二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

仕事してない、最高裁。

2020年12月06日 03時01分30秒 | ニ言瓦版

これも、そうなのか。

あんなに金、出しているのに、金は、党の金、庶民の金。

 

 

「昨年7月の参院選で初当選した参院議員河井案里被告(47)=公判中=陣営の車上運動員に法定上限を超える報酬を支払ったとして、公選法違反(買収)罪に問われた案里被告の公設第2秘書立道浩被告(55)について、懲役1年6月、執行猶予5年とした一、二審判決が1日、確定した。最高裁は先月25日、被告側の上告を棄却する決定をしていた。

 

 検察側は有罪確定を受け、30日以内に当選無効を求める行政訴訟を広島高裁に起こすとみられる。立道被告が連座制適用対象と認められ、検察側勝訴が確定すれば案里被告は失職し、5年間は広島選挙区から立候補できなくなる。」

 

 

この広島は、不正の政界。

広島は、庶民の体質か、賄賂政治が、普通なのかもしれない。

最高裁は、楽なことだ。公務員、いらないかもしれない。

「被告側の上告を棄却」は、だれても、できる。

本当に資格は、あるのか。仕事しないで、差戻とか、被告側の上告を棄却。ばかり。

 

「免田事件」も、裁判官の責任、最高裁の責任だろう。

裁判制度、最高裁は、必要ないのではないか。二審で決着が、本当かもしれない。さし戻り、上告棄却は、

仕事していない。

 

 

 

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何か、人生、台無しだ。

2020年12月06日 02時45分26秒 | ニ言瓦版

人の人生は、分からないが、有罪か、無罪で、人生、大変だ。

 

「死刑囚として国内で初めて再審無罪となった免田栄さんが5日、

大牟田市の高齢者介護施設で亡くなった。95歳。」

 

刑とは、犯罪と、警察とは、検察とは、裁判官とは、問われる。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

1948年に熊本県人吉市で一家4人が殺傷された「免田事件」で、日本の裁判史上初めて死刑確定後に再審無罪となった免田栄(めんだ・さかえ)さんが5日午前、老衰のため福岡県大牟田市内の高齢者介護施設で死去した。95歳だった。熊本県出身。葬儀は6日午後1時から同市沖田町135の1の白雲社南大牟田ホールで、家族葬で行う。喪主は妻玉枝(たまえ)さん。

 48年12月、人吉市の祈とう師一家4人が何者かに襲われて両親が殺害され、子供2人も重傷を負った。49年1月、警察は免田さんを別件で逮捕。その後、強盗殺人容疑で再逮捕し、激しい取り調べの末、犯行を「自白」させた。
 免田さんは公判途中から否認に転じたが、一審熊本地裁八代支部は50年3月、死刑を言い渡し、最高裁が51年12月に上告を棄却、確定した。
 しかし、6回にわたる再審請求の末、79年9月に福岡高裁が再審開始を決定。検察側の特別抗告も棄却されて再審が始まり、83年7月、熊本地裁八代支部は再審公判の判決で、免田さんのアリバイを認めて無罪を言い渡した。免田さんは判決直後に釈放。逮捕から34年以上が経過していた。
 無罪確定後は、他の確定死刑囚らの再審支援に奔走し、死刑制度廃止を訴えた。免田さんの無罪をはじめとして、80年代には財田川、松山、島田各事件で確定死刑囚の再審無罪が相次いだ。
 釈放後に知り合った玉枝さん(84)と結婚し、畑作業が日課だった。2018年から介護施設で生活。玉枝さんによると、最近はほとんど会話できなかったという。」

 

これは、警官、刑事も、でっち上げだろう。

昔の大岡越前ではないか、同心のでっち上げ。

 

何か、刑は、分からなかったか、裁判官、そして、検察。

何か、当時の最高裁の裁判官は、酷いことだ。

「1948年に熊本県人吉市で一家4人が殺傷された「免田事件」」犯人は、誰か、「相棒」ドラマではないが、

調べる課が、検察、警察には、あるのだろうか。

本当は、裁判官の裁判の検査する組織が、あるのか、問われる。

遺体の検査もそうだが、物事は、決まると、それで、終わりでなく。

残す書類を調べる、組織が、必要かもしれない。

不起訴にする、死刑のする。そして、警察、警官も、裁判官の仕事の検査。

犯罪、作っているのは、公務員かもしれない。刑罰の安易な判断。

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いろいろある。

2020年12月06日 02時33分31秒 | ニ言瓦版

大変だな、母親になるのは、いろいろ、ある。

 

 

