塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

ケサルが生きたのはどんな時代なのだろう 阿来『ケサル王』① 縁起-1

2013-04-24 01:42:07 | ケサル




『ケサル王伝』はいつ生まれたのだろうか。

11世紀頃、実在の人物をモデルにしているという説が強力である。
先に紹介した文章にも登場した任乃強氏の研究の結論でもある。

その頃、チベットには二度目の仏教伝来があり、その動きの中からケサルが生まれてきたのかもしれない。

だが、ケサルの物語には仏教の世界を超えたなまめかしさが感じられる。
想像を超えた壮大で異形の神々、登場人物の闊達な発想と行動。
土着的な生命力がところどころに姿を見せる。

では、阿来はどのようにケサルの活躍する舞台となる世界を描いているのか。
『ケサル王』では、まず最初にその世界が阿来独特の言葉によって展開される。

ちょっと恐ろしい世界ですが、二回に分けてご紹介します。


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第一部 神の子生まれる

[物語り:縁起―1]

 その時、家畜としての馬と野生の馬がやっと区別されたばかりだった。
 歴史学者は言う。家畜としての馬と野生の馬がまだ区別されていないのが前蒙昧時代であり、区別されてかなり経つと後蒙昧時代になる、と。
 歴史学者はまた言う。絶対的に多くの場合「後」時代の人々は、往々にして「前」時代の人に比べて自分たちは恐怖と迷いの中にいると感じている、と。

 確かにそうである。後蒙昧時代、人と魔物は下界に暮し、神はすでに天上に行ってしまった。神々は常にさまざまな方法で人間界に降臨はしていたが、それもただ少しの間だけだった。

 人と魔物の争いでは、人はいつも敗北する側だった。神は、人の悲惨な敗北を見るに忍びなかった。忍び難くなると、仲間を下界に遣わして手助けをした。大多数の場合は、助けは功を奏した。助ければ助けるほど忙しくなった。

 蒙昧時代が終わった百年あるいは二百年後、神はほとんど下界へ降りて来なくなった。不思議なことに、神が下界へ降りて来なくなると魔物も消滅した。もしかして、魔物が人を苦しめるのは神に対する挑発だけだったのかもしれない。弱々しい人間をいじめるだけでは、何の面白みも感じられなかったのかもしれない。

 ごく普通の考え方は、魔物は本来この世界を去ってはいなかった、というものである。誰でも知っているように、魔物は変化に富み、なりたいと思えば何にでも変身できる。この上なく美しい女性にも変身できるし、今まさに朽ち果て、腐敗する時の特殊な臭いを撒き散らしている棒切れにも変わることができる。

 魔物はなりたいと思えば何にでも成れるのだが、時がたつにつれて、このような変身そのものに飽きてしまった。そこで、魔物は考えた。どうしてあのように凶悪な姿に変わらなくてはいけないのだろう。いっそのこと人間の姿に変化すればいいのだ、と。そこで、魔物は人そのものに変身した。魔物と人が一体になったのである。

 はじめ、人と神が力をあわせて追撃したため、魔物はもう少しで逃げる場所を失うところだった。こうして追い詰められた時、魔物はよい場所を見つけた。それは人間の心である。
 このぬくぬくとした場所に隠れられると、人は何もできなくなくなり、魔物は逆に好きな時に頭を持ち上げて人をからかうことができた。そういった時人は、自分が自分自身と戦っていると思いこんでしまうのだった。

 これまで、歴史学者は、人間が自分自身と戦った結果とその未来に対してかなり悲観していた。彼らがすでに書いた本、これから書くだろう本は、たとえ何も真相を語っていないとしても、少なくともこの悲観的な態度は根気よく表現されている。

 ことわざに、家畜は遠くまで行ってしまうと天が与えてくれた牧場を失ってしまう、と言われている。話をあまり長引かせないようにしよう。さもないと物語の出発点に戻れなくなってしまうから。

 物語の始まった場所へ行こう。

 リンと呼ばれる場所。

 リンとも、また、リンガとも呼ばれる場所は、今カムと呼ばれている。さらに正確に言えば、過去の“リン”は、現在さらに広いカムと呼ばれる大地に囲まれている。カム、その一つ一つの草原は太鼓のようである。周囲は砥石のように平坦で、真ん中はわずかに隆起している。その中央では、太鼓を打つリズムが響いているようであり、大きな心臓がドクドクと躍動しているようでもある。
 そして草原の周りは、語り部によって、「周りを囲む大小の雪山は、猛獣が列を成して天の果てへ駆けているようだ」と形容されている。

 ケサル大王は天から、駿馬が駆け回るにふさわしいこの場所に降臨した。

 その時、後蒙昧時代はすでにかなり長く続いていた。
 その時、地球上はたくさんの異なった世界に分かれていた。異なった国ではなく異なった世界である。
 その時の人々は、大地はたとえようもなく大きく、たくさんの異なった世界を受け入れることができる、と感じていた。

 人々は、自分たちの世界の他に、違った世界があるのかどうか、はっきりとは分からなかった。だが、何時も天の果てを望んで考えていた。天の果てに別の世界があるのだろうか、と。
 その異なった世界はより邪悪なのだろうか、それともより豊かなのだろうか。
 多くの伝説が、これらの、近くてまた遥に遠い世界を語り想像している。

 リンと呼ばれるこの世界は人々から語られ、リンもまた別の世界を想像していた。







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