塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来『ケサル王』 67 物語 競馬で王となる

2014-09-30 00:50:26 | ケサル

物語:競馬で王となる その4




 賢いジアンガペイフは、主人が手綱を少し挙げただけで、四本の脚に風を孕み、まるで電光のようにすぐに老総督に追いついた。
 ジョルは親族の序列で呼んだ。

 「叔父上」

 老総督は規律を重んじる人物である。すぐに彼に意見を始めた。

 「血縁から言えばワシはお前の叔父だ。だが、それは身内の中だけで使うべきだ。
  このような公の場では総督と呼びなさい」

 ジョルは速度を緩め、言った。

 「私の考えも聞いてください。
  競馬が始まって、リンの古い秩序は取り払われました。誰かが金の王座を獲った時に、改めて新しい序列が作られるんです。
  だから今は叔父上と呼ぶしかありません」

 老総督ロンツァは思わずうなずき微笑んだ。
 「やはり天から降った神の子だ。このような道理を語れるとは。
  さあ、早く馬に鞭を当て、行くのだ。王位を獲り、天の意志と民の思いを成し遂げるのだ」

 ジョルは老総督に、もし自分が王位に就いたら首席大臣になって欲しい、と言おうとした。
 だが、総督ロンツア・チャゲンがジョルの馬の尻に鞭を一つ入れると、ジャンガペイフは弓から放たれた矢のように走り出し、ジョル乗せて、いとも簡単にトトンの玉佳馬の前まで走り付いた。

 トトンはこの時早くもリンの英雄たちを遥かに引き離していた。
 彼の玉佳馬は走り出すと四本の足が風を生む。並の人間が乗れば頭がくらくらして眩暈を起こすだろう。
 だが、彼は神通力を使って何事もない様子で、まるで地面にいるようにどっしりとしていた。

 競馬の終点古熱山が丸い兜のように目の前に現れた。

 トトンはこれまでずっと先頭を一人走っていたが、この瞬間、黄金の王座が目の前に見えたような気がした。
 実は、トトンはジョルを有力な相手と見做していた。だが、戦いが始まろうとした時に奇怪な身なりのジョルを見ただけで、その後は影も形も見えない。

 今、自分一人、他を引き離し、山の中腹に置かれた金の王座を目の前にしている。
 馬頭明王の予言は間もなく実現される。絶世の美女ジュクモが自分のものになる。古熱山の宝の蔵の門も間自分のために開かれる…

 体が軽くなり空にいるような気がした。姿を見せず行き来する仙人のように。

 彼の心はどこまでも飛び続け、未来まで飛び、王を名乗った後のありとあらゆる威厳に満ちた自分の姿を見た。

 まさにその時、後ろからハアハアという息遣いが聞こえた。
 振り向くとジョルが息をあげながら近づいて来る。あと数歩も走れば馬の背から転げ落ちそうだ。

 トトンは笑った。

 「たとえお前が全ての力を出し切っても、金の王座ははるかに遠いぞ。
  だが、ワシの可愛い甥よ。お前はつわもの者たちをはるかに引き離して来たのだ。将来城で仕える時は一番前を歩かせてやろう」

 ジョルは知っていた、自分の馬鹿な振りがまた野心漫漫の叔父を刺激しているのを。
 そこですぐに軽快な動作で鞭を一振りした。

 トトンには傍らを一筋の光が掠めて行くのが見えただけだったが、次の瞬間、ジョルと彼の神馬はずっと先を走っていた。
 トトンの得意気な様子はあっという間に消え失せ、絶望した彼は怒りのためもう少しで血を吐きそうになった。

 気を鎮めると、トトンは障碍の法を施した。
 だが、天馬は一筋の強烈な光に姿を変え、トトンが瞬時に張り巡らした目隠しの黒い壁を通り抜けた。かえって彼自身がその強い光に当たって目の前がまっ黒になり、体がふらふらして、もう少しで馬から落ちるところだった。

 こうなれば仕方ない、彼は玉佳馬を鞭打ち、懸命に前へと進んだ。
 山の中腹まで来ると、金の王座は目の前だった。
 あと十数歩進んで馬から一踊りしたら、金の王座にピタリと尻がおさまりそうだった。

 不思議なことに彼の前を走っていたジョルの姿が見えない。
 あの小僧は馬に乗り慣れなくて、到着しておきながら乗っている馬を制御できず、闇雲に走り回る馬に山の向こうへ連れて行かれたのだろう。

 彼はごくりとつばを飲み込んで、両足で馬の腹を挟み、前に進ませようとした。
 だが、玉佳馬は空を蹴りながら体は逆に後ろへ下がって行く。

 近づいて来るべき金の王座が遠のいて行くのを見て、トトンは驚き叫んだ。

 だが、彼がどんなに手綱を引き締めても、玉佳馬が後ろへ下がるのを停められなかった。
 そこで転がるように馬を降り、自分の足で王座に向かおうとした。
 玉佳馬は後ろで悲しげに啼いている。

 それを聞いたトトンは堪え切れず、振り向いて言った。

 「玉佳よ、どうしようもないのだ。ワシが王位を獲ったら戻って面倒を見てやるからな」
 玉佳馬は足の力が抜けて地面にへたり込んだ。

 トトンは手と足を使い、目と鼻の先の王座に向かって這って行った。
 だが彼が少し前に行くと、王座は後ろに退き、どうしても手を触れられず、永遠に辿り着けそうもない。

 必至であがいている時、ジョルの笑い声が聞こえた。
 恨めしさと恥ずかしさが怒りに変わった。

 「卑しい乞食坊主!ワシを馬鹿にするのか」

 「高貴な身分の叔父さん、それは私のことですか」

 「何故競馬の最中に法術を使うのだ」

 「それはおじさんが私に掛けた障碍の術でしょう。私は叔父さんに術を使ったりしてませんよ」

 「では、なぜワシはこんなに懸命に走って来たのに王座に辿り着けないのだ」

 「それは天の神が下した罰です。
  叔父さん、私とジアンガペイフは王座の周りをもうニ回廻りました。
  でもまだ座わっていません」