「赤ちゃんを育てる多くの母親にとって、母乳をめぐる悩みは切実です。

「授乳中はケーキを食べてはいけない」「質のいい母乳はさらさら」……。

ネット上には、根拠があいまいな説がはんらんしています。いったい何が正しいのでしょうか。

小児科医の森戸やすみさんに聞きました。

Q さらさらの母乳は質が良く、どろどろの母乳は質が悪いと聞きました。

A お産の直後に作られる、栄養がたっぷりの初乳は少しとろみがあります。

母乳の成分は、産後の時期や、1回の授乳でも吸い始めと吸い終わりで違います。  

「お母さんの食事のせいで母乳の質が悪い」などという説を言う人がいますが、よほど偏った食生活をしていなければそんなことにはなりません。「母乳の質」という言葉には気をつけましょう。

Q ケーキや脂っこいものを食べると乳腺が詰まって母乳の出が悪くなると聞きました。本当ですか?

A 脂肪の粒は乳管より小さく、詰まることは考えられません。乳腺が詰まるのは、長時間赤ちゃんにあげられない時などに、母乳がたまってしまうことが主な原因です。授乳中はバランス良く、何でも食べることが大切です。

Q 「卒乳」はいつすればいいのでしょうか。

A 赤ちゃんとお母さんがお互いに合意のうえでやめるのが卒乳だと思います。家庭の状況や考え方によって適切な時期は違っていいと思います。世界保健機関(WHO)は、食事と併用し2歳以上まで母乳をあげることを推奨しています。母乳の乳糖だけでは虫歯になりませんが、離乳食が始まったら注意しましょう。

Q 授乳中には薬を一切のんではいけませんか。

A 授乳中にのんではいけない薬は、実はそれほど多くありません。

国立成育医療研究センターがホームページで使用できる薬とそうでない薬について解説しています(https://www.ncchd.go.jp/kusuri/lactation/index.html)。  

授乳にあまり詳しくない医師から、「薬をのむなら母乳をやめて」などと言われることがありますが、母乳をあげない期間が続くと、分泌そのものが低下していきます。薬で症状を楽にするよりも授乳の方が大事という場合もあるでしょうから、その際には医師とよく相談しましょう。 Q 授乳に関する正しい情報は、何を見ればいいですか。 A インターネット上には、科学的根拠のない情報もあります。

厚労省(https://www.mhlw.go.jp/stf/ninpu-02_00001.html)など公的機関が提供する情報を参考にしましょう。      ◇  もりと・やすみ 1971年、東京生まれ。新生児集中治療室(NICU)での勤務などを経て、現在はどうかん山こどもクリニック(東京都)勤務。2人の女の子の母。著書に「らくちん授乳BOOK」、「子育てはだいたいで大丈夫」(いずれも内外出版社)など。朝日新聞の医療ニュースサイト「アピタル」でコラム連載中」

 

 

昔は、昭和のころは、考えられない、こと。今は、なんでも、食う、それは、子供に影響するのかもしれない。

ケーキ、食べるは、ありそうだ。

子供にどんな影響か。何か、微妙だ。

そして、今年は、新型コロナの感染と、子供に、影響するのかもしれない。

数年後に、異常な子供が出てくると、分からない、2020年は、問われる。

人の進化、色々なウイルスで、適用する内臓、体ができるものだというが、進化。

麻疹、結核、疫病で、どうな体になるか。

それでも、知るは、しないのがいい。

 

レースクイーンが、1976年2月17日生まれ。

医者は1971年生まれ、問われるは、子供に育成する医者かもしれない。

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何をしているのか、問われる、年齢。分からない。

2020年12月06日 02時21分29秒 | ニ言瓦版

面白い記事だか。

惨めだ。

レースの主役は、そして、44歳で、それは、綺麗と、美人だ。

でも、何しているのかと、問われる。

 

人、育てるも、地位があがるも、組織を作るも、レースの主催するも、44歳で、何が現役か。

老後の数年後ではないか。

 

 

「テレビ東京「出動!ミニスカポリス」「ギルガメッシュないと」などで注目を集めた大原がおりさん。2017年に大原かおりから大原がおりへと改名し、様々なチャレンジもしてきましたが、先月44歳でレースクイーンとしてデビューしました。今なぜ新たな一歩を踏み出したのか。決意の裏にあったもの。そして、今の思いをストレートに語りました。

どこに戻れるのか

 1996年に私はデビューしたんですけど、当時、巨乳アイドルというものがはやっていて、ちょうど巨乳だったもので(笑)、グラビアにハマッたんです。

 ありがたいことに、そこからすぐテレビ東京の「ギルガメッシュないと」や「出動!ミニスカポリス」に出してもらうようになりまして、グラビア、そしてバラエティー。この2つの世界で認知していただいたという流れだったんです。

