塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

『大地の階段』 後記 その2

2013-02-05 00:55:32 | 大地的階梯
『大地の階段』 後記 


                  二
               
 以上に述べたいくつかの想いから、チベットで生活していないチベット人として、私はこの本の中でアバ地区の地理と歴史を述べたいと考えた。なぜなら、この地域はチベットに関して書かれたものの外にあるからだ。

 チベット高原の東北の角にあるこの地区は、常に重要視されなかった。アバはチベット全体の一部分として、これまですべてのチベットの中でおろそかにされてきた。特に私の故郷ギャロンと呼ばれる部族が暮す場所の歴史と地理は、なおざりにされてきた。
 地理的に漢の地と近いため、より大きな原因は、この部族が長い間中原の文化と統治に親近感を持っていたことにある。だが、親近感のためにおろそかにされてきたということは、大きな不公平である。

 この本、そして『塵埃落定』の出版は、チベット族という大家庭の中に特殊な文化を持った集団が存在することを初めて世界に知らせること
が出来た。ギャロン人の一人として、一族の息子として、大きな誇りを感じている。
 私は血統的には純粋なギャロン人ではなく、正統を保とうとする同胞の目の中から見れば異端である。だが、このような排除的、拒絶的な目線も私のこの大地に対する心からの想いを消すことは出来なかった。この部族への同族意識とこの土地すべてに対する愛を消せなかった。

 ギャロンの大地とは、私が成長した場所であり、繰り返し歩いた場所であり、魂が常に彷徨った場所である。
 この本を書き始めた頃、何を書いたらいいのかまるで分からなかった。だが、表面的にチベットを描いた本にあるような空虚なものは捨て去って、ただの冒険記、自然ばかりに目を奪われた文章、文明人が野蛮人を哀れむような文章は書くまいと心に決めた。

 私が書きたいのは、私が思いを馳せるロマンにあふれる過去と、今現在起こっている変化である。
 特に、この土地の民族が今起こっている変化から何を得て何を失ったかについて、もし、純粋に芸術的なものを望むのでなければ、このことについては大体のことは出来たと考えている。

 最後には、私はこの遍歴の中で、自分の民族と雄大な大自然の中に融合していった。私は堅く信じている。次の長編を創作する中で、このような融合の意義が更に芸術的な方法で示されるだろう。

 ここ数年、以前にも増してこの広い群山と草原に戻って来るようになった。
 大きな原因は生態の好転である。天然林の伐採が禁止になってから、自然界の強靭な修復能力によって、大部分の山野は再び緑を纏い生命力に満ち溢れるようになった。

 日々生い茂っていく林は、雲と渓流を生み出す。この世界では人間性の弱さはどこも同じようなものだろう。だから私はこれまで生まれ成長した地を天国のようには描かなかった。だが、他の満身創痍の地とは異なる美しい風景は、それを熱愛し讃えるに値するものだ。

 私の故郷には、一つの迷信がある。
 一年で最初にカッコウのゆったりした鳴き声を聞いた時、どこでどうしていたか。その状態が一年中ずっと続くというのである。
 私は二年続けて、川西北高原の美しい風景の中を歩いている時、緑の林の奥から伝わって来るカッコウのその春初めての鳴き声を聞いた。こうして、カッコウの鳴き声は私に就いて谷間の村と高山の牧場を歩き回った。

 低い所から高い所へ、雄大な春の風景が次第に広がって行き、その行く道に美しい花が次々と開き、風を受けて揺れる。思いがけなく訪れる明るい雨足が、私が立っている山の頂に降り注ぎ、だが、峡谷の向かい側の山の峰は、太陽を浴びてキラキラ輝いている。
 その時、またカッコウの長い鳴き声が聞こえた。私の心は雨が去った後の日に輝く山の峰と同じように明るくなる。

 今、ほとんどの高原で鮮やかに花が開く季節、私はカメラを持って野の花と一時を過ごす。自然が美しさを増していく時、何よりの幸せは自然の母にしっかりと抱かれることである。そのため、繰り返しを厭わず私が思いのままに書いた散文を引用してみよう。



 暖かい寝袋に包まれて、山の上の湖の淵の草原で、雨がテントに落ちるサラサラという音を聞いていた。
 黄昏が山に降りようとしていた。
 雨は湖に降り注ぐ。
 雨はまた、湖畔のサクラソウ、イチハツ、垂頭菊、シオガマ、ユーカランのものである広い草地、ツツジ、金露梅がすでに咲いている草地を濡らす。
 もう一度それら花たちの姿を見たいと思ったが、夜がすでにあたりを覆っていた。花たちは夜の闇にまぎれてしまった。
 ただ湖だけが天の光を映し、かすかすかに波打っている。
 諦めて目を閉じる。
 雨音の中、花々の形は解けてゆき、ただ鮮やかな色が湖に映る雪山のように、ほの暗さに具体的な形を失い、生き生きと浮かび上がってくる。
 デルフィニウムとイチハツの青、ユーカランとシオガマの赤、垂頭菊とサクラソウの黄色。
 雨は止んだ。あたりの野一面に、花たちの親密な音がさわさわと響いている。
 星はまだ光り始めない。
 さあ寝よう。
 この時の情景から私は信じたのだ。星が瞬き始める時、鐘の音のように私を目覚めさせてくれるだろうと。
 夜半、突然の星のチリンチリンという音を聞いた。
 目を覚ますと、空には本当にまばらな星が現れていた。
 この時、耳元で突然またチリンという音を聞いた。
 空を見ると、星は静かに空に懸かっている。
 ではこの音は微かな夜風が花びらの上の露を揺らせた音だ。
 では、朝私を起こしてくれるのは日の光とそれに連れて現れるカッコウであるだろう。



(続く)












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