでは美しい侍従が大きな宝傘を差し掛けていた。
この華麗な行列が通り過ぎる間、民は皆地に跪いた。
彼らは顔をあげて国王を拝しようとはせず、宝傘が落とす影に何度も口づけした。
本当は輿とその上の王の影に口づけしたいのだが、宝傘の影がそのすべてを遮っていた。
そこで、仕方なくより大きな影に口づけするしかなかったのである。
ケサルは不思議に思い尋ねた。
「民たちはどうして私を見ようとしないのだろう。自らの王を見ようとしないのだろう。私だったら必ず見ずにはいられないが」
「民たちは自分の下賎な眼差しで尊い大王を穢すのを恐れているのです」
ケサルは知らなかった。
このような決まりを民に対して定めたのは臣下たちであり、民たちは王を目にしたいという思いを無理やり抑え、顔を上げないようにしているのだということを。
ケサルは言った。
「もし私だったら、王がどのような姿をしているか必ず見るだろう」。
「誰もが王様の勇ましいお姿を知っております」
「どうやって知るのだ」
「絵に描かれ、歌で歌われ、物語の中で語られています」
「本当にそうなのか」
「王様、よくお考えください。王様は偉大なリン国を作られ、四大魔王を平らげました。それからは、民たちは幸せに心安らかに暮らしています。人々が褒め称えないことがありましょうか」
ケサルは思った。
自分がこの世に降ってなしたことは偉大と言えるだろう。褒め称えられてしかるべきかもしれない。
そこで、好奇心に駆られ言った。
「では、物語を語る者を探して来てくれ。今宵は歌も舞もいらぬ。人々が私の物語をどのように語るか聞いてみたくなった」
「そのような者も、王様の前では語れなくなってしまうでしょう」
その通りだった。
その夜、家臣たちは十人を下らない人物を王の前に連れて来たが、彼らはおずおずと入って来ると、そのまま身をかがめ、額を王の履物にそっと打ち付けるのだった。
ケサルは出来る限り穏やかな表情で言った。
「私が為してきた様々な行いをお前たちがどう語るのか、聞かせてくれ」
あらゆる地に伝わっている王の物語を語り始めようとする者はいなかった。
王の境遇、王の愛情、王の名馬、王の弓矢、王の智慧、王の勇気…もちろん、王のかつての迷走。
王子ザラが進言した。「王様、彼らを困らせてはいけません。天上の神が王様を下界に遣わしたのですから、神が王様の物語を語らせるでしょう」
大臣たちの考えは二派に分かれていた。
一つは首席大臣を頭とするもので、民たちが伝える王の業績を王が耳にするのを望まなかった。
民たちが密かに国王の物語を語ることにはもとより不満を抱いていた。
「凡人の口から出た言葉は、国王の偉大な業績を歪曲し汚すものだ」
別の一派は老将軍シンバメルツを頭とするもので、不幸なことにトトンも同じ考えを持っていた。
「英明な大王が民のために為したことを、民は知るべきだ。民たちに国王の業績を知らせないとは、どのような考えあってのことだろうか」 後に、シンバメルツは、民の間で国王の業績が誤って伝えらえているのを聞き、自らの主張を放棄した。
ケサルはこれらのことが理解できず、心の思いを王子ザラに伝えた。
「民は私を愛しているはいても、恐れてはいないはずだが」
王子ははっきりと肯定はしなかった。
「王様、民たちを困らせてはなりません。王様を地に遣わしたのは天上の神です。神が人を選んであなたの物語を語らせるでしょう」
「ならば、民が私を恐れるとしたら、私が普通の人間ではなく、天から来たからなのだろうか」
王子ザラはそうではないと知っていた。だがこう答えた。
「たぶん……そうでしょう」
ケサルは言った。
「では、お前が聞いて来てくれ。聞いた物語を私に聞かせてくれ」
王子ザラは出掛けて行った。
数日後帰って来ると、国王は尋ねた。
「私が申し付けたことはどうであったか」
王子ザラは言った。
「王様の物語は聞くことが出来ませんでしたが、別の物語を聞きました」
「他の者にも物語があるのか」
「アク・トンバという者です。どこへ行ってもみな彼の物語をしていました」
王子ザラはアク・トンバの物語を語った。
金も権力もある貴族がいた。倉庫にはリンで最も多くの裸麦の種があった。
その知らせが広まると、リンにいる多くの路頭に迷った民たちは、みなこの貴族に服従した。
リン国の民だけでなく、戦いのため行き場を失ったジャン国やモン国の民もこの貴族の元に集まって来た。種を借りることが出来たからである。
秋になると貴族は人を使って執拗に返済を迫った。しかも十倍にして返せというのである。
悲しいことに、アクトゥンバも種を借りていた。
その年、新しく開墾した荒地は収穫が悪く、十倍にして返すと、手元にはいくらも残らなかった。
怒り、やり場のないアク・トンバもまたこうした民の一人だった。
彼は裸麦を良く炒ってから貴族に返した。
次の年の春、これらの裸麦はまた種として貸し出された。
その結果はお分かりだろう。炒った種は当然芽を出すことはなかった。
そこで、アク・トンバはこれらの民を連れて貴族の元を去った。
慈悲の心を持った他の貴族の元へと身を寄せたのである。
国王は笑った。「何と頭の良い人物だ!」
モンとの戦いに勝利し、ケサルのリン国の内と外での名声は頂点に達した。
ケサルはあらゆる栄華を楽しんだ。宴で舞い踊り、狩で各地を巡った。
リン国の領地であればどこでも、巡幸の馬の列が空高く埃を舞い上げるやいなや、そこではすでに料理が整えられ、盛大な宴が催された。