 そういう道のりだったもので、レースクイーンはやったことがなかったんです。だけど、イメージ的に「え、やってたんじゃないの?」と言われたりもするんですけど、当時は、グラビアとレースクイーンというのは全く違う世界だったんです。

 今は両方やっている方も普通にいらっしゃるんですけど、昔はそこが交わることがまれでして。だから、有名なレースクイーンの方が写真集を出したりすると、意外性もあって、ボーンと売れたりもしていた時代だったんです。

 そんな中、なぜ44歳でレースクイーンになろうと思ったか。本当に正直な話、ベースには、もう一回バラエティーとグラビアの世界に戻りたいという気持ちがあったんです。

 仕事を辞めたわけでもないし、何か粗相をしたわけでもないんですけど、10年前くらいからそんなにテレビには出なくなっていて。

 じゃ、私が戻れるのはグラビアなのかなとも思って。グラビアの打診を雑誌社さんにしたりもしたんですけど、今は私がグラビアをやっていた時よりも、求められる露出度が高いと。

 それこそ、キャピキャピした若い女の子だったら、そんなに露出しなくても売れるかもしれないけど、年齢を重ねた、昔出ていた人がもう一回やるとなると、さらに激しい露出を求められますよと言われまして。そこで今一度再考することにもなったんです。

 そして、もちろん、バラエティーの世界も本当に進化しているし、もともと私はしゃべるのが好きなのでバラエティーが大好きでもあるんですけど、今は昔より若くて面白い人もたくさん出てきてますし。

 難しいけど、なんとか前に進みたい。そういったことを考えて、いろいろな分野に思いを巡らせていたんです。

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「レースクイーンって、何歳まで?」

 そんな中で、6年ほど前、友人の関係でレース場に行ったんです。

 そこで目にしたレースクイーンの皆さんが、すごくカッコよくて。グラビアと一見似ている部分がありそうだけど、グラビアとは違う魅力を感じたんです。きれいだし、輝いているんだけど、やっぱり、一番の魅力はカッコいいんですよね。

 当時はまだ30代だったんですけど、それでも十分いい歳ではありますし(笑)、反射的に「レースクイーンって、何歳までできるんだろう」と思って。ただ、ネットで調べても、何歳までとは出てこない。

 なので、知り合いのレーサー・脇阪寿一さんに「レースクイーンって、何歳までできるんですかね?」とストレートに聞いてみたんです。

 そこで「レースクイーンに年齢は関係ないよ。本気度と、モータースポーツを愛する気持ち。そして、ファンの方への対応、スポンサーさんへの感謝の気持ちが大切やねん」という言葉をもらいまして。

 じゃ、夢としては持っていてもいいのかな。そう思えたんです。そこから、少しずつ気持ちが大きくなっていった感じでした。

 ただ、漠然とレースクイーンになりたいという思いがあっても、どうやったらなれるのか。その道筋が全く見えない。だから、また脇阪さんに「どうやったらなれるんですかね?」とストレートにお尋ねしたんです(笑)。

 オーディションもあるし、やるとなったら体もしっかりと作らないといけないし、決して簡単なことではない。ただ、本気でやる気があるなら一回聞いておくと言っていただいて。

 その結果、脇阪さんのお力添えと、スポンサーのオウルテックさんの寛大なお心遣いで11月21日、22日とレースクイーンをやらせてもらうことになったんです。

 いろいろとお話をさせてもらって、最終的にやらせてもらうことが決定したのが10月下旬。やる以上はカッコつけたいし、44歳のレースクイーンなんて痛々しいとは思われたくなかったし、実は話を聞いてもらっていた9月頃から密かにトレーニングは始めてたんです。

 パーソナルトレーニングをしてくれるジムを探して、主にウエートトレーニングをやっていました。

 以前から歩くのは好きでウォーキングはしていたので、そんなに太ってはなかったんですけど、この歳ならではというか、全身がプヨプヨしてたんですよね。手を振ったら、二の腕がこれでもかとプラプラしてましたし(笑)。

 だから、ウエートトレーニングで筋肉をつけて、プヨプヨをギュッと引き締めるといいますか。ジムでも、自宅でもトレーニングをして、どっさり鶏のささみを買い込んで、毎日どこかが強烈な筋肉痛になっている生活を続けてました。

 あと、レースクイーンのポージングも分からないし、レース場でどんな動きをしたらいいのかという基本的なことも分からないので、レースクイーンの経験がある女の子に頼んで、個人的に“講座”を受けさせてもらったりもしていました。

