塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来「大地の階段」 49第4章 ツァンラ

2009-08-31 21:57:24 | Weblog
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)



9  過去の橋と今日の路 その2


 1991年、私は上海からマルカムに帰る途中だった。

 当時、異常気象のため、至る所で大雨が降り災害を引き起こしていた。
 成都から出発し、マルカムに帰るいつもの道は、何箇所にもわたるがけ崩れで、交通が遮断されていた。その途中で目にしたのは、武装警官達が大学入試の試験用紙を背負って、土石流を一つ一つ超え徒歩で進んでいく姿だけだった。

 私たちの小型バスは向きを変えてウォロン保護区からバラン山脈を越え、猛固橋から、小金を経てマルカムに行こうと考えた。その結果、バラン山を超えてまた土石流に遭い、夜も更けてから日隆に着き、食堂で大急ぎで飯をかき込んだ後に、空に蠢いている黒い雲を眺めて、また土石流によって行く手を阻まれるのではないかと心配になった。みなで話し合った結果、続けて進もうと決めた。

 車の一団は出発した。私は自治州のテレビ局の車に乗り、局長である友人と同道した。今回は、私の車が先頭に立つことになった。

 日隆から10kmほどのところまで来た時、雨に濡れ柔らかくなった斜面の上から、大きな雷が空を転げまわるような音が聞こえてきた。車が完全に止まる前に、同じ車に乗っていた女性たちの叫び声が聞こえ、その後で、車のライトが、私たちのクルーザーよりもっと大きな石が公道の中央にいくつも転がっているのを映し出した。

 車の一団は暗闇を軽々しく引き返すわけにも行かず、運転手はアクセルをエンジンの音が聞こえない程度に調整し、全員が耳を澄ませて山の上の動行をうかがった。
 だが、黒々とした切り立った崖が重苦しい灰色の天幕の下に聳えているのが見えるだけだった。
 そして、路の外側の細い木々が作る陰の下から、洪水が河岸のあちこちに力いっぱいぶつかっている、ごんごんという音が伝わってきた。

 水の音から、この路面はかなり高いところにあるとわかった。

 私は勇気を奮い越し、山から転がり落ちてきたばかりの大きな石の前まで歩いて行った。

 私が懐中電灯で照らしている間に、運転手は板を使って残った路面を計り、また車に戻って慎重に車体と比べて、ふっと息を吐いて言った。
 「上手い具合に車幅はそれほど広くない、試してみよう。来てくれ」
 
 私は、彼が深く息を吸い込む音を聞いた。気持ちを奮い立たせているのだと分かった。

 運転手は車の中でちぢこまっている二人の女性を降ろし、私と局長はそれぞれに懐中電灯を持ち、路面に腹ばいになって、運転手のためにあまり頑丈とはいえない路面を見張った。

 腹ばいになる時は思わず体が震えた。夜の寒さと、湿気のためではない。路の下の計り知れない深淵から、荒れ狂う水の音が、埃っぽい匂いと共に次々と立ち昇って来て、背中に襲い掛かってきたからだ。

 ジープは動き始めた。

 前輪が通った時、路の外側の緩んだ地面が崩れかけた。

 自分がもう一つの手で自分の口をしっかり押さえているのが分かった。そして、暗闇の中、局長の目が恐怖で光っているのをはっきりと見た。
 私たち二人は幸いにもこのような危険を幾度か潜り抜けてきた。
 こういう時、車はただ前に進むしかない。そうしなければ危険を脱出することは出来ない。停まったり、もしくは後ろに戻ったりしたら、今崩れ始めた地面と一緒に底の見えない河へと滑って行くしかないのだ。

 車の後輪が目の前を通り過ぎて行く間、その時間は、人の一生と同じくらい長く感じられた。これ以降、私はこんなに長く、じりじりと焦りながら時の過ぎるのを待ったことはなかった。

 二つの後輪が私たちの懐中電灯の光の中をゆっくりと進んで行った時、外側のタイヤは完全に空中に乗り出していた。そしてその時、私たち二人の体も地面と一緒に下へと滑っていた。

 運転手の話によると、私たち二人は同時に叫んだそうだ。「がんばれ」と。
 だが、私達は自分の叫び声は耳に入らず、車のエンジンのうなりだけを聞いていた。

 タイヤの回転が急に速くなった。車が通り抜けた!

 その時自分がどうやって崩れていく地面から抜け出して路面に立ったのか、覚えていない。

 後ろの仲間たちの中から喜びの声が上がった。

 私はその場に立っていた。局長がやって来て、笑いながら言った。
 「俺の目がギラギラ光っているのが見えたか」
 私は言った「叫びだすんじゃないかと心配したよ」
 「俺もお前が叫ぶんじゃないかと心配したよ」

 運転手は車から飛び降り、私の手から懐中電灯を奪い、地面を照らしタイヤの跡を見るなり、へなへなと座り込み、すぐには言葉が出なかった。

 この様子を見て、後ろの車の一団は向きを変え、日隆へ戻って行った。
 車のライトがどんどん遠くなる。照らし出される山、岩、樹もはっきりとしなくなり、最後には山々の暗がりの中に姿を消した。まるで私たちの後に長い車の列などなかったかのように。

 全てが落ち着くと、河の水がまた響き始めた。

 運転手はまだ地面にしゃがんだままだ。私たち三人は一緒にしゃがんで、それぞれに煙草に火をつけた。運転手はこの時初めて言った。
 「もしあの時、誰かが一言でも叫んだら、終わりだった」

 二人の女性がおっかなびっくり泥道を歩いて来て、数人でまた走り始めた。

 次の日からは、この危機的状況も笑い話に変った。

 その夜、我々の車はウォリイ官寨の対岸の公道を通っていた。だが、あのように暗い雨の夜では、官寨のぼんやりとした輪郭さえ見ることはできなかった。

 次の朝、また別の場所で土石流に阻まれた。
 ここで私達は他の数台の車と一緒になり、再び5台の車からなる一団を形成し、マルカムに向って出発した。
 万一に備え、まるで強制でもされたように、こんな時でも規則どおりに仕事をしている道路工事人の所から、爆薬と簡単な道具を貰って来た。

 途中、自分たちで爆薬を使って路を作り、木を切って橋をかけた。
 5日後のある夜、山の中の街マルカムに帰りついた。

 二度目にこの路を通ったのは、10月だったが、四姑娘山の近くの海子溝氷河の下にある山の上の湖の辺りで大雪に遭った。
 我々一行は慌てて山を下りた。丸一日かかって麓に戻り、そこから車に乗って小金川に戻った時には、空はすでに暗くなっていた。そのため、帰り道でウォリイ土司の官寨を見学しようという計画は、取り消すしかなかった。

 そして今、20世紀最後の年、私はやっとその宿願を果たす機会を得た。

 そこで、猛固橋のたもとから、リュックを背負い、そこへ向って歩き始めた。私はこのような方法で、ギャロンではたった一つまだ行ったことのない土司官寨の跡に近づいて行こうと思った。
 


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