女性セブンの記事は、面白い。
三年か。
「曇天が秋の空を覆い、冷たい雨が降ったりやんだりを繰り返した10月某日。とある墓地に、俳優の中林大樹(37才)と2人の子供たちの姿があったという。この日、しめやかに行われたのは、竹内結子さん(享年40)の納骨式だ。あの日から2年、ようやく迎えたお別れの儀式を経て、残された家族は前を向いて一歩を踏み出した。
だが一方で、竹内さんの母方の親戚は「納骨式のことは知りませんでした……」と言葉少なに打ち明ける。超極秘で行われた納骨式の裏側に何があったのか──。
竹内さんがこの世を去ったのは、2020年9月27日未明のことだった。中学卒業後に東京・原宿でスカウトされて芸能界に入り、1999年にNHK連続テレビ小説『あすか』のヒロインに抜擢された竹内さんは、2000年代には3年連続で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を獲得するなど、トップ女優の地位を確立していった。
私生活では歌舞伎役者の中村獅童(50才)と結婚し、長男をもうけるも2008年に離婚。シングルマザーの道を選んだ。その後、2019年に所属事務所の後輩だった中林と再婚し、翌年には次男を出産。公私ともに順風満帆かのように見えていた。だがその矢先、東京・渋谷区の自宅マンションで自ら命を絶った。当時、長男は14才、次男は生後8か月だった。
「これまでお別れの会も開かれず、お墓も公表されていないので、彼女のファンが『供養する場所がない』と嘆いているという声も多く聞きます。でもそれは、1才に満たない子を残して突然旅立ってしまった竹内さんの死を、中林さんと長男が受け入れるのに多くの時間を要したからだといいます」(テレビ局関係者)
衝撃の別れからおよそ2か月後、中林と子供たちは、竹内さんとの思い出が詰まった自宅から居を移し、都内の別のマンションへ。さらに今年の春には関東近郊の海辺の街に引っ越した。
「奈良県出身で自然豊かな土地で育った中林さんは子供たちにも自然に触れてほしいとの思いがあり、都心から離れることを決めました。この2年、中林さんは心に傷を負った子供たちを懸命にケアし、保育園の送り迎えや食事の買い出しなどの家事に奮闘してきた。俳優ではなく、父親としての役割を優先してきたんです」(芸能関係者)
思春期を迎えた血のつながらない長男と、まだ幼く手が離せない次男を抱え、育児に励むシングルファーザー。おぼつかない足取りながらも3人で進み始めた家族が、この2年間決して手放さなかったものがある。竹内さんの遺骨だ。
「中林さんと子供たちは結子さんの遺骨をずっと自宅に置いて供養していました。突然の死に苦しんだ3人が2年にわたって彼女の遺骨をそばに置き続けたのは“家族4人はいつまでも一緒”という意思の表れだったのでしょう」(竹内家の知人)
しかし最近になり、家族に変化がみられたという。
「今年の9月で三回忌を迎えたことを契機に、家族で納骨することを決めたそうです。引っ越し先での生活が落ち着き、家族としての生き方に目途がついた。ようやく結子さんとの“長いお別れ”を決意することができたようです」(前出・竹内家の知人)
祖母に伝えられなかった竹内さんの死
家族が心を決めた一方で、竹内さんとの別れを逃してしまった人もいるという。
「実は結子さんの母方の祖母が昨年亡くなったんです」
こう打ち明けるのは、前出の竹内家の知人だ。
「亡くなったのは結子さんの一周忌から3か月後の昨年12月で、93才の大往生でした。数年前から具合の悪かったおばあちゃんには、結子さんが自死したことをなかなか伝えられなかったようです。お墓ができたら伝えようとしていたみたいですが……(前出・竹内家の知人)
生前の竹内さんと祖母は強い絆で結ばれていた。竹内さんは14才のときに最愛の母親が病気で他界している。その後、父親は再婚したが、再婚相手には男の子3人の連れ子がいて、3姉妹だった竹内さんはいきなり6人きょうだいになった。
新しい家庭になじめず、疎外感を深めた竹内さんは、桜井亜美さんの小説『サーフ・スプラッシュ』(1999年)の「解説」の中で、連れ子であった自分を《荷物》と表現した。そんな竹内さんの心の支えとなったのが祖母だった。
「結子さんは子供の頃からおばあちゃん子でした。母親を亡くし、父親が再婚してからは新しい家族との生活に息が詰まるような思いで、ますますおばあちゃんの家に入りびたるようになりました」(前出・竹内家の知人)
獅童と結婚していた頃は夫と連れ立って祖母宅を訪れることもあり、竹内さんの死の前年まで祖母と孫の交流は続いたという。
「晩年のおばあちゃんは介護施設に入所していましたが、再婚して次男を妊娠中の結子さんが具合を気にかけて、大きなお腹でお見舞いに来てくれたこともありましたね。おばあちゃんは、結子さんの母親と同じお墓に入りました。あれだけ親しかったのだから、結子さんも愛する母と祖母が眠るこのお墓に入るのかもしれない……。親戚の中にはそんな思いもあったようですが……」
竹内さんの所属事務所は「お墓の場所は公表しておりません」と回答した。
10月中旬、中林はスケートボードを持って長男、次男とともに自宅周辺を散歩していた。中林が幼い次男の手を握ってスケートボードに乗せる姿を、長男がにこやかに見つめる。その後、3人は手を取り合って買い物に出かけた。都心から離れ、仕事とも距離を置き、家族との結束を強める中林。竹内さんの死後、彼が妻の死について語ることは一切なかった。そしてまた、納骨式も極秘で行った。
「お墓については、中林家と竹内家のごく近しい親族、一部の友人らにしか話していないようです。中林さんは竹内さんが抱えていた苦悩を最もよく知る立場の人ですが、そのことは自分の胸だけにとどめて表に出さないつもり。竹内さんを失った悲しみは家族だけで埋めていこうと決意しているんです。だから、納骨もひっそりと行った。
今年引っ越したばかりですが、地元の人たちとも仲よくしているようです。しばらくはこの土地で、家族3人、地に足のついた暮らしを続けるつもりだそうです」(前出・芸能関係者)
海辺の街に吹く湿った潮風も、父子3人の悲しみを優しく癒してくれるかもしれない。
女性セブン2022年11月3日号」
何か、わからないが。
墓は、そうなのか。教えないのか。
ファンが、多いだろうに。
印税もあるだろう。ファンのために、墓ぐらい。
いや。いろいろ。
後世に残る、美女になるかもしれない。
NHKの朝ドラから人気が、出た女優。
「あすか。
1999〜2000年の平均視聴率は24.4%、最高視聴率は27.6%」
凄い視聴率、当時は、そうなのと思ったが。
27%と、24%は、凄い。
ファンも多いだろう。
朝見ていた、人は。
美人だった。
「大河ドラマ 真田丸(2016年4月10日 - 12月18日、NHK) - 茶々 役」
よかった、美人で、悪女の淀君でも、よかった。
今でも、朝ドラの影響する。
確か、視聴率よかった、それ以外も、ドラマは、よかった。
墓ぐらい、ファンために、必要な事、残る映像のために。
墓のあるところ、観光施なかもしれない。
後世に残る。
有名人の墓は、それは、お参りする人、多い。
雑司ヶ谷の霊園は、有名人が、多い、ついでに、お参りする人、多い。