 まずそこで聞いて納得したのが、グラビアとレースクイーンの違いでした。グラビアアイドルは自分を売るのが仕事。胸が大きい子だったら胸を強調するし、顔に色気がある子だったらセクシーポーズをとる。自分をどうアピールするかを考えるお仕事だと。

 かたや、レースクイーンは、自分ではなくスポンサーさんの名前を売るのが仕事。だから、胸を寄せたりとか、セクシーポーズは全く不要だと。そのかわり、衣装についているロゴを指さしたり、スポンサーさんをアピールするのが需要なんですと。

 そう考えると、何をやるべきなのかも分かってきた気がしたんですけど、意外なことにというか、近づけば近づくほど心配になってきまして。

 「なんで、私なんかが申し込んじゃったんだろう」とか「チームの邪魔をしないだろうか」とか不安とか否定的な気持ちが沸き上がってきたんです。前日はその思いがピークになって、今からでも誰かと交代できないかと本気で思うくらいでした。

 ただ、当日現場に入ったら、スタッフさんが拍手で迎えてくださいまして。この歳で私が来たということで、いたわりの心があったのかもしれませんけど(笑)、本当に、本当に優しかったんです。立ち方とか、その場でいろいろなことも教えてくださったりして。

 さらに、多くのファンの方が「こっちに目線ください」と写真を撮ってくださいました。そこでも、グラビアをやっていた時の思いが出てきたというか。それもまたありがたくて。

 さらにうれしかったのがツイッターなどでその様子がアップされたら、コメントもたくさんいただいたんです。

 「夢なんてことを忘れていたけど、もう一度夢を持って頑張ってみよう。大原さんの姿を見て、そう思いました」

 「年齢を理由に、何かを諦める。それが普通だと思っていたけど、そうじゃないこともあるんだと力をもらいました」

 こういうコメントをいただけるのは、自分のことながら、44歳でやったからこそだと思いますし、20歳の時にやっていたら、この喜びはなかった。そう思うと、今、レースクイーンをやって、その意味はあったんだなとも思えたんです。

三橋仁明/ N-RAK PHOTO AGENCY
三橋仁明/ N-RAK PHOTO AGENCY

新たな自分

 本当にやりたかったことにチャレンジして、自分自身の変化も感じています。

 今まで、私は自分の気持ちをあまり伝えられない人間だったんです。ただ単に、今日どこかに行って楽しかった!みたいなことはSNSとかにも書くんですけど「私はこうなんです」という部分を全くアピールできないというか。

 実は、事務所にも「自分はこう思っていて、こうなりたい」という話はあまりしてこなかったですし、そういう部分は本当に出さない人間だったんです。妙なおくゆかしさというか。

 でも、やりたいこととしっかりと向き合って、そこに進んでいって、それが実現した時に、こんなに気持ちがいいんだということを身をもって学びました。

 だから、来年もまたレースクイーンとして現場に立てる機会があるならば、もっとウエストも引き締めて(笑)、立ちたいと思っています。

 ただ、ま、ここだけの話というか(笑)、今回2日間、レースクイーンとして立ち続けただけで、腰がバキバキになっちゃいまして…。何とかレース場では気を入れて立たせてもらっていたんですけど、帰りの車には、腰をかがめてよちよち歩きで乗り込んでました(笑)。

 やっぱり、44歳という年齢は正直だなとも思いましたけど、だからこその意味もある。そう思って、また頑張りたいと思います。

画像

(撮影・中西正男)

■大原がおり(おおはら・がおり)

1976年2月17日生まれ。東京都出身。本名・大原香織。テレビ朝日「邦子がタッチ」の番組企画をきっかけに、96年にデビュー。テレビ東京「出動!ミニスカポリス」「ギルガメッシュナイト」などで注目を集める。2005年には犬のファッションブランド「Otty」を立ち上げる。17年には、日本テレビ「有吉大反省会 カミングアウト・バトルロイヤル」に出演し、姓名判断を受け、事務所に内緒で「大原がおり」に改名していたことを発表した。今年11月、44歳でレースクイーンデビューを果たした。」

 

車も、自動化と、機械と、機械の闘い。

時代は、昭和の思考ではないか。

上に上がる、女性が、ないのか。

不思議だ。

企業の要人になっているのか、大学の教授で、人、育てるのか。

 

昔の名前で、出ています、歌ではないが、何しているのか、44歳。

テレビ朝日のあの人、何している、とか、昔の友人の今は、凄い人が、多いものだ。

 

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