首席大臣ロンツァ・タゲンは、国王が毎日馬を操って体を痛めてはと配慮し、職人に命じて輿を作らせた。
壮健な男たちが順に担ぎ、傍らでは美しい侍従が大きな宝傘を差し掛けていた。
この華麗な行列が通り過ぎる間、民は皆地に跪いた。
彼らは顔をあげて国王を拝しようとはせず、宝傘が落とす影に何度も口づけした。
本当は輿とその上の王の影に口づけしたいのだが、宝傘の影がそのすべてを遮っていた。
そこで、仕方なくより大きな影に口づけするしかなかったのである。
ケサルは不思議に思い尋ねた。
「民たちはどうして私を見ようとしないのだろう。自らの王を見ようとしないのだろう。私だったら必ず見ずにはいられないが」
「民たちは自分の下賎な眼差しで尊い大王を穢すのを恐れているのです」
ケサルは知らなかった。
このような決まりを民に対して定めたのは臣下たちであり、民たちは王を目にしたいという思いを無理やり抑え、顔を上げないようにしているのだということを。
ケサルは言った。
「もし私だったら、王がどのような姿をしているか必ず見るだろう」。
「誰もが王様の勇ましいお姿を知っております」
「どうやって知るのだ」
「絵に描かれ、歌で歌われ、物語の中で語られています」
「本当にそうなのか」
「王様、よくお考えください。王様は偉大なリン国を作られ、四大魔王を平らげました。それからは、民たちは幸せに心安らかに暮らしています。人々が褒め称えないことがありましょうか」
ケサルは思った。
自分がこの世に降ってなしたことは偉大と言えるだろう。褒め称えられてしかるべきかもしれない。
そこで、好奇心に駆られ言った。
「では、物語を語る者を探して来てくれ。今宵は歌も舞もいらぬ。人々が私の物語をどのように語るか聞いてみたくなった」
「そのような者も、王様の前では語れなくなってしまうでしょう」
その通りだった。
その夜、家臣たちは十人を下らない人物を王の前に連れて来たが、彼らはおずおずと入って来ると、そのまま身をかがめ、額を王の履物にそっと打ち付けるのだった。
ケサルは出来る限り穏やかな表情で言った。
「私が為してきた様々な行いをお前たちがどう語るのか、聞かせてくれ」
あらゆる地に伝わっている王の物語を語り始めようとする者はいなかった。
王の境遇、王の愛情、王の名馬、王の弓矢、王の智慧、王の勇気…もちろん、王のかつての迷走。
王子ザラが進言した。「王様、彼らを困らせてはいけません。天上の神が王様を下界に遣わしたのですから、神が王様の物語を語らせるでしょう」
大臣たちの考えは二派に分かれていた。
一つは首席大臣を頭とするもので、民たちが伝える王の業績を王が耳にするのを望まなかった。
民たちが密かに国王の物語を語ることにはもとより不満を抱いていた。
「凡人の口から出た言葉は、国王の偉大な業績を歪曲し汚すものだ」
別の一派は老将軍シンバメルツを頭とするもので、不幸なことにトトンも同じ考えを持っていた。
「英明な大王が民のために為したことを、民は知るべきだ。民たちに国王の業績を知らせないとは、どのような考えあってのことだろうか」 後に、シンバメルツは、民の間で国王の業績が誤って伝えらえているのを聞き、自らの主張を放棄した。
ケサルはこれらのことが理解できず、心の思いを王子ザラに伝えた。
「民は私を愛しているはいても、恐れてはいないはずだが」
王子ははっきりと肯定はしなかった。
「王様、民たちを困らせてはなりません。王様を地に遣わしたのは天上の神です。神が人を選んであなたの物語を語らせるでしょう」
「ならば、民が私を恐れるとしたら、私が普通の人間ではなく、天から来たからなのだろうか」
王子ザラはそうではないと知っていた。だがこう答えた。
「たぶん……そうでしょう」
ケサルは言った。
「では、お前が聞いて来てくれ。聞いた物語を私に聞かせてくれ」
王子ザラは出掛けて行った。
数日後帰って来ると、国王は尋ねた。
「私が申し付けたことはどうであったか」
王子ザラは言った。
「王様の物語は聞くことが出来ませんでしたが、別の物語を聞きました」
「他の者にも物語があるのか」
「アク・トンバという者です。どこへ行ってもみな彼の物語をしていました」
王子ザラはアク・トンバの物語を語った。
金も権力もある貴族がいた。倉庫にはリンで最も多くの裸麦の種があった。
その知らせが広まると、リンにいる多くの路頭に迷った民たちは、みなこの貴族に服従した。
リン国の民だけでなく、戦いのため行き場を失ったジャン国やモン国の民もこの貴族の元に集まって来た。種を借りることが出来たからである。
秋になると貴族は人を使って執拗に返済を迫った。しかも十倍にして返せというのである。
悲しいことに、アクトゥンバも種を借りていた。
その年、新しく開墾した荒地は収穫が悪く、十倍にして返すと、手元にはいくらも残らなかった。
怒り、やり場のないアク・トンバもまたこうした民の一人だった。
彼は裸麦を良く炒ってから貴族に返した。
次の年の春、これらの裸麦はまた種として貸し出された。
その結果はお分かりだろう。炒った種は当然芽を出すことはなかった。
そこで、アク・トンバはこれらの民を連れて貴族の元を去った。
慈悲の心を持った他の貴族の元へと身を寄せたのである。
国王は笑った。「何と頭の良い人物だ!」
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